「田の神」と「さのぼり」 

湧水町の道端や畦には石で造った田の神様(たのかんさあ)という像が建っています。
昔からこの地に住んでいる人は、この田の神像のある光景に何の違和感もありません。
この田の神像は江戸時代の島津氏が統治していた、薩摩、大隅、日向の一部地方のみの風習だったのです。
うんだもしたん。

 

太古から石室古墳・庚申塔・石敢当・田の神像が数多くあるのは、当地方は大隅と日向の境にあり、
九州のへそにあり、豪族達の争いの場に位置していたので文化との接触も多かったことを意味するのかもしれません。
田の神の風習とセットになっているのが 「さのぼり」です。「さ・のぼり」で辞書を開くと「さ」が上る。
「さ」とは神様のことで神様が役目を終えて山に登る時感謝をこめ、神を送る祭りをするという説もあるようです。
「さなぶり」は漢字で書くと「早苗餐」または「早苗振り」で、「早苗餐」は字のごとく田植えの後の祝宴を意味し、
「早苗振」は、水面に稲(早苗)を投げ入れるという意味からきていると言われ、
いずれも田植えが無事終わり田の神様に感謝の意を表しています。(hp参照)
家の中の荒神様・竈(かまど)神様・田畑・水口に苗を備え、田植えに参加した人たちを集め宴を催します。
昔の田植えは、現代のような田植え機などはなく、人の手でひと株づつ植えていく人の数を頼みの作業だったわけですから、
地域で結いを組み、お互いの家族全員が協力して済ませていく大事業でした。

今、湧水町歴史資料館別館には牛馬がいたころの農具を展示してあります。壁には湧水町内の田の神を
全部掲出してあります。生きるために食べるために家族総出で農作業をしました。
昔の人は感謝の気持ちを忘れないために田の神やさのぼりの風習を残したのでしょう。
そして日本人だったら食前のことば「いただきます」食後のことば「ごちそうさまでした」だけは
絶やさないようにしたいものですね。