学説

「本日、皆様方におこし頂いたのは、私がかねてから研究をしている『夢』について重要な、いや革命的なと言ったほうがいいだろう。とにかく世紀の学説になることはまちがいない研究になるということを発表したかったからです」
 ある国のとても有名な大学の名誉教授は言った。教授が取り組む研究とやらは、すべて国家が負担してくれるほど重要ですごいらしい。教授の専門は人間の脳。その中でも夢に対する考察はずば抜けていた。
「教授。はやくその学説を発表してください」
 有名な新聞記者がメモを片手に持ちながら、まくしたてるような口調で教授に訊ねた。
「うむ。それでは、さっそく発表しよう」
 教授はそこまで言うと、大きな画用紙を取り出し、マジックで『夢の中で自分が夢を見ていることを認識できる学説』と書いた。会場にいたマスコミ関係者は一斉にメモりだした。当然、カメラのフラッシュもパチパチとたかれる。
「私は長年、夢の研究をしているが、今まで自分の夢の中で『自分が夢を見ている』と思ったことはなかった。しかし、先日、ついに夢の中で『これは夢だ』と自己認識することに成功した」
 教授は興奮気味に叫んだ。新聞記者が教授に問う。「私も毎晩のように夢を見ますが、これは夢だと思ったことは何回もありますよ」
「人の話を最後まで聞きなさい」教授はやや不機嫌そうな声で話を続けた。「私はある仮説を立てた。人が夢の中で『これは夢だ』と思う瞬間には、寝る直前の人間の行動が大きく関係があるのではないかという説だ」
「その仮説をはやく教えてください」
 新聞記者は言った。教授は画用紙に『エロ本』、『ビール三杯』、『ケチャ』、『四時間』、『小便』、『オレンジジュースとウーロン茶』、『怖い夢』と書いた。
「順を追って説明しよう。まず、ここに書いたいくつかの項目だが、これらは夢についての自己認識に極めて重要な働きがある」と教授は言った。
 マスコミ関係者は一斉にメモりだした。ある者は一字一句聞き逃すまいと、テープに録音しているものもいた。
「まずエロ本だが、まぁ、ここで発表するのもなんだが、科学の発展のためにはいたしかたあるまい。実は、私はこの歳になってもまだエロ本を見ている。エロ本というのは極めて脳の働きを活発化し、夢に対する一種の起爆剤のような役割を果たしている。この日、私はエロ本を見ていた。ビールも三杯くらい飲んでいた。ちょうどほろ酔い気分といったところか。そこでアルコールの分泌量が夢に関係しているのではないかという一種の仮説を思いついた。アルコール摂取量と夢との関係はおいおい実験で証明していく。話を続けるぞ。その時に流れていた音楽が、皆さんは趣味が悪いと思うかもしれないが、バリ島の伝統芸能ケチャだった。このケチャ音楽が、脳のアルファ波に影響を与えているのではないかという画期的な状況証拠も発見した。まぁ、この証明はおいおい実験していく。話を続けよう。ケチャを聞きながらついつい居眠りしてしまった私は、ちょうど四時間後に小便がしたくなって起きた。ここがポイントだ。四時間後でないとダメだ。これが三時間とか六時間だったら、おそらく失敗だっただろう。これは、あくまで推測だが。夢と睡眠時間との因果関係は、おいおい実験で証明していく。話を続けるぞ。その時の私の小便排出量は、これも推定だが700ミリリットルくらいだった。これくらい排出しないとおそらくダメだっただろう。小便があまり出なかったら、夢から覚めないからだ。起きるということがキーポイントになるということを覚えていてほしい。起きる直前と寝る直前は、脳の働きが極めて起きている状態いわば浅い眠りの状態になっている。つまりこの浅い眠りというのが、今回の実験の最大のテーマだということを認識してほしい。話を続ける。まぁ、その後、アルコールを飲むと甘いものが飲みたくなる現象が起こり、まぁ、一種の心理学的なものであろうが、オレンジジュースを一杯と口直しのウーロン茶を一口飲んだ。ひょっとしたらその甘味と苦味のバランスが偶発的に加味されたことが、今回の成功につながったのかもしれない。この因果関係も実験で調べる。話を続けよう。その後、眠れなくなってウトウトしていたら、いつの間にか眠ってしまった。その時に見た夢というのが、なんとも怖い夢で、レンタルビデオの延滞料金一万円の請求書が私の自宅に届いた夢だった。こんな高額払えるわけがないと思った私は、その時、夢の中で『これは現実じゃない。夢だ』と現実逃避にも似た感情で夢を認識した。その時、私は生まれて初めて夢の中で夢だと思った。つまり最後の条件である怖い夢が加わって、私は夢の中で夢を見ていると自己認識したというわけだ。怖い夢を見なければ現実逃避したいと思わないから、夢を見ているという認識につながらないだろう。そこで私は、昨夜の一連の行動が一つでもかけたら、私は夢の中で夢とは思わなかったと考え、一連の行動と夢との関係との定義をキーパーソンとした仮説を立てた。つまり今後の私の実験テーマは、私の一連の行動と夢との因果関係を調べる科学的考察ということだ。すごいだろう。こんなことを思いつくなんて、私は天才だろう。さぁ、ここからは質問タイムだ。誰でもいいよ。はやく質問しなさい」
 教授は辺りを見回した。会場には新聞記者が一人しかいなかった。その光景を見て、教授は言った。「おや、私の説明が庶民には理解できなかったかな。まぁ、いい。きみは見所がありそうだ。何でも質問したまえ」
 新聞記者はばつの悪そうな顔で一つだけ言った。「その実験にも、国民の税金が投入されるんですか」
「うむ」教授は言った。「この科学的考察はおそらくこれからの人類に対する影響を考えると、国家規模でのプロジェクトになるだろう・・・・・・・」
 教授の説明はさらに続いた。その新聞記者が帰ったことはいうまでもあるまい。


                                

スカパーというテレビチャンネルがある。
 かなり多くのチャンネルから自分の見たい番組を選べる。
 契約したのが12月だったので、野球はオフシーズン。それなら映画を見ようと思い、映画のチャンネルを契約した。毎日平均2本は見ていた。野球が始まってからは当然映画を減らして野球にした。巨人は地上波で見られるし、他の試合も殆ど見られる。
 貪欲に生きるのが好きなので、パソコン・ニュース・教養・旅・英会話・音楽と色々見られるパックにも契約した。それでも毎月5000円くらいである。凄く偉くなったような気がしていた。しばらくは毎日、今日は何を見てみようかと番組表を見ながら悩んだ。
 パック契約して一ヵ月たった。
 今見ているのは野球とサッカー(Wカップ期間中だけのような気がするが)だけである。見たいのと見るのは違うことがよく分かった。
 自分の好きなことを知るにはスカパーが良いと思った。



 技芸にすぐれて名のある人を名人と世の中では言うのだそうですが、はたして私たちの周りでそのように呼べる人は何人いるでしょう。自称名人という方を除けば、隠れ名人は指宿の随所におられるはずです。これら名人を探し求めて旅に出ようと思います。どうぞ、ご期待ください。


四十四

山之内 清徳さん



 ミニ盆栽をされている方がいると聞いて、土曜日の夕方、図書館近くのご自宅に伺った。
生垣に囲まれた庭で、山之内さんは水遣りに余念がなかった。緑色鮮やかな盆栽に囲まれて山之内さんの上半身しか見えない。「こんちは」盆栽の棚が人一人やっと通れるほどの幅で並んでいるので、枝を張った盆栽を引っ掛けないように中に入っていった。「たった今外から帰ってきたもんですから、これから水遣りです」日が沈む前の夕方の水遣りは日課なのだろう、時間を惜しむように一つ一つ丁寧に水をかけておられる。
 知覧生まれの知覧育ち。「小さいときから植物を見るのが好きで、取ってきた植物を自分なりに家で育てたもんです」しかし、父親はそんなことが嫌いで「若いもんがとよく捨てられたものでした」それほど好きだった植物採集は、35歳の時指宿に来てからも続いた。あまりの熱心さに会社の人は「わや盆栽を止めんか」と言ったらしい。会社には一切迷惑をかけたことはなかったので「盆栽を止めるなら会社を辞めます」と言い放ったという。
「山歩きが好きで、小さな苗を見つける楽しみ、取ってきて育てる楽しみがあります」「盆栽は最低7―8年かかりますから、生きてるうちに立派になるとは限りません。針金で曲げたりせずに自然のままに育てるのが好きです」言いながら山之内さんは柔らかい仕草で水を遣り続けた。「待てない人は大きくなったものを取ってきて早く育てようとします。そういう人に限って気に入らないものはすぐ捨ててしまったりするんです。育てていくその時その時が楽しいのですから」「山で苗を見つけたら直ぐには取りません。これをどんな入れ物に入れてどうするかを考えます。そして山は決して荒らしてはいけない」確たる思いを胸に持ち、自然から無限の喜びをささやかに頂きながら暮らす山之内さん。なるほどその満面の笑みはそこから来ているんですね。
最近は文化祭でミニ盆栽を展示したり、講演会などに貸し出したり、秋にはまた展示会があったりと結構忙しいという。「見た人がわあと感動して」くれることが何よりも嬉しい。でも「友達と山に入ると、人の世話ばかりで面白くない」ので、今もほとんど一人であちこちの山や川に入るという。
庭の何百という大小の盆栽が水をかけられて生き生きと輝いている。その一鉢一鉢が個性豊かに話しかけてくるようだ。「一緒にやりませんか」今年72歳の山之内さんの声が記者の胸に響いた。


の幸ちゃん

「空を飛ぶ孤独」ー某日、何気なく空を見上げたら一羽の鳥が南へ向って飛行中。その右羽には欠けた部分も有り…。一体、何が有ったのか?…。 昔、「跳ぶのが恐い」なんて流行語も有った。「飛べる自由」に憧れたりもしたが…。その鳥を見ていて、自分にもアテはまりそうで、ちょっぴり淋しくなった。 「車庫造り」只今、隣の竹林から竹で骨組みし、タキロン波板でおおい、車庫を製作中。中国のビル建築現場で足場に使用されてる事をヒントに実行。プレハブで部屋に隣接した骨組みで丈夫に造れそう。でも台風は気にかかる。… 「ちょっと人助けB」「県酪農協牛乳」配送の頃、某販売店に来ていた中学生。見た目に背がひく過ぎる。「君って中学生?背の低さを気にしてない?高校とか25歳位迄に背が伸びる人も居るんだ。バスケットボールをすれば、背が伸びるかも。」と言ったら、彼は突然バスケのマネをし始めた。瞳も輝いていた。今頃、大きくなり活躍してるだろうか。実は私も中学の時、バスケに誘われたのに、音楽部に入り、背は伸びないまま、今になっている。 「ゴミ分別」鹿児島でも四月からプラスチックの分別が始まり、リサイクル出来る物をこんなにも沢山、棄てていたんだと、びっくり。プラ製品が多すぎます。「生きてる間にやるべき事」を今、考えています。母姉兄、私の死後、今有る、吉野の土地もどうなる事やら。隣接する家迄の道は狭いし、私側の土地を譲って2tダンプ位入れる道路にしようかとも考えている。2昔、出会った若い時の人々、行った旅先をすごく思い出す。そして今、もう一回行ってみたいと考える。生きてる内に……。 「五月の感動」は特に無かったです。次回に又、期待してて下さい。
―――以下、次号で。


「五十歳」        皓以兆

六月で五十歳になった。ずいぶん年をとったものだ。一年一年がとても早く過ぎる気がする。このあいだ、正月がきたと思っていたら、もう六月である。
孔子のことばに「私は十五歳で学問に志し、三十歳で一本立ちとなり、四十歳で心に迷いを持つことがなくなり、五十歳で天が自分に与えた使命を自覚できるようになり、六十歳で他人の言うことを素直に聞けるようになり、七十歳で自分のしたいことをそのままやっても、道をふみはずさなくなった。」
これを私なりに置き換えてみると「私は十五歳で遊びに夢中になり、三十歳で三分の一立ちになり、四十歳で迷いの深みにはまり、そこから抜け出せなくなり、五十歳で今まで生きてきた反省に明け暮れる毎日である。」
これからどう生きていくか、と難しい問いには、学のない私の考えは「毎日を出来るだけ充実して生きる」「楽しんで暮らす」ということになるのかな?
好奇心を持ち、いろいろな経験をしてみたい。山にも登る。浮来亭でするビアガーデンでいろいろな地ビールを味わってみたい。
池田屋で池田地区の人と語り合うことを楽しみにしています。


◆セントラルパークで毎週土曜日の夜にいろいろな地ビールを飲みたいねと話が出ています。実現できれば良いですね。
一杯500円で、おつまみは参加者持参くらいなら出来そうですが…
◆縄文の森をつくろう会では、池田校区の巨樹の測定を計画しました。
・6月23日午後3時に池田小学校前の玖玉神社に集合して下さい。夜は懇親会を予定しています。
・次回は指宿校区を予定していますのでよろしくお願いします。



 6月はWカップ一色のようですね。でも、日本が負けてしまい、ちょっと残念です。後は韓国に任せましょう。
 毎度のことですが、是非寄稿して下さい。
待ってます。




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