ダイビングあれこれ
  

ここは,ダイビングに関するエッセー集です。原稿募集中
鹿児島県町村会が発行している<みなみかぜ>という季刊誌に投稿を頼まれましたので 書いてみました。 2001・夏号に掲載されています。 海 と の 出 会 い  週半ばになると俄に週末の天気が気なり,土曜日の朝ともなると双眼鏡片手に堤防に立つ。 そして,手打湾沖の波の状態を入念にチェックする。今日も海日和。  私の住む下甑村は,串木野市の約50km西方に浮かぶ甑列島最南端に位置し,人口 2800人の漁業を中心とした小さな村である。  ここで生まれ育った私にとって,海との出会いは生まれたその時である。我が家が漁を 生業としていたこともあり,その手伝いをする傍ら,遊びも釣りや素潜りするといった海 中心の少年時代だったから,当然「魚は食卓に揚がるもの」で休みになると銛を片手に 海に入り,石鯛やブダイを突いて食卓に揚げていた。それは下甑村役場に就職して,ある 事件があるまで続いた。  その事件というのは8年前のことである。役場が実施した海底調査に同行し初めて空気 タンクを背負って海に潜らせてもらった。いつもなら銛を片手に魚のいる魚屋(いよや) 目がけて一直線に潜り,苦しくなったら上がってくる。魚もこちらの気持ちを見抜いてか, なかなか姿を見せてはくれない。  ところがその日は違った。スクーバダイビングが初めての私は,海の中を自由に動くこ とが出来ず,ドキドキしながらじっと岩場に掴まっていた。周りを見渡すと,いつも私に 逃げ隠れする魚が全く警戒することも無く,あちらこちらで実にゆったりと泳いでいる。  私の不安な心を見透かしてか,好奇心旺盛な石鯛がユタユタと私に向かって泳いできた。 ほとんど目と目が合い,瞼でも付いていれば瞬きが見えそうなくらいの近さまで寄ってきた。 私は初めての経験にしばらく時を忘れた。それから周りを見渡すと,岩場には珊瑚の群生, イソギンチャクと戯れるクマノミ,潮の流れに身を任せ揺らめく海藻。そのひとつひとつに 海の構成員としての煌めきを感じ,心から「いとおしい」と思った。その日から私は海の虜 になった。  それから寄ると触ると,その時の体験を交え,海の魅力を熱く語り海へと誘った。 しかし仲間が増えていざ潜るとなると,それには障害もあった。今まで守り育てて,そこで 生計を立てていた漁師に取って,ダイバーは海賊のようなものである。 そうでは無いことを理解してもらうのに時間を要したが,今ではダイバーが盗る(撮る)のは 写真だけということが定着して,漁業者が好ポイントを教えてくれるまでになった。そして, 今年も新たなポイントが増えた。  初めて魚と目と目が合ったあの瞬間の感動を一人でも多くの人の伝えたい,また,下甑の海 をもっと知りたい。そんな思いから沖縄県の与那国島を皮切りに南の島々の海を潜りはじめて, やっとこの4月に硫黄島まで辿り着いた。  そして,今年も南の島々で出会った仲間に下甑の海で会える夏がやってくる。          奄美大島ダイビング紀行  天気予報は、今日の午後から雨と報じた。予想どうり昼前からポツリポツリと降り始め た雨は、鹿児島空港発奄美行きが出発する頃には本格的な雨になった。  シートベルト着用のアナウンスが流れ救命胴衣の着用の説明が始まった。乗り慣れない 飛行機の離陸前の不安な気持ちが、他人事のようで聞くでなく見るでなくの中途半端な時 間が過ぎた。やがて管制塔の待機が終わり、一行を乗せた飛行機は雨雲を突き刺し一気に 上昇した。  時折激しく上下するなか40分が経過し奄美空港に着陸した。機内を後にして手荷物ロ ビーに向かう通路から滑走路越しに奄美の海が見えた。気温は南風が混じっているのか, 11月にしては少しなま暖かい風が吹いていた。手荷物ロビーに着くとしばらくしてから 荷物を運ぶベルトコンベアーがゆっくり回り始めた。乗客が蛇行したコンベアーに集まっ てきた。回り始めて10分ぐらい待たされただろうか。奄美に着いて、はやる気持ちとは 裏腹にゆっくりした時間が流れ、その片隅で家族に今着いたことの報告を訛の強い言葉で 電話をしている人がいた。  ダイビング機材を受け取りチェックアウトして待合いロビーに出た。そこには、サラサ ダイビングサービスの畠さんが「ようこそ」という言葉に代えて溢れんばかりの笑顔で迎 えてくれた。さあ、いよいよ3泊4日の奄美でのダイビングが始まる。  昨夜の雨は、風を伴い窓を打つ音が断続的に続いた。朝になっても小雨が降り続き肌寒 い朝になった。  8時にいつもより遅い朝食を摂った。入念に機材などのチェックをし、ダイビングスー ツに着替え9時前に玄関に下がって迎えを待つことにした。ほどなくサラサダイビングサ ービスの畠さんが来てショップに移動した。そこで現在の海の状況説明と今日の天候の予 測があった。  説明によると天気は昼過ぎから回復するが太平洋側は波が高く潜れる状態ではない。東 シナ海側においても波が高く、湾内の一部しか潜れないとの事だった。 本来なら夏を押しやった秋の日差しが程良く肌を包み、ゆったりとした時の流れの中で、 華やかにサンゴと戯れるカラフルな魚たちとの時間を共有するはずだった。  自分たちが甑島でダイバーを迎え一番困るのが自然現象とはいえ、時化でせっかく遠路 足を運んでもらったのに潜らせる事が出来ない事である。これは自分が曲がりなりにもダ イビサ−ビススタッフとしてガイドをして初めて思ったことで、畠さんも同じ気持ちだろ うと思った。自分は今までの経験の中でこんな事は何度のあったので何ともないが、同行 したヤンさんは昨年の、佐多岬以来の2回目の遠征で、出来れば感動するような出会いを させてやりたかったがこれも仕方がないことだった。 小雨のなか、タンクを積み込み一路赤木名港に向かった。  港は沖防波堤を回り込んでくるうねりのため、係留してある船と船が競り合って揺れて いた。ダイビングボートは新しく40馬力の船外機が2機取り付けてあった。機材の積み 降ろしが終わると、セルの甲高い音と同時にエンジンが起動した。そしてもやいを解いて ゆっくりと出港した。港を出ると正面からの風が強く、1トンほどしかないダイビングボ ート「サラサ」は、スピードを出すにつれ船首が上下して体が不安定だった。走り出して 5分で赤木名湾のほぼ中央にあるポイントについた。ポイントの名前は特に説明はなかっ たが、水深15m前後で砂地とガレ場の分かれ目を散策するコースだった。ブリーフィ− リングを聞きながらプラバンに簡単な地形図を落としコンパスをあてた。海底の集合は、 アンカと決まった。機材を背負いマスクをしてそして軽くレギュレターをくわえ吸った。  ボートエントリー直前のこの瞬間はいつも、期待と適度の緊張が心地良い。それはまだ 見ぬ世界にどんな地形があって、どんな生物がいるだろうか?と思うと自然と心が弾む。  例えば今年はザブンと行った瞬間ブリの大群が目の前にいたことがある。誰もここにブ リがいるなどとは思いもよらないだろう。たまたまなのだ。こんなたまたまはダイビング 以外ではおおよそ考えられない。こんな事があるからダイビングに足を突っ込んだまま抜 け出さないでいる。そして今年もそんな出会いを求めて奄美にやって来た。  さて、話を戻してエントリーは、畠さん、中田さん、そしてヤンさんと私の順番でする 事になった。2人は早速エントリーした。私はヤンさんに少し遅れてバックエントリーで 海中へと入っていった。             今日はこれくらいにしよう H10.11.14 から書き始めましたがいつ終わるかわかりません。悪しからず。
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