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我が命の存在 |
| この世は決して個人の自由になる世界ではありません。個人とはあくまでもこの世におろされた中の一部にすぎないのです。この世において起こることすべてもまた、個人の自由にできるものでもありません。個人とはただそれらを見つめ何かを学べばそれでいいのです。自分自身が成長できる何かが必ずあり、起こり得たすべてであるのです。未熟な人の心とは、この世においてその未熟さをある形へと成長させんが為に生きているのだとも言えるのです。心の成長とともに、形ある何かが出来上がってゆくものなのです。すべてが学びであります。出来上がる形を見て、自分自身の心の成長をこの世へ対し喜び感謝してゆくことです。この世に育ててもらっていることを深く気づいてください。そうすることで、この世へ対する想いがさらなる自分として向き合ってゆけるのです。 この世とは形ある世界であり、個人の学びもまた、そこの部分と関係して動いているのです。形をつくる、形を残す、ということであります。形ある世界においてはやはり形をつくることが、この世で生きる務めでもあります。形をつくれなければ、形を残せなければ、本当はこの世で生きた意味がないのです。どのような形を残せばいいのか、この世がより美しく、より輝ける、そういった今より常に一歩成長したこの世となるための形であります。そのための個人がつくれる、残せる形であります。この世の発展が個人の発展と、個人の発展がこの世の発展とつながってゆくのです。そして個人が生きるその場所にて、その形をつくっていって欲しいのです。その場所に生まれた意味を感じて、そこで頑張って形をつくる努力をして行くことです。降ろされしその場所は個人にとって最も力となる場所であります。形をつくる為、形を残す為にそこへ降ろされたのです。 |