ズドーン

 厳格な軍人だった父と看護婦の仕事に就いていた母との間に生まれた。兄と弟が一人ずついる。真ん中というのは、なにかにつけて孤立しやすい立場だ。兄がいるから、とりわけかわいがられたりしないし、弟などは兄にべったり。兄弟げんかなどは必ずといっていいほど一人。絶対に敗北だった。だからこそ、兄弟の中では一番ハングリー精神が旺盛だったのではないかと思う。
 小学生のころから、学力や運動などの分野でそこそこ優秀な位置にいた。とりわけ神童というわけではなかったが、教師や級友からは一目置かれた存在だった。そんな青春時代をおくり、大学に進学した。大学などほとんど行かなかった時代だったから、地元からたった一人の大学進学者として注目された。期待を一身に背負っての上京だったから、今となっては肩肘を張りすぎていたのかもしれない。そんな硬派な姿に惚れたのだろう。女ができた。女も田舎出だった。お世辞にも美しいとは言いがたかったが、磨けば光る珠だった。女との生活が二年ほど過ぎたころ、待望の赤ん坊が生まれた。男がほしかったが、女だった。男の名前しか考えていなかったから、少しだけがっかりした気持ちもあったが、やはり子供はかわいいものだ。いつしか、女の子でよかったと思うようになっていた。
 しかし、戦争が始まった。東南アジア方面の植民地に赴くことになった。最初は海兵隊に所属されたが、大学出だということで軍事本部に配置された。そこでおもに軍事船などの設計図を書いて、お国に貢献している。
 と、まぁ、こんなところだろうか。あいつの人生は・・・。
 ズドーン。
 いつ聞いても嫌な音だ。眼鏡をかけていたから大学出にしたが、それは言いすぎたか。


                                

 テレビで中国の日本総領事館の問題が取り上げられている。
 最初は凄い場面がよく生で写されたものだと感心していたが、段々言った、言わないと色々やりあっているのを見て、少々納得がいかなくなった。
 困った人間がいたら何とかしてやりたいと思うのが人情である。国のメンツがどうのこうので、問題をこじらせているようでならない。そんなに国のメンツって大事なのだろうか?
 昔は日本の国内でも戦をしていた。でも同じ国民だと思うようになったら戦わなくなった。世界の国も一緒になって同じ国だと思えるようになれば、戦争はなくなるかもしれない。早くそうなって欲しいものだ。どこに枠を作るかがポイントのようだ。
 そんな事を思いながらも、今後どうなるのかとテレビを一生懸命見ている自分に気が付いて恥かしくなってしまった。テレビは本当に恐いと思った。


「ミルフォードトレッキング イン ニュージーランド」3
                                皓以兆

ニュージーランドでは、ハイキングコースといっても何日もかけて山小屋を泊まり歩くことをTramping(トランピング)といって、大変人気のあるスポーツです。中でもミルフォードトラックは一番人気があるコースで世界中のトレッカーの憧れのコースです。全長54kmで美しい自然を守るため、世界一管理の厳しいコースだそうです。
コースを歩けるのは、1日40人に限られています。又は特別な許可をもらうしかありません。私個人もこのツアーに申し込んでやっといれてもらいました。
しかしこのコースを歩いてみてそのすばらしさにすっかり魅了されました。むしろ選ばれてこのコースに入れた喜びが一杯になった。
1日目
宿を出発してバスでテ・アナウ湖まで行き、そこから船にのって出発地点へ。この日は山小屋までの約1kmを歩くだけでした。
2日目
今日は山小屋から次の山小屋までの16Kmを歩きます。
昔氷河が作ったU字形の大渓谷の中を、雪や氷河を抱く高峰をみながら歩きます。大自然の中を歩く、そしてそれを満喫しながら、巨大なシダの茂み越しに清流のせせらぎが聞こえる。鳥の声を聞きながら、歩いていると16kmもあっというまに山小屋に着いた。
3日目
今日は次の小屋までの15kmを歩きます。
このコースのハイライト、マッキンノン峠(1135m)を超える日です。
登りも下りもとても急で、途中何度も給水した。水筒が空になると山から流れている水を水筒に入れて飲んだ。どこでも水はとてもうまい。難コースだけど、逆に眺めはこのコースの中でもとびっきりすばらしい。マッキンノン峠では、氷河を抱いた山々が迫り、その圧倒的な景色に感動で表す言葉もない。
山小屋の近くのサザーランド滝に行く。この滝の高さは世界5位の高さで、近くから見ると一番高いところは見えない。合羽を着て、この滝の裏側を歩くことができる。早速挑戦。滝の下はものすごい風圧と水しぶきで渡る困難は半端じゃない。それでもやっとのことで滝の裏を渡ることができた。とても貴重な経験ができて、嬉しかった。ちなみにこの滝の高さは571mです。
4日目
最終地点のサンドフライ・ポイントまでの21kmを歩きます。
サンドフライとはこのあたりにいるブヨで、刺されるととても痒い。あらかじめ買ってあった薬を塗っているのだが、その上から刺してくる。おかげで手は最後のころはあちこちはれてきた。
今日は殆ど平坦な道を歩く。たくさんの滝や湖を見ながら歩く。歩くことがこんなにすばらしいことと思いながら、途中清流を写真に撮ったり、滝の傍で昼食をとった。滝が流れ落ちている川に足を入れてみたが、感覚が麻痺するほど冷たく、数分も居られない。
そうこうしているうちに、最終地点に到着。
サンドフライポイントの前で写真を撮り、完走した充実感で一杯になった。そこから船にのり、宿舎のホテルに着く。すぐ近くには飛行場があり遊覧飛行で頻繁に飛んでいた。宿からの眺めは、ミルフォードサウンドを紹介する写真と同じ位置にあり、そこでたくさんの写真を撮った。
 夕方、宿で完歩証をいただく。ルートバーンとあわせて2枚の完歩証。なんかとても嬉しい。歩き終えた充実感と達成感でこのトレッキングに参加して、本当によかった。
5日目
この日はミルフォードサウンドの遊覧船に乗る。約2時間のクルーズだったけど、右や左の山々の景色に見とれていたら、あっという間にクルーズが終了し、港に着く。帰りのバスは長いトンネルのなかを通ってクィ−ンズタウンに向かう。
私にとって、生涯忘れられないすばらしい旅だった。


            -33-

  ちょっといい話

 近くの魚屋さんが隣の敷地に家を建てる。ついてはこの土地に植えてある10本のヤマモモの内8本を何とか生かしてやれないものか。そういう相談がある人にあった。相談された方は、「そんた縄文の森をつくろう会に相談すべし」と直感し直ぐ連絡が入った。直ちに現場に急行。樹齢10年で新芽がたくさん出、高さ3-4mはあろうかというヤマモモたちがやや不安そうな姿で立っていた。時間は地鎮祭の関係から一週間しかないという。連休明けの5月7,8,9日で移植することにする。この間市役所観光課に相談。移植先をオーストラリアの森にしてもらい、その場所決めに係りの方と現場を巡った。いざとなると適当な場所がなかなかないのである。但し7,8,9日は火、水、木曜日で動ける人がいない。ショベルカーを個人で持っている遠藤さんがやってくれるという。田之畑さんは2トンのクレーン車で運んでくれるという。8本のヤマモモを遠藤さん、田之畑さんはたった二人で3日間かけてオーストラリアの森に運び、きれいに植えてくださった。後で聞くと、命がけの仕事だったらしい。10年も経っていたヤマモモの根はかなりの深さまで根を張っている。クレーン車に引き上げるにしても根に土がついており、バランスが一本一本違う。その上一回で運べるのは2本まで。木が芽を出し活発に活動する時で、移植してはならない時期だった。それで思い切って多めに枝を落とし迅速に移植を終えたのだった。二人はそれでもニコニコするばかりで、「ヤマモモを生かすことができてよかったですね」と言うばかり。澄み切った唐船峡の水のような二人の様子に、こっちの胸の中にも爽やかな春風が吹きました。

 それが一段落した5月11,12日は、いぶすき遊湯山めぐりと日英同盟100周年を記念した日英グリーン同盟記念植樹、それと同時に縄文の森をつくろう会の総会をした。山めぐりとは魚見岳、大野岳、開聞岳をめぐりその間に温泉に入ろうというもの。記念植樹は英国大使館から二名の方が来られ、指宿市長も出てくださり英国のオークの木を一本セントラルパークに植えた。指宿商業高校吹奏楽部の皆さんが2週間前から練習してくれて、すばらしい日英両国国歌やビートルズの曲を聞かせてくれた。英国大使館一等書記官のトロットさんや上高原女史には朝8時からの魚見岳登山にも付き合って頂いた。新緑に覆われた魚見岳のおいしい空気を一杯吸った後だったので、吹奏楽部の演奏には一層感激の様子だった。乗船寺保育園の子供たちも参加してくれて、終始和やかな空気の中で記念植樹を終わることができた。会場設営やこまごまとした準備に自ら黙々と動かれた方々に心から感謝申し上げます。

 11日は魚見岳で朝食を昼食は大野岳でとる。天気に恵まれ眺めもよくいい汗をかいた。この日は開聞山麓のロッジに泊る。開聞町役場の川畑さんが何から何までよくしてくださったので、20人ばかり遅くまで気持ちよく焼酎を飲みました。翌12日は曇りのち快晴。川畑さん親子の案内で総勢10人ふうふう言いながら開聞岳に挑む。5合目までは砂利だらけ。息も絶え絶えになりながら何とかついていく。昨夜飲み過ぎた一人が登りながら吐いている。6合目を過ぎると体が慣れてきたのか少し楽な気分。8合目あたりから登りは急になる。頂上直下は這いつくばるようにして行く。全員無事登頂。昨夜のおにぎりや蒸かしじゃが、漬物など頂く。登りに2時間、下りにも2時間かかる。その後温泉に行くものと開聞駅から帰るものとに分かれる。すべてが終わり心地よい疲れに包まれる。

 開聞岳登山の中で忘れられないことがあった。我々が砂利と苦闘してやっと5合目あたりまで来たとき、息子に先導されて登っている坊主頭の老人がいた。盲目だった。息子は細い竹で父親を先導している。我々が追い越す間、二人は脇によけて「どうぞどうぞ」と道を譲ってくれた。頂上で一時間以上休み下山したとき、7合目のところでまた二人と出会った。二人のことはすっかり忘れていた。父親は起伏の激しい岩を手探りで確かめながら一歩一歩登っている。すれ違いざまに色々と聞いた。年は67歳。開聞岳に登るのは初めて。頴娃の人。運動靴を履いているが、右足の足先はぱっくり割れてぱたぱたと音がしている。この後間もなく頂上直下の急峻な岩にたどり着く。あれをどうやって登るのか。よほどの覚悟で来たに違いない。しかし二人にはそんな緊張感は何も感じられなかった。ただ黙々と頂上を目指している二人。「ああ」と声にならず胸を打たれ、「喜びも悲しみもちゃんと受け止めて歩いている」何とも爽快な余韻が、山を降りてからもしばらく心の中で響き続けた。


 の幸ちゃん

「イラつく理由」日々暮していると、職場の対人関係でイラついたり、狭い所に住んでいても、人生が旨く行かなくても、TVが面白く無くてもストレスが貯まる人間。何か空しくなったり…。そんな時、旅行に出かけませんか?… 「四月の感動」兄の次女が長崎で挙式。子供の頃、私に良く慣いた彼女も20代後半。ハウステンボス内のホテル教会で、花ふぶきした時は涙ぐんでしまった。鹿児島から車で、飛行機で色んな形で皆が集合した。姉の三男も横浜から合流。オランダの運河を模した街並。ホテル内も広々とゆったりした雰囲気。これでストレスも消えそう。鹿児島から高速道路で2時間、四千円位で熊本まで行けます。佐世保からは5時間、六千円位で帰鹿できました。これを参考にすれば九州圏内をもうらして旅行できそうです。
 当日は観光地も回らなかったが、長洲町から国見町迄のフェリー船の中、かもめがエサもらいに30cm近くまで飛んで来たのは感動物でした。 「花見」を何とか実現。同業者の会場へ、参加料を支払し、雨で桜が散る直前に実現。桜ふぶきの中、焼酎・バーベキューを満悦。 「桜んぼ」は異例のの多い春雨で、甘酸っぱい内に急激に落下。ネット張りも手遅れ。鳥達も来年迄、おあづけ…。 「プレハブ室内」を模様替えした。通販で天井迄届く棚を購入。大整理。ややスッキリ。以前より広くなった感じ。 「子雀たち」やド鳩他、小鳥が庭先で鳴く。今、皿に米を少々上げる様にしてます。雀も六羽〜15羽位、集って来ます。 「GW」は、曇り空で出かける気もせず、除草・他。会社の若い三人は福岡、大分等へ行ったが大渋滞だったとの事。梅雨前の天気の良い時にオフをねらって又、私も週末旅に出てみます。次回、書けたら良いですね。
…皆様も人生を、お楽しみあれ…


★「さわやか農園」募集のお知らせ
このたび、縄文の森をつくろう会では、自然環境のとてもよい魚見団地の隣に、「さわやか農園」を企画しましたので、耕作希望者を下記の通り募集いたします。
・野菜などの無農薬、有機栽培に関心のある方
・自分の手作りの野菜を食卓にと考えている方
・野菜を作りたいけど畑がないとおっしゃる方
・畑を借りたいけど全部耕作するのは大変とおっしゃる方     
期間 平成14年6月1日〜15年3月31日
場所 魚見団地の南隣(右の地図)
面積 約2坪(畳4枚程度)
費用 期間中 1200円(水道料を含む)
資格
@野菜、花などを自家用として栽培し、営利を目的としない方ただし無人販売所への提供、バザーなどでの販売は認める
A無農薬、有機栽培を原則とする
B割り当てられた区画は、他人への貸し借りを認めない
C期間を通し、責任を持って管理する隣の耕作者や、農家、住民などに迷惑をかける事のないように、除草・耕作・防虫などを適宜行う。やむをえず、長期に亘って耕作が出来なくなった場合は、返納する。
D期限がきたら全員解約し、次の年は改めて募集する
E全体の活動(たとえば、収穫祭や共有部分の草払いなど)には必ず参加する
連絡先    縄文の森をつくろう会 「さわやか農園」係
 今村俊一  0993(22)4255
     指宿市大牟礼一丁目3-14 



  五月晴れという日は何日あったのだろうかと思われるほど雨がよく降った。
 浮来亭の開店を金曜日の午後八時とした。
 雨にも負けずに来て下さい。




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