自閉症だからこそ人生はおもしろい !!

 LIFE OF AN AUTISTIC PERSON


2002年12月,伊地知奈緒美

 The Lancet Supplement 358 (December 2001) の s4 に出ていた何ともほほえましい嬉しくなる文章です.この特集号は,33の疾患,障害について,見開きの左ページにその専門の医者や科学者たちによる最新の医学研究の話題の説明,右ページにその疾患や障害をもっている人や家族による文章を載せるという面白い構成になっています.自閉症に関する左ページは,Abstruct Update 2001 に載せた,自閉症易罹患性遺伝子です.右ページのタイトルは,お母さんの文からのTimes of hilarity and panicですが,自閉症であるエドワード君本人の文章のタイトルはLife of an autistic personです.エドワード君自筆の文と漫画が載っていて,文はとてもきれいな丸っこい活字体で書かれ(寛さんの書く英字にそっくり),数字も大きく几帳面できれい.最後には筆記体で大きくサインしてあって,かっこして,小さく活字でも書いてあります(正式なサインの仕方).一枚の素敵な作品のようです.また,漫画は風刺絵ふうで,数学の時間の光景で,先生の顔が大きくなって大きな口で何か言っていて,吹き出しのなかに !@#!?(渦まきマーク)(顔の絵)(魚の骨の絵)が入っていて,小さくかいてある席に着いた生徒たちがIS IT KETCHUP? とか IS IT BANANA?とか言っている.「エドワードのユーモアのセンスはシュールとも言える」と見出しがついています.エドワード君の文章からは自閉症であることを自慢しているように感じられ,自閉症ライフをいきいきと楽しんでいる様子が伝わってきます.エドワード君は,自閉症のまま好ましく成長し,自閉症だからこそ,大好きな事々に熱中し,楽しく,豊かで幸せな人生を歩いています.エドワード君は,Steam実習クラブ,聖ジョン救急車クラブ,学校科学クラブのメンバーでもあります.愛情あふれるお母さんは,エドワード君を理解することで早くから自閉症の本質を理解されてきたことが本文からわかりますが,今では,広汎性発達障害のためのNHS(英国,National Health Service)クリニックで働いておられ,自閉症スペクトルの子供や大人のための認知行動療法研究をプランしているそうです.

 

         ある自閉症者の人生

 僕は1987年12月27日に生まれた.これまでの人生ずっと,僕は鉄道が大好きだ.僕はいつでもフットボールが大嫌い.僕には近頃のガレージミュージックはうるさく感じられる.僕はスウィングやビッグバンドミュージックが大好きだ(ルイ・アームストロングやグレン・ミラーみたいなアーティストたち).僕は1992年から1996年の間Brent Knoll Schoolで,学校生活を送った.今は,St.Mary's School,Bexhill,East Sussexにいる.僕が初めてその学校に来たときには90人の生徒がいたけど,今は122人いる.つい最近,僕はフルートを習っているし,トランペットを独学している.自分でジャグリングや自転車乗りを学んでいる.iHola!Es ablo Espanol.僕のお気に入りの仕事は,ビンテージ車に夢中な機械エンジニアである.それは,僕が大きくなったらやろうと決めていることだ.僕はいつでも友達のダニエルと特別なsteam fairなどの五つ星アトラクションに行くのが好きだ.ダニエルも自閉症をもっていて,僕はいつも彼が物事をどう思っているか知るのが好きだ.僕のお気に入りの漫画はEd,Edd‘n’Eddyです.それは,Cartoon Networkでやっている.僕は自分のお金を貯蓄できない.60ポンド12ペンス貯めるのに僕には半年かかった.僕は人々の生まれた年を出すのが得意だ.僕はギネスブックからのたくさんの情報を得られる.僕は5フィート10インチで,ということは8歳のときは4フィート10インチだった(と僕は思う).僕はGreat Dorset Steam Fair参加者のアイデアを使い果たしてしまった.あなたが僕の代わりに決めてくれませんか?僕はthe Great Dorset Stream Fairに出すのにどの種の車にするか決めることができなかった.僕は8匹のモルモットを飼っている.彼らの命は5年から8年だけど,飼うのにとてもすてきなペットだ.彼らはとってもかわいい.僕のお気に入りの1匹はNedです.Nedは4歳で,茶色のアグーチ レックスで,重さは1-2ポンドです.

             iAdios!

                                                      Edward Ronayne

 

はしゃぎとパニックの時代

Jenny Ronayne  (Edward の母)

エドワードは私の3人息子の2番目である.1歳6ヶ月の頃,写真の彼は,自分の脚の間からカメラを振り返ってのぞいていたり,彼のモデルカーによじ登ろうとしていて―全くごく普通である.しかし,同じ頃にとったビデオでは,彼は三輪車に乗るのに一生懸命で私が手を叩いても反応してくれない,ちょっとも見ないし,微笑みも返さないし,頭を振り向けてもいない―私の誘いに何の応答なしだ.彼が2歳のとき,ベビーシッターが彼女が彼の名を呼んでも振り向かないので耳が悪いのかと尋ねた.

 最初は,エドワードは言語障害をもっているかもしれないと思われた,自閉症ではなく―自閉症という考えは,無言で,ロッキングしている,孤立した子供たちという意味を含み,私を絶望で満たした.今でさえ,10年たっても,私はどんなに速く私の心臓が打っていたか,望みいかばかりだったか思い出せる.コンサルタントはこう言ったと思う.「ええ,そうですね.ここで,私たちは自閉症についてお話ししましょう.」でもその後のことは何も覚えていない,そのクリニックを出るまでのことは;その時,私は見知らぬ人の手を引いていた―わたしの小さい坊やは,“自閉症”という言葉が語られたとき,死んでしまった.

 時がたつにつれ,私はエドワードはやはりエドワードであることに気づき始めた.でも,はじめのうちは,私は彼にどうしようもなくかわいそうに思った.というのは,私は,彼が大きくなるにつれて,すべての人生の普通の活動に参加できなくて,必然的に,不幸で,失望し,憂うつになるだろうと思ったからだ.私は彼は孤独になるだろうと心配した.私は彼がどんなぺてんにもだまされやすいだろう―簡単に残酷な人々のえじきになってしまうとわかっていた.

 ゆっくりと,エドワードは発達した;ひとつひとつの達成が喜びだった―しばらくして,私は彼の髪を金切り声出させずに切ることができるようになった.また,彼がどこかにいなくなる代わりに,私の後について回るようになるだろうとわかって,彼を連れてスーパーマーケットに買い物に行くことができた.ついに,私は彼が叫んだりもがいたりする決まり悪さに耐えなければならないということなしに,靴屋に連れて行けた.そして,私は,私の長男,そのとき8歳が,エドワードが,私たちが買い物しているとき,パッケージについた名前を読んでいるのを聞いたときのことを決して忘れないだろう―ともかくもエドワードは読むことができるようになったのだ.

 はしゃぎとパニックの時代があった.デボンへ行ったある休日,エドワードは(宝島か,何か似たような番組を見ていたが),寝室の窓から身を乗り出して,金切り声で,「助けて!誰か僕を助けてくれませんか,僕は閉じ込められてるんだ!」と叫んで遊んだ.誰も反応しなかった,神に感謝.

 現在もうすぐ14歳,エドワードは,ハンサムで,礼儀正しく,行儀がいい(彼がとても普通の愛憎関係をもっている弟に対して以外は).彼のつづり方年齢は17歳であり,理解力年齢は10歳である.彼は数学(図形)は好きではないが,科学や模型建築を楽しむ.言葉は彼を魅了し,彼は豊富なボキャブラリーをもつ,もっとも彼は言葉の意味よりも使い方を理解しているのだが.彼はたくさんのことわざや隠喩を覚えて,それらを使うのが大好きだ.彼は他の言語にも興味をもっていて,スペイン語を勉強している.彼は楽譜を読みはじめて,トランペットとフルートを吹く.彼は誕生日に一輪車を頼んで,独学で乗れるようになって―通行人の称賛を得るほどたいしたものだ.彼の熱望は,クラシックカーのコレクションを持つことと,年一回のDorset Steam Fairにすぐ着くことができる村に住むことである.

 彼の人生は豊かで,幸せである.彼は特別寄宿学校に毎週行っている,というのはスタッフがソーシャルスキルに関係し,真に24時間カリキュラムに献身しているからだが,そのことは,彼が他人の気持ちの理解をいくらか発達させるのを助けてきた.今では,彼は,人々は真実であることよりも,彼らが真実であると信じることに従って行動することがわかる.初めて,彼が故意にうそをついたとき,私はわくわくした.一番大切なことには,みんなエドワードが好きだ.彼は傷つきやすい,でも,私は,彼が幸せで,満ち足りた人生を送るであろうことを確信している.


文献
1. The Lancet Supplement 358 (December 2001): s4.


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