七草祝いと七日節(なんかんせつ)

 七草祝いは鹿児島の伝統行事の1つである。正月六日をムカシドン、正月七日を七日節(ナンカンセツ)
ともいい、いろいろな行事が集中している。(かごしま暦より抜粋)
 七日正月には若菜打チといって(セリナ、ナヅナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ)
などの七草を切り盤において包丁で切りながら「日本の鳥と唐土の鳥と・・・・」と唱える習慣があった。
 若菜を入れて作ったこの七草粥を七日の朝に食べる。その年に数え七歳になった子供は晴れ着をつけ、
家族とともに神社で七草祝いの祈願を受け、膳に椀をのせて持ち、近くの七軒の家を回って、七草粥を
いただくと、健康に育ついい、現在でも吉松では残っている。
 残念なことに少子化の影響で近所にはほとんど七草を迎える子供がいなく、寂しくなりました。
写真は我々が七つのとき神社でお祓いをうけた時の写真と、現在の写真です。

昭和32年  川添地区七草記念写真(1958年)     場所   熊野神社
   

対象者  川添地区昭和26年.27年生まれ 39名
            (1951年-1952年)

当時の生徒数  約200名 クラス5組

       当時のできごと
● 皇太子明仁親王と正田美智子さんの婚約
● ビクターが初の国産レコード発売
● 旧1万円札の発行
● フラフープの大流行
● 巨人軍長島茂雄が期待に答えて新人王となった 

 平成13年     仏前七草式(2001年)        場所 円乗寺  
   



20年前から恒例となり現在に至っていますが、
少子化人口減の影響で毎年参拝者が少なくなりました。
淋しくなりましたが人生の中でいい思い出となっていくことでしょう。
吉松を担う元気でいい子に育ってください。
平成14年  川添地区鬼火たきやぐら(2002年)  場所 川添竹中池公園
   

川添地区では「鬼火たき」が昭和55年(1980年)に復活しました。
近年、町内を問わず鹿児島各地でも盛大に行われるようになりました。
正月6日を過ぎると門の門松は鬼が来ぬようピがいっぱい付いたダラの木に替えられます。
門松は神が宿った為粗末には捨てられず、各家庭は左写真「やぐら」の下に持ち寄り、1月7日に焼かます。 
   
 
   

 

鬼火にあたるとこの1年間は無病息災といわれ、たくさんの地区民がおとずれます。
竹で作ったさかずきで交流を深めたり、子供たちはおそるおそる火の側まで近寄り、もちを焼きます。


七 草 粥(ななくさがゆ)

わが家の七草粥の作り方
 1.前日の夜からもちを水につけておきます。
 2.昆布でだしを6カップとります。
 3.土鍋に米(3カップ)、餅、だし汁(6カップ)を入れます。
 4.米と餅が煮えたら、塩と化学調味料で味をつけます。
 5.さいごに刻んだ七草を入れます。

地方では7草を迎える家庭は、この七草粥をもらいに7軒訪問する習わしがある。
一昔前は近所隣は子供が多くいて、どの家庭も七草粥は準備していて支障が無かったが
近年、町内では少子化が進み、小さい子供がいる家庭が少なくなり、七草粥を作らない家庭も多くなった。

その対策として、親戚や知人に七草を迎える家族があったら「七草粥をもらいにきてね」と事前に連絡している。
そして、正月七日当日は親子して訪問します。