草文館で開催された特別展を紹介します。

1.平成11年度・開館1周年記念特別企画水墨画二人展

(1)西村草文水墨画・・・略

(2)菅原時保(すがはらじほう)水墨画

雅号を曇華(どんげ)。慶応2年(1865)〜昭和31年(1957)。神奈川県鎌倉市出身。

臨済宗(禅宗)妙心寺派にて比叡山学僧の栄西(1141〜1215年)の一派であった。鎌倉五山(建長・円覚・寿福・浄智・浄妙寺)の第一位,建長寺第236代管長であった。書や水墨画に秀逸であった。戦時中,禅の教心に各戦場を巡った。

“剣禅一如の前線勇士”蒙彊巡錫の菅原管長禅談義。「奉天特電八日発」

北白川宮故永久王殿下の御菩薩を弔ふため78歳の老体をおしてはるばる蒙彊(もうきょう)の地まで巡錫(じゅんしゃく)した鎌倉建長寺菅原菅長は6日午後零時着列車でモンペに絽(ろ・絹布)の羽織をひっかけた気軽な姿で奉天に立ち寄り,在奉信徒達に迎へられヤマト・ホテルに入ったが同菅長は戦ふ満州銃後の姿に對して次の如き禅談義を行った。禅といひ剣といひその眞奥はただ一つ,無我の境に徹することにほかならぬのであるが,前線の将士のあの大奮戦は全く禅の極に徹したといふべきだ,大君のため國のためといふ心以外何もない,この心境こそは釈迦も達磨も遠く及ばないとわしは考へている,今さらいふのも烏滸(おこがましい)が,玉砕した山崎部隊長はじめ二千有余勇士の壮烈な戦死こそは禅を知らずして禅に徹したといふべきだ,翻って満州國民の生活をみるに前線勇士の禅に徹した姿とおよそ遠いやうに思はれる,何だか狂人じみた殺気を感ずるばかりで,これでは大東亜戦争を勝ち抜けぬ,緊褌(きんこん)一番肚(はら)の底から戦争を勝ち抜く試練を養なはなければなるまい防空服だ,防空濠だと近代戦に必要な形を準備するのも結構だが,一方その裏側をのぞけばその生活態度はまだまだ私欲にはしり“私”にとらはれている,禅に徹するといってもそこらの坊主にならって静坐したりなどする必要は毫(ごう)もない,天皇陛下の御ために日々を生活すればそれすなはち禅ぢや。

注:( )書きは筆者による。昭和18年9月10日の朝日新聞の記事から原文のまま。


2.平成12年度・開館2周年記念特別企画日本画二人展

(1)西村草文日本画・・・略

(2)松井貞夫日本画

雅号を黎光(れいこう)。明治33年(1900)〜昭和49年(194)鹿児島県出身。

大正5年16歳にて日本画修業のため上京,荒木十畝に師事する。郷土入来町をはじめ空襲のため薬師町,原良町,磯そして平野町と転々として画業に励む。
写真1の「喧嘩鳥」
写真2「下がり藤」写真3「孔雀」写真4写真5写真6写真7写真8とある。


3.平成13年度・開館3周年記念特別企画展・「驀進(ばくしん)するSLの雄姿」

(1)中之間 国隆作品より

大正7年(1918)5月27日(海軍記念日)〜昭和53年(1978)4月14日。鹿児島市上竜尾町出身。

父は海軍勤務。奇(く)しくも国隆氏は記念日と重なり軍艦の絵に没頭したのであったが・・・。昭和16年北九州門司機関区・同20年鹿児島機関区勤務。その後特急「はやぶさ」の初代運転士として,お召し列車をはじめ,要人の送迎に重責を果たした。また検査係・技術係・助役・国鉄運輸室長と勤務。蒸気機関車の模型作りや画材・アトリエにと没頭したく異動を好まなかった。

写真1「制服姿の中之間国隆」
写真2「模型作りに励むアトリエ」

写真3「波涛を蹴る雄姿」
写真4「お召し列車」
写真5「弁慶号」

以下題名省略。
写真6写真7写真8写真9写真10写真11写真12写真13写真14写真15写真16写真17


4.平成17年度

  「釈尊と能・仏画」特別展
 開催期間 平成17年10月9日〜平成17年12月11日
 (10月16日,10月24日〜27日,11月12日は都合により休館させて頂きます。)

「貴家繁栄! シロチャボの夫婦円満」草文画(絹布)


5.平成18年度

「2006年 光輝! 竹下の愛犬 笑う門に福来たる」草文画(絹布)