トップページへ

工業製品の夜食

No.15(2002.09.01)


父親の会社が社宅として借り上げていた賃貸住宅に住んでいた頃、小学生だった私には自分の部屋はありませんでした。

中学生になった年に家を新築することになり、私の身体が目に見えて大きくなったこともあってか自分専用の個室をもつことを許されました。

御多分に漏れずその後ドアで仕切られた洋室という自分だけの空間に居る時間が徐々に増えていきました。
「衣食」に続いて「住」の洋風化がいよいよ我家にも及んできたのです。

現代のように一人一台というほどまでテレビが普及していなかった当時の中学生の楽しみはAMラジオ局の深夜放送でした。ただし運動部に入っていた私の場合は厳しい練習で疲れていたために早く寝てしまうのが普通でしたが。

秋の大会が終わると3年生は部を引退して高校受験の準備に専念するという暗黙の約束がその頃にはありました。それに従い現役を退いた私はかつてのように練習の疲労から睡魔に襲われることがなくなったので一応受験勉強に集中できる環境にはなりました。

ところが親の期待とは裏腹に自室ではもっぱら深夜放送を楽しむというのが私の実態でした。そのように勉強で頭を使うわけではなくても家族が寝静まる午前2時3時まで起きていると小腹が空いてきます。

物臭な私にゴキブリのように深夜の台所に行き即席ラーメンを作って食べるという悪癖ができてしまったのはそれが契機でした。

眠る直前にそんなものを食べるのですから当然翌朝はまったく食欲がなく、インスタントコーヒーを飲んで登校するというこれまたひどい状態でした。

そんな悪循環を繰り返していたためか仕舞いには朝食の野菜サラダが異様に青臭く感じて吐き気をもよおすほどの劣悪な体質になってしまいました。

高校生になって以降ずっと重症のニキビに悩まされ続けたのは成長期にそんな無茶苦茶な食生活を続けたせいでしょう。

もっともその反動で後に人並み以上に食事に注意をはらうようになったのかもしれませんが。


前に戻る 目次へ戻る 次を読む