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フォレスト・ガンプ



Winston Groom, Pocket Books, 1994
ISBN 0-671-89445-5

フォレスト・ガンプ,小川敏子(おがわとしこ)-訳、講談社
ISBN4-06-206939-3


テレビドラマ化されたり,映画化されたりすると,あらすじの変更があったり主人公のキャラクターが少し変わってしまったりすることがあります.実在した人物山下清氏の場合も,その日記の内容から読み取れる彼の自閉症的キャラクターのほとんどは,テレビドラマの中の山下清には見られません.

映画化された「フォレスト・ガンプ」は,アカデミー賞を受賞し,世界中にガンピズム/ガンプ現象とも呼ばれる共感を巻き起こしました.映画の中で人々に強い印象を与えた話題の場面のいくつか(子供の時は両足の障害があったが,義足が取れると同時に走れる場面/アメリカ大陸を何度も走って往復したというエピソード)は,小説のフォレスト・ガンプの中にはでてきません.つまり,映画化に際して,いくつかの創作や原作の内容の省略が行われています(特に小説の映画化の場合はある程度の変更はやもおえないのでしょう).しかし,トム・ハンクスが演じたフォレストの表情は,私たちに「このフィクションの原形となる人物がもし実在したとすれば,その人は自閉症だったのでは?」という考えを抱かすのに十分だったのです.「原作でもはたしてそうなのか?」という疑問から,英文の原作とその日本語訳を手に入れて,読んでみました.

原作を読んでみると,最初の第1〜2章は自閉症者が自分の生い立ちを記録した手記か自伝のようで,私たちにとってはフィクションらしいところが少しも見当たりません.馬鹿者(idiot)の概念にこだわっている傾向が最初のページからでてきており,一貫してみられる同じパターンのスペルミス(supposedがsposed,exceptがcept,helpがhep,allがole,whileがwile,askedがaxed,など)は,主に発音の影響を強く受けています.架空の人物フォレストが自分のことを語っているという設定ですので,IQが約70の人のスペルミスをリアルに創作しているという解釈が一般的でしょうが,全体を読み終えてみてもう一つの可能性を強く感じました.「フォレストの原形となる自閉症者がやはり存在していて,少なくとも学生時代までのストーリーは,その自閉症者の手記を元に書かれているのでは?」という可能性です.

「1章と2章が自閉症者の手記を原形にしているのでは?」という考えにはいくつかの根拠があります.第一の根拠は,1・2章(フォレストの大学生活のあたりまで)が,4章以後の部分と比べると内容的にも雰囲気的にも異なっているという点です.自閉症児を持つ親である私たちにとっては,フォレストの大学生活あたりまでは,自閉症者の伝記を読んでいるような印象を受けます.名プレーヤーでありながらフットボールのチームプレーの手順を結局覚えられなかった彼が,音楽的才能を持っていたという話や,難解な物理の公式をまる暗記してしまったという話は,自閉症を知らない読者はフィクションとして読んでしまうかもしれませんが,もし自閉症やアスペルガー症候群に関する話題であるとすれば一般的すぎます.不思議なことに,大学を卒業してからの部分は完全に奇想天外で空想上でしか在りえないストーリーに変化します.戦場での話はそれほど奇想天外とは思えませんが,卓球の親善試合のために中国まで行き,川で溺れた毛沢東を救助したり(9章),フォレストの超人的な記憶力を知ったNASAにコンピューターのバックアップとして採用され宇宙に行ったり(11章),宇宙から帰って着陸したところがジャングルの人食い人種の村だったり(14〜15章)という調子です.この奇想天外さは,2冊目の「フォレスト・ガンプ2 Gump & Co.,小川敏子-訳,講談社」でも続いており,それぞれの突拍子もない話題の終わりに,それに関する新聞記事を載せるという形式で,さらにコミカルに表現しています.学生時代までの話の中に,(私たちにとって)奇想天外な話がでてこないのは,単に主役の紹介として書かれているからでしょうか?ひょっとしたら,著者が参考にした自閉症者の手記の内容を,著者が奇想天外な内容と解釈し,同じ調子のつもりでその後のストーリーを展開した可能性まで考えてしまいます.

私たちが,「大学生活までの話の大部分が自閉症者の手記を元に書かれたのでは?」と推測する第二の根拠は,先に紹介しましたスペリングミスの頻度です.大人になってもスペルミスの多い架空の人物フォレストが自伝として一気に書いたという設定とすれば,大学生活以後の文章のスペリングミスの頻度が減少してしまったり,1章2章では間違えていた同じ単語が,3章以後では間違えていなかったりする(ole/allなど)のは奇異な感じがします.

フォレストが大学生の時に英語の授業で自伝(自分史)を書いて,先生から「これこそ私が求めていたオリジナリティーというものだ!」と評されて,フィクションと勘違いされるところがあります(3章).著者自身が,フィクションなのかノンフィクションなのか迷いながら,自閉症者の話を参考にしたのかもしれません.

フォレストの生い立ちや養護学校でのエピソードが,リアルすぎてとてもフィクションとは思えない内容であることに気づくのは,おそらく自閉症者を知っている人だけでしょうから,この小説に関する評論で彼の自閉症的側面に触れた記載は,アメリカでも日本でも私たちの論評以外見当たりません.フォレストの持ち続けた素直さ,正直さ,優しさなどは,全世界の人々に深い感動を与え,多くの人の障害者観を変えたと言われています.ウィンストン・グルーム氏が,自閉症者の自伝を参考にしなかったとしても,私たちにとってのこの小説の意義は,フォレストと同じように子供の頃の純粋な心を持ち続けることのできる自閉症者たちから,私たち自身が学ばなければならないことが本当はたくさんあるのだということを再び思い起こさせてくれたことでした.


(関連記事)"Forrest Gump has autism" by S. Ijichi & N. Ijichi (in English)



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