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私たちの子どもを取り巻く表現と用語:
「法律用語」と「役所用語」の誤訳と不適切表現について


1997年7月、札幌[WEll−BEING WIND’S] 岩渕 真知子/進

 「心身障害者」と呼ばれ、「身体障害者」とも、「肢体不自由児」とも呼ばれ、 「精神障害者」、「精神薄弱児」とも、「知的障害者」ともいわれ、「自閉症児・者 」、「知的発達障害児・者」、「知的発達遅滞障害児・者」とも呼ばれる、私たちの子ど も。
 子どもたちは、言葉の定義付けでその人格を規定されてしまうかのようだ。 そ れも、病院、学校、役所、施設、その行く先々でその学派や流派の名付けた様々な 《レッテル》を貼られてしまっている。
 [法律用語]、[医学用語]、[教育用語]、[福祉用語]、その業界用語の不適切 な氾濫のなかで、言葉の刃がグサグサ突き刺さってくる思いをしたことはありませ んか。
 言葉とその用語がもちいられる場面で、その口調と視線に、誤解と偏見と差別と 排除を感じたことはありませんか。
 「お可哀想に」と優越感からの、同情と哀れみの傲慢な言葉と視線。
 「何が楽しみで生きているのでしょう」との侮蔑の姿勢。
 悲しく、切なく、悔しくて、「なんで、うちの子だけが……」と、夫婦でそれぞ れの家系的遺伝を探り合い、いらぬケンカになったことはありませんか。
 自分自身の内部に、「この子」と「よその子」のそれぞれの個性を比較して「軽 い」とか「重い」とか、「あの子はあんなことする」「あの子はこんなこともでき ない」と、「よりまし論」に落ち着いたり、「なぜ、この子は、あの子のようにで きない」とガックリきたりしていませんか。「障害」をもつ子の親同志で足の引っ 張り合いをしていませんか。
 「同病相哀れむ」悲観論から、言葉がきついですが「目くそが、鼻くそを嗤う」 「隣の芝生」的「よりまし論」に陥ってドツボにはまっていませんか。
 その気分はなんでしょう。比較して競争させるのは「なんのため」「誰のため」 なの、子どもに善かれと思っているの。本当にそうなの。
 子どもを煽り、追い込むように、責め立てていることは「他人の目」を気にして いる私たち自身のためじゃないの。
 「健常児モドキ」に近付くこと、「教師や施設職員のウケ」を良くすることや、 「できれば人前で個性を出したくない」、「周囲に迷惑をかけたくない」などと、 「期待される『障害児』像、期待される『精神薄弱児』像」をもっていませんか。  「ありのまま」じゃいけないの。この子の普通じゃいけないの。
 向上と発達を否定しているのではないのです。「障害を克服」したとか「障害に 負けずに」とかの《レッテル》貼りが、「健常」を善であり、優だとする誤りだと いう意味です。善悪・優劣の偏差メガネで子どもを追い込んでいませんか。
 その子その子に見合った、療育でその子は伸びるのですから、向上も発達もその 子の個性、特質を引き立て引き上げる、本人の主体的意志と努力によるのです。
 比較生産力や比較学習力の競争原理の「追い込み教育」で、「よりまし論」に安 住して「この子はイイワヨネー」としていたら、その子はそこにしか「居られませ ん」。
 どんな子でも、どんな人でも、本人の主体的意志で、どこででも普通に暮らせる ことが、「ノーマライゼーション社会」なのです。「バリァフリー社会」なのです 。
 私たちの暮らす社会がそうだとされているのです。
 本当にそうなの。
 じゃあ、この「言葉のヤイバ」と「視線のヤイバ」はなんなの。
 「誤解と偏見に基づく表現」は人格を否定する侮蔑の表現・言葉です。
 「不適切な表現」とは、その表現・言葉を使う側が意図すると意図せざるとにか かわらずに、受手が「アラ、嫌な言い方」と感ずる表現・言葉をいうのです。
 行政措置制度にいう「社会通念上、精神薄弱児(者)と考えられる者」という用語 は、その定義自体が「社会通念」に対する医学的・心理学的、養育・療育およびそ の処遇の概念形成・般化未発達状況にあるといわれている言葉です。
 文明開化とやらの明治時代以降に輸入し直訳した、残酷で、無慈悲で、差別的な 、官僚用語が、この子たちに《レッテル》を貼っているのです。
 生きている子どもたち個々の状況を見ずに、措置便宜上の「一括り」にしてしま っているのです。
 言葉そのものは、歴史的な意味をもつているのです。
 「福祉」という言葉、
 「障害」という言葉はどうか。
 「精神薄弱」という言葉はどうか。
 「心身障害」という言葉はどうか。
 「養護学校」、「特殊学級」、「情緒障害」。
 曰く、曰く、曰く、すべて、直訳・誤訳の「役所」官僚用語です。

1.「福祉」という用語について

  語   源=[WELFARE]
  本来の意味=「人としてよく生きる」
        「人間として生きるに値する、よき生活をするために努力する」

  誤  訳 =「福」=恵み「祉」=神の賜与
        「他力本願」的誤りです。
 この誤訳の「福祉」誕生は、キリスト教的「天国に至る=慈善・奉仕」と仏教的 「彼岸に至る=布施・歓喜・喜捨」がごちゃまぜになつて、業界用語として成立し てしまったのです。
 現在では、「社会の成員が等しく得るべき幸福。」と理解されています。
      [類義語]福利
      つまり、幸福と利益。生活の面で満足感をもたらすような利益。 
        と、されているのです。
 [WELLBEING]=意志的・主体的に、より良い暮らしのために努力する 。
 私たちは意志的・主体的な自助努力を重ねるという本来の意味として捉え直し、 「幸福」は決して与えられ・恵まれるものではなく、「よりよく生きん」とする『 障害』を持っている人とその家族の努力によって創出されるものなのであり、その 努力を積極的に援助することと、その場が「ノーマライゼーション社会」には必要 とされているのだということを認識しましょう。
 決して、「慈善」や、「奉仕」、お恵みを求めているのではなく、『障害』をも つ人への生活支援の原則は、つまり、自助努力を前提とした援助とし、その理念と 実践課題を、まず持って「ヒープル・ファースト」に据えて、同じ人間としての尊 厳をもった『障害』をもつ人=当事者のニーズ「何を必要としているのか」を聞き 取り、感じ取れる援助の観点と、「如何に援助すれば可能なのか」の援助の方法・ サービスの質と量を、本人とその家族への「説明と同意」を基調として、「指導者 ・代弁者の高みに立つことなく」築いていくことが、「ノーマライゼーション社会 」を築いていくことなのだと思うのです。

2.『障害児・者』という用語について

 『障害児・者』という表現は、『障害』という用語の意味を考えたときに、偏見 にみちています。各方面でこれまでも不適切な表現だと論議を呼んできています。 「歩道の幅の半分以上を放置自転車が占めていたり、はみ出し自動販売機が路上障 害物となって、視覚『障害者』や車椅子の『障害者』の通行の邪魔物となつている 。」などと語られることがあります。とても変だと思います。
 『障害者』の通行の妨げ、邪魔物、『障害』となっている放置自転車、はみ出し 自販機。
 私たちの子どもは、一体、どちら様の「障害」になっているのでしようか。
 私たちの子どもは、「『障害』をもっている子ども」ですが、『障害児・者』と 呼ばれることで、市民社会の邪魔者、妨げになるもの、害するものとの偏見の《レ ッテル》を貼り付けられているのではないでしょうか。
 障害とは、英語で[OBSTACLE]といいます。
 「障害物競走」の「障害」です。
 これは、〔ある事を行うのに〕妨げとなるもの(事情)をいい。邪魔者という意 味です。
 障害の[類義語]は隘路(あいろ)です。
 これは 英語では[BOTTLE NECK]。
 [OBSTACLE]が変化して[OBSTINATE]となると、これには頑 固なもの。頑強なもの。 難治の(病気)という意味があります。
 つまり、[難治の病気をもつている者]という意味で『障害者』と、どこかの誰 かが誤訳したのでしょうか。
 ところで、難病は[Serious Disease]=「重大な病気」であり 病気で診察を受けている患者は[Patient]です。
 私たちの子どもは『障害者』、障害物ととてもよく似た『障害者』と呼ばれてい ます。
 私たちの子どもは、妨げになり、害になる、迷惑な特殊・特別な子どもですか。
 この『障害児・者』との用語表現には、明らかな誤解と偏見があります。
 私たちの子どもは、頑固で頑強な、難治で完治できない難病の『障害』をもってしま った子どもたちなのです。

 [The Americans With Disabilities Act ]
 これは、「アメリカ『障害』者法」と翻訳されています。
 [Disabilities]とは、[Ability]は、才能、能力、腕前 の意味で、[Dis−]は、分離された、除去されたと言う意味ですから、余儀な く才能・能力・腕前をなくされたということになるわけです。
 [With]は、〜を有する、〜携えるです。[Act]は、決議、法令、です。
 つまり、なにものか・なにごとかによって「才能や能力を奪われ、困難な状態を 有するアメリカの人々の法令」という意味が本来の意味なのです。
 無力にされた状態のアメリカ人の法令というのです。
 [Disability]と書いて、日本で使っている『障害』を意味します。
 [Physical Impairment]=『身体障害』と翻訳しています 。
 [Mental Impairment]=『精神障害』と翻訳しています。
 [Impairment]=価値を減じられた、損傷という意味です。
 [Impediment]=故障、障害(物)の意味です。
 スペルが違うでしょ。ここでも「悪意の誤訳」です。
   この法令では、[INDIVIDUAL WITH A DISABILITY ]と書いて『障害』を持つ人を表しています。[INDIVIDUAL]は、個人という意味。
 日本では英文字で『障害』をもつ人を[The Handicapped]と書 いたりしています。地下鉄の「シルバー・シート」の窓のシールに書いてあるでし ょう。
 [Handicap]は、もともと競馬や競争などで、力を平均化するために優 れたものに負わせる負担をいうのでして、転じて弱者に有利な条件をいうようにな りました。
 これも競争原理の為せる業です。
 『障害』を「障碍」と書き替えたりしている人々もありますが、適切な変わり得 る言葉がないということで、「法律用語」「行政用語」では使われ続けています。
 国連の「国際障害者年行動計画」では、「『障害者』はその社会の他の者と異な ったニーズをもつ特別な存在と考えられるべきでなく、通常の人間的ニーズを満た すのに特別の困難をもつ普通の市民と考えられるべきである。」と、語られていま す。
 私たちの子どもは、市民社会にとって、
「特別な存在のひとではなく、
     市民生活を送るうえで、特別の困難をもつひと」なのです。

  3.「精神薄弱」という用語について

「精神薄弱」という誤解と偏見に満ちた「法律用語」の見直しをはかれという世論 が高まり、やっと行政も動き始めました。
 この「精神薄弱」という用語は、先天的に、あるいは出生時または発達時に脳の 機能に障害が生じたために、思考や理解等が困難な状況を表す言葉として「医学用 語」「法律用語」に使われ、一般には「バカ、アホ、間抜け、白痴、魯鈍、愚鈍、 精薄」と、学習力、生産力、競争力の劣る者との侮蔑の表現、偏見の対象としての 蔑みの表現として使われ、子どものケンカの悪口の代表的表現として使われてきま した。
 この用語は、今日では死語となつている「精神が弱い、精神が貧困である」等の 意味をもっている…
   英語の
     [Feeble mindedness]
   ドイツ語の
     [Schwachsin]
                  の直訳なのです。
 それぞれの子どもや人々の実態を正しく表現してません。また社会の誤解と偏見 を招くおそれのある不適切な表現だとされています。
 それで「法律用語」上、「行政用語」上の、「精神薄弱」を「知的障害」に書き 替えようとしているわけです。
 言葉の書き替えや、言いかえで、子どもたちの状態が変わるとは思いませんが、 「言葉のヤイバ」「視線のヤイバ」に晒されている私の子供たちにとつては、こう した細やかな配慮も、暖かく嬉しいことではないでしょうか。
 私たちは、用語、言葉のもつ歴史的な意味を噛み締め、子どもたちと私たちの 明るい明日を信じて、子どもたちの現状を正しく理解してもらえるように務め、 誤解や偏見を取りのぞき、差別と排除をなくしていかなければならないと思いま す。
 それが「ノーマライゼーション社会」への道だと思います。

  4.「言葉遊び」との批判を受けるとしても嫌なものは嫌だ

 言い換えや、言葉狩りでは実態は変わらない、といいますが。
 元々、これらの「偏見と差別にまみれた用語」は、その概念を欧米から輸入し た時点での「言葉遊び」によって、「造語」されたものじゃないですか。
 何処かの誰かが「言葉遊び」して今日に至るのなら、私たちも言葉遊びをして 良いのです。
 今後、わたしは「障害」を「しょうがい」と書き、「自閉症」を「じへいしょ う」と書きます。
 「精神薄弱」などは、歴史のクズカゴに捨てます。
 これらの漢字の持つ意味が許せないからです。

**********追記**********

何故、こんな事を言うかというと。先日モデムをインしたばかりの私は、厚生省 のホームページを見に行ったんです。

そうしたら、「しょうがい保健ふくし部」のキャッチ・コピーにこうありまし た。
「傷害のあるひともないひともともに暮らせる社会を目指して」 とあったので愕然としたのです。
このことに「官僚の体質」が、象徴されていると思ったのです。
ですから、以下に引用するメールを送ったのです。

   Subject:「しょうがい」とは何か
Date:Tue, 15 Jul 1997 01:02:48 +0900
From:"Susumu & Machiko.Iwabuchi" buchi@pop01.odn.ne.jp
Organization: [Well-Being Wind's]
To: www-admin@mhw.go.jp

「しょうがいふくしぶ」のホームペジは、「傷害のある人もない人も……」とあ る。
 わたしは「じへいしょう」といわれる、
いわゆる「しょうがい」をもつ子を育てて13年になる。
 今日、初めてインターネットにより、このホームページを見た。
 「こうせいしょう」は、「しょうがいふくしぶ」とやらは、漢字の意味も、 わからぬ者ドモが揃っているのか。
 単なる誤字脱字では済まされないぞ。
 明日、再びこのページを見に行く。
   直ちに訂正し謝罪しろ。
 「障害」というレッテルを貼られ、「差し障りがあり、害になると」
 後ろ指刺されつづけている人々に対して、
 更に「傷物」だとのレッテルを貼るのか。
 「しょうがないふくしぶ」責任者の明確な返答を望む。
 005 札幌市南区真駒内泉町4丁目3−4−104
     岩渕 進   011−583−9110 
            buchi@pop01.odn.ne.jp

以上が7月15日のメールです。

翌日、再び見に行くと修整してありました。
そこで次に引用するメールを送りました。

  Subject: 「障害」の文言修整について
Date: Wed, 16 Jul 1997 00:09:26 +0900
From: "Susumu & Machiko.Iwabuchi" buchi@pop01.odn.ne.jp
Organization: [Well-Being Wind's]
To: www-admin@mhw.go.jp

「しょうがいふくしぶ」ホームページの「傷害のある人もない人も……」の文言 修整を、確認した。
このホームページは、どのぐらいの期間「傷害のある人」として、開かれていた のだろうか。
一体、何人の人がこの文言を見過ごしてきたのだろうか。
わたしが指摘するまで、誰もこのページを見なかったのだろうか。
「畏れながら、お誤りではありませんか」と、上申する者はいなかったのか。
「手前いい加減しろ、出鱈目書くんじゃねぇ」と、怒鳴り込む者はいなかったの だろうか。
いや、当局者の中でさえ、果たして、このページを見たものはいたのだろうか。

「事務方の手違い」とやらで、笑っている奴の顔が目に浮かぶ。
公金をもって、開設したページ。政府を名乗り、来るべき社会を語るページが、 これだ。
「こうせいしょう」の人々に言っておくよ。「校正恐るべし」というではない か。あんなに大きな文字の誤記を見過ごすとは。国家公務員の皆さん、実に情け なく。悲しくもあるのだ。

このページを見て、あの文言を読み、「この仕事は、こんなものさ」と、笑った 人々もいたのではないか。
私の子供たちへの社会の処遇そのままに、あんたたちの「仕事」の扱いもその程 度のものだと、宣言したようなものなのだ。

そうした「人々の心を傷付け」恬として恥じない、君たちの「精神の弛緩」こそ 問題なのだ。
それが「かすみがせき」の住人たちが批判されている最たるものではないのか。
人々の悲しみと怒りを知らなければならない。
わたしの息子に貼られたレッテル「精神薄弱」を、そのままそちらにお返しす る。

  この一件に象徴される「精神の弛緩」=「死んでいる精神」=「精神薄弱」の 「こうせいしょう」の高級官僚の者ドモに対して、大いに苦言を呈し、猛省を促 すものである。

いいかげんに「ザンギリ頭の文明開化」の人々が、誤訳誤記した差別と偏見に満 ちた「文言」を正しなさい。「ふくし」にしても、「しょうがい」にしても、「せいしんはくじゃく」にしても、全て誤訳だということは明らかなのだからね。
以上

   そして、このことを幾人かの友人知人と、HPを覗かせてもらったオーナーに メールでお知らせしたのです。
そのメールの内容は以下のようなものでした、

はじめまして
「じへいしょう」と診断された13歳の長男と、日々苦闘を重ねています。
PC歴は10数年なのですが、今月モデムをINしたばかりの、ネット初心者です。
これまでインターネットもPC通信も、オタク族とポルノ患者の玩具だと思って いたところがあってね。間違いでしたね。

「情報過疎地」に居住していると、「しょうがい」をもつ人をめぐる「教育」に しても「福祉」にしても、「地域格差」に気づかぬものなのですね。
いや、気づかされないで居るのですね。
「情報」を管理・統制しているモノが存在するのですね。
「知らしむべからず、寄らしむべし」ってね。
我が家の状況は、中学の「とくがく」へ通う長男と、小学6年の長女の4人家 族。
妻は小規模な海産物商社に勤務。私は自宅でPC入力代行業。
かれこれ4年程前に、長男の処遇をめぐって「とくがく」教師・学校と揉めまし て以来、妻は「しょうがい」をもつ子の「お母さんのための福祉講座」を自主運 営。

妻は昨今、ステップアップして、「しょうがい」の種別・特性の垣根を超えた 「地域生活支援を考える会」の世話焼きに邁進しています。
まだまだ微力ですが、社会の理不尽な処遇と無理解をただしながら、
真のノーマライゼーション社会の実現を目指して、
「しょうがい」の重い人の地域生活を「活動センター構想」
実現を手がかりに考えていこうといったところです。
頑張りましょう!
共に進みましょう! 「しょうがい」をもつ人と私たちの未来のために!
HP注視しています。
貴方のご家族のご健康と、そしてご健闘を祈ります。

追伸
厚生省のHP見たことありますか。
障害保健福祉部のチャッチ・コピーには
「傷害のある人もない人もともに暮らせる社会をめざして」とありました。
「障害」=差し障りがあり、害になるモノ。
「せいしんはくじゃく」=死せる魂とレッテル貼った厚生省は
今度は「傷害」と、レッテルを貼るのかとね。
「傷付ける恐れがあり、害になる」モノとね。
単なる誤字じゃ済まさないぞと、激怒のメールを送りました。
さすがにすぐに修整しました。
「差し障りがあり、害になる」ほうにね……。
まったく、たるんでいゃがると思いませんか。

当地のよりよき「地域福祉」の発展を目指しましょう。
情報交流してください。
005
札幌市南区真駒内泉町4丁目
3−4−104
Tel 011−583−9110
岩渕 進  真知子 健  由子

Susumu & Machiko.Iwabuchi [Weel-Being Wind's]
「共生・共学・共育・協働」 の未来のために! 

このメールに対して、何人かから「言葉遊び」だと「批判」を受けたので、認識 を明らかにして置こうと考えたわけです。
ここで述べてきたことは、さまざまな文書、資料、文献の引用、孫引きがありま す。
そして私たちは研究者でも学者でもないので、科学的検証というものとは無縁で す。
あくまでも嫌なものは嫌なのです。言いたいことは言うのです。
ですから、極めてこれは独断的で、あくまでも私見です。
HPへの投稿を許してくれたドクター伊地知ご夫妻に感謝します。
文句のある人は「私にかかってらっしゃい」
岩渕 進
buchi@pop01.odn.ne.jp


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E-mail: shinji@po.synapse.ne.jp