しかし,おそらくそんなに遠くない将来には,こんなタイトルの新聞記事を眼にする可能性を考えなければならないほど遺伝子に関する研究や出生コントロールに関する技術の進歩は新しい時代に入っているのです.そのため,いろいろな意味で,「どう対処すべきなのか/どう考えるべきなのか/どうあるべきなのか」というような倫理的な方針を考えたり予測している人は専門家の中にもまだまだ少なく,遺伝子診断や遺伝子治療の理想的な利用法や基本的な理念に関する議論が十分でないという指摘があります(文献3,4).
自閉症を明確に規定する遺伝子形質はまだ見つかっていません.自閉症が複数の遺伝形質(遺伝子特性)のいくつかが揃って初めて発現する多遺伝子性であったとしても,一個の受精卵から複数の遺伝形質を一度に検査する技術はすでに確立しつつありますので(文献5),親が持っている可能性がある自閉症に関連する遺伝子形質の診断や,自閉症になる(あるいはなりやすい)受精卵の遺伝子診断が可能になるのも遠い未来の話とは言えない状況になってきているのです.従って,私たち自閉症に関わる者は,来たるべき近未来に備えて,「自閉症の受精卵コントロールをどう考えるか」という命題に,ある程度の議論を準備すべきことを痛感し,以下に必要と思われる情報を解説します.
1.疾病コントロールに対する反対意見
従来の疾病コントロールは,薬や手術で病気を治したり,症状を軽減させたりすることでした.治療法や予防法が見つかり,その病気をこの世から無くしてしまうことが最終的な目標であり,その病気から結局逃れることができなかった患者自身の中にも,憎むべき病魔を世の中から消滅させることを望みながら亡くなられた方も多いと思います.しかし,反面,従来の疾病コントロールの考え方は,患者排除の歴史や患者の人権を無視しがちな社会傾向の背景となってしまったという批判も存在します.特に,疾病コントロールの方法や過程が,受精や受精卵/胎児を対象に行われるようになってから,より複雑な問題が生じました.親の生む権利や胎児の人権などを無視する優生思想,健常児を生みたい親の希望と病気を持つ受精卵や胎児の人権の問題,卵子/精子-受精卵-胎児のどこから人権が生じるのかなどの問題です.分子治療・遺伝子検査/遺伝子治療など,従来とは異なる側面から病気をコントロールできる時代になってから,疾病コントロール自体を否定する意見をよく耳にします.鹿児島大学医学部倫理委員会が,後に説明します着床前診断法により重症の(ドゥシャン型)筋ジストロフィー症などの疾患の疾病コントロールを検討した過程で,脳性まひ患者の会「青い芝の会」から,「障害があって何が悪いのか.人間一人ひとりを大切にする社会をつくるべきだ.障害者の親にさまざまな意見があることは分かっているが,親や患者が苦しむのは,周囲の差別や偏見によって追い込まれるからだ」という意見が述べられ,着床前診断に対する反対意見が表明されました(文献6).これまでは疾病コントロールの話もでなかった病気に対してもその可能性がでてきたことで,潜在していたより本質的な問題が表面化してきているのです.また,ある頻度で障害者が生まれてくるのは自然の摂理であって,それを調節しようとすること自体を問題視する宗教的な議論さえ聞かれます.こういった議論はまだまだ未熟で,個々の疾患の特徴や患者や家族の背景/状況が十分に考慮されていないという状態ですが(文献4),障害を個性としてとらえようとする社会福祉の新しい流れの中で(文献7),疾病と特質(個性)の間の境界線は既に無くなっているのです.
2.受精卵遺伝子診断/着床前診断とは
重症の筋ジストロフィー症の患者の両親は,新しく子供をもうけようとする時に,同じような場面で自閉症児の親が経験する以上のストレスを強いられます.その理由は,病気の原因となる遺伝子異常が母親の持つ二つのX遺伝子の片方にあることがほぼはっきりしており,生まれてくる子供が男の場合,その50%が確実に発病することを知らされているからです.「どうしても健常児を出産したい」という親の切実な願いを可能にするために検討されているのが,人工体外受精技術と受精卵遺伝子診断/着床前診断の組み合わせです.つまり,人工受精した受精卵を検査して,その受精卵が問題の病気を発病するかどうかを判断することができるようになってきたのです.最終的には両親の判断により,病気を持つ受精卵はそのまま凍結保存され,健常な受精卵は母親の子宮にもどされ出生できる機会を与えられることになります.こういう方法の前段階として,受精卵の性別のみを検査する方法も検討されています.この場合は,受精卵が男であれば50%の確立で発病し,女であれば健常児ですので,男の受精卵は凍結保存される運命になります.この前段階的方法は,既に,鹿児島大学倫理委員会により議論され,活発な反対意見が表明されました(文献6).その論点は,先に述べました疾病コントロール自体の否定や病気を持つ受精卵の人権の問題の他,排卵誘発剤が母体や卵子に与える影響,人工受精手技や遺伝子検査が受精卵に与える影響,遺伝子診断の偽陽性/偽陰性,凍結保存される受精卵の50%が健常卵である問題,出産まで維持できる確立の問題など多岐にわたったと思われます.鹿児島大学での議論では,その過程で血友病と脆弱X症候群は対象から除外され,重症の筋ジストロフィー症のみが検討されています.血友病に関しては,「すでに治る疾患に入る」として除外されたそうですが(文献8),脆弱X症候群については,除外の理由がはっきりしません.しかし,今回の日本産科婦人科学会倫理委員会の検討では,治療法のない重い遺伝病として対象疾患に入っているようです(文献1).
3.脆弱X症候群(Fragile X syndrome)の受精卵コントロールについて
前述しましたように,受精卵診断における脆弱X症候群の取り扱い方には一定の見解がありません.「致死的でない(患者はその病気では死なない)遺伝病を,人工体外受精/着症前診断による疾病コントロールの対象にはすべきでない」という意見と,「健常な子供を生める確実な方法があるのであれば,その方法を利用して患児の兄弟を生みたい」とする母親の希望を重視する考えの両者があるのですから,この問題には結論はありません.
脆弱X症候群は,遺伝性の精神遅滞の中では最もよく知られており,その遺伝子異常(X染色体上の染色性脆弱部のFMR1遺伝子の5'側の非転写部位のCGGリピートが延長)も蛋白異常(FMR蛋白の非発現)も同定されており,FMR蛋白の働きもある程度わかっています(文献2,9).今回の日本産科婦人科学会倫理委員会の発表では,脆弱X症候群は治療法のない重い遺伝病と判断されたようですが,治療の可能性がないという見解も絶対的なものではなく,最近CohenらはFMR蛋白による治療の可能性を指摘しています(文献10).その症状が重症と言えるかどうかも,患者自身の気持ちと親の見解は異なっている場合が容易に想定されます.また,この病気においても,障害を個性と考えて社会参加しようと努力している患者や支援者がたくさん存在することもまた事実なのです.したがって,治療の可能性の有無や障害の重症度だけで,この問題に枠組みを作ることは困難なのです.
4.疾病コントロールの是非に関する議論はどのように行われるべきか
現時点で,「自閉症の疾病コントロールについてどう考えるか?」と問われた場合,私たちは「No !」と答えます.その理由は,寛所長の言動は彼の個性と感じる部分が大きいからです.しかし,患児の兄弟として健常な子供を授かりたいと願っている親の気持ちもよく理解できます.大事なことは,このような議論が今後発達障害に関して必要になった場合,患者,親,支援者,教育者,臨床心理学者,臨床医を含む全ての関係者に,議論に参加できる機会が与えられることだと考えます.中途半端な議論や遺伝子の専門家たちのみの話し合いだけで,ことを進めるべきではない問題だと思います(文献4).残念ながら,鹿児島における受精卵診断の議論でも,肝心の対象疾患の患者やその周辺からの意見さえなかなか聞こえてきませんでした.患者自身や親が発言しにくい状況が存在しているのも事実ですが,今後は,何らかの形で,当事者たちが議論に参加できる方法が取られることを期待します.
(追記1)
日本産科婦人科学会は,1997年2月22日,受精卵遺伝子診断の結論を先送りにしました(文献11).「学会員の合意が得られていない」・「情報公開が不足していた」などが理由のようですが,同学会の倫理委員会が容認を発表してから12日間の間に,「優生思想を問うネットワーク」などからの反対意見の表明があり,倫理委員会の議論のあまさを露呈したかたちになりました.疾病コントロールに対する反対意見があることさえ御存知ない(あるいは理解できない)専門家が多いことは,医学倫理の講演会などに出席した時に気づいてはいましたが,医学会のこの問題に関する無知/無理解の方が深刻な問題のようです.
(追記2)
日本産婦人科学会は,1997年4月5日,受精卵遺伝子診断の対象疾患を特定しない方針を固めつつあります(文献12).「特定の病名を挙げると差別が助長されかねない」などの意見が学会の内外から相次いだとのことで,「特定の病名を挙げるのは望ましくない」とし,対象疾患を「治療法のない重い遺伝病」と修正するようです.一見改善のような姿勢をみせていますが,対象が抽象的な表現になってしまい,解釈しだいでどんな病気でも許容しかねない状況が予想されます.
(追記3)
鹿児島大学医学部倫理委員会は,1999年1月28日,ドゥシャン型筋ジストロフィーの着床前診断を承認(文献13).1998年6月の日本産婦人科学会理事会の答申(条件付き承認)に続く大きな動き.