アルコール依存症の病識と治療

1.早期発見

 自分が病気にかかっていることが分からない病気は恐ろしい。気づいた時は、手遅れということになりかねない。
 早期に発見しにくい病気は、知らぬ間に進行してしまう。自覚症状がなかなかはっきりと現れない病気ほどやっかいだ。癌にしても、自覚症状に気づいたころは大手術になってしまうか、回復の見込みさえない場合も多い。
 癌のような病気の早期発見は、自覚症状を頼りにしていたのでは遅すぎる。何の症状もない段階で定期的な検診が必要である。
 最近では、検査技術が進歩してきたので、早期の検診で、おおかたの病気を発見することができる。自覚症状もまったくない段階で、検診の結果、病気が発見されれば、その時点で医師の説明を聞いた人は、その時から、自分は病気であることを自覚することが出来る。これが「病識」である。このように身体の病気では、自覚症状もない段階で病識をもつことが可能である。だから苦悩しながらも、これからの人生を考え、あらゆる犠牲をはらっても、病気の治療にとり組むことになる。
 ところが、アルコール依存症では、とてもひどい自覚症状があり、周囲の人々からみれば一見して「アルコール依存症」だと思われるような症状や問題があっても、なかなか本人は病識をもつことができないでいる。第三者が見れば、相当早期に病気が発見されているのに、本人には病気であることの自覚がほとんどないのが実情だ。

2.病識をもてない理由

 自分が病気であることを自覚できる人は、その治療の必要性を認めて、出来るだけ早く治療にとりかかるのだが、「病識」がなければ、治療の必要を認めようとしない。周囲の人がいくら説得しても「馬耳東風」でどこ吹く風の反応しかない。アルコール依存症の人が「病識」をもちにくいことの原因には色々ある。

世の中の多くの人が酒を飲んでいるので、飲むことが正当化される。[皆も飲んでいるじゃないか」ということになりやすい。
酪酎状態での迷惑行為や問題行動は記憶に残りにくく、自分がどんなことをしたかを覚えていないので、自分の言動に対する反省や後悔がほとんどなされにくい。
他の多くの人の場合にも、飲酒して時には失敗したり、時には夫婦喧嘩をすることもあるので、自分ばかりではない、という意識が強い。
飲酒しなければどうにもならない状態になっており「依存」ができて酒を止めようと思っても思い通りに止められない状態になっているにもかかわらず、飲酒しなければならない理由をいくらでも並べたてる。
 「腰が痛いから飲むのだ。飲めばよくなる。好きで飲んでいるんじゃない、俺のつらさは分からないだろう」などとむしろ飲まずにおれない状態で依存ができていることからは目をそむけて、痛いから飲むのだと言って同情をひこうとする。時には、妻が妻らしくしないから、飲まずにおれないとか、事故のため身体が不自由になったことを理由に、飲まずにおれないのだ、と自分の不幸をむしろよいことにして飲み続け、飲むことに理解を求めようとしたり、承認を求めようとする。飲まずにおれないのは、依存ができてしまったからであって、その外にどんな理由をとってつけようが、責任転嫁しようが、どうにもならないことは、本人がほとんど分かってはいる。しかし、ついつい周囲の人々が、この手にのせられて「いつかは止めてくれるだろう」と甘く見のがしてしまう傾向もあるので、いつまでも病識をもてないまま時間を浪費して、病状は進行してしまうことになる。
アルコールのために肝機能障害を指摘されても、少々飲みすぎただけだ、少しひかえめにすればすぐに良くなる、と深刻さが少しもない。
アルコールのために家庭や職場で問題になることがあっても、明日からはきちんとやろう。明日からはまちがいのないように出来る自信がある、と自分を過信して、病気になっていることに気づかない。
病気になっていることに気づいていないから、飲酒を自由にコントロールできると思っている。そんなに沢山飲むわけじゃないから止めようと思えばいつからでも止められる、と自分がアルコールに対してまったく無力になっていることに気づかない。しかし、現実には、なかなか量を減らすことも、酒を止めることもできなくなってしまっている。すなわち、アルコールに対してロス・コントロール(飲酒を自由に調節できない)状態になっているのである。このことに気づかないことが「病識」をもち得ない原因の最も大きな部分である。
もしかするとアルコール依存症になっているかもしれない、と言う不安はあっても「まさか自分がアル中であるはずがない、朝から、毎朝飲むわけじゃなし、手もふるえないのだから」と、自己診断して否認してしまう。このように認めようとしない「否認」の傾向はアルコール依存症の人の精神構造として特徴的な傾向であり、真赤な顔をして、一見して飲んでいることが分かるような場合でも、しらじらしく「飲んでいない、陽にやけたのだ」などと否認し、嘘を平気で言うようになり、自分で自分自身をもごまかしてしまっていることに気づいていない。
医師ぎらいで、診察に行けば「飲まないように」と指示されることが十分に予想されるので、まず病院に行こうとしない。少々身体の調子が悪くても、風邪をひいても「玉子酒」の方を好み、病院には行かない。そのために、すべての病気について発見がおくれ、病状は限り無く悪化し、進行して手おくれになってしまうことになる。
病気から逃げることの原因は否認や、勝手な自己診断のためでもあるが、もうひとつ重大な問題が潜んでいる。それは精神的な弱さである。専門的には「自我の脆弱性」と言うが、分かりやすく言えば、辛抱し、我慢する力が弱いことである。耐えしのぶ忍耐力が弱いために、困難な現実(病気)から逃げようとし、病気に勇気をもって立ち向かう気力がないのである。それは、本来、生まれつき弱い人もいるが、多くの人の場合には、アルコールのため脳が麻蝉するために、脳の働きが弱くなり、耐えしのぶだけの精神力が出なくなっているのである。
アルコール依存症と言う病気についての知識をほとんどもっていないために、自分で勝手に自己診断して「自分はアル中ではない」と決め込み、アル中でないことの理由を自分に都合の良いように並べたててみせる。アルコール依存症という病気に関する知識は、意外なほど知られておらず、むしろまちがった知識の方が世に広がっている。「朝から飲むのがアル中である」とか「手がふるえるのがアル中である」などという程度である。それさえなければ、アル中ではないと信じ込んでいたりするのでなかなか病識をもつことができない。


 アルコール依存症は三つの大きな障害に分けられる。

身体障害 まず第一に消化器症状が早期に出やすい。アルコールのための肝炎。胃炎、胃潰瘍のために嘔吐、吐血など。大腸炎のために下痢。膵炎や糖尿病などがある。次は神経系の障害で手足のふるえや麻痺、神経炎のための神経痛。視力低下やインポテンツ。筋肉系では筋脱力や筋肉痛、筋強直(ひきつけ)やけいれん。循環器系では血管拡張による赤ら顔(酒やけ)、くも状血管腫、動脈硬化、高血圧症、心筋障害、心肥大、不整脈などがある。
精神障害  初期には精神不安定状態がおこりやすい。イライラ感やカツとなりやすい。興奮、気分易変、衝動性、抑うつ気分、不眠など、次の段階では性格・人格のレベル低下が目につくようになる。自己中心、無責任、無関心、無頓着、意欲低下、記憶力低下、思考・判断力低下、作業能力低下などのためだらしなく、人間が変わったようになってしまう。これらはすべてアルコールによる脳のマヒによって脳の働きが低下したためである。さらに進行するとアルコール精神病と呼ばれる段階に入る。振戦せん妄と呼ばれるものは、幻覚や妄想が出現して、発熱や全身のふるえがおこったりする,幻覚では小さな虫けらが見えるとか小さな動物が見えることが多い。人の声が聞えたり、自分を呼ぶ声が聞えるなどの幻聴もめずらしくない。アルコール幻覚症では幻聴が多いが妄想も活発である。暴力団に殺されるとか、皆が自分をのけものにしている、皆が自分を馬鹿にしているなどと言う被害妄想が多い。その外には、コルサコフ症候群と呼ばれて、記憶力が低下し、時間や場所も分からなくなる見当識障害が出現して、一見すると痴呆かと思われるようなボケの症状だが、早ければ一か月から三か月くらいで回 復するもので全患者の7〜8パーセントにみられる。しかしアルコール痴呆となってしまえば、ほとんど回復の期待は持てない。いわゆる廃人と呼ばれる姿になってしまう。
社会的障害  まず家庭において夫婦の人間関係や親子の人間関係がうまくいかなくなる。暴言、暴力、夫婦不和、親子断絶のため本人は孤立し、家出、別居、離婚と家庭はみるみる崩壊してしまう。
 次には職場において、飲酒して出勤、怠業、欠勤、仕事上の失敗、信用を失って、人間関係のトラブル、失業、経済的破綻のため生活保護にたよるしかない状態となる。
 最後には地域社会への迷惑で、友人・知人に酒を要求したり、返すあてのない借金をしたり、大声でどなり散らしたり、物を投げ散らしたり、路上に寝こんでしまったり、救急車のお世話になったり警察に保護されたりする。酩酊状態で無銭飲食、窃盗、恐喝、傷害、放火、殺人などの犯罪も多い。そして最後は自殺も少なくない。


 このようにアルコール依存症とは、実に広い範囲の障害や症状が出現する。以上のような症状にひとつでもあてはまれば完全な依存症になっているのである。「手がふるえる」などと言う症状は全体の三十分のーくらいの症状で、それがないからアル中じゃないなどと言う素人判断は危険すぎる。依存症の人は勝手な自己診断をして病識をもたず病気から逃げようとし、現実(病気)を直視しようとしない。病気の正しい診断を受けて、それに対応しようとしないのである。

 3.治療の第一段階

受診するまで  治療の第一段階は、何よりも「病識」をもつことから始まる。しかし、病識をもつことは、前にも述べたようになかなか簡単にはいかない。病院を受診して来る患者さんの場合、病識をもって自分から進んで積極的な気持で来院する人はー人もいないと言っても過言ではないようだ。多くの人は、家族や周囲の人からいやと言うほど説教されたり説得されて、自分ではほとんど病識もないのに、いやいやながら仕方なく来院してくる場合がほとんどである。時には、何の説得もされないままに、ドライブに行こうなどと連れ出されて、途中のドライブインで腹いっぱい酒を飲まされて、すっかり酪酎状態で連れ込まれる場合もあれば、深夜に、泥酔状態で眠っている時にヒョイと自動車に乗せ込んで運んでくる場合もある。時にはたくみな知能犯もあって、一応、検査だけだから、行くだけ行ってみてとか、この病院に知りあいの看護婦さんがいるから、ちょっと立ち寄ってみようとか、もっとこみ入った方法では、病気でもない奥さんが気分が悪いから診てもらおうと来院して「ついでに、あなたも血圧でも測ってもらいましょう」と、するりと患者と付添人が入れ替わってしまうこともあったりして、 診察している医師の方が混乱してくることもある。いずれにしろ、まず治療の第一段階では病院に連れ出すことが大変に困難なことである。
家族の病識と姿勢  患者さんを連れ出すことが困難なので、しばしば家族だけが相談のため来院する場合も少なくはない。そんな時、家族は「家まで連れに来てください」と安易に病院からの収容を依頼する場合が多い。しかし、この安易な願いをかなえてあげることは、その後の治療にほとんどよい結果は生まれない。かえってマイナスの方が大きい場合が多いようである。まず家族が病院に「依存的」になって、何でも病院がしてくれるものという姿勢になるので、家族全員が一丸となって治療に取り組む姿勢はなくなる。家族が難儀をして入院させたような場合には、家族も治療に熱心であり、家族自身の反省や、家族の態度や姿勢を変えることにも努力が払われるが、安易に病院まかせの治療がスタートすると家族は「あの人だけが悪いのだから、あの人さえ良くなれば、全てがうまくいくのだ」と冷たく突きはなすような、他人まかせで、家族自身の自己反省もなければ、自分自身をも変えなければならないという努力もほとんどない。
 アルコール依存症の治療では、患者本人の病識が大切なことは言うまでもないが、家族の病識もそれと同じくらい大切である。患者さんが「病気」になっているという正しい理解がまず必要である。
 単に飲みぐせが悪いとか、嘘つきでなまけ者であるとか言うような判断や理解は、治療に逆行する考え方である。患者さんは病気になっており、自分の力ではどうすることもできないで苦しんでいる状態を正しく理解しなければならない。
 深夜にブツブツと独りごとを言いながら飲み続ける患者のために夜も一睡もできずに悩む家族は「本当に困ったものだ、わがままで、くせが悪くて、一家の大黒柱としての自覚もなにもない。甘えるのもいいかげんにしてほしい。いっそのこと、のたれ死んでしまえばいい」と思ったりする。しかし、これも病気がさせているということを正しく理解してほしいのである。
 たとえば、咳が出て、深夜一睡もできずに苦しむことがある。そんな時は、家族も背中をさすったり、医師を呼びに行ったり、大変である。しかし、のたれ死んでしまえなどとは思わない。本当に心の底から心配し、かわれるものなら代わってあげたいと思うほどである。なぜなら、その咳は病気であることを正しく理解できているからである。
 アルコール依存症の患者さんの困った言動のほとんどは病気のなせるわざであることを正しく理解することが、家族の「病識」の第一に必要なことである。患者さんは最初から困った人であったわけではない。奥さんにしてみれば、この人ならばと自分の人生をかけて結婚した相手である。若い頃はすばらしい人であったのだが、病気のために困った人になってしまったのである。
 次には、家族自身が患者の病気の原因になっていたり、その病気を増悪させる原因になっているかもしれないと言う、謙虚で重大な反省が必要である。夫婦の人間関係や親子の人間関係、時には会社や職場の人間関係が、大量飲酒の原因になっていることは一般的にも良く知られている。患者さんが飲まずにおれない状況を理解してあげることも必要であるし、家族自身が大なり小なり、その原因になっていると言っても過言ではない。その自覚こそが家族の「病識」で最も大切なところである。
 さらに、家族自身が、病状増悪に手を貸していることが多いのである。それをイネイブラーと言うが、患者さんが飲むのに都合のよい状況を作ってしまっている場合が多い。家族は、真剣な気持で、何とか飲ませないようにしようと努力しているのであるが、結果としては裏目になっていることがあまりにも多い。家族が飲ませまいとして大喧嘩になったりするとそれを理由に、飲まずにおれないと、いつもより大量飲酒してしまったり、夫婦喧嘩でもして、妻が家を飛び出して実家にでも帰れば、それをいいことに無制限に飲み続ける。困りはててあげくのはては「一合にきめて飲みなさい」とうやうやしく酌までしてあげる妻もいたりする。
 アルコール依存症の治療の第一段階では、家族自身が病気を正しく理解することと、この病気の原因や病状の増悪に、家族が大きな影響を与えていることを謙虚に反省して、家族が、自分自身を変えようとする努力も極めて重要な治療なのである。
治療意志のない患者さんの場合  治療意志のない患者さんを家族の安易な要望通りに病院側が収容して、入院させた場合には、患者さんには病識がないどころか、入院させられたことに反発し、その嫌悪感情は二十四時間ともに生活する医師や看護者に向けられて、まず治療どころではない。治療者の言うことには耳もかさない状態が続くことになる。だから、安易に患者さんを病院側が収容に行くようなやり方は、治療上望ましい方法ではない。
 一方、治療意志のない患者さんを無理やりに家族が引き連れて来た場合でも、入院してしまえば、まず反発や攻撃はしばらく家族の方に向けられるが、治療者には特別な嫌悪感情は向けられない。だから一応は治療者の言うことに耳くらいはかしてくれる。耳さえかしてくれれば、日がたつうちに徐々に精神的な治療がすすみ、患者さんの心も落ち着いてきて家族への反発や反抗も平均的には一か月程度でおさまってくる。時に家族は、退院して来たあとがこわいからと、入院させることを恐れていることがあるようだが、そんな心配はほとんど無用の心配と言ってよい。


 こんなことで、治療の第一段階は、それぞれに、さまざまなスタートの仕方となる。スタートしたからと言っても「病識」があって「治療意志」や「治療意欲」があるわけではない。まず、いやいやながら、ともかく病院に連れられて来たら、わけのわからぬままに入院になってしまった、と言うのが多くの患者さんの心境だ。

4.治療の第二段階 集団生活

 治療の基本としてまず最初に大切なことは患者さん自身が「病識」をもつことである。そしてこの「病識」は、その後の人生を通して死ぬまで明確に持ち続けなければならないものである。治療によって何とか「病識」をもつことが出来るようになっても、退院後に病識がうすれてくると、あっけなく再飲酒してしまって、状態は完全に逆もどりしてしまう。そこでまた再入院という結果になってしまう。それでは、どうすれば「病識」をもてるようになるか、この困難さは前に述べた通りであるが、何とかして、患者さんに病識をもってもらうことが治療の第二段階である。
 アルコール依存症の治療の仕方は、日本でも全世界的にも「集団療法」が基本的になっている。アルコール専門病棟で4〜6人程度の部屋で集団生活をする。一人個室でじっとこもっているような入院では、ほとんど何の成果も上がらない。まず、この集団生活の中で、同じアルコール依存症の人をお互いに見ることから始まる。自分の姿はなかなか見えないが、他人の欠点などはすぐに目立って気づくものである。「他人の振り見て我が振り治せ」ということをねらっているのだが、最初はなかなかそうはいかない。ただ他人を非難し攻撃するだけであるが、それでも24時間一緒に生活する相手であれば、それも仕方なく受け入れながら、いやいやながらでも表面上は仲良く生活しなければならない。こうして、少しは我慢し、辛抱しなければならない環境に置かれると、今度は不思議なことに、いやな相手ともお互いに「依存」しあう関係が生まれてくる。これはアルコール依存症の特徴でもある。だからすぐに集団を組んで奇妙な仲間意識が急速に芽ばえてくる。
 それは、一人では何もできない弱い精神状態になっている自分を守るためのひとつの支えである。

5.治療の第三段階  集団療法(断酒会やAAなど)

 この仲間意識と集団が治療的に良い方向に向かってくれればよいのだが、ただ自己中心的で、わがままで、好き放題なことに流れるような傾向を示しはじめるとやっかいだ。その点では、治療に対して熱心な気持を持っている人と友達になることが、この集団生活の中で心がけなければならないことである。
 こうして大小さまさまなグループが自然に生まれてくる。それは病棟単位、部屋単位、入院時胡などの形式的な見かけ上の集団もあるが、もっと深い心のつながりをもつグループが出来あがってくる。
 ここからアルコール依存症の治療的効果がはじまる。グループ内でお互いを受け入れ、お互いを一人の人格として認めあうことは、アルコール専門病棟では、理屈ぬきに、お互いをアルコール依存症患者として認めあうことにならざるを得ない。それは、自分で自分をアルコール依存症と認めなければならないはめになってしまう。はじめの頃は「俺はちがう、アル中なんかじゃない。あいつらはアル中だろうが、俺だけは別なんだ」と現実や病気を直視せず、入院してまでもまだ現実逃避して、自分に都合のよい理屈を並べたてようとする。
 ところがアルコール専門病棟では、集団で院内断酒会やAAミーティングなどが行なわれていて、そこでは、くり返し体験発表などが行なわれ、他の患者の入院前の体験をくり返し聞かされる。
 そうするうちに、自分の過去の体験と他の患者の体験が、どれもこれもよく似ていることに気づきはじめる。そして、赤裸々に自分の過去の見苦しい体験を人前で発表している仲間の態度に少しずつ共感するようになり、自分の過去の生活が他の仲間の体験と同じようにいかに病的であり、異常なものであったかを認められるようになってくる。ここに「病識」の第一歩が踏み出されることになる。ようやく自分もアルコール依存症であると認め、自覚できたころから、次には「治療の必要性」を認めることができるようになってくる。
 特にAAでは、この「病識」の第一歩は「自分はアルコールに対して完全に無力であることを認める」ことにはじまるとしている。
 すなわち、アルコールに対してロス・コントロールになっていること、飲酒をうまく調節したり、止めようと思っても、すぐに止めることが出来なくなり、飲酒してしまえば、自分で自分をコントロールできず、ブレーキのきかない人間になってしまって、どうすることもできない状態になったことを「無力」と表現している。このように「アルコールに対して無力であることを完全に認めること」が治療上最も大切なところなのである。ところが、この無力であることをすぐに忘れて「少々くらいはいいのじゃないか」「ほんの一口だけで、決してそれ以上は飲まないから」などと思って飲んでしまって、多くの人がまた再入院となってしまうのである。ある人の体験では「もう3年も断酒していると、自分は他の人と少しも、何も違ったところはない。ごく普通に生活して、仕事もちゃんとやり、精神的にも身体的にもきわめて正常だし、どこに他の人とちがうところがあるものか」と思うようになったと言うのてある,その時、この人は人はアルーコールに対しては無力である」ということを忘れはじめていたのである。「アルコールに対しても他の人と同じようにやれるはずだ」という気持が少しずつ 芽ばえてきて「皆と自分は少しも違わないのだから、もう3年も断酒してみて、ちゃんとやっていける自信もついた。少しずつなら飲んでも問題はないはずだ。皆と同じような飲み方さえしておれば大丈夫だ」と思いはじめて、ついに飲みはじめてしまったのだ。ところが、それから再入院するまで一か月半しかかからなかったのである。いかに「病識」が大切であるか。「アルコールだけには完全に無力であること」を生きている限り忘れてはならないのである。

6.治療の第四段階  個人精神療法(反省と内観療法)

 アルコール依存症の治療では、集団療法的治療が全世界的に行なわれて、ともすると、それだけで終わってしまっているのが現状だが、私は、集団療法だけでは、一人ひとりの患者さんの心の奥底まで到達できる治療としては不十分な思いがある。しかし、確かに従来の個人精神療法では、アルコール依存症の患者さんには適用が困難であったり、治療効果があがりにくかったという歴史的な現実があったのである。しかし、集団療法だけでは、個々の患者さんの個々の家庭事情や職場での問題やそれぞれの成育歴にまつわる子供時代の問題など、アルコール依存症となってしまった歴史的背景や原因にまで逆のぽり、また、現在にいたるまでの自分の身体的、精神的障害や社会的問題を深くみつめる機会はあまりなく、そのような指導や精神療法的アプローチがなされないことに大きな不満をもっていた。もっと効率的に個々人に対して有効な治療的操作は出来ないものかと考えて、さまざまな工夫をこらしてもみた。すでにもう二十年前のことになるが私はアルコール依存症の治療的有効機制とは何かという課題に必死に取り組みはじめた。
 断酒会の体験発表が病識をもつことに有効なことは理解できるが、断酒を継続していく精神的エネルギーはどこから生み出されてくるのか。多くの人々の体験発表の内容の中に、そのエッセンスとなる共通項が見出せるはずだと信じて、その分析にとりかかって悪戦苦闘したものの、私の力ではその解明は困難で、ついに刀折れ矢尽きはててしまって、その多くの資料を投げ捨てようとして、ハッと気づいたことがあった。断酒を何年でも継続できるほどの精神的エネルギーの源となっているのは、体験発表の内容ではなく、むしろ、どんな恥かしいことも赤裸々に人前でしゃべる体験発表という、行為そのものの中にあることに気づいたのであった。結局は、体験発表という形で、一人ひとりが深い自己反省をしていることが治療的に有効な共通項であることに気づいた。それからは、患者さんに「深く反省しなさい」と指導をはじめたのだが、患者さんの反省は自己反省にはならず、他者非難と責任転嫁と自己弁護に終始してしまうのであった。そこで私は、本当の自己反省をしてもらうために何か良い方法はないものかと探しはじめた。求めれば与えられるものである。「内観」という自己反省の技法が あることを知った。昭和五十年に吉本伊信先生の指導を受けて、それから絶やすことなく、18年間、アルコール依存症の個人精神療法として多くの症例に適用し続けて、今日に至っている。

7.内観療法の技法と効果

 内観療法は自己反省の技法であり、自己発見の技法でもある。古代ギリシャ哲学のソクラテスの時代から「汝自身を知れ」という言葉があり、自分自身を知ることの大切さが強調されてきた。しかし、自分自身を知る方法を教えてくれる人はいなかった。内観療法は、自分を知るための方法を教えてくれる極めて簡単な技法である。幼少期から自分がどのような態度で生きてきたかを克明に調べることによって、自分という人間がいかなる人間であるかを突き詰めて調べるのである。

表1 集中内観の条件
空間的条件 屏風による遮断と保護
時間的条件 午前5時30分〜午後9時
(当院では午前7時〜午後9時)7日間
面接指導1〜2時間毎に1回
面接時間3〜5分間
指導者の条件 集中内観体験者が望ましい
内観者の条件 自発的意欲があることが望ましい

行動の制限
用便、入浴、就寝の時以外は屏風の外に出ない。
食事も屏風の中でとる
雑談、テレビ、ラジオ、読書などの禁止
清掃作業 午前5時起床、直ちに部屋、トイレ、浴室などの清掃を分担する


表2 集中内観の技法
導入は、
内観の仕方や注意事項などを録音したテープを聞かせる。
屏風の中に坐ったら、
指導者がテーマを与え想起の仕方を限定する。
対象人物 母、父など人間関係の密度の高い人を選ぶ
年代区分 小学生時代より現在に至るまで3年間隔
テーマ 1)してもらったこと
2)して返したこと
3)迷惑をかけたこと
その他のテーマ 嘘と盗み、養育費、酒代、酒による失敗
指導者の態度 制限的受容、没個性的、非指示的
内観テープ 深化した内観者の内観報告の一問一答を
食事時間などに放送する
内観座談会 内観後の反省と洞察の確認
日常内観の動機づけ

 まず、母親を対象にして小学一年生から三年生までの三年間に、三つのテーマについて具体的な事実を調べることから始まる。そのテーマは自分が母親に、1.してもらったこと、2.して返したこと、3.迷惑をかけたことの三点である。小学一年生から三年生までの三年間について一時間から二時間かけて調べたら、次は小学四年生から六年生までの三年間について三つのテーマについて調べることになる。こうして、母親を対象に現在までを調べ終わったら次は父親とか、兄弟、夫や妻、子供、学校の先生や友人、職場の上司や同僚や部下など、自分と人間関係が密接である人に対して調べを続ける。
 こうして、多くの人に対して、自分はどのように接してきたかを調べることによって、多角的にみた自己像が見えてくる。それは今迄自分が都合よく抱いていた自己像とはまるで違ったものになってくるようである。それがまさに真実の自己発見である。特にアルコール依存症の人は、他者の立場を無視して自己中心的であるだけに、自己像は実に現実ばなれした、虚像でしかない。真実の自己から目をそむけて、はるかに空高く浮いているアドバルーンのような自己像を抱いている。だから「自分はアル中だ」という現実の姿に気づかずに「病識」をもつことができずにいる。
 そんなアルコール依存症の人に内観療法をしてもらえば、現実の自分の姿をはっきりと見ることができて、しっかりと病識をもつことができるようになる。
 内観の三つのテーマについて調べていくと
 1.してもらったことのテーマでは、多くの人々から与えられた愛の深さに気づき、こんなにも愛され、大切にされてきた自分の尊厳さにも気づいてくるが、過去の現実は、身近な人々を無視し、むしろ、じゃまもの扱いして、俺など、どうなってもいいと、好き勝手の仕放題であったことに強い反省が生まれてくる。
 2.して返したことのテーマでは、自分が他の人々にして返したことの少なさに驚いてしまう。自分がいかに甘えており、自己中心で一人のおとなとしてあまりにも未熟であったか、人に頼り、依存していたかにも気づいて病識をもつことにも役立つ。そして、自分自身の人間形成の必要を痛感できるようになる。
 3.迷惑をかけたことのテーマでは、これほど愛され、大切にされていながらも、自分は何ひとつお返しもしていないのに、その上、限りない迷惑のかけ通しであったことに気づかされる。そして「申しわけありませんでした」というざんげと罪悪感の高まりと同時に、周囲の人々に対する「感謝」の気持が湧きおこる。さらには多くの人々によって「生かされてきた」ことの喜びを全身で知りながら「万分のーでもお返しをしなければならない」という償いの心が芽ばえはじめる。こうして、内観は、厳しい自己否定と同時に、他者の愛に支えられた自己肯定も成り立って、精神的なバランスを保っている。さらに人間的な未熟さや赤ちゃんのような自己中心性にも気づかされ、強い罪悪感にまで到達すると「このままではいけない」という現実認識にめざめて、将来に対して「何とかしなければならない」という自己実現(自分の理想の実現)をめざして、湧き出るようなエネルギーで現実に立ち向かうようになってくる。
 それは、他人から、きびしく非難されたり説得、説諭されて、いやいやながらするという受身的なものではない。自分で自分の過去を調べることによって、指導者からは、何の指示、指摘、説明、説諭もないのに、自分で自分の現実の姿を直視して、自分の力で悟るという自主的、自力的な作業の結果によって生み出されてくる精神的エネルギーであるだけに、強力であり、永続性がある。
 そして、さらに日々の日常内観を続けることでもっと内観は深まり、生きている限り、しっかりとした病識をもち続けて、絶えることのないエネルギーがよりすばらしい人生を生み出している。退院して行った多くの患者さんたちのすばらしい人生の奥行きの深さは、こうした自己修練の積み重ねの結果である。
 この内観のような過去の自己反省の重要性はAAの十二のステップの中でもはっきりと示されている。第四ステップでは自分が生きてきた棚卸表を作ること,第五ステップでは自分の誤りの正確な本質を認めること。第八、第九ステップでは傷つけてきたすべての人の表を作り、そのすべての人たちに直接埋合せをすること。第十ステップでは自分の生き方の棚卸を実行し続けること。とあり、十二ステップのうち少なくとも五つのステップは内観そのものだと言っても過言ではない。そして、AAの第一ステップが「われわれはアルコールに対して無力であり、生きていくことがどうにもならなかったことを認めた。」となっていることは、いかに病識が大切であるかを物語っている。一方、断酒会ではAAの十二のステップに基づいて作られた「誓いのことば」でも「私達は酒の魔力にとらわれ、自力ではどうにもならなかったことを認めます」とあり、病識をまず第一にあげているのである。そして次に「私達は過去の非を常に反省し、今までに損なった人々に及ぶ限りの償いをすることを誓います」とあり、内観の技法と効果がそのまま表現されているのは実に不思議な一致である。それほどにアルコ ール依存症の治療では,前に述べたような集団療法とともに、個々人の内面に深く到達する内観療法のような個人精神療法を加えることがより効果的であると私は確信している。


出典:鹿児島竹友断酒会機関誌「竹友」第31号(1994年2月) 「アルコール依存症の病識と治療」