カンボジアからこんにちは

森川泰夫

プノンペンの朝は早い。パン・・・パンパンパンパン、朝日が昇る前から大きな音で目が覚める。我が家の裏を流れるバサック川を行くエンジンボートの音だ。寝室のカーテンを少し開けて外を見ると、朝焼けを映した静かな川面にエンジンボートが水紋を描きながらゆっくりと進んでいくのが見える。私の勤務時間は朝7時半からだ。子供たちの幼稚園も同じく7時半から始まる。NHK の衛星放送で6時のニュースと連続テレビ小説「まんてん」を見ながら朝食をとり、シャワーを浴びて身繕いをして、子供たちを急かしながら家を出る。家の前のノロドム通りはもうたくさんのバイクや車が列を作っている。最初に子供たちを幼稚園に預け、さらにトンレサップ川沿いを北に15分ほど走ると職場だ。こんな朝のリズムがこの頃定着した。

ところで連続テレビ小説「まんてん」で屋久島の十五夜綱引きの様子がドラマの中で再現されていた。十五夜綱引きといえば指宿でも各公民館単位で秋に十五夜相撲とともに行われる。昨年宮ノ前の公民館で行われた綱引きの様子を思い出しながらみていた。カンボジアで有名なアンコールワットにも綱引きの彫像がある。いわゆる「乳海撹拌」をモチーフにしたものである。神々と阿修羅がナーガという蛇を引っ張り合い、世界を回転させている様子を表しているらしい。南九州地方で行われる十五夜綱引きでもその綱を豊作をもたらす神の化身、竜だとする解釈もあるように聞いたことがある。何か関係があるのだろうか?

そういえば、プノンペンの公園でアコウの大木の根本に祠やら仏像やらが祀られているのを見かける。幹周り15メートルはあろうかと思われるアコウの株別れしたその間にきらびやかな仏像が祀られているのもあった。指宿の「縄文の森をつくろう会」で池田地区の樹木調査をした際、巨木の根本に仏像や祠が祀られていたのを想い出した。カンボジアと日本、いや南九州のルーツはかなり近いところにあるのかもしれない。

                              12月21日


   

 それは真夏のとても暑い日のことでした。私はあなたと海に行きました。そんなに泳ぐことが得意ではなかったのですが、あなたがどうしても行きたいというので一緒に行くことになりました。空を見上げると、夏特有の大きな入道雲がもくもくとしていました。あなたは、まるで空の色をわけてもらったかのようなコバルトな海で子供のようにはしゃいでいました。
 私が海に入らなかったので、あなたなりに気を遣ったのでしょう。あなたは海から手を振って「おおい。おまえもこいよ」と叫びました。
 そのとき、私はあなたのその無頓着な明るさに淡い嫉妬心を抱いてしまいました。
 なによ。自分だけ楽しそうにして。
 そう思った私は、海から上がってきたあなたに言いました。
「私、海には入りたくないわ。ねぇ、今から滝に行かない。滝なら私も泳ぐわ」
「あの滝は遊泳禁止になっただろう。たしか死者がでたとか・・・」
「いいじゃない。大丈夫よ。私、海は好きじゃないの。どうしても滝に行きたいの」
 私たちは滝に行くことになりました。その滝には、海のようながやがやとした騒がしさは微塵もありません。私は滝のそばの岩場に腰掛け、両足を水に忍ばせ、急流のひやりとした心地よい感覚を楽しんでいました。ちょうどそのとき、私は何を思ったのでしょう。ふと立ち上がりたくなって、岩場から腰をあげてしまったのです。急流が足を容赦なく直撃して、私はバランスを崩してしまいました。川底で踏ん張ろうとしたのですが、藻にすべり、転倒して川に流されてしまいました。
 川の流れは、尋常な速さではありません。私は必死になって手足をじたばたさせ、あなたに助けを求めました。そばの岩場で滝を見ていたあなたは私を見て、一目散に川に飛び込み、私の体を掴みました。しかし、時はすでに遅かったのです。第二滝が大きな口を開けて、私たちが落ちてくるのを今か今かと待っていました。あなたはそれを見て、大きな声で叫びました。
「愛しているぞ。おまえだけでも生きるんだ」
 あなたは私の体を川の中ほどに突出した岩に持ち上げて、そのまま第二滝に流されていきました。
 それから数時間が経過して、滝の見学に来ていた若いカップルが私を発見してくれました。警察の方々が何日もかけて周辺の川を捜索したのですが、あなたは見つかりませんでした。私があのとき滝に行こうとさえ言わなければ、こんなことにはなりませんでした。愛とはなんて残酷なものなのでしょう。私は何十年もあなたを想って生きてきました。あのまま一緒に流れていれば、こんなに苦しまなくてもよかったでしょうに。あのとき、あなたがあんなことさえ言わなければ、私だって他に好きな人ができたでしょうに。目をつぶれば、還暦を迎えた今でも思いだします。「愛しているぞ。おまえだけでも生きるんだ」と叫んだあなたの姿を。


蓮太郎

 朝と夜…。
 最近、飲みに行くことが多くなった。息子よりも若い女性がいる店に『愛があれば年の差なんて』と、うそぶいて通っている。
程よく飲み、程よく歌い、程よくくどく。これが結構楽しい。家に帰ってからも、夢を膨らまして眠りにつくわけである。
 夜っていいなあと思っていた。
が、ちょっと気になることを考えたりすると、落ち込んだりして眠りにつくのが遅くなる。これがしばらく続いたりすると……。
さらには風邪を引いたり、飲み過ぎで吐いたりしたら……。
 夜が恐くなってきた。
 ずっと(30年位)朝が苦手だった。勤めるようになって、7時に起きるようになり、最近は朝風呂で東郷温泉に行くようになった。いつも追われているようで、余裕はないが気分はいい。
 朝が好きになってきた。
恐くても、今日も夜は来るんだ。早く寝るか、考えないようにするしかないのかな?
 小さい頃、お袋が『目がつぶれた』と言って、早く寝てたのを思い出した。お袋は悟っていたのかもしれない。 


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歯笛

 第22回いぶすき菜の花マラソン

  8時間以降見聞記


 何年振りだろう、こんなに晴れ上がったのは。1月12日朝9:00 気温11.5度無風。13000余名が元気よくスタートした。

 「菜の花咲かせ隊」は例年のようにケナフを育て、今年は21枚の完走証を作ることができた。制限時間8時間以降に帰ってくるランナーの内、最後尾から21名に手渡すことになっている。

 天候はずっと快晴。2時間20分台でトップのランナーが帰ってきた。スタートしてから8時間が経った。ゴールまで4キロほどの税務署前に来てみた。ぞろぞろとまだたくさんの人が、歩道をゴールへ向かい歩いている。ここで走っている人はほとんどいない。

「がんばらんね、もう少しやから」母親らしい人が、歩道で足を引きずっている青年に声をかけている。ゴールの陸上競技場へ向かって行くと、すでに完走した人々が引き上げる何台もの車とすれ違う。

 ゴール地点のテントに入ると、「菜の花咲かせ隊」のメンバーが炭をおこしていた。

今日は豚汁、しるこ、おでん、焼酎、コーヒーなど用意してある。記録係の方々は、最後の一人までゴール時間を記した正式な完走証を渡そうと張り切っている。午後6:00、9時間以降も次から次にゴールしてくる。あと300人ほどいるらしい。外はすでに暗くなりテントのところだけが明るい。疲れきってゴールする人々を、家族や会社の仲間たちが迎えている。

「こっちであったまっていってください」「あったかい豚汁やしるこがありますよ」「焼酎もどうです」 テント前でしゃがみこむ人もいるが、火の近くにきた人々に安堵と喜びの表情が見える。

「私は熊本から来たんですが、こんなことしている人たちがいるのを知っただけでも来たかいがありました」焼酎を一杯飲んで上機嫌の60台の男性は、4時間台で帰ってきたらしい。最後尾のランナーを一緒に迎えたいと帰ろうとしない。仲間が最後尾のランナーを確認に出て行く。テントの中はすでに30人ほどの人で埋め尽くされている。時々万歳、万歳と歓声があがる。

「今タイヤショップの前、あと1時間はかかるよ」「今確認したら、ちょうど21人だよ。もう渡し始めて」 ケナフの完走証を渡し始めたのは10時間以上経ってからだった。もらった人々は感慨深げに完走証を眺めている。暗くなったグランドにポツリポツリと完走者が帰ってくる。その度に我々の仲間が駆け寄って名前を聞く。ゴールではその人の名前を呼びながら皆拍手で迎える。ついに最後尾の女性3人組が帰ってきた。3人一緒にゴール。11時間12分17秒。「あなたは残念ながら制限時間を超えましたが、自分の心と身体にむち打ち、今ここに無事完走されたことを心からお喜び申し上げます。来年もぜひご参加下さい」 3人は完走証を手に余裕のVサインを見せてくれた。

 今年も多くの人々に支えられて菜の花マラソンが無事終わった。その最後の一人まで見届けて我々の一年が始まった。今年も実り多い愉快な年になりますように


  


の幸ちゃん

「’03新春じじい放談」
 陽春、明けまして お芽出たく そうろう。皆様方、良いお正月を迎えられましたか。
 私的には、雨の多い昨年でしたし、会社の人間が二人退社し、余り良い事のない一年でした。年末は天気良ければ、天草方面にでもと考えていたが寒くて断念。忘年会の夜は代行車が見つからず、歩いてそのまま車中泊で風邪引いてしまい最悪の年末。大そうじもやりかけたけど、会社のそうじで疲れたのか、肩・首が痛く、殆ど寝ていた。「人生最終五年計画」それでも何とか、こんな計画を立案した。今の会社も五年後が停年とか。庭や家周囲を片つけ、カウチポテト族(TVを見ながらポテトチップを食べる)的な生活を改め、何とか土/日も体を動かす様に。又、昨年以上に旅やドライブも出かけようと。何もかも見納め的な人生になって来た。「プレハブ住宅パート2」室内の物を動かせない程、ピシャとしている為、大そうじがしにくく、今年もう一軒、建てようかと。そうじしつつ、別棟に入れ替え、大そうじが終わってから、もう一軒は倉庫に使おうかと…。はたして、実現しますか、どうやら。●「浮来亭」100号記念(今春四月号)特別寄稿「想い出の街角」東京・荒川区町屋に住んでいた事を先月号で書いた。買い物は京成電鉄で上野、山の手線で銀座まで購入に行った。(食堂で労務者風の人々が飲んでいたハイボールは、ウィスキーの炭酸割りです。安くて早く酔えるらしいです)
 町屋〜うぐいす谷〜浅草へと、都営バスで遊びに行き、その事を歌った自作曲も作ったモノでした。2年居た寮を出て、会社も退め、「お年寄りの原宿」と云われる豊島区巣鴨へ引越した。カセットテープ制作のバイトをしつつ、半年内で自作のレコードを作った。初のアパート生活で冷蔵庫等、電気製品も購入し始めた頃。通りに老人が多いので、大通りへ回って、駅まで歩いた。沢田研二の「ニ〜ナ」が流行っていた。買物はもっぱら、池袋・新宿方面へ。広告代理店へ勤務し、都内のアチコチの会社へ広告取りに歩いた。休みの日は、沿線の映画館へ再映物を2本〜5本、まとめて見に行き、新宿〜渋谷辺りで、食事。
 デザイン学校へ通いたく、又、バイト生活を始める。昼の仕事が終わり、夜学へ。25時頃から深夜バイトへ。ディスコが流行し、女性との恋も結ばれ、同じ巣鴨駅近くのハイツへと引越した。(以下次号)●「忘年会の後で」風邪を引き、12月下旬から急に食欲も無く、お腹もこわし……。元旦に宝くじの当選番号を知ろうと新聞購入でコンビニへ走る。初陽の出もうでの帰りか、車や人が多い。元旦早朝から草刈している人には、目が点になってしまった。家に廻り、おぞう煮を作った。今年は少しでも良い年になるのかナ?指宿の人々も良い年になります様に……祈念。


■12月27日、浮来亭の望年会をMr・ジェームスでやりました。20名の出席で、大変賑やかな会でした。浮来亭の唄が4月から「はいからさん」のTVコマーシャルソングとして流れるそうです。大変楽しみですし、皆さんも聴いて感想を聞かせてください。
■12日の菜の花マラソンでは、菜の花咲かせ隊が例年の「ケナフの残念完走証」で接待しました。
■縄文の森をつくろう会をNPO(特定非営利活動団体)にするための資料集めがスタートしました。NPOの事を知っている方は、ぜひ協力して下さい。
■2月の浮来亭の時に黒川さんのなまずが食べられるかもしれません。どんな味がするのか、興味心身です。
■「浮来亭の会員になるにはどうするのか?」と聞かれる方がいますが、どううもないです。ただ、金曜日に千円持って飲みに来るだけです。



カンボジアの森川さんからメールが届きました。タッチの差で96号には掲載できませんでした。すみません。
でも、本当にびっくりやら、ありがたいやらです。
近くも遠くもないですね。


ホームページを見られた方へ
浮来亭に原稿を下さい

rentarou@po.synapse.ne.jp


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