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強制感動

No.170(2008.04.02)


NHKの連続テレビ小説を見ない歴20年は数えていたと思う、昨年までは。

何の魔が差したのか、1年前に軽い気持ちで衛星放送の「どんど晴れ」をチョイ見したのがいけなかった。

新鮮味のない物語展開であるにも関わらず、続きが気になり思わず見続けてしまう羽目に陥ってしまったのだ。

最終回まで見終えてみれば、再放送されても決して見ないであろうという程度のハマリ具合だったのだが。

惰性で先週放送を終了した「ちりとてちん」も見ることにした私。

こちらの方は、妄想場面等の一部演出にアメリカ合衆国の馬鹿テレビ番組の影響が感じられるものの、しっかりした作りで心底面白いと思いつつ見続けた。

連続テレビ小説になくてはならない笑いと涙の波状攻撃もそこそこ上質だと感じられたこともあってのこと。

出来具合では両極端の二つの連続テレビ小説に共通した特徴があり、私の気に障って仕方がなかった。

劇中での音楽の用い方である。

一言で言えば、質量ともに過剰なのだ。

心理描写に音楽が過干渉するな、と言いたくなる、というか、見ながらその都度画面に向かって言っていたが。

視聴者を感動させたいと思しき場面ではその傾向が顕著だ。

下手をするとセリフより大きな音量でテーマ曲が鳴り響くのだ。

音楽に敏感(?)な私は、そのお陰でかえって素直に感動できずに盛り下がったことが何度もあった。

全国の視聴者は何も感じていないのだろうか、いきなり大風呂敷を広げたくもなる私。

もしかしたら、と思い当たる節がある。

テレビゲームの影響である。

私はかつてテトリスにちょっと狂ったことはあるが、所謂テレビゲームは一切していない。

が、ロールプレイングゲームにおいては音楽が重要な位置を占めていると聞いたことくらいはある。

ゲームに熱中する際に流れる音楽と自身の感情が同調するであろうことは想像に難くない。

と言うより、ゲーム製作者の狙いがそこにあるわけだし。

ゲーム感覚が身に付いてしまうと、大団円名場面にお約束の音楽が鳴り響かない方が不自然に感じるのであろうか。

すんなり感動できない私には国民的番組を見る資格がないのかもしれない。

地上波テレビ番組は見ない、テレビゲームはしない、携帯電話は持たない、と三拍子そろった私は、主流から外れた非典型的日本人なのだろう。


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