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目先のAI

No.204(2024.03.28)

ChatGPTが紹介され一般にも知れ渡り、さらには実際に利用されるようになって以降、IT関連では常にAIが話題の中心になっているという印象があります。

なんでも教えてくれそうな便利屋さんから始まって、仮想の静止画作成、続けざまに動画へと驚異的な早さで進歩していることに漠然と不安を感じる人も多いのではないでしょうか。

さしあたっての心配事は、私たち人間の仕事がAIで代行できるようになり、雇用喪失という実害が発生する可能性が大きい、という問題が指摘されていることです。

現役を引退した私も大きな社会変革が痛みを伴わないことを望んではいます。
ただ、それ以上に気になるのはAIが日常生活に浸透することによって人間そのものが不可逆的な変化をとげてしまうのではないかという点です。

人類は自身の肉体だけでは成しえなかったことを道具を用いることによって可能にしていった過程で飛躍的に進化したという説があります。
手を重点的に使うことで脳が発達したと。

遠い昔にそんな時代があったのは事実だと思う反面、現代文明が行き着いた感のある先進国を中心に伝統的手仕事は次々に先細るかあるいは失われ続けていると感じるのは私の気のせいでしょうか。

使い方にも熟練が不可欠だった原初的道具が、誰もが使えるように工夫改良されたいった歴史があると考えられます。
道具が進化するごとに元々手先が器用に生まれついた熟達度の高い人が不要になっていったのでは、と短絡的ではあるものの私は推察しています。便利な道具が増えるにつれ熟練の価値が失われていった、と。

端的にいえば私が危惧しているのはAIの利便性を常用しているうちに脳の機能が劣化してしまうのではないか、ということです。
考える努力を省力化していった先に何が起こるのかは不明です。

仮に進化してきた脳が退化を始めたとしたらどうでしょう。道具がなければ何もできない現状のように、長い年月を経てAIがなければ判断できずに途方に暮れてしまうという悲しき未来が待っているかもしれませんね。

人類がすべて愚民と化した暁にはツェッペリンの「移民の歌」ならぬ「愚民の歌」を全人類で大合唱しましょう。

真面目に始まっておきながら腹立つほどにくだらない結びとなる下劣な展開をするこんな文章をAIが作成することができるもんか。

と、毒づく相手が誰だか分からない捨てゼリフで終わらせていただきます。(失敬)


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