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農村で暮らす (25)

No.81(2002.05.01)


もうすぐ私が農村を離れてから満6年になります。

最初は私の農村での生活を順を追って載せていこうと始めたこの表題での連載でした。

ところが途中から話があちこちに飛び火するような展開になってしまいました。

まだまだ書きたいことは沢山残っていますが、とりあえず今回でこの題での記述は一区切りつけようと思います。

今後再び農村で生活していた頃のお話を載せる際は、それぞれ内容にそった個別の表題にします。

最終回は私がなぜ農村から出て行ったかについて差し障りのない範囲で書きます。

理由は公私に渡って複数あり、総合的に判断したことを初めにお断りしておきます。

まず最初にあげなければならないのは、私が最初から周囲に同化するよう務めて農村に入ったことです。

回りに合わせるわけですから結果として自分の自由意志を殺さなければなりませんでした。
その見返りとして受け入れてもらえるわけです。

受け入れてもらった後には、実際に生活をしていくうえでの利点も享受できました。

この場合の利点には、地区民全員が共通してそう考えているものと、よそ者である私だけがそう感じているものとがありました。

前者の分かりやすい例としては、地区民のあいだに連帯感、親近感があり、みんなで協力してことを行なうことや、地域の治安の良さなどがあります。

当時今以上に自然志向の強かった私が利点と考えていた後者の典型的なものは、農村では現代文明に対する依存度が低いということでした。

もっとも地元の人達は逆にそれが恥ずかしいことだと思っているようでしたが。

いわゆる「田舎の良さ」である前者は、農村の過疎化に代表される国策による社会変化の影響下で消えゆく運命にあります。

それに比して後者は自分達の価値観次第である程度残せると私は考えていました。

しかし実際に回りの人達全員が生活の近代化を目指すなかにいてそれを貫くことは、地区の協調性の否定ととられる危険を伴うのでした。

結局どちらの利点もいずれはなくなってしまうことはほぼ確定的です。

私は、見返りがないのに自分を殺し続けることはできないという打算的な結論をだしました。

もう一つの大きな理由は、閉鎖的な共同体内で暮らしているうちに自分のものの見方や考え方が少しずつ狭められていくのを実感したからです。

この先ここに10年住んだ後の自分自身の将来像を想像すると不安を感じました。

その頃には既に、望んでいないのに知らず知らずのうちに自分が変わっていくのを自覚できるようになっていました。

今思えば自分の内面で同化が進行し始めていたのかもしれません。

以上の二つが農村をあとにした大きな理由です。

失われゆく「田舎の良さ」に代わりうるものを自分達の手で確立していこうという努力は、やはり土地の人達でするものであってよそ者の出る幕ではないでしょう。

私は、農村に住んだお陰で自ら治める「自治」とは本来そういうものだと考えるようになりました。

ところが自治の実現を阻害してきたものの一つがなんと地方行政それ自体だという事実があります。

俗に言う「生かさず殺さず」や「知らしむべからず、由らしむべし」です。

官対民の戦いの最前線は国会ではなく自分が今住んでいる市区町村です。

次回からはそんな「地方行政の実態」について思いつくままに連載します。

今回は内容が内容だけに長文になりました。最後まで読んでいただきありがとうございます。


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