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1989年 信州大旅行記 9月16日〜9月23日


1989年 信州大旅行記 9月16日〜9月23日

1989年 9月16日(土)

バタバタしながら、準備をする。 戻る home
15日の祝日にPC-VANの鹿児島ボードのめんめんとのカヌー遊びが過ぎてしまったのを反省しながら、車へ荷物をどんどん投げ込む。
20時30分に志布志の港へ向かう。天気は晴れ、月齢は16、風はほとんどなし。
21時40分、出港。埠頭では爆竹や車のパッシングをやってくれる人などがいて、けっこう賑やかであった。船は二本エントツの「さんふらわあ11」
トレーニングをかねて、船内を30分ほどうろつく。
揺れはほとんどなく、快適な航海となる。ルームナンバーは[666-5]
そうこうしているうちにその雑魚区画は一斉に消灯! Zzzz……。

1989年 9月17日(日)

朝5時に目を覚ます。カメラをもって爽やかな潮風に吹かれながら海の景色を楽しむ。 戻る home
有明の月、動く雲、遠くの船、朝日、そして8時30分から朝食。
船内の食事は高いのであるが、まあこんなものかな……。
船底にある風呂「桜島湯」につかる。
そのあと「ひとり歩きの登山技術」なんて本を甲板で読む。
わりと参考になって、ザックに新聞紙、梅干、免許証などをいれるようにメモする。
船尾は風がまったくなく、暑い暑い。かといって甲板は風が強くて強くて。
でも結局、甲板の風の勝ち。
甲板の上でうとうとしながら、漁船が何そうも並んでいる風景とか、遠くの島か半島かの灯台などを見て時間をつぶす。
そうこうしているうちに、船は速度を落として大阪湾へと入港。

下船したのが13時20分
初めての大阪、地図とコンパスを頼りに車を回したでのであるが、なかなか西宮インターへ行く道が見つからない。
しかたなく阪神高速に乗って(乗りたくなかった)ずーっと走っていると、法円坂にいきついて、そこからはなんとか自分のいる場所がつかめたので、大阪をバンバン走る。
[BGM:REOスピードワゴン]
大阪はこわいとこやでー、信号が青になってもみんなすぐには出ーしまへんのや。
訳はやなー、赤でもしばらくは突っ込んでくる車がいるからや。
みんな暗黙の了解ができているんですねー。
甲子園球場を左に見て一路、西宮インターへ……。

阪神高速道路通行券

一番右のレーンから左のレーンへ急速変更、加速、加速、いきなり右へターン。
(おおさかはようはしらんでーほんまに)

西宮から最初のサービスエリア吹田で、遅い昼食、中華定食。わりといける。
吹田SAでは大阪の地図を新たに購入。帰りに港がわからないなんて悲劇だから。
ちょっとゆっくりしすぎて、吹田SAを出たのが16時30分。
このころから雲が多くなる。天気は下り坂らしい。
陽も暮れようとする18時に多賀SA。どこかの繁華街かと思うほどの人・人・人。
ここは宿泊もできるSAだそうで見物もかねて寄ることにしたのである。
大津絵を買う。10枚で1340円。何故、大津絵など買ったのか?
理由はこの絵の中の雷公を雷除けの護符としたかったからで、
山では雷が一番怖いですねー。
名神高速を追いつ抜かれつバンバン走っていると、右後方から、
すごい車がぼくの車を追い越した。何あろう新幹線であった……はえーっ!

小牧JCTから中央自動車道に乗る。
虎渓山PAに着く、19時45分。天ぷらうどんを食べる、270円。
あと5分も遅れたらたべそこなうところであった。20時で店は終わりだった。
まだ20時にはならないのに店員さんがバタバタと椅子とか、戸を閉め始める。
汁をすすりつつ、どんぶりを返すというあわただしさ。味はいまいち。
恵那山トンネルなんていうトンネルがまたとんでもないトンネルで、8キロもある長ーいトンネルで凄かった。
[BGM:久保田利伸]
阿智PA、駒ヶ岳SA、諏訪湖SAで休む。
諏訪湖SAで早くもお土産を買う。[ハンカチ、スカーフ、信濃立体地図]
22時15分、夜も更けるころではあったが、諏訪湖のまわりを取り巻いている街々の灯りがとてもきれいであった。
夜間飛行をしたならいい気持ちになれただろう……そんな雰囲気。
その夜景を横目で見つつ諏訪ICで高速を降りる。
西宮〜諏訪で7,600円。約374km。
茅野有料道路(100円)を通って一路、国道299号線を走る。
渋川温泉とかの入り口でちょっと迷ったけど、やはり車は299号線を走る。
ヘッドライトの脇、闇のなかに突然ハーブ園が見えたり、別荘地○○番地なんていう看板が見えたり、名も知れぬ高山植物が見えたり、ロマンチック街道を車は走る。

国道141号線に突き当たり、左に折れる。
中込に入るまえに[セブン・イレブン]で買い物をする。
結局、中込についたのが18日の午前1時30分。
中込駅を中心にして町中を車でぐるぐるまわった。
無料駐車場は駅前のところしかない。千曲川が流れている。
かくして、今日の最終目的地、コスモス街道へと車を走らせる。
夜のコスモスを左右に見ながら頂上近くのドライブインで車を止める。
午前3時であった。即眠る。Zzzz……。

1989年 9月18日(月)

ちまたは登校日あるいは出勤日である。 戻る home
自動車の後部座席で毛布をかぶって一夜を明かした。
起きたのが6時ごろ。天気はまずまず。昨夜スーパーで買っておいたサンドイッチを、缶コーヒーで流し込む。
ラジオではどこかの女子校で貧血検査がどうとかこうとか……。
とにかく天気はいいのではりきって近くのコスモス街道を下る。なんと9km。
コスモスがとぎれる所もあるが、延々と続くのである。
地元の老人会が中心となっているという。
コスモス街道のほぼ中間にある東陽館でソフトクリームを食べる。車を止めて、コスモスをカメラする。何枚もカメラする。
結局3往復ほど国道254号線を登ったり下ったりして……こりない、こりない。
天気は曇りがちになる。

11時、中込から国道142号線(中山道)を走る。
目指すは大町。下諏訪・塩尻・穂高経由で国道を走る。
[BGM:TOTO]
途中、望月の協和石油でガソリンを補給。4000円/32L=125円/L
山道を走っていると、フロントガラスに雨がポツ、ポツと当たりはじめた。
さっきまではとってもいい天気だったのだが、いまはどんよりとした空……北アルプスはまったく見えない。
地図を見ながら行ったが大町は遠かった。大町の駅に着いたのは14時ごろ。
で、何をしに大町へいったか?
「信州和紙」が目的。信州松崎和紙工業をさがしあてるのにまた時間がかかり、人に尋ねたところから50mも走らないうちに着いたので唖然となる。
さっそく、工場の人に和紙工場を案内してもらう。
ちょうどお茶時間でタイミングが悪かったが、松崎和紙の作り方など、親切に教えてもらう。(どうもありがとうございました)
できあがった和紙の製品を小売りしているので、買ってしまう。
お土産[和紙ハガキ、和紙手紙セット、和紙コースター、和紙・全紙]
未練が残る北アルプスを右に見ながら、大町は信州松崎和紙工業を後にする。

しばらく走る。おなかがすいたのでそば屋で「ニシンそば」を食べる。
味はいまいち。でも全部たいらげる。
お店には、クラシックカーが駐車してあった。色は空色。多分国産車だろうが……店の中には北アルプス(?)をバックにしたその車の写真がかざってあった。

雨の中をしばらく走る。
[BGM:ペット・ショップ・ボーイズ]
ストアーに寄り、パンとスリッパを買う。(スリッパを持ってくるのを忘れた)
松本から国道254号線に入り、浅間温泉に向かう。
このころから雨がひどい降りになる。
「仙気の湯」という大衆浴場に入浴。
名前はいいのであるが、やはりそこは大衆浴場。
終わり湯のような、ちょっとばっちい湯に、ちょっとばかしめげる。
ぬるめの湯だったのでまたまためげる。二階の休憩所が有料で、またまためげて、お茶はセルフだったので……。でも番台のおばちゃんはとってもいい人だった。
スニーカーから買ったばかりのスリッパに履きかえる。
やはり温泉はきれいなやつに入りたい。
天気が天気、時間が時間だっただけに普通の旅館の温泉を使うことに躊躇したのが敗因!

車を中込に飛ばす。
雨は小降りになり、ちょっと安心。明日は八ヶ岳登山の予定なのだ。天気予報は雨・雨・雨……台風22号接近?
夜の国道254号線はバンバン飛ばすトラックでいっぱいであった。
仮眠所で休んでいても横を通るトラックの風圧でちょっと揺れるほど。
眠りから覚め、なんとかなんとか中込に着いたのが午前零時ごろ。
そのあとスーパーでミネラルウォーター、梅干、おにぎりを買う。

中込駅の前には遊び足りないお兄さんたちが二・三人いた。
でも、駅の駐車場に構わず車を止めておにぎりをぱくつく。
でもお兄さんたちがやはり気になるので、おにぎりを食べ終えると車を移動させる。
街灯があるところに車を止め、明日の八ヶ岳登山の準備をする。
星がちらっと見えるまで天気は回復しているので明日に期待をかける。
ザックの中身をすべて出して、再びパックし直す。何回もパックとなる。
結局、1時間半ぐらいかかってのパックとなった。(パックはむずかしい)
再び中込駅の駐車場に入る。お兄さんたちはまだいた。
でも無視して、朝5時29分発の小海線に乗るべく腕時計のアラームをセットし、再び車中泊。午前3時である。Zzzz……。

1989年 9月19日(火)

腕時計の「ピピピッ……」という音がしてからの5分ぐらいは眠りを楽しんでいた。ガバッと起きたのが5時15分。 戻る home
列車の発車まで25分ぐらいあるけど、いちおうあせりながら、登山靴を履いて、履いて、ウエストバッグを腰に巻き、ザックを背負った。
天気は曇り、雲は厚く、風はない。
駅の改札口までわずか30歩あまり……まず中込駅をカメラする。
切符を買って、階段を渡って列車へ乗り込む。
中込始発、5時39分、二両編成のディーゼル列車であった。(三両だったかもしれない)
野辺山の駅まで各駅ごとにカメラする。
雲間から太陽がちょっとだけのぞき、のどかな風景を照らし出したがそれも一瞬。
その景色の美しさといったらなかった。いまでもありありと瞼に浮かぶ……。
その景色に見とれてカメラするのを忘れる……残念。
光と影の妙であった。金色と緑色とが素晴らしかった……。
たまにキャベツ畑とかレタス畑とかを開放でカメラする。光量が足りない。
八ヶ岳はまったく見えない。
乗客がたまに乗ってくる。高校生が乗ってくる。おばさんが乗ってくる。

7時19分、野辺山で降りる。線路脇に咲いている赤いダリアがきれいである。
野辺山をカメラする。駅の標高が1345メートルということにいまもって感動する。
トイレをすませて元気に出発。
10分も行かないうちに雨がポツポツと降り出す。
さっそく、レインコート、ザックカバー、かさの出番となる。
で、また元気よく出発。
「八ヶ岳高原学園入り口」という看板のところまできて、八ヶ岳は断念する。
行けるとこまではまだ行けたのであるが、ここで諦める。
でもせっかく来たので、その看板の前でポーズを変えて何枚もカメラする。
怒ったやつ、泣いているやつ、笑っているやつ、ピースのやつ、バンザイしているやつ、フィルムが切れるまで撮ってしまった。
いちおう八ヶ岳は諦める。

さて、それでは今日はなにをするか? どこにいくか?
決めかねながら、野辺山駅まで降りてくる。
レインコートを脱いで、ザックカバーも取る。
ザックともどもコインロッカーにあずける。
利用客がすくないのか、タクシーの運転手さんも暇をもてあましている。
次の列車まで、だいぶ時間があったので、駅前のお土産屋をのぞく。
気にいった謎々キーホルダー、アップル・ティーを買う。
そうこうしているうちに、レストランも開いたので朝食をとる。
「月見そば」味はいまいち。暇にまかせて窓辺の赤いゼラニウムをカメラする。
窓の外、道路を隔ててコスモスもわりときれいであった。
で、10時25分の列車で中込までJRする。11時38分中込着。

天気はいまもって悪い。崩れそうであるが崩れないのでいやな感じ。
中込の町でお土産を買う。「藤村のにごり酒」×2本。
車は一路、141号線を南へ。ラジオの天気予報が台風22号の進路を教える。
鹿児島・大隅半島に上陸が予想される……志布志じゃないの!
雨はときおり激しく降るようになる。
車は野辺山を通り越して、清里に入った。
目的はバードハウス。名前のごとく鳥グッズのお店である。
がしかし、バードハウスがどこにあるかわからない。
清里駅の近くの駐車場に車をとめる。駐車料500円なり。
清里駅の案内所で尋ねたところ、清泉寮の方だろうということで、雨の中をかさをさしながら清里見物がてら、歩いて行った。
これがまた遠いところで、ちょっとまいった。
駅の案内所でもらった地図でみるとすぐそばであるようなのだが……。
あきらからな誤読。
雨に濡れながら、風に吹かれながら、震えながら歩いた。
清泉寮前にある店でジャージー牛乳を飲みながら店の人に訊いた。
バードハウスは萌木の村にあるとか……方向が反対でないの!
店で売っていた絵はがきを買う。

さっそく引き返しつつ、清里の店を覗きながら歩く。
ほんとうにいっぱいあるので、だいぶ時間をつぶしてしまう。
絵はがきを買う。お土産を買う。[野沢菜、お菓子、テレホンカード]

車を駐車場からだして萌木の村へ。
バードハウスはすぐみつかった、だが、しかし、ところが、なんと閉店だった。
「19・20・21日は閉店します」
店の中をのぞくとおもしろそうなやつがゴロゴロしている……悔しい。
しかたがないので、そこらへんをカメラすべく歩く。
ここでこの旅行中最大の収穫に出会う。というのが次の言葉。

「DO YOUR BEST AND IT MUST BE FIRST CLASS PAUL RUSCH」
人生の目標を見失っていただけに、まるで灯台のような言葉に出会えて感動する。

喫茶店ROCKのロゴ

まあそれはともかく、おなかがすいていて、近くに食事ができるところがあったものだから、その言葉をメモるとそのお店へと入った。カレーを注文。これが、うまかった!
さっきの言葉に刺激されたのかもしれないが、とにかく「FIRST CLASS」の味だった。
店の名前は「ROCK」店のステッカーをもらう。絵はがきを買う。
(あとで知ったのだが、この店は清里で最初にできた喫茶店だそうだ)
先の言葉をカメラする。
その後、須王に出て、国道20号線を走り、小淵沢から野辺山までほとんど暴風雨の八ヶ岳高原を快適にドライブする。
天気予報では明日は午後から晴れるという。
期待に胸を膨らませて野辺山駅の駐車場で再び再び車中泊をする。
外は嵐、Zzzz……。

1989年 9月20日(水)

例のごとく車中で目が覚める。6時ごろ。天気は曇り。風がやや強い。だが天気予報は曇りのち晴れの予報。 戻る home
しばらくして空を見上げると、青空が見えた。風も弱くなってきている。
「行ける!」と判断。がぜん元気になって登山の準備を始める。
台風22号が時速50キロという猛烈なスピードで走ってくれたので、天気は最高の登山日となる。(待ったかいがあったというもの)

登山靴の紐をむすび終えた時、昨日と同じように中込発のその列車は7時19分に野辺山駅にすべり込んできた。(一応列車に乗ってきたのと同じタイミングとなる)
天気は急速に回復しつつある。風はほとんどない。
昨日までまったく見えなかった八ヶ岳が見えている。もうこれだけでも感動もの!

ではまず登山の装備を紹介しよう。
50Lザック(約12kg)
衣:下着(上下)、替え靴下(2足)、シャツ、セーター、レイコート(上下/ゴア)、ザックカバー、簡易テント
食:非常食(カロリーメイト、レーズンチョコ、アーモンド、キャンディ、チョコバー、トマトジュース)
  行動食(パン、みかん、梅干、えびせん、キャンディ)
  アルミ水筒(1L)
機:ハンディトランシーバー(144MHz/5W)
小:ライト、ヘッドライト、ライター、レスキューシート、軍手、洗濯ローブ、救急絆、ナイフ、テープ、レンズクリーナーセット(ペーパー・クリーニング液)、予備電池(単三4本、単四2本)、FM・AMラジオ、カップ、地図(5万分の1、2万5千分の1、4万分の1)
備:かさ、文庫本(角川文庫/夢果つる街/トレヴェニアン)、ハンディトランシーバー取説、新聞紙、タオル、サングラス、キー、運転免許証、名刺、ガイドブック、トイレットペーパー
付:三脚(アルミ三段)
金:ありったけ
護:大津絵雷公(雷よけ)

ウエストバッグ(約2kg)
機:カメラ、レンズ(24mm、35〜70mm、135mm)フィルム(24枚×6本)、レリーズ、コンパス、パノラマカメラ(コダック12枚撮り)、バンダナ

その他:登山靴、帽子、皮手袋、腕時計

しかし、これだけよく持って行ったものだと自分でも感心してしまう。
予定ではシュラフ、マットも持っていこうとしていたのだからあきれる。
今回はまったく使わなかったものもある。例えばサングラス、ナイフ、ライター。
これとは反対にもっていなかったらアウトだったというのが、地図、コンパス、食料、ヘッドライト、トイレットペーパー。

目指すは八ヶ岳連邦の最高峰、標高2,899mの赤岳。
計画では野辺山→赤岳を6時間30分とみていたが、実際は8時間。
赤岳→大泉を7時間50分とみていたが、実際は9時間半。
となった。写真を撮った為かと思うが休憩時間が長かったのであろうか?
(休憩は短くて15分、長くて30分であった)



7:38 野辺山駅前を西へ、赤岳をめざして歩きだす。
駅前でカメラする。
ゆるやかな坂を登りつつ、昨日登山を断念した八丁先を通過。
道はジャリ道となり、林道を歩く。みどりがきれである。
地図に忠実に歩く。いまのところハイペース。
でもあとでばてそうなので、ペースを崩さず歩く。
ほどなくレタス畑(?)が広がり、野辺山高原に出る。
南アルプスがくっきりと見える。ススキが風にゆれる。
後ろを振り返ると関東山地の端から円錐状の巨大な山が見えた。富士山である。
気分がいいのでバンバンあるく。小川が流れている。その音が心地よい。風もさわやか。
乳牛が草を食んでいる。もの珍しそうにこちらを見ている。
警戒している。「モウ」と鳴いてみせる。乳牛はますます警戒しだす。面白いのでまた「モウ」と鳴いてみせる。
乳牛を前に、南アルプスを後ろにカメラする。
白樺の樹が立っている。1台のジープが通りすぎる。
すこし行くと林道が鎖で封鎖されている。
志木市少年自然の家へと赤岳への別れ道のところで、休憩をする。
8:49〜8:57 パンを食べる、みかんを食べる。
林道が続く。チェーンソーの音が聞こえだした。
少し行くと、先のジープが止まっていた。林業の作業員だろうか?
樹を切っている。上を見上げると、初夏のようなまっ青な空に、白い雲がわいては消え、消えてはわいている。おもわずカメラする。

と、ここで道はジャリ道から笹やぶに道は変わった。
台風のあとの水が登山道に流れてきている。
笹やぶの中を歩くとズボンが濡れてしまう。うーん気持ち悪い。
まるで小川の中を歩いているようだ。悪態をつきながらザバザバ歩き、バチャバチャ歩く。登山靴の中に水が入ってこないのでいいけど、ほとんど道なき道……その笹の中をどんど登る。
膝小僧までだった笹は、そのうちに腰までの高さになり、
しまいには、胸までの高さになる。「ス・ン・ゴ・イ・ト・コ・ロ」
たぶんこのルートはあまり使われないのではないか……という思いが脳裏をよぎる。
が、ときおり見える壊れかけた道標がなんとも心強く、キャラメルの包み紙とかが落ちているので元気になる。
そうそう、忘れていた。実はこの笹道では片手にはカメラを持っていた。
バランスを何度か失いかけて、倒れそうになると「うわっ」とか「おっと」とか言いながら必死で、それでいて結構楽しみながら、ザバザバ、バチャバチャする。
もちろんズボンはももの辺りまでビショビショ。どこまで続くぞこの笹道よー。
しかし天気はいい。暑くもない。トンボが飛んでいる。この高さでトンボとは……。
ただ足元のコンディションが小川というのがちょっと……気分はベトコン。
その笹道がちょっと途切れて「これで笹道ともお別れじゃー」なんて思っていたら、すぐまた笹道は復活して、またしてもザバザバ、バチャバチャ……。

前の休みから50分くらいたった09:46、ついに、めげて、休むことにする。
千間防火線ノ頭までは休みたくなかったけど「休憩」と宣言して休むことにする。
ザックを降ろして、梅干・みかn・パンを食べ、水で流しこむ。
200ccのカップで1杯半、だから残りは700cc。
邪魔だったカメラをウエストバックにしまい、皮手袋をはめる。

10:06 出発。ちょっと歩くと千間防火線ノ頭という道標があり、「なんだ」という感じで登り坂を登る。もう笹はほとんど見えない。
どのあたりだったか記憶にないが、志木中学校とかいう学校の立てた、「努力」とか「根性」とかいった看板を見ながら、登る、登る。
傑作だったのが「前進あるのみ」という看板。
言えてるなーと思いながら、登る、登る。

5〜10メートルぐらいの樹木が山道をつつむようにして生えている。
野鳥の声が近くでした。立ち止まって樹木の中をすかすように見ていると、鳴きながらその野鳥は近づいて来て、なんと2メートルぐらいそばまで野鳥はやって来た。
この辺りの鳥は人を恐れないのだ。
だから双眼鏡なんていらない贅沢なバードウォッチングができた。
カメラをバッグから取り出したりすると逃げてしまいそうだったので、その野鳥の鳴き声をまねをしながら、声と姿をしばらく楽しんだ。
野鳥の名前はわからない。鳴き声もちょっと忘れかけている。
500グラム程度の超小型テープレコーダーがあったら持ってきてもいいなあ……なんて思ったりもした。記録用にも使えるし……。
樹木の中を登る、歩く……所々で樹が倒れていて、乗り越えるには高いので、いきおいそのトンネルをくぐることになる。
ザックの上がその樹にひっかかったりするとカリッとした。
そうでなくても10キロものザックを背負ってしゃがむことには抵抗があった。

小天狗には11:38着。休まずに歩く。すでに赤岳までの半分以上を来ている。
頭の中にあるのは「16:00までには山小屋に着かなくちゃ」ということ。
尾根なので歩きやすい。
高山植物が撮ってくださいとばかりに咲いているのでカメラする。
ズボンはすでに乾いている。靴も調子がいい。汗はそれほどかかない。天気はいい。ガスがかかるが、雨になるような雰囲気ではない。
快調、快調、また快調。

どのあたりか忘れたが振り返る、ときおり下界が見える場所があった。野辺山のパラボラが見えて、それが少しずつ小さくなっていくことに登る楽しさを知る。

尾根を歩く、尾根を登る、ガスが出る、樹木、樹木、尾根登る、尾根歩く、ガス晴れる。
ちょっと右のふくろはぎが痛い。すかさず休憩タイム。12:28〜12:51

小天狗から大天狗まで、予定では80分だった。
ところが、その時間がたってもなかなか大天狗の標識は見えなかった。
道をちょっと間違ってしまったのか、ただ単に見落としなのかわからない。
ともかくまた「休憩」と宣言してザックを降ろす。
休憩、13:39〜13:56

しばらく歩く……視界が急に開ける場所に出る。逆光の赤岳頂上が見える。
その頂きが雲を産みだしているようで、いつまで見ていてもあきない。
右手には横岳が見えている。
その端に小屋がみえるが、赤岳石室と赤岳山渓山荘だ。
下を見た。雲の間にはいままで登ってきた尾根がよく見えている。
沢の音だろか、はっきりと水の流れる音が聞こえる。
雲がゆっくり右から左へとながれている。景観最高!
思わず休憩、14:40〜14:50
地図を見るとあと2、30分で赤岳頂上につけるようである。
梅干とみかんと水で元気が出る。

と、突然、幅20センチぐらいの鉄板が岩場を右に伸びている光景が目に入った。鉄の鎖も付いている。……もしかしてこの鉄板を渡るのでは……「ス・ン・ゴ・イ・ト・コ・ロ」
で、皮手袋が鉄の鎖をガッシと掴んで、登山靴が鉄板をズカズカ歩き始めた。
鉄板はここ一ケ所だったが、ここから先は岩場と鎖場の連続……気分はクライマー。
でも個人的には鎖場は好き!(登山前の準備段階で筋力アップをしていて良かった!)
岩場を右に行けば横岳、左に行けば赤岳という分岐点の標識に一枚のステッカーが貼ってあった。例の清里の喫茶「ROCK」のステッカーである。

登って、鎖して、あと一回カメラをしつつ休憩して、後は一気に頂上まで登る。
さっきまではほぼ同じ高度に見えた赤岳石室と赤岳山渓山荘がはるか下に見える。
息を切らして、ふうふう言いながら登り切ったのが、15:40。
何かの歌を口ずさんでいたような気がする……。

横岳の方から一人の登山者が単独で登ってくるのが見える。思わずカメラする。
そう言えば野辺山から赤岳までは樹を切ってる人以外はひとりもみなかった。
そして、そして、そして、そして、赤岳頂上小屋の戸を開ける……。

赤岳頂上小屋の戸をガラガラと開けると「おつかれ様」との声。
最初、小屋の人かなと思ったが、家族そろっての登山客だとわかる。
奥さんと小学生の男の子に「こんにちはー」などと挨拶をして、ザックを降ろしたりしていると、「お泊まりですか?」と背の高い長髪のお兄さん。
「はい」というわけで宿泊の手続きをすませ、今日の3番目の客となる。
そばでは小屋の人に電話がかかってきていて、話を聞くともなく聞いていると、明日、日帰りで、歯医者に行くとか……。
夕食、朝食込みで5500円。

赤岳頂上小屋の領収証 No.3 5500円

布団は敷いてくれるとのこと……。
御来光が見えるという東向きの部屋[光1]。
部屋の隅にザックの中身をバラバラと出して着替えをする。右足のふくろはぎがちょっと痛い。

先程の家族連れの方は横浜から今朝早くやって来たとかで、ストーブをかこんで、今日の素晴らしい天気の話をする。
お茶が出る。
ストーブの回りには濡れた衣類が干してある。
横浜では朝方はまだ暴風雨だったとか、八ヶ岳は三回目だとか、美濃戸から登ってきたとか、山はいいとか、明日はどちらに降りるか……。

話がひとしきり済むと、カメラを持ち出して小屋の外へ出る。
登山客がひとり増える。女性の単独行……うーん、すごい!
景色を楽しみつつカメラする。湧き上がる雲の横岳、逆光の阿弥陀岳、権現岳。
と、雲の中にブロッケンが見えて、これもカメラする。ラッキー。
その後、全周写真をカメラする。(13枚)記念写真も撮る。
小屋にもどって、水を水筒に入れてもらう。
ココアを注文するがあと少しで食事だと言われる。
「それじゃアフターで」と答えて食堂にすわってまた横浜の人と話をする。
雑記帳に十行ほど書いて窓から移り変わる景色を見る。

ほどなく「夕食の準備ができました」との声。
セルフサービスで盆を運び「いただきまーす」
メニュー[コロッケ、白身のフライ、サラダ、味噌汁、ご飯、漬物]
普通の食事だがこれが最高にうまかった。うまかった。うまかった。うまかった。
何度でも書いても。とにかく最高の味、うまかった!
こんなに食事がうまいなんて何年ぶりだろう。
もしかしてこれまでで一番のうまさだったのではないかとも思えるほど。
みんなで、うまいね、うまいね、なんていいながら食べる。
美濃戸ルートでカモシカを見たとか、単独行でペースが早くなり足がつったとか、
昨夜台風22号が来る前に登山客があって今朝最高の天気で下山したとか……。
味噌汁はからかったけど、2杯もおかわりをして、とにかくうまかった!
お客は男性の単独行×3人、女性の単独行×1人、家族連3人だったが、この食事の間に女性の2人連れが加わって、合計9人。
多からず、少なからずというところ。
(遅れてきた女性の2人組は小屋の食事にありつけず自炊となる)

次第に暮れる外の景色にまんじりともできず、暑いココアをいそいで流し込み、再び外へカメラをしに出る。夕陽がきれい。でも寒い。
薄い雲を通して下界の街の灯りが見えたのでカメラする。
明日は晴れか?

小屋へ戻る。もうすでに寝ている人もいる。
ヘッドライトを枕元においてイヤーホンでラジオを聞きながらZzzz……。

20時ごろ目を覚ます。今日は20日、月齢も20。
月が出る前に星の写真を撮りたくてまたまた小屋を抜け出す。
ヘッドライトを点けてぬき足、さし足、しのび足。
小屋の二階からギターの音が聞こえる。
しまった、しまった。忘れ物……ごめんね。
外はかなり寒い。「おお、星が出ている」
風が当たらないところに三脚を据えてカメラを開放。
じっと待つこと数分。しだいに雲が出て来る。
薄い雲だが、星を撮るにはノー・グッド。
結局2枚しか撮れなかったが、とにかく寒い。
すこしすると東の空からか月齢20の月が姿を現した。
カメラする。そして歌うは谷山浩子の「MOON SONG」
小屋に戻りZzzz……。

1989年 9月21日(木)

布団の中で目覚める。寒い。布団はひさしぶりだったのでもう少し寝Zzzz……。 戻る home
御来光がどうだと言うので、起きる。カメラを持って外へ出る。雲が多い。
すでに朝日が差している。オレンジ色の光が登山者と山肌を染める。
寒い。風はない。カメラする。カメラする。遠くの山々が雲海の上に出ている。
「朝食ができています」と言われたけれど、風景も刻々変わっていくので選択に迷う。
数枚カメラした後、寒さと飢えで小屋の朝食の勝ち。
今朝の味噌汁はからくもなく、どちらかと言うとやや薄めであった。
「こうしてご飯を食べているのがもったいないですねえ……」
などとゼイタクな事を言いながら食べる。
メニュー[たまごやき、焼き魚、味噌汁、ご飯、味付け海苔]
朝食後、こりなく外へ出てカメラする。
小屋からデイバックを背負った人が出て来た。
昨日歯医者に行くと言っていた人だ。
まるでカモシカを見ているような気分で見送る。日帰りだって?!

最後に小屋の前で記念写真する。

赤岳頂上小屋の前でのセルフ撮影(コピーの白黒でよく見えない)

登山客で早い人はもう出発の準備をすませている。
パッキングをする。2度ほど失敗して時間をとる。
この間に登山客はおおかた出発していく。ちょっとあせる。
ラジオを聞いていたら、北海道では雪がちらついたとか……小屋の中は8度だった。
小屋の二階にある売店で物色。
おみやげ[トレーナー、バッチ]
トレーナーは今年で2枚目だそうで、小屋の人に喜ばれてしまった!
そうこうしているうちに時刻は7時15分。
靴紐をきつく結んで「お世話になりましたー」
小屋の外ではまだ写真を撮っている人もいた。
空はちょっと晴れてきている。天気はまずまず。
さて、きょうは大泉までなのだが、下山口はどこだろう……。
阿弥陀岳がこっちで、権現岳がこっちだから……。
「ひぇー、ス・ン・ゴ・イ・ト・コ・ロ」

7:30 赤岳と権現岳の間にあるキレットを行く。
キレット:稜線上でV字形に深く急峻に切れ込んでいる所をいう。
目指すは権現岳、2718メートル、南へGO & DOWN。
岩肌に書かれた◯印、×印、矢印を頼りに鎖を握りつつ急が斜面を降りる。
風が強くなった。汗が急に冷えて寒い。しかし風が吹かなければ吹かないで寒い。
と、阿弥陀岳が眼前に……? もしかして道が違うのでは……?
コンパスを取り出してみると西に降りているではないか!
どこで道を間違えたのだろう、一本道のはずだが……。
いっそのこと阿弥陀岳の方に降りようかとも考えたけど、初心貫徹で再び急な斜面を登り、権現岳へのルートを捜すことにする。
しばらく登ると小さな標識があった。[阿弥陀岳こちら、権現岳あちら]
そうか、ここで間違ったのかーなどと感心しながら、権現岳を目指す。
しかしス・ン・ゴ・イ・ト・コ・ロ。ききしに勝るところだわいと思いつつ降りる。
途中何度かカメラを取り出してと思ったけど、ちょっとカメラする気になれなくて、コダックのパノラマカメラを取り出して一枚だけ撮る。
清里へ降りる道を左に見て、地図のとおりだわいと思いつつ、安心して降りる。
足どりはわりとしっかりしているけど、バランスをちょっと崩すとあわやという場面も何度かあった。

遥か下に青い屋根の小屋が見える。おそらくあれがキレット小屋だろう。
天気はまあまあ、時折ガスが出るけど赤岳も阿弥陀岳もクッキリと見えている。
余裕がでたのでカメラする。


高山植物をカメラする。
降りる、降りる。ガレ場、登る、降りる、降りる。
森林限界に入ったのか、これまでの堅い景色が柔らかく変わる。
誰かの残した靴後が新しい。鳥の鳴き声が聞こえる。高原を蝶が飛ぶ。

9:27 キレット小屋着。休憩、小屋は閉鎖中である。
ザックを降ろすと、からだがフワーと空中に浮くくらいに感じるのが不思議。
ここは水場があるらしく、興味半部でカップ片手にルンルン気分で小屋を降りる。
サワサワと音が聞こえる方に降りる。ありました、水場。
感動しつつ、カップで2杯、3杯飲む。
小屋に戻ってミカンとチョコバーと梅干を食べる。
カメラする。セーターを脱ぐ。
せっかく持ってきたハンディトランシーバーでワッチする。感度はいい。

9:55 出発。
丸太で作った足場があった。下はとんでもない崖である。
ここが危険とか地図に書いてあったとこだな、なんて思っていたら、バランスを失って、倒れそうになる。あぶない、あぶない。

稜線を降りる、登る、降りる、ガスが出る、消える、出る、消える。
雷カムカム! ワタシ雷公アルヨ、ダイジョウブネ!
鎖場が続く。長いはしごに挑戦。
「下を見るな!」という注意書きが途中にある。
見るなと言われると見たくなるもの、思わず股越しに下を見た。
スバラシイ光景! はしごは全部で61段。

11:35 権現岳
天気は曇りがち。景色は殆ど見えない。
権現岳で何か食べようと思っていたが、残念ながら権現岳は赤岳頂上山荘のように整った小屋ではなく、ポカリとかが置いてあるだけだった。
そして誰もいなかった。遥か下に青年小屋が見える。編笠山がうっすらと見える。
しかたなく権現岳頂上へ登ることにする。下から一人の登山者が登ってきた。
そしてあとから女性の登山者が登ってきた。権現岳の上だけに青空が広がっている。景色はいまいち。ラジオを聞く。

尾根を歩く、歩く、楽ちん。平坦な所はなんて楽なのだろう。

12:40 三ツ頭 再び休憩。
頭の中にあるのは「大泉に何時に着くか?」ということ。
少なくとも最終の列車にあわないと、タクシー利用となる……。
大泉駅を15:27の列車、これはちょっと無理。
大泉駅は17:04の列車、こらならなんとか間に合う。

12:56 元気に出発。

13:26 前三ツ頭 休憩なしで歩く。高山植物をカメラする。
きれいな薄紫の花が咲いていた。マツムシソウである。
場所がはっきりしないが、このマツムシソウを見たあと、ザレ場を歩いていると、何かの音がする。ビリビリビビビビ。風はそう強いわけでもないけど……。
音のする方をみるとトンボのからだ半分が、砂に埋まっていた。
たぶん台風22号でこうなったのだろう。
このままではかわいそうなので、まわりの砂を注意しながら掘った。
トンボのからだはペシャンコになっていたがわりと元気で、近くの草にとまらせた。
と、見ている前で風に流されながらも元気に飛んで行くではないか!
拍手でぼくは見送った。
もしかして今回の旅の目的はこれだったのではないかと考えながら歩く。
トンボがたくさん舞っている。秋はちかい。

樹林帯に入る。急な斜面。野辺山からのルートよりこちらの方が急のようだ。
[BGM:谷山浩子、ビリー・ジョエル/FM富士]
休憩をはさんで歩く、歩く。雨は降りそうもないが天気はよくない。
天ノ河原近くで女性の登山者と出会う。
列車の時間が押していたが、それほど時間も取らないようなので寄り道をする。
15:47 天女山 見晴らしはよくない。落書きがひどい。

16:09 八ヶ岳横断道路に出る。
右に左に別荘とかペンションを見ながら舗装路を歩く。
ソフトクリームを食べたくて店に寄るが店の人がいないのであきらめる。
しばらくいくと自動販売機があったので、お金をいれる。
もっていた300円を全部いれたところで、ボタンを押したがアイスクリームは出てこなくて、苦情の連絡先も書いてなかった。頭にきたので、けとばしてやった。金かえせ。

16:45 大泉駅に着く。カメラする。
駅前のお店でドリンクとおみやげを買う。[リンゴ、ジャム]
駅で切符を買う。
桜:ノベオカ、一枚。
(おばちゃんがしきりに何か調べはじめる)
桜:あのーここから二つ三つ先の駅ですが。
お:ああ、のべおかじゃなくて野辺山ね。
桜:あ、そう「山」でした。すみません。
お:延岡は新潟のどこかだったよねえ。
桜:……。(宮崎です)

そんなこんなで改札口を出て、線路を渡っていると列車がやってくるのが見えた。
すいてはいるが、混んでもいない。学生が多い。先頭車両の左側に座る。
17:04 列車は大泉を後にした。八ヶ岳は雲に覆われて見えない。
列車に揺られながら、足を伸ばしたり曲げたりして疲れを取る。
この列車のドアは開けるときは人力となっている。
野辺山に17:26

野辺山駅の駐車場を出て、一路北へ。
途中八ヶ岳高原の野菜を買うために道沿いの即売店による。
キャベツ、レタスを買う。おまけで白菜を貰う。おばちゃん、ありがとう!
あたりはしだいに暗くなる。

国道141号線沿いでガソリンを入れる。26L 128円/Lとはやはり高い。
八千穂から左に折れて国道299号線に入る。暮れ出した山道をクネクネ走る。
標高2127メートル、国道最高地点を過ぎる。
信じられますか? 標高2000メートルを車で走るなんて……目指すは奥蓼科温泉郷。
渋川温泉に行きかけたけど、地図を見誤り国道299号線をさらに下る。
着いたところが、蓼科グリーンバレー[城戸ホール](温泉センターです)
着替えを用意して中へ入る。時刻は19時45分
と・こ・ろ・が「20時までです」とのことで、あわてて入る。
入銭料をいくらかまけてもらう。
ガイドには22時までと記してあったが、これは夏場だけだということ。
5分で頭からぜんぶ洗い流し、2分でハーブ湯に入り、2分で炭酸湯に入り、2分でサウナして、2分で露天風呂して、1分で炭酸湯して、1分でハーブ湯する。
そして、2分で、着替える。
時間がなかったのが残念だったけど、一人で広い温泉につかることができて最高!
いいお湯だった。

どこかのハーブ園がヘッドライトに照らされ後ろに飛ぶ。そばの花も飛ぶ。
車は茅野に降りる。途中「CHINON」の工場を左に見る。
「ああ、チノンというのは[茅野]から取ったのだなあ」と感心しつつ茅野へ。
茅野駅を左に折れて右に折れ、踏み切りを越えたところのそば屋さんに入る。
20:30 確か[更級]という店だったように覚えている。
「天ぷらそば」を注文。閉店が21:00ということでギリギリセーフ。
で、この「天ぷらそば」これがまたうまかった。そばも汁も海老も最高!
うまかったよー!
食中食後、店内を散歩するプードルとちょっとだけ遊んで店をでる。
20:50 満腹ではないけど満足して諏訪インターを目指す。
あと1日あったら清里のバードハウスでゆっくり買い物をしたのだが……。

案:清里に引き返し、得意の車中泊をして朝を迎える。
  10時の開店を待って、バタバタと買い物をして、アタフタと大阪へ……。
没:10時半に清里を出たとして不慣れな大阪で18時出航の船に乗れるか?
  否。
  かといって船に乗れない場合陸路を走る余力があるか?
  否。
  船は始めからあきらめてゆっくり買い物をして陸路をちんたら帰るか?
  否。

諏訪インターが見える……高速に乗る。やっぱ陸路はきつい。
諏訪湖SAでお土産を買う。[野沢菜、ジャム]

ハンディートランシーバーでワッチする。
塩刈峠くん楽しい話、おもしろかったよ。

寝るZzzz……起きる、走る……寝るZzzz……起きる、走る……トンネル……JCT……寝るZzzz……起きる、走る。
[BGM:岡村孝子]

1989年 9月22日(金)

右に大阪万博の[太陽の塔]を見ながら、渋滞の尼崎を避けて豊中インターから12:00に大阪入り。 戻る home
阪神高速道路には乗らないつもりが、あっと言う間に乗ってしまって、500円をはらう羽目になってしまう。うーくやしい!
大阪見物は梅田地下街を彷徨うことに決める。
で車を大阪駅に向けるべく努力をする。地図とコンパスと双眼鏡が役にたつ。

駅近くの立体駐車場に車を止め、大阪市中心部詳細図とコンパスをもって、未知の大阪の街を歩いた。
地下街に入る。コンパスで方向はわかるのだが、やはり道に迷う。
時間はあるのでほうぼう歩き回る。
各都道府県ごとにちいさなお土産屋がズラリと並んでいる。
お土産を買い忘れた人が利用するのだろうか……さすがは大阪!
ちいさな路地?(地下ですよ)に入ると一杯飲屋があったりして大阪やなーと感にいりつつ、歩く。剥き出しの配管とか重要なケーブル(だと思う)が、いくら工事中とはいえ雑然とさらされている光景に大阪らしさを感じる……。

おなかもすいたので大丸百貨店に入る。
すいていたにもかかわらず、CD&LDの階に寄る。
その後、十何階にある中華料理の店で昼食をとる。
窓際の席があいていたのが理由のひとつ。金曜の昼下がりにしては人が多い。
注文をした後、料理がくるまで地図とコンパスをつかって、大阪の街で遊ぶ。
地図が窓からの眺めと同じなので、正確なので驚く!

と、ここで窓に雨粒がひとつぶ、ふたつぶ……そしてとうとう本降りになる。
見えていた大阪城も見えなくなり、すぐそばの丸いビルに流れる文字も見えなくなるほどの雨になった。
傘をもってこなかったので、どうしよう……まあやむだろう、などと思いながらその中華料理店をでる。
その後、文房具の階を一回りして、本の階を彷徨う。
おみやげ[名前のない人 オールズバーグ 河出書房 1,550円、ロードショー11月号 660円]
時間も押してきたのでそろそろ梅田地下街を脱出することにする。
ところが、うまく出口がみつからずに、場違いな超高級ホテルのロビーなどを横切ったりして、しだいにあせりだす。しかたがないので地上に出てあたりをつけて歩き出す。幸いに雨は小降りとなる。
ようやくのことで記憶にある道やビルや看板をみつけて先の駐車場へとたどり着く。
さて、これからが正念場! 大阪市全図に港への道をマーカーする。
前回のようなドジはできない、のこるは2時間。

車は大阪駅を背にして一路、南へ向かった。御堂筋は車で一杯である。
にもかかわらず車は進んだ。ここが不思議なところ。
堂島川の大江橋を確認、同定。渋滞、渋滞、うー右の車線に入りたい……でもそこはそれ、県外ナンバーの強みで手を上げるとうまく割り込めた。

車は南へ南へどんどん走る。心斎橋とか難波とかいかにも大阪らしい地名を見ながら、玉出というところを右に折れて、西に走る。
このあたりから次第に車の通行量は減る。
[BGM:アラン・パーソンズ・プロジェクト]
港の景色が目に入るようになる。かもめ大橋を渡ってかもめ埠頭へ。
予定どおり17時にフェリー乗り場に着く。地図とコンパスの勝利である。
走行距離は1,425キロメートルとなった。(意外と走っていない)

乗船手続きをすませる。帰りはサンフラワー5という奴で、ちょっとボロいところが泣かせた。
ルームナンバーは[301-29]高級雑魚寝仕様、衛生放送TV付き!
今回も船内をあらかじめうろついてみる。
恨みのアイスクリームを食べながら相撲を鑑賞……風呂に入ることにする。
湯船につかっていた。ここは船底にあるのでエンジンの音が聞こえる。
ちょっとした揺れを感じた。と、お湯が慣性の法則に逆らえずザッパと動いた。
出航である。

サッパリしたあと今回の旅行の行程を忘れないうちにメモした。
ほどなく食事タイムとなり、もうなじみとなったサンフラワーの食堂にスリッパは向かった。
と、ここで入場ストップ。ちょっと待てと言うのである。
お得意の長距離トラックの運転手優先だそうで、Bakayaro-!
今回は安く済ませようと思っていたが、やはりそこは船の食事。
やはり高いと思わざるをえなかった。(焼魚定食風=1,300円)

ゆっくりしているとトロピカルショーなるチケットを売りにきたので、買う。
船内をぶらぶらして時間をつぶす……。
やがて、アナウンスがあり、先ほどの食堂へ行く。
ジュースを片手に椅子に腰を下ろす。
客はわりと多いようでショーはにぎにぎしく始められた。
フィリピン舞踊が約1時間ちかくおこなわれ、情熱的にトロピカルショーはワンパターン的に繰り広げられた。
でも、楽しかった。ショーが終わるとZzzz……。

1989年 9月23日(土)

夜明けまえ、目が覚める。船内のゲーム場を彷徨う。 戻る home
3画面を使ったレーシングをやったけど面白くなく、リタイア。
やることもなく、信州の夢を見ながらまたまたZzzz……。
朝である。甲板に出てみる。
天気は上々だが、カメラを構えるほどの景色ではなく、船内に戻る。
朝食である。今朝は970円で納める。船は宮崎の沖を航行中であった。

志布志湾に船が入るとまた甲板に出て景色を楽しんだ。
ビロウ島を右に見て船はゆっくりと湾に入る。
いつもは岸壁からサンフラワーの入港をみるのだが、今回は視点が逆である。そして船はより速度を落として旋回をする。
車に乗り、志布志の町へと車をころがす。
いつもの給油所でガソリンを満タンにして、洗車をする。27L × 115円
やはり志布志は安い。

Kマンションの3階に足を運ぶ。手には一杯のお土産。
ドアの鍵を開けるつもりが閉めてしまって……再び開ける。
つ ま り ド ア は 開 い て い た の で あ る !
ドロボーさんは来なかったようだけど、あきれるねー。
植物はわりと元気で、スズムシも生きていた。
しかし、よく遊んだものだわい!
さて、来年は何処にいくか? 何をみつけるか? みなさん旅行しましょう。

おわり