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悪霊の恋

 俺の死は、なんとも無残だった。あまりにもむごい死に方だったから、ここでは語らない。俺の心はシベリアの寒さよりも寒々としているから、しばしば俺の前を通る人間は寒いとつぶやく。俺がここで死んだ後、たて続けに事故やら事件やらが起こったから、呪われた場所だとか俺の怨念がまとわりついているなどと、ある霊能者は言っていたが、俺の姿も見えないくせに何を言ってやがると思った。

 ちょうどそんなことを考えているところに、ある女性が現われた。彼女は俺の前に花を置き、目をつぶって合掌した。その姿を見て、俺は恋をしてしまった。死んだ人間が生きた人間に恋をするかと思われるかもしれないが、もともとは同じ人間なのだから、恋する気持ちだってある。

 俺は彼女の後をつけた。彼女はここから少しはなれたところに一人暮らしをしていた。彼女は本当に純粋な人間で優しい気持ちを持った女性だった。彼女を見ているだけで、俺の気持ちは満たされていった。しかし、彼女には男がいた。彼女のことを好いている俺としては、良い気持ちはしない。俺はその男を憎く思った。俺が生きていたらとも思った。体のない俺は憎悪や嫉妬やらの感情を、その男にぶつけるしかなかった。それから数日後、その男は事故死した。彼女の悲しい顔を見ると可哀相な気持ちになったが、その感情だけでないということも嘘偽りない俺の本性だった。

 俺が彼女の家に住み着くようになってから、彼女の様子がおかしくなった。彼女の身のまわりには不幸がたて続けに起こり、彼女はノイローゼ気味になってしまった。俺のせいかと思ってしまったが、俺はただそこにいるだけで、彼女に害を及ぼしているというわけではない。でも、彼女の顔は日ごとにやつれていく。俺はいてもたってもいられない気持ちで、彼女を防御するような気持ちで彼女にまとわりついた。しかし彼女の症状は、一向に良くならない。俺が世に言う悪霊だから、彼女に害を及ぼしているのか。それとも本当に偶然か。俺は彼女から離れるべきだろうか。でも、俺は彼女を好いている。離れたくない。いつまでも彼女のもとにいたい。

 俺はどうすればいいのだろうか。普通だったら、彼女から離れるべきだという人が多いだろうが、俺だって人間の心をもった元人間だ。彼女が好きだという気持ちは誰にも負けない。離れるべきか、離れないべきか、それとも他に良い方法があるのか。今のところ、何も思いつかない。

 何か良い方法が思いついた人は、浮来亭ショートショート係まで。


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[ミルフォードトレッキング イン ニュージーランド」2

 皓以兆

雄大なマウントクックを後にして、一路バスはクィーンズタウンへ向かう。午後ルートバーントラックを主催するルートバーンウォーク社による2泊3日の説明会に参加する。
 ここのコースは森林限界近くまで登りつめてサザンアルプスの山並みを見渡したかと思えば、再び低地に降りてひとけのないマッケンジー湖やハリス湖の岸を歩けるといった変化にとんだ面白いコースです。
 次の日、ガイド社のバスに乗ってテ・アナウ経由でディバィド峠に向かう。今日はディバィド峠からマッケンジーロッジまでの14kmを歩く。ディバィド峠からキーサミット(919m)までの道は穏やかな登り道で、50分ほど歩いたらすぐ到着。
 キーサミットからの景色は、あたかも山々が集まってきたかのような眺めで、360度パノラマの雄大な景色が広がっています。もちろん始めてみる景色で、その圧倒的な眺めに感動した。キーサミットから下は3っの谷が広がっていて、山と谷が作る景色はダイナミックだ。このあたりは降水量が5000mmを超え、こけ、しだ、ちいが地表を覆い、豊かな自然を作り出している。
 キーサミットを降りて、ハウデン湖で、ガイドの方から熱いコーヒーをいただく。トレッキングをしながら、サービスされてとても有難たかった。
 ハウデン湖を後にして、1時間半でイャーランド滝に到着。イャーランド滝は高さ80mで滝壷に落ちる水しぶきは豪快そのもの。亜高山帯の植物の藪の中を通って、さまざまな鳥の声を聞きながら、果物に似た樹(リボンウッド)が桜に似た白い花を咲かせていた。高地で桜見をしているかのようでした。マッケンジー湖畔のロッジに到着。エミリーピークが湖に映る様は息を呑む美しさです。

2日目

今日はマッケンジーロッジからルートバーンフォールズロッジまでの15kmを歩きます。マッケンジー谷のジグザグコースを歩いていたら、天候が変わり強い雨が降ってきた。1500mぐらいのところで、前が良く見えず、足元に気をつけながら歩いていった。
 途中で1人になって、少し心細かったけど、無事山小屋に到着。山小屋でコーヒーをいただきながら、グループのメンバーを待っていた。しかし外人は強い。半ズボンにTシャツ。見ただけでこちらがガタガタ震えるようなきがした。雨が強かったので、周りの景色を楽しむ余裕などなく、ただ山小屋に早く着きたいだけだった。

3日目

今日はルートバーンフォールズロッジから最終地点をめざします。下り坂を歩いて、フラッツハット(700m)を目指し、あるくと赤ブナや山ブナの森の中に入る。鬱蒼としたブナ林が続く。
 途中、イタチを見た。この動物は元々ニュージーランドにはいなかった動物。人間と共にやってきて、もともといたとべない鳥などを襲い、絶滅した鳥、数が激減した鳥もいて、今イタチを駆除しているそうだ。低地に降りてきて、山からくねくねした川が流れている場所に着いた。山と川と森。絵に描いたようなロケーション。人はいず、周りは川の音と、風の音、そして小鳥の音だけ。川は底の小石が透けて見えるほどきれいだった。昔の日本の川もたぶん一緒だったに違いない。
 そこから少し歩いて無事ルートバーンを走破。39kmを2泊3日で歩いたわけだけど、さほど疲れもせず、体力がついたのか自己満足してルートバーンの看板の前で写真を撮って、夕方宿で完歩証をいただいた。

一生の記念になるし、自分がやり遂げたんだという充実感でとても嬉しかった。

次は最後のミルフォードトラックです。


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 技芸にすぐれて名のある人を名人と世の中では言うのだそうですが、はたして私たちの周りでそのように呼べる人は何人いるでしょう。自称名人という方を除けば、隠れ名人は指宿の随所におられるはずです。これら名人を探し求めて旅に出ようと思います。どうぞ、ご期待ください。

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上吹越 金雄さん

 二月田駅前に将棋名人がおられると聞きつけた。とりあえず二月田に走った。駅前に行くとそことすぐわかった。独特の字体で墨書された手製のポスターが<指宿将棋センターはここ>と主張している。センターは元店舗だった所を利用していつでも出入りできる作りになっている。「こんちは」外から声をかけると、将棋台が並ぶ床の上で、ポスター製作中の方がひょっこり顔を上げられた。「はいどうも」上吹越さんだった。

 坂田三吉のお膝元、兵庫県は尼崎で生まれ育った。「小さいときから将棋をして遊び、川鉄勤務中も盛んにやってました」 「長男だったので、昭和32年会社退職と同時に親爺のふるさとに帰ってきたわけです」帰ってきた指宿では好きな将棋を指す人が少なかった。「何とか将棋人口を増やしたい」と、昭和62年7月、第一回夏休み将棋教室を柳田校区公民館で開いた。このとき集まったのは6歳から79歳までの34名。「これですよ」上吹越さんは当時のままの名簿を取り出された。「よき指導者になるためには資格取得から」と考え、平成13年3月、日本将棋連盟の6段位を獲得。昭和60年に初段を取ってから足掛け16年の快挙だった。「自分ができることで地域のお役に立てることは将棋だ」という熱い思いから懸命に努力された結果だろう。「靜慮断行」と書かれた二上達也日本将棋連盟会長のお祝いの色紙が見える。その後資料を山のように見せてくださった。恥ずかしながら上吹越さんがこんなに有名な方とは記者露知らず。「ここに私のことは全部載ってますから」と平成13年5月15日付けの鹿児島新報記事も頂く。さらに同じ5月、いぶすき広報「旬の人」にも載っていた!

現在「礼に始まり、礼に終わる」を「絶対的モットー」に、毎週土・日に小学生を対象に無料で教室を開いている。山川、開聞からも生徒が来るという。さらにさらに平成13年11月市社会教育功労者賞受賞。「まあこいだけ認めて頂いたので、やあかぎいやってみますが。毎晩村湯に行って体だけには気をつけています頂いた資料の中に「将棋の格言」というのがあった。その中からいくつかを。「敵の飛車見て自玉を囲え」「玉は角筋を避けよ」「金は引く手に好手あり」「桂は控えて打て」「うますぎる時には注意せよ」「玉の腹から銀を打て」何だか人生訓のようでもありますな。

では写真を撮らせてください。今年5月で満80歳。指宿でたった一人のアマ6段が6段位の免許状の前でその優しそうな手を見せてくださった。


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の幸ちゃん

「暑いの、寒いの」と言いながら、人間ってケッコウ長生き出来ますね。車だって寒い朝でも、しっかりエンジンかかるし……。ちょっと凄い事なのかナ?! 「きんかんの実」をカラスが喰い尽くす。人間は皮を食べるのにカラスは外皮をすて、中身を喰っている。遂に食糧も無いのか…? 「三月の感動」姉の三男が私と同じk高校を卒業し、某・大企業へ就職できた。明日は東京へ行くと、家を訪ねて来た。私もあの頃は人生はバラ色の如く、考えていた。ひとつのフシメを感じる。「自分の道を拓いて行け。もう鹿児島には帰って来るナ」と元気づけて別れた。私に一番なついていた。彼の人生に良き幸福を願う。 「花見」はもう済みましたか?行きつけのスナックのママは店をやめ、仕事帰りは4トン車で帰宅の為、居酒屋に寄る事も無く、今年は花見相手が居ません。ちょっぴり哀しい春です。 「ちょっと人助け」@高校時代に映画2本立てと勘違いして、「小さな恋のメロディ」他を観に行った私。当時としては初の入替制≠セったのだ。招待券で2回観るつもりが、無料招待券はもう一枚別の並んでいる人に進呈してしまった私でした。A以前の「ぶうめらん広報」取材中に財部町の山間部で単車の高校生らしき数人の中の女性一人が、転倒した様子。車を止め、私は持ち合わせの保冷剤を進呈し、すぐ病院へ連れて行く様に事付けた。 「連ちゃん」から「浮来亭の歌」のテープが届いた。ほのぼのとした歌調子で「海の男の歌」っぽく、河島英伍をホーフツとさせるフォーク調で、いやし系の唄。酔って全員で歌うと、ホノボノ来そうでした。感謝・合掌!!皆様、良い春を……   (以下次号)



水曜日は通り会の人達と、巨人戦とサッカーを見ながら楽しく飲んで午前様になってしまった。
 次の日の木曜日は商工会議所の青年部の総会に相談役という事で、今村さんと一緒に呼んで頂いて、楽しく飲んでやっぱり午前様だった。
 金曜日はフライデーで浮来亭。やっぱり…だった。
 一日置いて、日曜日は野外での結婚式。お昼頃から飲み始め、3時以後はあまり覚えていない。
 5日間で4日も飲んだわけである。体の事もちょっとは心配だが、私は飲んだ時に大きな声でHな事を叫ぶという悪い癖があるから、そっちの方が心配である。
 気にし始めたら、気になって仕方ない。仕方がないから、考えないためにも今晩も飲む事にするか。

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