『奄美和歌集-万葉歌を超えて』 文 英吉著 一部紹介しています
☆奄美島歌の本領はその詩的方面よりもむしろ音楽的方面に多く存する。従ってその旋律メロディーを活字によって紹介できないのが残念である。 

島唄の価値 唄者と島唄 世紀の焔 絵かき 共に学ぶ 南風 雲は天才 奄美を撮るFoto Artist Ryo

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『奄美和歌集』

-万葉歌を超えて-

 

  「島ぶく三年、江戸三日」 ― 奄美に来れば役人は、三年で倉が
  建ち、江戸に三日おれば屋台が傾く、という意味のことわざ。

 

 仇ぬ世の中に 永らへてをれば

  朝夕血の涙、そでどしぼる

不仕合わせなこの世の中に長生きしておれば、憂きことのみ多く朝夕血の涙で袖しぼるのみで、虐げられた民の生に対する呪いの怨声である。薩摩藩治下の歌。

一六〇九年から二百六十年間、島津藩は奄美から収奪の限りをつくし、奄美人の多くを餓死させ、砂糖地獄にした。大和朝廷や琉球王国と異なって、島津は奄美を海外渡航の要衝として活用するだけでなく、米の生産を止めさせ、黒糖生産だけを強制的に行なった。それは、島津の財源として貴重なものとなった。有名な木曽川工事の時、上方商人の担保に奄美の黒糖が使われており、生産地の徳之島では三千人の餓死者を出すという徹底した収奪を行なった。
        「虚構の歴史を考える」松田 清

 

ADANU YUNUNAKA NI  NAGARAETE OREBA

ASAYUU CHINU NAMIDA  SODE DO SHIBURU

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  死にゅる身ど哀れのこる思里や

      月花ながめて浮世わたろ

 

「死にゆる身どあわれ」と、この打出しのことばの中には、限りない哀愁が籠められているように思う。糟糠の妻が報いられなく遂に世を果てた。死なれてはじめて妻への愛や同情が胸をついて湧いてくる。お前に死なれてこの世に一体何の望みがあろう。世捨人になって月や花を友として過ごして行くのみだ、というのである。死にゆる身も哀れであるが、残された思里(うみさと)もまた哀れである薩摩藩治下の歌。

 

SINYURU MI DU AWARE NOKORU UMISATO YA

CHIKI HANA NAGAMETI UKIYO WATARO

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