書評 「日本人の顔をした若いアメリカ人」ルイス・アダミック著/田原正三訳

 

書評

 

 書評者 カール・秋谷一郎(ニユーヨーク在)

 -- THE NEW YORK NICHIBEI Thursday,June7,1990

「この書は、一九三○年代にアメリカで名をなしたユーゴスラヴィア出身の作家・故ルイス・アダミックが一九三九年に著したFrom Many Landsの中に日系二世の故チャールズ・菊地がアダミックに語った自分の波乱に満ちた若き日々の物語をA YOUNG AMERICAN WITH A JAPANESE FACE 1940と題して収録したのを、田原正三訳でPMC出版社から発行されたものである。
 書評を進める前に、この書が田原正三氏の手によって訳され、出版されるに到った経緯について、簡単に触れておきたい。
 田原氏は一九八〇年、彼のまだ学生時代に東京の古本屋で、ボロボロにすり切れたThe Native’s Return と題する英文の本を見つけた。著者は、彼の聞いたことのないLouis Adamicだった。早速買って下宿に帰りその本を読んだ。それ以来彼は、このスロヴェニア出の作家にすっかり惚れんでしまった。一九八三年に彼はアメリカヘ旅立ち、アダミックの研究者として著名なヘンリー A・クリスチャン教授に会っただけでなく二ュ―ヨークでアダミックの著書を買いあさった。その中にFrom Many Landsも手に入れた。そして中に収録されている或る若き二世の物語を読み、感動を覚え、これの翻訳を思いたったのである。
 この物語は「ぼくはアメリカ人だ。ぼくのこの国の人生は、サンフランシスコ湾のここ、エンジェル島ではじまる。もちろんそれ以前、ぼくの両親は、一八九〇年から一九二四年のあいだの東洋系移民がもっとも大量に流れ込んできた時期にこの国に到着した。」という書き出しで、自分の人生を語り始める。
 物語の初めの部分は、父との確執によって耐え切れない虐待を受け、「ぼくは父の子でなく、たんに母の子にすぎない」と嘆き、七才の時、孤児院に入れられる。そこでは、東洋人の顔をした者は彼一人で、両親別居家庭や貧困家庭の子どもや非行少年、継子、孤児、私生児といった二百名位の子供と九年問過ごす。
 その後、彼は家庭に帰らず、近くの高校に入る。千人位の学生の中には、数人の中国系アメリカ人と二人のインド人がいたが、日系アメリカ人は彼一人だけだった。家庭からの送金も少なくなって、農場で働いて生活費を稼いだ。十八才で高校を卒業した。彼は働き続けて、大学に進みたいとサンフランシスコに出た。ここで、散髪屋に入った彼は「ジャップの髪は刈らんのだ。わかるか、ここはアメリカ人の店だ」と人種差別の冷水をあびせかけられる。「ぼくはジャップじゃなくアメリカ人だ」と云ったが、髪は刈ってもらえずそこを立ち去った。来る日も来る日も、一日中街をさまよったが、仕事にありつけなかった。
 一九三五年に大学に入学した。それは、日本人の桂庵(職業斡旋所)を通じて高級住宅に住む理解ある夫婦に雇われたハウスポーイの仕事のおかげだった。大学に入って最初に気づいたことは、「日本人」と「中国人」の生徒が、図書館の特別に設けられた個人用のテーブルの仕切りの中で勉強していることだった。大学在学中、彼は日本と日本の歴史や文化についての本を読み始めた。それは、日本人の顔をした自分の父母について理解を持ちたいからだった。在学中時々、父母のもとに帰ってみたが、もうそこは自分のホームではなく、サンフランシスコに帰ってしまうのだった。
 大学を出ると、彼は、その時、彼と同じ父との確執から家出していた弟の住む南部に行って弟と一緒に過ごした。そして第二世代について長い時間議論した。彼はまだ二十二才だった。
 サンフランシスコに帰ると、初め二日間に五○枚の願書を書き、出願先の会社を訪問した。しかし一通の返事もなかった。彼は最後にアメリカ軍隊に志願しようと思い、アメリカ人であることを証明するところは陸海軍あるいは海兵隊以外にないと考えた。だが、陸軍、海軍の募集課では「東洋人は炊事係の特別募集のある時だけ認められている」とにべなく断わられた。彼は馬鹿馬鹿しくなってすぐさまその課を出た。彼は突然自分の体内に日本人の血の流れていることに気づいた。この物語は此処で終っている。
 アダミックの作品のほとんどは一九三〇年代に書かれたものであるが、彼は世界恐慌、アメリカの不況、貧困、戦争への不安・危惧の中にあって、アメリカに住む多種多様の人種と、少数民族の問題をどう捉え、その将来をどう予測するかを真剣に考え、それがどの作品にも鋭く反映していた。在米日系人は戦前排日、人種偏見に苦しめられ、日米開戦となっては、アメリカ市民権を持つ二世を含めた西海岸諸州の全日系人が強制収容所に投げこまれ、その中で合衆国に忠誠を示す米軍兵士としての活躍などがあった歴史を顧みる時、アダミックの洞察した「アメリカの素晴らしい潜在力、多様性による統一」の概念が、はっきりそこに浮きぼりにされていると思う。
 因みに、この物語の「ぼく」事、チャールズ・菊地は、戦後収容所を出て当二ューヨークに移り住み、引退するまでソーシャル・ウォーカーとして勤務、八八年九月に癌がもとで死去した。一九一六年生まれの七十二才だった。
 一読をおすすめしたい。」 

-- THE NEW YORK NICHIBEI Thursday,June7,1990

*カール・秋谷一郎(ニューヨーク在)
 歴史の激動を生きた日系米人。公民権運動家。マーティン・ルーサーキング賞受賞者

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