皓以兆

「学ぶ、教えられる、楽しみ」


 この間の指宿校区の巨木調査で、同行してくれた市職員Mさんに案内していただいて、この地区にもこんなにたくさん大きな木があり、また大事にされていることが良くわかりました。
「縄文の森をつくろう会」に参加しなかったら、こういう経験も出来ません。普段行くこともないところに大きな木があります。地区以外の者としては、こういう機会に行かないと、多分見ることも出来ない木々ばかりだった。
あらためてこういう機会を作ってくれた「縄文の森を作ろう会」に改めて感謝したい。
Mさんが連れて行ってくれた、永嶺の「きんめいしほうちく」にはびっくりした。四角い竹に斑がはいっている竹です。永嶺の永嶺さんの竹山に生えていた竹が突然変異で斑がはいったらしい。竹学会でも認められ、新しい品種として、登録されたそうです。指宿にこんなすごい竹があるなんて、初めて知りました。いい経験になりました。
後日、その竹を買いに行ってきました。昔はすごい値段で、買えなかったそうです。でも今はリーズナブルな値段で、手が届きました。庭において楽しんでいます。

さて、市民会館で開かれた「中国琵琶、馬頭琴のコンサート」に行きました。
これを知ったのも、浮来亭に遊びにきたY君です。彼がコンサートのことを話してくれなかったら、すばらしい音色に出会うこともなかった。入場券を友達に買ってもらいましたが、コンサートの後「すばらしかったね。感動した。」とか言われて、誘ってよかったなと思いました。コンサートを紹介してくれたY君感動をくれてありがとう。いろんな人から、いろいろなことを教えられたりして、とても有難いなと思っています。

来年は「綿の木を植えて、綿を編んで、染付けをしてみたい」というアイデアがでています。
又、どんな感動があるのだろうと思うと、今からとても楽しみです。

湯の里には「なまずを育てているKさん」。温泉をひいて温度を高めにして、指宿でも育つよう工夫して育てているそうです。Kさんからもらったなまずを今村さんがはじめて食べたそうです。
いい味ていっていましたが、どんな味がするのだろう?

浮来亭の忘年会には、Sさんのミニコンサートがあります。「菜の花マラソンとテーマ曲」の作詞作曲をした人です。テレビで耳にしたことがあると思います。浮来亭の曲をアレンジした曲が焼酎メーカーに採用されて、オンエアーされるそうです。一緒に歌って、今年を締めくくろう。

来年はどんな楽しみがあるのかなー。


嫉妬

 家に帰ってみると、見慣れない携帯電話がテーブルに置いてあった。修一はそれを拾って、不思議そうな顔でその携帯電話を眺めていた。すると携帯電話が突然、けたたましく鳴りだした。修一は持ち主が電話をかけてきたのだと思い、電話の通話ボタンを押した。
「もしもし・・・」
「もしもし、修一か。俺は怪しい者ではない。だから電話を切るな。そして今から俺の言うことをメモにとれ。いいな」
 声は耳をすまさなければ聞きとれないほど小さく、おどろおどろした不気味な暗さのある変な声だった。修一は怖くなって電話を切ろうとしたが、不意にもらした電話の声主の言葉を聞いて思いとどまった。
「もう一度、言ってくれ。なぜ、それを知っている」
「知っているさ。俺はおまえだからだ。信じられないかもしれないが、俺は未来の修一だ。だからおまえの素性は他の誰よりも知っているし、明日、おまえが何をしようとしているかもわかっている。明日、お前は競馬場で馬券を買おうと思っている。そうだろう?」
 たしかに修一は競馬場に行こうと思っていた。声の主は本当に小さな声で話を続けた。
「いいか、俺の言うとおりの馬券を買え・・・・」
 次の日、修一は言われたとおりの馬券を買った。結果は万馬券で大当たりだった。それからというもの、修一はその電話の通りに行動するようになった。ありとあらゆる賭け事をやり、全部を当てた。
 数年が過ぎて、修一は賭け事でもうけたお金で御殿をたてるほどになっていた。この世のすべてのものはお金が解決できると思っていたし、お金と未来からかかってくる携帯電話以外のものを一切信用しなくなっていた。
 そんなある日、修一は携帯電話の指示どおりカジノに出かけた。修一は携帯電話を傍におき、賭け事をするたびに携帯電話の指示を仰いだ。当然、連戦連勝だった。あまりの勝ちっぷりに怪しいと睨んだカジノの経営者は、修一が目を離したすきにその携帯電話をとりあげた。
「この携帯電話で不正な行為をしているんだろう」
「そんなことはない」修一は気勢を張った。「その携帯電話の声の主に聞いてみろ」
 修一の言うとおり、その経営者は携帯電話の声主つまり未来の修一に問いかけた。
「おい、どこのどいつか知らないが、こいつに変な指示を出しているのはおまえか」
「ああ、俺だ。いいか。よく聞け。そこの男が不正をしている・・・」
 修一は絶句した。まさか未来の自分にだまされるとは思ってもいなかったからだ。修一は弁解の余地なく警察に捕まってしまった。
 修一は牢屋の中で何十年も過ごすことになった。暗く悶々とした日々が続いた。すっかりと老人になった修一は、お金で何でもできた過去の若い自分に嫉妬にも似た憎しみを抱いていた。あの頃の自分はいい生活ができた。だが今の自分は最悪だ。なぜ、俺ばっかりがこんなに苦しい思いをしなくてはならない。こんなのは不公平だ。過去の自分にも未来の自分と同じような苦しさを味わせたいと単純にそう思った。
 そんなある日、法律の構造改革が始まった。それはある有名な政治家が「犯罪の根本を正すには、犯罪の動機となった過去の自分を説得することだ」と演説したことがきっかけだった。タイムトラベルが全盛の時代だから、携帯電話を過去に贈ることなんかわけない。未来の苦しさを過去の自分に話すことにより、犯罪をしようとする人間が激減することが構造改革の目的でもあった。
 そこで修一は、過去の修一に携帯電話を贈って、電話した。その声は過去の過ちをなくそうとする切なる願いなどではなく、未来の苦しみを過去の自分にも味わせたいという馬鹿げた嫉妬心が露骨に表われたおどろおどろした不気味な暗さのある変な声だった。
「もしもし、修一か。俺は怪しい者ではない。だから電話を切るな。そして今から俺の言うことをメモにとれ。いいな」


蓮太郎


 テレビでマラソンをやっていた。30Km付近での折り返し地点だった。
 人生の折り返し地点って何歳ぐらいだろうかなと考えた。でも指宿菜の花マラソンは折り返し地点はないんだとも考えた。
 寝る時に思った。いずれにしてもゴールはあると…。


 技芸にすぐれて名のある人を名人と世の中では言うのだそうですが、はたして私たちの周りでそのように呼べる人は何人いるでしょう。自称名人という方を除けば、隠れ名人は指宿の随所におられるはずです。これら名人を探し求めて旅に出ようと思います。どうぞ、ご期待ください。

 藤元 三千子さん   一のニ

 霧島の冬景色を見ようと溝辺インターで降り、国分の町をかすめながら通り過ぎ、いざ霧島街道へ入ろうとしたときだった。道路脇にどこかで見たような手打ちそば「信州庵」という縦長の看板が眼に入ってきた。「信州庵」と言えば指宿にもあるよねと隣のうっかたにも話しつつ、ちょうど腹ごしらえの時間だったので店前の駐車場に車を止めた。自動ドアが開き中に入ると左側にレジがあり、ちょうど水をコップについでいた店のお姉さんがこっちを向いて「いらっしゃいませ」と声をかけてきた。どこに座ろうかと奥のほうを見て「おばちゃんだ!」と二人とも大声を出していた。おばちゃんは指宿信州庵の藤元さんだった。

 「はら!もう!」 昼時が過ぎてちょうど奥のテーブルで遅い昼食のうどんを食べていた藤元さんが、一瞬息を止めてこっちを見た。「あらー、お久しぶりです。お元気でしたか」「ええ、元気でしたよ」

 20年近く前、我々は宮ヶ浜の信州庵に子供づれでそばやうどんを食べに出かけていた。

藤元さんの打ったそばは本当に自然そのもので、味は心に沁みた。1995年1月8日に浮来亭1号を出すとき、指宿百名人として初めて記事を書かせていただいた方だった。しばらく注文するのも忘れ、平成9年から指宿ではそばを打っていないこと、娘婿さんが後を継いだ指宿信州庵のこと、腰が少し痛いがまだそばは打っていること、小さかった子供たちのことなど語った。藤元さんは昔より若々しく見えた。その間注文したそば定食とざるそばがきた。そば定食にはかけそば、あわ飯、豆腐、大根の酢の物、焼きめざし、それにあわ飯にあわせて食べる金山時味噌があった。ざるそばも大盛りだった。「うーん」と二人とも唸った。昔と少しも変らない匂いと味がしたからだった。

注文して打ちたてのそばができあがるまで畳に座って待つ間の静寂。それが指宿信州庵での楽しみの一つだった。開け放した窓から周りの大根畑や風に揺れる楠が見えた。ススキやカンネンカズラの間から聞こえてくる様々な虫の音に心が休まった。それと時間も空間も同じではないのに、ここにはその昔と同じ空気の流れがあって、不思議な気持ちのままにすべてを平らげた。

10数年ぶりに思わぬところでまた食べられたおばちゃんのそば。「また来させていただきます。有難うございました」 帰り際レジの所で8年前と同じポーズで写真を撮らせていただいた。名人78歳。まだいける。

















の幸ちゃん

 今年も又、暖冬らしい。12月1日だと言うのに暖かく、うぐいすが一杯、庭に来る。甘いみかんを横ニッ割りにして置いとくと、何羽も食している。●「焼酎の好み」も変化して来た。芋をやめて、麦焼酎か泡盛を飲んでいる。旨い!!もう芋焼酎は飲めなくなりそうです。●「浮来亭」100号記念(来春四月号)★特別寄稿「コンビニの旨い物」 目新しい物を見つけると食べてみる私です。コンビニ味も食べて飽きて来る物も有るけど、リピートしている物を書きます。「ローソン」ではレタスサンドでしょうか。「スパー」では他店に無い弁当類。「エブリワン」は、その店で作っているらしく、パンとかおでんの牛すじは旨い。「ファミリーマート」ではいなり寿し。「サンクス」では日本酒。「ヤマザキデイリーストア」にも旨い物が。人、それぞれの好みが有るので、これ以上、書けません。●「想い出の街角」▼東京・荒川区町屋 私が18歳の時に社会人、初の寮が有った街。向かいには神社も有り、吉田拓郎の「祭りのあと」等を聞いていた。色々な日本全国からの人々と出会い、すごく楽しかった街。上半身裸のままで二軒先の銭湯に走り、向かいの酒屋でアルコール購入。「同棲時代」も流行していた。 出勤時は都電迄の角にレコードショップが有り、沢田研二の「危険なふたり」がガンガンかかっていた。夜になり食堂に行くと、ハイボールなる物を飲んでいた大人達。 私はただ食事するのみ。おいしい中華料理店が有ったり、街角のスナックの女性に一目惚れして、楽しい青春時代だった。自分の歌を売り込もうと考えていた時でも有り、懐かしい。今一度、どうなっているのか、見に行ってみたい。――上野駅から、この先へ行けば寅さんの街も有ると判っていながら、一度も行ってない。――アア、青春の町。東京。→次は「巣鴨」へ引越します。●長い事、御無沙汰してます。指宿の皆さんも御多忙みたい。――良いお年をお迎え下さい。


「ありがとうございます」 
          今村俊一


 今年もあとわずかとなりました。私は、今年の計画を正月に立てた。それは、「年間を通じてジョギングを続ける。そして年間1000キロ走る。」と、いう事でした。まー、毎日3キロも走れば出来るなと思っていました。ところが、走れるのは、雨が降ったり、夜に会合があったり、また飲ンカタがあったりで「3日に1回」月に10日が精一杯でした。そうなれば、走れる日には、9キロぐらいは走らないといけない事になりました。1月から走り続けて12月13日で、971キロまでなりました。やっとここまで来ました。これからは忘年会のない日を楽しみに走り、1000キロを遂げたいと思います。1000キロは指宿からどこまでかなー。
ここまで出来たのに、沢山のありがとうがあります。私が走るのは、いつも市の陸上競技場です。芝の手入れをしてくれている方に「ありがとう」グランドの整備をしてくれている方「ありがとう」ナイター照明が毎日ついていることに「ありがとう」そこで、帰りには競技場に一礼をするようにしています。(たまには忘れますけど)そして何よりジョギングを続けられる健康な私の体と、精神力に「ありがとう」いやこれは、私の両親や家族に「ありがとう」と言いたいです。
 来年1月12日の「いぶすき菜の花マラソン」の42・195キロに9年連続の挑戦をします。    
 走れる事に「ありがとう」


12月22日指宿市、丸善音楽堂で菜の花マラソンのテーマのCDを発売しました。発売元は菜の花咲かせ隊です。収録曲は菜の花の街に(菜の花マラソンテーマ)、あなたの生まれた街で(お茶イメージソング)、菜の花薫る風胸に受けて(菜の花マーチ応援歌)、PALM WHITEBEACH(PALM WHITEBEACHを推進する会の応援)、浮来亭の歌、以上です。浮来亭の歌は焼酎はいからさんのCMソングに正式に決定し、12月25日にレコーディングします。歌はもちろんLEESA(りさちゃん)です。
南日本新聞、朝日新聞他にリークしましたので発表されると思います。皆さん、宣伝のほう、是非よろしくお願いします。
                            下川路


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