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統合教育の実現が学校教育を変える

1997年7月、伊地知信二/奈緒美

神戸小学生殺害事件で中学3年生の少年が逮捕されたことは,私たちに大きなショックを与えました.また,メディアはこのケースの特殊性を報道すると共に,競って教育の現場での問題点や,地域や家庭に一般的に存在するかもしれない事件の背景に注目しております.学校が何のためにあるのかが問われ,理想と実際の教育との解離が指摘され,脱落者に対する構造的阻害環境があるために個別的な柔軟性のある対応を取ることができない学校が多いという現状が,再び浮き彫りにされています.いじめの問題や自殺や少年の犯罪の度に話題になり,しばらくすると何事もなかったかのように忘れ去られてしまうこのような議論は,障害児教育の改革のために訴え続けられている理念と到達点がいっしょであることに,もっと注目していただきたいという思いから本文を書いております.普通学級で学びたい障害児や普通学級で健常児といっしょに我が子を学ばせたいという多くの障害児の親の希望が実際には非常に実現しにくいことの原因と,健常児の一部にみられる悪質ないじめや家庭内暴力や少年少女犯罪の温床が同じものである可能性があるのです.

家庭や地域で種々雑多な価値観に日々接する機会があれば,学校でのカリキュラムがいくら密になろうとも,その学校の存在価値が進学のためだけのものであっても,子どもたちの視野は成長と共に拡がっていくことが期待できます.しかし,都会では家庭や地域で貴重な経験を得られない子どもたちの比率がおそらく増加しており,学校や塾では視野の狭いもの同士の交流しか望めないとしたら,受験テクニックに優れた人間は量産されますが,目的を持つことができず自分の居場所がわからない「透明な存在」の部分を持つ子どもが容易に出現する背景が明らかに存在しています.もちろん,このような環境の中でも,ボランティア活動に参加したり,数少ない経験や助言から広い視野を持つことができたり,大学時代や社会に出てすぐにいろいろなことを会得してしまうすばらしい人もたくさんおられるわけですが,大半の子どもたちは,運よく非行や挫折に陥らなかったとしても,結果的には弱者の痛みがわからない,あるいはわかろうともしない医者や弁護士や官僚を作りだしてしまいかねない教育システムの中にどっぷりと浸っています.

「障害に応じた教育を」とか,「障害児のための教育体制の確立を」という意見があります.障害といっても,いろいろな程度や種類がありますので,専門家にまかせる方が能率もあがり,本人にとってもいいだろうという考えのようです.一方,障害があっても,普通の学校に通って,健常児といっしょに学校生活をおくるべきだとする主張があり,ノーマライゼイション(共に生きる)とかインクルージョンと呼ばれる考え方が活発に議論されています.最初の意見は,障害児を養護学校に入れて,あるいは,特殊学級に集めて,時々普通クラスへというような,いろいろな程度の隔離を前提とする分離教育です.これに対し,後の方は,障害児と健常児がいっしょに居ることから生まれ,障害児と健常児の両方がお互いに経験することのできる,本来自然で最も大切な教育効果を期待するという立場で,統合教育と呼ばれています.残念ながら,日本では,分離教育を選択せざるを得ない場合が一般的で,教育理念として確立している統合教育の趣旨は,例外的に実践されているだけです.平成六年に日本が批准した「子どもの権利条約」は,子どもの意見表明権を重視しており,また障害児については「申し込みに応じた援助を」という記載があります.ところが,条約の批准に伴う新たな国内立法や法改正はなく,特別な予算措置さえなかったと聞いております.障害者や障害者の親が「普通学校に通いたい」と希望した場合は,医療機関や専門医との密接な連携が必要になったり,校舎の改築が必要だったり,担任の先生を補助するスタッフが必要になるなどの場合が想定されます.こういうことに対応するシステムがほとんど無いわけですから,多くの場合現場の先生方も統合教育の実践をあきらめざるを得ないわけで,ある障害児のご両親は「画餅のノーマライゼーション」と表現していました.

現在,統合教育を本当に必要としているのは実は障害児ではなく,健常児の方なのかもしれません.ハンディキャップの程度や質に関係なく,障害児は周囲の人間に多大な教育効果をもたらします.いろいろなことを考える機会を与えてくれますし,純粋さだけでなく卓越した世界観を若くして自分の中に持っておられる障害者が少なくないことを御存知の方も多いと思います.大人が障害児教育に費やす努力は,それを日常的に見ることになる健常児たちにボランティア精神や弱者に対して社会が負っている義務を教えることになります.学校でも社会でも,障害者と共に生きていくためには,ほんの少しの配慮と物理的・精神的創意工夫が必要なのだということを,学校時代から体得することができれば,職場や地域での障害者を受け入れる姿勢が改善されてくると共に,地域や学校が本来持っているべき真の教育効果が再び都会でも期待できるようになるのではないでしょうか.統合教育を一般化することが,一人一人の違いを尊重し個性を大事にする学校教育実現への第一歩になるのではないでしょうか.


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