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農村で暮らす (4)

No.60(2001.08.28)


その後町営水道の完成が遅れたために、蛇口から水が出ない生活を結果として半年近く続けなければなりませんでした。

東京を離れる際には背水の陣という覚悟をしてはいました。
が、それよりも不便な田舎暮らしを楽しむ心の余裕があったからこそ我慢ができたのだと今は思います。

水は農業用の大きなタンクを軽トラックに積み、お隣さんの井戸からその都度もらうことにしました。
水がきれた事情を説明したところ、お隣さんがこの方法でうちの水を使えばいいと快く言ってくださったからでした。

「困った時はお互い様」の精神がまだ生きていることに当時は感動したものです。

ただその頃の私は都会人の警戒心もまだまだ身に染みついたままだったので、あまり甘えると後が恐い、と用心もしていました。

ですからまず飲料水と料理に使う水を確保した残りは浴槽にためておいて食器洗い専用としました。

洗濯は車で20分ほどのコインランドリーですませ、風呂は同じく車で30分ほどの人工温泉の浴場へ通ってしのぎました。

幸い夏ではなくあまり汗をかかない気候だったお陰で洗濯物も少なく、また入浴頻度も低くすることができ助かりました。

また便所が水洗式でないことも渇水してみるととてもありがたいことだと気付きました。

農村における利害関係のとらえ方を知った今振り返ると、お隣さんからいただく水の量を最小限にしておいて良かったとつくづく思います。

町営水道の通水式がとり行われ、蛇口から勢いよく水が出た時の嬉しかったこと。
今迄当たり前だったことがほんの短い期間不便な思いをしただけでとても大きな喜びに変わりました。

ご近所さんに、昔はこの地区へ嫁いだ女性の大事な仕事が人力での水くみだと聞かされました。
そのような経験をした方達の喜びは計り知れないでしょう。

生まれた時からなに不自由ない生活をしている現代の日本の子供たちが、将来も生活に根ざした喜びを感じる機会がないことを思うと可哀相な気もしてきます。


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