【鶴丸城=鹿児島城】1897年に焼失した御楼門を復元しよう

2020年3月の完成を目指す

<完成までの流れ>

●明治6年に火事で焼失した鹿児島(鶴丸)城の大手門,「御楼門(ごろうもん)」を復元しようという協議会が発足し,
2020年3月完成を目指します。城のシンボルをよみがえらせ,鹿児島への観光客誘致を目論む。

●鹿児島城は薩摩藩主島津氏の居城で1601年ごろ築城に着手。藩の「人をもって城と成す」との思想から,
天守閣は造られなかった。このため,城の大手門に当たる御楼門が薩摩藩の威容を示す建造物だったが,
1873(明治6)年に焼失し,今では周囲の石垣などが残るのみとなっている。

●その復元を目指し,鹿児島県内の経済団体で構成される実行委員会が募金活動を続けていて,
既に目標の4億5000万円を上回る5億円の寄付を集めている。

●これを受けて鹿児島県と鹿児島市も支援を決め,2015年度当初予算案に建設事業費各1億5千万円を計上した。

●プロジェクトでは新たに,御楼門の隣りにあった「御角櫓(おすみやぐら)」と呼ばれる見張り台と,御楼門と御角櫓を
繋ぐ城壁も復元し,当時の城下町の雰囲気をよりリアルに再現する。御楼門と御角櫓は2020年3月の完成を予定している。











材木のケヤキ調達中






湧水町も協力することになりました



ケヤキ贈呈式及び伐採式
 平成29年12月4日(月)



島津家にゆかりのある湧水町が4日、官民でつくる鶴丸城御楼門建設協議会
(会長・三反園訓知事)に15本のケヤキを贈った

左 湧水町 町長 池上滝一     
右 鶴丸城御楼門建設協議会 委員 藤安秀一






 伐採されるケヤキに感謝の祝詞と伐採作業者の安全を祈願          





島津家の居城だった鶴丸城(鹿児島市)の御楼門の復元に使ってもらおうと、
島津家にゆかりのある湧水町が4日、官民でつくる鶴丸城御楼門建設協議会
(会長・三反園訓知事)に15本のケヤキを贈った。









 「おいは ちっとそっとじゃ倒れんど」 ど根性ケヤキ




やっぱい 人間にはかのわん。ごろいと切られてしもた。
こんだ 御楼門のお役にたたんなら。
わがれゆちゃないやっどん きれかどが

翻訳すると
(やっぱり 人間には負けた。ついに切られてしまった)
(この次は 御楼門のお役に立とう)
(自分で言うのもおこがましいですが 綺麗でしょう)


平成30年5月28日(月)
第71回 湧水町寺子屋塾「鶴丸城跡」