正月とゴールデンウィークとお盆は観光客が指宿にたくさん来てくれる。
 ということで、お盆に砂むしの駐車場の手伝いに出かけた。県外からの車がたくさん並び、どこから来たのかなと見るのが好きである。今回は北海道のナンバーは見なかったが、毎回1〜2台は見ることができる。沖縄ナンバーも見かけたことがあった。本当にありがたいことである。旅行の目的の中に砂むし入浴があるらしく、
「すみません。今、駐車場は満杯になってます。一時間くらいお待ち下さい」
と声をかけても
「せっかく来たから待ちますよ」と答えてくれる方がほとんどで恐縮してしまう。
 三河ナンバーのちょっと恐そうな若者のグループが駐車してこちらに歩いてきた。勇気を出して
「おはよう!」
と声をかけたら、礼儀正しく恥かしそうに「おはようございます」
と答えてくれた。調子に乗って
「遠くからありがとうね。おじさんは静岡の天竜市の出身なんだ」
と言ったら、今度は親しそうな笑顔が返って来た。1時間くらいして若者達は汗を拭き拭き真っ赤な顔をして暑い日差しの中を帰って来た。
「砂むしはどうだった?」
「凄く熱くて10分も入れなかったよ」
「でも、汗をたくさんかいたなら体にはいいから良かったね」
「そうだね」
と、会話を交わし車へ。車が駐車場を出るときに窓から顔を出して
「おじさん、暑いけど頑張ってね」
「ありがとう。冬の砂むしも良いから冬にも来てね」
「わかった。又来るからね!」
 それを聞いていたのか、中年のご夫婦と思われる方が
「冬の砂むしも良いかもね。我々もまた来るよ」
と声をかけてくれた。
車が駐車場を出るときに、車のナンバーを見るとこれまた三河だった。
同僚に「愛知県の三河って良い人が多そうだね。きっと良い所かもね」とつい言ってしまった。
 その日はずっと三河ナンバーが気になっていたのか、実際そうだったのか、いつもに比べて三河ナンバーが多かった。
 旅に出て良い所だなと思うのは、景色・食事よりも良い人に出会う事だと確信して、今度静岡に帰るときは三河の豊橋あたりで途中下車してみようかなと寝る時に思った。




 タバコの白煙がもうもうとしている会議室で、俺は応募小説の最終選考をしていた。
 懸賞金の額はたいしたものではないのに、応募者の数は年々増加傾向にある。しかしその反面、小説のレベルは年々下がっている。小説とは言いがたい代物がわんさかと応募されている。俺が一番頭にくるのは、訳のわからない高尚な文字を独りよがりな文体で詩的に書いてくる奴だ。文節ごとに解読していく暇はない。小説部門ではなく詩部門で応募しろと言いたくなってくる。次にひどいのは、日記。これはもう論外だ。他にもいろいろある。一人称と三人称をごっちゃにしていたり、基本的な日本語の法則が間違っていたり、小説作法の基礎がなってない奴がいたり・・・。そんなどうしようもない作品を読む俺の身になってみろと言いたくなってくる。
 そんな俺の思いとは裏腹に、二次審査までに四人の作品が残った。最終選者は俺も含めて三人、いずれも名の知れた小説家だ。俺たちがつけた五段階評価で一番成績の良いものが今年の新人賞となる。今年は安藤、石川、梅宮、江口が最終選考に残った。
 安藤は最近流行りのファンタジー。この系統はどこか欧米的である。相場なのは魔法使い、ドラゴン、聖なる剣。たしかに現存する実社会とは逸脱した世界だから、映画化するとおもしろいかもしれないが、どこか個性に欠ける。主人公が魔法を駆使して悪のドラゴンを退治するパターンはいい加減にしてほしい。よって、ボツ。石川はSF。近未来、タイムマシーン、宇宙、未知なる生物との戦い。このジャンルはよほどのアイデアを出さないと迫力に欠ける。空飛ぶ円盤を追いかけている主人公が、やっとの思いで円盤を捕まえるシーンは緊迫感があるし、円盤に乗っている宇宙人が実は未来の人間(観光客)という設定もおもしろいが、リアリティーの欠如はいなめない。これもボツだな。梅宮は純文学。筆者のプロフィールを見るかぎり、会社勤めはしていない。だから家族を犠牲にしてまでも自分の夢を実現しようとするサラリーマンを描いても迫力、緊張感ともに酷薄。よってボツ。
 俺はいよいよ最後となった江口の作品を手に持った。しかしその原稿を見ずに、五段階評価の5をつけた。なぜだと思う。その作品は俺が偽名を使って応募したものだからだ。一応プロの作家が書いた作品だから最終選考まで残って当たり前だろう。問題はその後だ。もし仮に、俺の作品が新人賞になったら、表彰式に出席しなければならないし、インタビューや次回作の打ち合わせなどで否が応でも外部の人間と会わなければならなくなる。しかしそこで会ったら、俺だとばれてしまう。それなら会わなければ良い。表彰式は欠席、打ち合わせやインタビューも代理人任せにする。そうすると謎の作家現るという見出しで週刊誌がとりあげるだろう。俺は何が何でも正体を隠さなければならない。バレたら、さすがに出版界から干されてしまうから、何が何でも隠れなければならない。それと同時に俺の偽名である江口も売れっ子小説家に仕立て上げて話題にのぼらなければならない。そうなると隠すのが大変だ。なまじ隠しとおしたとしても、所得の倍増や税金の関係で怪しいと睨んだお役所関係や警察、あるいは興信所なども俺の身辺を調査するかもしれぬ。このことは家族にも知らせていないから、影でこそこそ執筆などやっていたら家族にも怪しまれるだろう。
 俺はそんなことを考えながら、ぬるくなったコーヒーを一気に流し込んだ。苦い。この苦さはボツになった三人の候補者の怨念かもしれぬ。しかし俺は、彼らの原稿に赤い字で1と書いた。念には念を入れなければならない。この三人には申し訳ないことをすることになるが致しかたあるまい。彼らには小説家の才能がない。それよりも俺自身の人生をかけた迫力あるゲームを、文学としてこの世に送ったほうがおもしろいだろう。
 そう、俺はこのゲームを小説として出版しようと思っている。より具体的なリアリティーを追求するために、俺は江口になるのだ。さぁ、おもしろくなるぞ。この物語が形になる日が待ち遠しい。


ターミナルケアーとしての[遊閑楼]について

「遊閑楼」とは一体何だろう
 この世に生まれ落ちたときから、その終焉へ向けての歩みが始まる。それが人生だと言った人がいる。生まれてきたからには、一人一人に終焉の日が来る。しかし、平穏で満ち足りた最期でありたい。家族や心ある人々に囲まれて、静かに落ち着いてその時を迎えることができたらどんなにいいだろう。「遊閑楼」はそんなことが実際にできる場所として考えられた。

 「遊閑楼」

(1)ホスピス、集団工房、湯治場、美術館(資料館もかねる)、祈りの場、幼稚園、ビール工場、長期滞在型宿舎などからなる
(2)それぞれの建物は有機的につながっている。これらを空から見たらお互いに係わり合いを持って存在していることが一目瞭然となる。
(3)建物群は森の中にある。この森は100年以上かけて作られていく。建物群だけでなく森の創造には何世代にもわたるチェックが入る。
(4)経営母体は県や市町村。ここで暮らしたヒトの残した遺産、あるいは寄付。
(5)ホスピス: 最も眺めがよく、日当たりのいいところが選ばれる。部屋は個室。洋室と和室があり、簡単な炊事ができ、温泉風呂、トイレがある。大きな遮光窓があり、ベッドに寝たまま周りの景色を眺めることができる。家族は好きなときに来て泊ることができる。看護婦詰め所は円形の建物の中心にあり、24時間体制である。ここには小さいながら図書館、音楽ホール、喫茶店、パブ、スーパー、理容室、郵便局などがあり、出入りは自由。建物の屋上には天文台がある。徹夜で星を観測することも自由。工房、美術館、湯治場などいずれへ行くにも5分以内に行くことができる。治療行為は原則としてしない。鎮痛処置のみ。
(6)集団工房: 円楼のような形をした建物で、部屋は個室。簡単な炊事ができ、寝泊りも可能。どの分野の人が来ても製作、販売、展示会などができる。一種の芸術村。近くには登り窯がある。円楼の中庭は広く、安く長期に滞在できる。但し一定の期間がきたら出て行くようにする。
(7)湯治場: 長期滞在型の温泉。個人での滞在、家族での滞在、団体での滞在いずれも可能。一般の宴会もできる。展望風呂は目玉。温泉に入り一時休憩もできる。生命保険会社と提携して、生涯ここで暮らすことも可能。
(8)美術館: 遊閑楼で生活した人々が創造したものは、ここに展示可能。但し、展示するものには通し番号だけを記し、名前や経歴は一切出さない。もし作品の作者やその人の経歴が知りたければ、美術館のデータライブラリーで検索できる。データライブラリーの中には、遊閑楼で生活した人々の名前、経歴、病歴が詳しく入っている。これらの記録は許可を得て閲覧することができる。

 我々はどこから来てどこに行こうとしているのだろう。そして一体幸せとは何なのだろう。日常生活の中で、我々はあまりに私利私欲に振り回されてはいないだろうか。一人一人がやっていることは、まるで方向が違うように見える。環境破壊はどんな小さな地域にも押し寄せている。人間社会もその矛盾が露呈し、自己融解が始まっている。環境も社会も崩壊寸前であると言っても過言ではない。豊かな生活とは程遠い局面に立っている。
「遊閑楼」は所詮夢なのか。「遊閑楼」の実現には100年かからないかもしれないし、いやもっと遠い先までかかるかもしれない。しかし、大きな橋とかダムといった物質的な遺産だけではなく、このような何世代もかかるような夢も、個人の権力や名誉の産物におんぶされて実現するのではなく、むしろ小さな地域に住む者たちの強い意思によって始めるべきではないか。
我々はどこから来たのかわからない。しかし、どこに行こうとしているのかははっきりしている。一人はすべての人のために、すべての人は一人のために命のある限り全力で生きているのである。


の幸ちゃん

「皆さん、お元気」ですか?先月、鹿児島で38度まで上がった日が有り、心臓はドキドキ、足元フラフラ、頭ボーッと、今年始めての熱中症でした。昨年、32〜33度まで体験。トシの波にも暑さにも勝てず、どうなる事やら…。 「蓮ちゃんの息子さんのお店」を訪ねた。照国神社から海の方へ。「徳永屋かまぼこ」の斜め向かい。道路向かいには「西郷どん」と云う居酒屋有り。「県歯科医師会館」の右隣2軒目、「5150」と云う店です。Tシャツ・帽子・メンズの服が色々と…。連ちゃんの顔がそのままジュニアになってたので、びっくり。やっぱ親子ですね。鹿児島へ行ったら、寄って上げて下さい。私もボチボチ常連客になるかも。 「浮来亭」100号記念特別寄稿A=w音楽と私』ー私にとっての最初の音楽とは、たぶん胎児の時に聞いた母体の鼓動だったろうが、記憶にない。取り合えず、小学の音楽授業でピアノの用で歌っていたのが記憶に有る。幼少の頃、野原で遊んでいれば「お〜い中村君」とか「船方さんよ」等が遠くに聞こえ、「赤銅鈴之助」のイントロが聞こえて来ると帰宅の日々。 兄が隣人のギターに影響を受けて、音楽人間になってしまい、音楽の先生から私にブラスバンド入部の誘いが有った。別にする事もなく、行きたいクラブも無く、何となく入部してしまい、トロンボーン担当に。放課後はアコーディオンを演奏し、雑談したり。兄がウクレレを購入して来て部屋では「禁じられた遊び」やハワイアンを弾いていた。ビートルズのレコードが有れば歌詞までおぼえた。 高校の時はバイトして「ザ・タイガース」のレコードを購入。大学ノートに作詞を書き、級友がギターを持っていたので、作曲まで始め歌っていた。音楽担当は久保けんお氏だったので、詞についてアドバイスも受けた。東京でレコード制作したり、夢ばかり追っていた私の青春であった。*注 以前の原稿と重複してたら、済みません。尚、100号は来春四月号です。


縄文の森をつくろう会で8月は指宿校区の巨樹測定を予定していましたが、暑さと選挙がありますので10月以後に実施する予定です。
浮来亭になまずの好きな黒川さん、ウミガメに興味を持つ森川さん、草木染にこだわる上原さんと新しい風が吹いてきました。
毎週のセントラルパークでの地ビールを飲むかい!は前半は台風で、後半は温泉祭り等の色々な行事で忙しくてあまりできませんでした。すみませんでした。
浮来亭は毎週金曜日の午後8時の開店になりましたのでよろしく。1000円で飲み放題です。
浮来亭のホームページ(http://www.synapse.ne.jp/rentarou/)をリンクさせて頂ける方お願いします。又リンクを希望する方は連絡下さい。Eメール rentarou@po.synapse.ne.jp まで



 暦の上では秋です。そういえば朝晩は少し過ごしやすくなってきたようです。
 一つの区切りとしての100号がそろそろ見えてきました。通過点なのか、おり返し点なのか、急行待ち点なのか、乗り換え点なのか、終点なのか?
 100号予定の4月まではまだ時間があります。皆で検討してみます。





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