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感謝状で口封じ

No.116(2003.06.29)


農村に移住後、私が地区の公民館で行なわれた総会に初めて出席した際に、傍目にも明らかなくらい周囲から煙たがられているお爺さんが一人いました。

その公民館を建てた頃の昔話になるとその人が興奮してまくし立て始めるので、回りの人達が皆お手上げ状態になってしまっていました。

後日お隣さんから聞いた話によると、その人は公民館を立てる際のまとめ役を務めたとのこと。

そのような役をすれば当然色々な苦労があったことは確かで、それに対して地区の人達も感謝してはいたものの、いつまで経っても会合でその話をもち出すので地区民全員もう辟易していたのでした。

それから数年後の総会の前にお隣さんが酒の席で、あんまりうるさいからもう黙らす、と私に言いました。

そう言われても私には何をするのかまったく見当がつきませんでした。

そして迎えた総会当日、何とそのお爺さんに公民館建設時の貢献に対する感謝状と記念品が贈られました。

私は何を今更という子供だましのようなことをして本人が怒りださないのか心配してしまいました。

が、ご当人は満更でもないという様子。

で、お隣さんが言っていた通り見事にその後そのお爺さんはその話をしなくなりました。

私の目から見ると、そのお爺さんにとって話をするきっかけがなくなってしまったために以前より元気がなくなったようで、静かなのは助かるものの気の毒な気もしました。

さて、同じようなことは私が社人として太鼓や神楽舞などで神社のお手伝いをしていた時にもありました。

太鼓と舞のお師匠さんは長い間祭り前の獅子舞の指導をボランティアで続けていました。

いつ頃からかその人が総代の総会後の懇親会という名の酒の席で盛んにそのことを話題にするようになりました。

表現は適切でないかもしれませんが言ってみれば恩着せ、でしょうか。

数年後その人に感謝状と記念品が贈られました。

どうも本人もそれが欲しかったらしく嬉しそうでした。

この二つの事例から、私は感謝状というものが存在するのには意義があったのだということを知りました。(苦笑)

私もかつて1年間行政区長を務め終えた年度末に町から感謝状をもらいました。

しかもご丁寧に区長名と公民館長名で2枚も。

そのまんま箱に入れておきましたが、邪魔になるので山にこもる引越前の片付けで2枚とも燃やしてしまい、二つの額縁はリサイクルショップで処分しました。


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