俺ルール

自閉は急に止まれない


ニキ・リンコ  花風社
ISBN4−907725−65−5

文責: 引地 千波

ニキさん著の本『俺ルール!』は、程よい活字の大きさが読書気分を喪失させないのが とても良い! そして、自閉症者の持つ認知特性ゆえのエピソードを ご自分の体験談を中心に綴られているので なによりも分かりやすくて もっと良い!のです。 本の帯に 《話せば長いんですけど・・・・自閉っ子の行動には こんなに浅いワケがあるのです!深読みをやめれば、分かり合うヒントになる!》 とあるように、読者の中で、自分の近辺に自閉症者がいる方は より一層の理解につながるだろうし、『自閉症って聞いたことあるけど、何?それって病気??
』 という具合に 自閉症者に全く関わったことのない方(身近に感じることが出来ないような社会、幼い頃からの差別・隔離教育に問題があるのですが)も、この世を共に生きる人間の持つ奥深さ、人間学を学び 視野を広げるにも役立つ名著 といっても過言ではないと思われます。 読みものとしても、ニキさんの持つ表現力と 凡人では持ち得ない素晴らしい感覚で綴られた文章の一つ一つがおもしろく、楽しめる一冊でもあると思います。

 
まず、本題の『俺ルール!』。 インパクトがあります。 ピンクのカバーに太い黒字でタイトル。 俺流とか 俺的には、なんて今はやりの言い回しに乗っかって、自閉症に関心がなくても かならずや手にとって読みたくなります。 そこにだって、世の方々に自閉症をよりよく知ってもらいたいニキさんの想い・意図?が感じられるのです。

 
私はニキさんの意図?に従い、読み進めていったのですが、ものすごくスッキリしました。 定型発達をする定型っ子から見て、時に おかしかったり不思議だったりする自閉っ子のとる言動・行動は、なんてことはない認知の違いってだけで、ちゃんと理由・意味があって そこさえ踏まえられたら うん、うん、なるほどね!と納得とまではいかないまでも、きっと自閉っ子の認知ならばそうなんだろうなあと、認めることは出来そう。 誰しも認められて歩んでいきたい、人として生まれたからには分かつことなく誰しもいっしょなのです。

 
自閉っ子の持つその認知の特性とは、情報処理の特性でもあるのですが、見逃すところが多い割に見るところは深く見ていて、見逃すところが多いものだから拾った情報は貴重で、それゆえに律儀に得た法則を守る。 そこで ぱっと見だけでは理解されない自閉っ子独自の俺ルール!が発生するとしている。 例えていうなら、小さい穴から全てを見ている感じ。 なるほど。 細部はクローズアップして見れるけれど、小さい穴から見たら、全体を把握するのは確かに難しい。 いやまて、しかし、小さい穴からだったら 定型っ子だって全体を把握するのは難しいですよ。 頭の中の情報処理が 小さな穴からしか出来ないのであれば、頭で意識しなくても 当たり前のように全体を見渡せる定型っ子には簡単なことでも、自閉っ子は苦労するワケです。 自閉っ子が叱られないでもいいところで叱責されるのは、叱る側が 定型の認知の仕方だけが全てだと思っているから(自分だけがこの世に存在している、自分以外の物差しは受け入れようとしない頑固で自己中心的な考えであるから)なのだなと思いました。 その考えこそが、この社会で、家庭や教育現場で 未知なるすばらしい可能性を多大に秘めた自閉っ子の芽を摘むことにつながっているんだろうなと思いました。 そして、全体を見渡しづらいからこそ自閉っ子は、今見えているこの部分は 全体の中でどんな位置にあるのか分かると安心する。すなわち 自閉っ子には見通しが大切である!っていわれる所以なのだなと、すごく納得しました。

 小さな穴から見える画像だけで判断しなければならないとなると、細部は拡大されて鮮明ではあっても、見えている部分は全体の一部なわけだから、全体を把握するまでも多分に労を必要とするであろうし、他と見比べたりするには、今見えているこの貴重な画像をなんとか追い出して、比べる対象となる画像を取り込まねばならないわけですから 更に労を要するのです。一つの画面で色んな画像を自由自在に操れるウインドウズPCでなく、旧式のPCのように手間も時間もかかるというわけです。 ですから、自閉っ子が縦に並んでいる、とか横にならんであるものには、小さな穴を同方向へ移動させるだけなので、比較的つながりを理解しやすいのだなと、納得いきます。

 本の中で 自閉症とは編集力の障害なのでは?と捉えているニキさんは、自閉症者ご本人の実体験から求めた答えだからこそ 信憑性が高く信頼が出来 もしかしてすでに研究専門家を越えているのではないでしょうか? 確かに、編集力に(ここでは敢えて障害といわず)弱点があるから、そこから コミュニケーション力に欠けるとか、社会性がないとか、はたまた イマジネーションに問題があるとかの見た目、これが揃えば自閉症と診断される三つどもえが生じるわけであって、決して自閉症者の持つ特性そのものが イコール 社会性がない、コミュニケーション力に欠ける、イマジネーションに問題ある ことにはつながらないのではないかと感じました。 そうでなければ 社会に寄与したビル・ゲイツ氏やテンプル・グランディンさん、その他たくさんの方達の功績はどう説明するのであろうか? ニキさんは、文面から察するに とても素直でピュアな心の持ち主で、かつ多彩な能力を持つ方だと思われます。今までは 自閉症をはっきりとしたことが解明されないまま 何か障害であるはずだと決めつけたい流れが主流だったため、ニキさん自身 自閉症というご自分の持つ特性に対して どうしても〈障害〉という言葉を使っていますが、自閉症者がどうしても〈障害〉という二文字ではかたづけられない何か凄いものを持っていると常々思う私は 少し違和感をおぼえるのです。なぜなら 魂という次元から考えると、現世を生きる者は何人も完成者とはいえず、誰しも障害者であるといえるからです。 そのような意味では自閉症という言葉さえも何か的を得ていないように感じるのです。

 『俺ルール!』を読み終えて、ニキさんをはじめとする もってうまれたものが神聖なまでに純粋で、個性あふれる自閉っ子の皆さんが この世の中で広く理解され、いわれのないいじめや差別を受けない、人権を守られた 真に平和で穏やかな社会になってほしいと心から願わずにはいられません。 自閉症者が住みよい社会は 誰もが住みやすい社会であると確信するからです。 そして いつの日にか『俺ルール!2』が書店の店頭に並ぶのを期待してやみません。


2006年6月17日 「発達を考える会」勉強会にて紹介