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大型機械で尊大に

No.14(2002.08.23)


農村に移住した時にちょうど当地では上水道を整備する工事の最中でした。

以前の住人が承諾していたらしく、我家の敷地内には請け負った日本水道という会社のプレハブの仮設事務所が既に建っていて、越して来て間もなく現場責任者が引き続き使わせてくれないかと打診に来ました。

当面用途が決まっていない場所であったことに加え、交換条件として本来自己負担である水道本管から建物までの配管工事を無償でしてくれるということだったので快諾しました。

その後集落の集まりの席で、業者に土地を使わせる際には気を付けなさい、と何度も繰り返し注意されました。

隣人達のまさに疑心暗鬼な様子に接しても、具体的な話がないので何に用心すればよいのかが私にはさっぱり分かりませんでした。

工事が進むうちに今度は残土を捨てさせてくれないかと責任者がやって来ました。

あまり気はすすみませんでしたが最後にしっかりと整地するという約束を信じ、捨てる場所を指定した上で許可しました。

大型トラックが残土を運んで来ては捨てるという作業を注視していた私は残土の中に大きなコンクリートのかたまりが混じっていることに気付きました。

話が違うと担当者に文句を言うと、整地する際にそれらは深いところに埋めると応えました。

なるべく自然のままにしておきたいという考えの私としては非常に不愉快でしたが、一度了承してしまっていたのでそのまま様子を見るしかありませんでした。

集会の時にご近所さんが心配してくださったのはこういうことだったのかと思い当たりました。

都会では経験し得ないことですし前に住んでいた方からの引き継ぎがきっかけとは言え、私の判断ミスでした。

仮設事務所のそばに穴を掘って空き缶を含むゴミを捨てているのも気になっていたので最終的にどう処理するのかを責任者に問い質してみました。

最後にゴミは3メートル以上深いところにちゃんと埋め直しますから、という返事。

何それ、と思ったものの移住直後でそれが田舎の流儀なのかどうか判断できない私には受け入れるしか方法がありませんでした。

確かに仮設事務所を撤去する際に約束通り実行してくれ、見た目には下にゴミが埋まっているかどうか分からない状態になりました。

また残土を捨てた場所で平坦に整地された部分は奇麗になっていた一方、実用性の少ない斜面の部分に2箇所コンクリートが露出しているところがありました。

この程度の後始末でも普通よりも上出来だと後から聞かされました。

一般的に農家の人達は他所から来た業者の人間に対して毅然とした態度で交渉するのが不得手なので、そこに付け込まれることが多いことを知りました。

水道工事の現場が隣りの地区に移った後に再び責任者が訪ねてきました。

今度は何だ、と用心しつつ話を聞いたところなんと道路からはがしたアスファルトを埋めさせてくれないかと言うのです。

当人としては前回に通常より丁寧に後片付けしたので当然受け入れてもらえると思って来たのでしょう。

さらに、ついでに大型機械のユンボー(通称:正式名はバックホー)で斜面を崩して平坦な部分を広くしてあげますよ、と恩着せがましく付け加えました。

そんなこたぁ頼んでねぇよ(失敬)、と調子のよさに腹立たしく思ったものの我家が断われば他の誰か、最終的には一番の弱者に行き着くことは明白だったので引き受けることにしました。

もちろん当時住んでいたところは土地が広かったという大前提のもとにですが。

その結果は、全作業を終えた後の平坦地のあちこちにアスファルト片が散乱するという前回以下の後始末でした。

人の心とは不思議なもので今回は覚悟の上で承諾していたのでたいして腹も立ちませんでした。

さらに数週間後に、工事の責任者が替わり新しい人は前任者より話が分かるようだ、という風の噂が伝わってきました。

田舎の噂話が役に立つこともあるのです。

さっそく前任者の名刺に載っていた番号に電話して不十分な後片付けの苦情を述べました。

程無く新任の責任者が視察に来てくれ、大型機械を使う工程に入ったらアスファルト片を埋め直すと約束してくれました。

その人は責任感の強い信頼できる人物で、きっちりと後始末をしてくれた上にお詫びとしてか他に大型機械で作業したい場所があればついでにしましょうと申し出てくれました。

せっかくの機会だと思い平坦なのに雑草すら生えない岩盤のようなところを砕いてもらい助かりました。

ユンボーがアスファルト片を埋め直す作業をしているのを見ながらその人と色々な話をしました。

農業の話題になった時にその人が「ここはアラチ(新地?まだ何も作物を栽培していない土地という意味でしょうか)なので牛糞か豚糞を入れてトラクターで耕せば野菜は何でも作れますよ」と言いました。

自然農法志向な私は唖然として「はぁー」と生返事を。

さらに「何年かして(連作障害で作物に)病気が出るようになったらまたユンボーで天地返しすればいい」と続けるのを聞いた私は絶句しました。

私にとっては酷く乱暴で自然を破壊しつつ自然から一方的に収奪する方法にしか思えなかったからです。

大型機械が成し得る仕事を日常的に目の当たりにし続けていると知らず知らずのうちにこのような考え方をするようになってしまうのでしょうか。

私は、大型機械が作業をする際に起こす振動や騒音、排気ガスによる一次的実害、さらに短期的視点で地形を変えてしまう自然破壊という二次的実害などに比べて、最も恐ろしいのはこのように人間の考え方、心、精神にまで強い影響を与えてしまう点だということに気が付きました。


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