和気清麻呂

和気 清麻呂(わけ の きよまろ)は、
天平5年(733年) - 延暦18年2月21日(799年4月4日)

奈良時代末期から平安時代初期の貴族。
磐梨別乎麻呂(または平麻呂)の子。氏姓は当初、
磐梨別公(いわなしわけのきみ)、のち藤野(輔治能)真人、
和気宿禰、和気朝臣に改めた。
官位は従三位・民部卿、贈正三位、正一位。


吉松人ならご存知と思いますが、中津川沢原高原(自衛隊演習場内)の小高い丘に
和気清麻呂公の住んでいたと伝えられている洞穴があります。
平成22年9月、つつはの郷土研究会の町内研修で現場に行く機会がありました。

 

 平成25年(2013)


和気清麻呂のことはネット検索すればお判りになると思いますので省略します。
故楠元健一氏が郷土誌「つつはの」23号に
「和気清麻呂伝説」を掲載されていますので紹介します。



上記伝説は和気清麻呂が大隅国流されて仮住まいをしたのは、吉松の中津川か牧園の中津川か、という話です。
なぜ高貴な和気清麻呂が当地まで流されたのでしょうか。
明治42年に鬼塚秋花氏が出版された「吉松古蹟考」を、昭和42年に「吉松中学校郷土誌クラブ」の依頼により
時の校長、野村 晶氏が意訳された文章が、郷土誌「つつはの」29号に掲載されていますので
紹介します。