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子どもの権利条約の日本語訳の問題点

1996年11月、伊地知信二/奈緒美

1994年3月に、日本の国会は「子どもの権利条約」批准を承認しました。しかし、この時同時に、条約の批准に伴う新たな国内立法や法改正をせず、特別な予算措置は行わないことも決められたそうです。日本は既に、現行の法律や今ある体制/設備で、この条約の内容すべてを満たしているのでしょうか? 障害児をとりまく環境の多くの問題を知っているにもかかわらず、条約批准に伴い何もしないという姿勢自体が、障害児の権利を軽視する背景の現れのように思えます。このような背景と、法律や体制/設備の改変に対する消極的な姿勢が、政府の翻訳者にプレッシャーをかけたようです。

「子どもの権利条約」は英語では、"Convention of the Rights of the Child"ですが、政府が公表した訳は“児童の権利に関する条約”となっており、条文中のすべてのChildが“児童”と訳してあります。第1条で、18歳未満の全ての人を対象とすると明言してありますので、この条約での“児童”とは一般的な子どもという意味なのですが、“児童”には小学生という狭い意味もありますので、あえて“児童”と訳しているのは不自然に感じます。この条約については、わかりやすい日本語訳をと、多くの方がいろいろな日本語版を発表していますが、“児童”としているのは政府の発表したものだけのようです。分離教育への窓口になってしまっている就学時健診/就学指導は、小学校入学時に設定されています。幼稚園への入園や中学・高校をどうするかの相談は個別に行われているのが現状のようです。“児童”と訳した動機が、障害者が幼稚園への入園や普通中学・高校への入学を拒否される場合の背景に結び付いていないか心配です。

第12条の1の子どもの意見表明権に関する記載のところでは、“自己の意見を形成する能力のある児童が・・・自己の意見を表明する権利を確保する”と訳してあります。“意見を形成する”という不自然な言い回しでは、言葉がでなかったり、発言しにくい子どもたちの意志をどう扱っているのか当惑してしまいます。原文を見てみますと、予想どおり、もっと広くかつ深い意味を持つ"views"が“意見”にあたる単語で、「・・したい」とか「・・するのが好き」などの子どもの純粋な気持ちを含んだ内容であると解釈すべきです。従って、“子どもには、障害の有無にかかわらず、自分の気持ちや意志を表現する権利が保証されており、その気持ちや意志は尊重されるべきだ”というのが主旨なのです。

第23条の1では、“(障害を有する児童が)十分かつ相応な生活を享受すべきである・・”とあります。原文では、"a full and decent life"となっています。"decent"の意味には、“ちゃんとした”とか“はずかしくない”という意味での“適当な”という意味がありますので、ここでの"decent"は“まわりの健常児と同等の”という意味にとるべきで、“相応な”と訳することで“障害に相応な”という意味にもとれるようになってしまい、日本の現状である分離/隔離教育を盲目的に肯定する材料に使われかねません。

訳文はしばしば“たまむし色”の表現になってしまったり、意味が変化してしまうことがありますが、「子どもの権利条約」のような重要な内容の日本語訳には、意味が変化してしまわないように細心の注意を払ってもらいたいものです。


関連リンク:子どもの権利条約カタログ(弁護士の定者吉人さんのホームページです。子どもの権利条約の原文や日本政府が発表した和訳が提供してあります。)

関連ページ:「ハンディをもつ子どもの権利」(本の紹介と解説)


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