愛甲家・内小野寺跡・熊野神社
●愛甲氏の先祖は神奈川県愛甲郡の修験僧・愛甲小次郎忠雄である。
文治2年(1186)源 頼朝が、島津忠久を薩摩・大隅・日向の
地頭守護に任じたとき、忠久に従って下向し、筒羽野村を所領として
与えられ、当村に移り住んだ。初めは箱崎八幡の北側に住んでいた。
●何時の年代からか、鹿児島県姶良郡湧水町川添字宮前にあった今
熊山三蔵院天台宗内小野寺の住職となり、庭前に熊野神社を祭って
代々その社司をも兼ねた。
●<愛甲相模坊光久>
義弘が永禄7年(1564年)加世田から飯野城に移ってくると、
27代の住持愛甲相模坊光久は特に重用された。
元亀3年(1572年)5月の木崎原合戦には、すぐれた呪力をもって
敵国調伏を行い、賓兵をもってよく伊東氏の大軍を撃破せしめたので、
その功により霧島中央権現瀬多尾神社の別当寺・小林郷瀬多尾寺の座主
に任ぜられ、小林の地に田地3町3反をもらった。
又、感状や太刀一振りの外に光久の妻にも島津家の紋を付けた挟箱が
あたえられ愛甲家に今も伝えられている。
又、光久は(天正12)1584年2月15日島津義弘の代参として、
志布志の飛滝権現にこもった時、神前で天狗から兵法の三略書一巻をもらった。
初めての町民参加型研修研修だったが、ガイドが専門的で難しかったので
もっと簡単に説明すべきとの意見があった。