81 号

「出来たよ、出来た」と携帯電話にSさんの大きな声が響いた。続いて「今どこにいる?」電話してきたのに、何処にいるはないだろうと思ったが、携帯電話というのを忘れてた。カセットを用意しておいてくれとの事だったので、音関係だなという事は私でもわかった。
やって来て、聴かせてもらったのは「菜の花マラソンの歌」だった。
二人で何度も聞いて、感激して、ビールで乾杯した。
とてもおいしくビールが飲めた。
Sさんが帰った後にもう一缶飲んだ。やっぱりおいしかった。Sさんの喜びの顔に感激したからだった。


82号

 商工会議所の青年部の顧問という事で、デザイン会議の夜学塾に参加した。ダイワの前の「中村」さんで塾があった。
 ローマ字とカタカナの肩書きの講師なので、どんな話が聞けるのかと楽しみにしていた。視点の違う話が聞けるのではとも期待していた。講師の乾杯で塾が始まったのだが、参加者の自己紹介をしてくださいということで、一回りしたら時間はかなり経っていた。塾というより飲み方のようだった。講師の方も飲むのが好きなようで大きな声で飲んでいた。こっちもけっして飲むのは嫌いでないからやはり大きい声で飲んだ。塾が終わった。帰ろうとしたら、もう一人の素敵な女性講師の方が「むさし」さんで課外授業をしているとの情報が耳に入った。飲んだ勢いと根っからの女性好きということでずうずうしく出席した。とてもシャイな講師で酔った私の質問に小さい声で答えてくれた。何だか場を乱しそうなので早々退散した。
 次の日に菜の花館でデザイン会議があった。
昨夜とは打って変わった女性講師の話が聞けた。
女性が益々解らなくなった。


83号

 摺ケ浜の丸富さんで、姶良の干支会の方達7人と年甲斐もなくドンちゃん騒ぎをした。Sさんの作ってくれた『浮来亭』の唄が酒を飲めとあおるのでビール・日本酒・焼酎とかなり飲んでしまった。途中から隣で食事されていた旅の方も加わった。次の日、ホンの少し騒ぎすぎたのではと反省した。後日、旅の方からメールを頂いて、反省を撤回して酒は飲むべしと思った。
その大事なありがたいメールをを書かせていただきます。


84号

 ボーナスでCSのアンテナとチューナーを買った。早速その夜から見た。かなり多くの番組を見られるから、大変迷った。でもスポーツ・ニュース・映画に落ち着いてきた。
映画を見始めたら、深夜になってしまい、寝不足気味の日が続いている。パソコンと本の時間が削られた。やりたいことがたくさんあるのも良し悪しだなと思ったが、自然に任せようとも思った。


85号

 今年の年賀状に「楽しい事を見つけたい」と書いた。それがすぐ見つかったので嬉しかった。年末に入れたスカパーでの映画である。仕事のある日は1〜2本で、休みの日には4〜5本見た。目標を立てるのが好きなものだから、早速目標を「今年500本」とした。
 映画は本と似ているところがあって、登場人物になって遊べる。いろいろな人間になれる。いろいろな人間がいるものだとびっくりする。
 でもちょっと心配な事がある。もし登場人物が素晴らしく、その人になりたくなって真似していたら、二重人格どころではなく五十重人格になってしまうのではと…。


86号

 マキコさんとムネオさんはどっちが悪い人なのだろうか?
 テレビの国会中継を見ていた。両名参考人として呼ばれて、さんざんに追求されていた。特にムネオさんには容赦がなかった。ハッキリしなかったのか、後味が良くなかった。
 夜、最近はまりにはまっているスカパーの映画を見ていた。アメリカ映画で法廷物である。弁護士も検事もカッコの良いセリフがドンドン出てきて実におもしろい。そのうちに内容も良いので、煙草も吸わずに魅入っていた。殺人を犯した者を裁くわけであるが、検事は当然に被告の悪を追及し、弁護士は弁護する。被告は検事が尋問しているときには悪人に思えるが、弁護士が弁護しているときには悪人には見えない。結局7年の刑が申し渡された。
 その後、ニュースで又国会のことをやっていた。今度は検事さんだけの裁判のように感じた。弁護士さんの場面は無かったのかなと思った。
 寝る時に昔、田原総一郎さんの言ったことを思い出した。『カメラって恐いものですよ。けんかしている時に片方のほうだけからカメラを撮っていたら、撮られた人が悪人になってしまいますよ』だった。
分からなくなってきた。
分かったことは悪い人・悪い事を探している自分がいるということだった。


87号

浮来亭の歌は
「春になったら酒を飲む
話の種が芽を吹いて
花が咲き実を結ぶ」 で始まる。
 花は咲いていないが、芽を吹き出したものがある。それは「いぶすき遊湯山めぐり」(指宿市郡の山に登ろう)というのである。熱心な人の熱い語りに熱が出始めたようである。
 という事で、某日に3人で魚見岳・大野岳・開聞岳を一日で登ってみた。
 朝の7時に出発して午後の5時に帰ってこれた。これで閉じたら話にならないので、ちょっとあったことを。
魚見岳では海と山がきれいに見れた。大野岳では海と山がもっときれいに見れた。開聞岳は「わあー」だった。それとすれ違った人達の顔がとても素敵だった。山に登る人はいい人のようだ。
 その夜、気持のいい風呂に入り、美味しいビールを飲んで寝た。よほどいい人になりたかったのか、山に登る夢を見た。


88号

 水曜日は通り会の人達と、巨人戦とサッカーを見ながら楽しく飲んで午前様になってしまった。
 次の日の木曜日は商工会議所の青年部の総会に相談役という事で、今村さんと一緒に呼んで頂いて、楽しく飲んでやっぱり午前様だった。
 金曜日はフライデーで浮来亭。やっぱり…だった。
 一日置いて、日曜日は野外での結婚式。お昼頃から飲み始め、3時以後はあまり覚えていない。
 5日間で4日も飲んだわけである。体の事もちょっとは心配だが、私は飲んだ時に大きな声でHな事を叫ぶという悪い癖があるから、そっちの方が心配である。
 気にし始めたら、気になって仕方ない。仕方がないから、考えないためには今晩も飲む事にするか。


89号

 テレビで中国の日本総領事館の問題が取り上げられている。
 最初は凄い場面がよく生で写されたものだと感心していたが、段々言った、言わないと色々やりあっているのを見て、少々納得がいかなくなった。
 困った人間がいたら何とかしてやりたいと思うのが人情である。国のメンツがどうのこうので、問題をこじらせているようでならない。そんなに国のメンツって大事なのだろうか?
 昔は日本の国内でも戦をしていた。でも同じ国民だと思うようになったら戦わなくなった。世界の国も一緒になって同じ国だと思えるようになれば、戦争はなくなるかもしれない。早くそうなって欲しいものだ。どこに枠を作るかがポイントのようだ。
 そんな事を思いながらも、今後どうなるのかとテレビを一生懸命見ている自分に気が付いて恥かしくなってしまった。テレビは本当に恐いと思った。


90号

 スカパーというテレビチャンネルがある。
 かなり多くのチャンネルから自分の見たい番組を選べる。
 契約したのが12月だったので、野球はオフシーズン。それなら映画を見ようと思い、映画のチャンネルを契約した。毎日平均2本は見ていた。野球が始まってからは当然映画を減らして野球にした。巨人は地上波で見られるし、他の試合も殆ど見られる。
 貪欲に生きるのが好きなので、パソコン・ニュース・教養・旅・英会話・音楽と色々見られるパックにも契約した。それでも毎月5000円くらいである。凄く偉くなったような気がしていた。しばらくは毎日、今日は何を見てみようかと番組表を見ながら悩んだ。
 パック契約して一ヵ月たった。
 今見ているのは野球とサッカー(Wカップ期間中だけのような気がするが)だけである。見たいのと見るのは違うことがよく分かった。
 自分の好きなことを知るにはスカパーが良いと思った。


91号

休みの日に久し振りにスカパーの映画を見た。
「私家版」という映画だった。
小さな出版業を営む主人公である。生き方・言葉が実にかっこいい。子供に戻ったように、年を取ったらあんな人になりたいなと心に決めて見ていた。
でも途中で諦めざるを得なかった。主人公は50歳だったし、左効きだった。


92号

 正月とゴールデンウィークとお盆は観光客が指宿にたくさん来てくれる。
 ということで、お盆に砂むしの駐車場の手伝いに出かけた。県外からの車がたくさん並び、どこから来たのかなと見るのが好きである。今回は北海道のナンバーは見なかったが、毎回1〜2台は見ることができる。沖縄ナンバーも見かけたことがあった。本当にありがたいことである。旅行の目的の中に砂むし入浴があるらしく、
「すみません。今、駐車場は満杯になってます。一時間くらいお待ち下さい」
と声をかけても
「せっかく来たから待ちますよ」と答えてくれる方がほとんどで恐縮してしまう。
 三河ナンバーのちょっと恐そうな若者のグループが駐車してこちらに歩いてきた。勇気を出して
「おはよう!」
と声をかけたら、礼儀正しく恥かしそうに「おはようございます」
と答えてくれた。調子に乗って
「遠くからありがとうね。おじさんは静岡の天竜市の出身なんだ」
と言ったら、今度は親しそうな笑顔が返って来た。1時間くらいして若者達は汗を拭き拭き真っ赤な顔をして暑い日差しの中を帰って来た。
「砂むしはどうだった?」
「凄く熱くて10分も入れなかったよ」
「でも、汗をたくさんかいたなら体にはいいから良かったね」
「そうだね」
と、会話を交わし車へ。車が駐車場を出るときに窓から顔を出して
「おじさん、暑いけど頑張ってね」
「ありがとう。冬の砂むしも良いから冬にも来てね」
「わかった。又来るからね!」
 それを聞いていたのか、中年のご夫婦と思われる方が
「冬の砂むしも良いかもね。我々もまた来るよ」
と声をかけてくれた。
車が駐車場を出るときに、車のナンバーを見るとこれまた三河だった。
同僚に「愛知県の三河って良い人が多そうだね。きっと良い所かもね」とつい言ってしまった。
 その日はずっと三河ナンバーが気になっていたのか、実際そうだったのか、いつもに比べて三河ナンバーが多かった。
 旅に出て良い所だなと思うのは、景色・食事よりも良い人に出会う事だと確信して、今度静岡に帰るときは三河の豊橋あたりで途中下車してみようかなと寝る時に思った。


93号

 法事があったので6年振りに実家の静岡に行った。
兄弟姉妹で6人。私は下から2番目で男では1番下であるから、兄達から見れば幾つになっても弟である。今回も出来の悪い弟なのか、少し心配をかけていたようであった。でも近況を喋りあっている内に段々気を使わなくても良くなって多いに喋った。
その中で、『私は将来乞食・坊主・役者をやりたい』と言ったのを聞いていた次男が、法事にみえたお坊さんに『袈裟の古いので頂ける物はありませんか』と聞いてくれた。お坊さん、訳を聞いた後に『それなら、総本山の知恩院で修業しなさい』とおっしゃってくれた。兄達と喋っている時には、お坊さんになりたいというのはまだ10%位の気持だったのが30%位になってきた。
指宿に帰る時、京都に泊り、朝6時前にホテルの自転車を借りて知恩院を見に行った。途中で道に迷っている時に千鳥足のアベックが近寄ってきて、道を親切に教えてくれた。朝の6時なのに近くで飲んでいたのだろう。そういえばここは祇園だった。『中国式マッサージ』という周りが点滅の看板が何軒かあった。こんな時間も営業しているのだろうかと嬉しくなった。舞子さんが歩きそうな『花小路通り』というのもあった。
知恩院での修業の気持は60%になった。つばめの車中でこれは運命なのではと思った。


94号

「連ちゃん!お坊さんになるんだって?」と声をかけられた。
「…?!」
 そう言えば、先月号の浮来亭に坊さんなりたいと書いたんだった。
 75才まで生きるとして、まだ20年ある。死ぬまでにあと2〜3の職業(人間)をしてみたいと思っている。だから、「坊さんになりたい」を気楽に考えてもらいたい。でもこんな気持だったら修業させてもらえないかもしれないし、お坊さんに怒られるかもしれない。
 「教祖になるしかないな」と寝る時に思った。


95号

 市民会館に勤めるようになって3年半、照明の担当になって2年弱。やや慣れて来た感がある。始めのうちは夢中で操作していたので、舞台上での演じられている物を見たり聴いたりする余裕は無かったが、今は少し見たり聴いたりする事が出来るようになった。
 市内の小中高校の音楽発表会があった。私は音痴なので音楽のことは良くわからないが、子供達が一生懸命歌ったり演奏している姿に感動して涙が3度ほど出た。
 寝る時に、一生懸命な姿は周りに感動を与えるんだとわかり、できるだけそんな生き方が出来ればなと思った。


96号

 テレビでマラソンをやっていた。30Km付近での折り返し地点だった。
 人生の折り返し地点って何歳ぐらいだろうかなと考えた。でも指宿菜の花マラソンは折り返し地点はないんだとも考えた。
 寝る時に思った。いずれにしてもゴールはあると…。


97号

朝と夜…。
最近、飲みに行くことが多くなった。息子よりも若い女性がいる店に『愛があれば年の差なんて』と、うそぶいて通っている。
程よく飲み、程よく歌い、程よくくどく。これが結構楽しい。家に帰ってからも、夢を膨らまして眠りにつくわけである。
夜っていいなあと思っていた。
が、ちょっと気になることを考えたりすると、落ち込んだりして眠りにつくのが遅くなる。これがしばらく続いたりすると……。
さらには風邪を引いたり、飲み過ぎで吐いたりしたら……。
夜が恐くなってきた。
ずっと(30年位)朝が苦手だった。勤めるようになって、7時に起きるようになり、最近は朝風呂で東郷温泉に行くようになった。いつも追われているようで、余裕はないが気分はいい。
朝が好きになってきた。
恐くても、今日も夜は来るんだ。早く寝るか、考えないようにするしかないのかな?
小さい頃、お袋が『目がつぶれた』と言って、早く寝てたのを思い出した。お袋は悟っていたのかもしれない。 


98号

「千里の空も一つ家」というメールが来た。
 差出人は静岡の高校時代のテニス仲間である。卒業後、東京にいた頃は何度か会っていたが、指宿に来てからはそんなに会っていない。たしか4・5年前の年末にテニス仲間の7人(同級生3人と一つ後輩の4人だった)で指宿に来てくれた。その時は30年振りに会った後輩もいたが、30年経っていたなんて全然感じない時間を過せた事を思い出した。
 用もないから電話はしないし、手紙はおっくうだしと音信は年に一度の年賀状だけだった。その年賀状に近況とメールアドレスを書いたので、生まれ育った静岡の人達からのメールが増えた訳である。
 その晩は酔っていたのでキーを打つのが面倒だと電話した。相手も酔っていたようだったが、会話は直ぐ終わった。お互いに言いたいことの十に一つも言えなかったのではと思った。電話は要件を伝える道具という事がよく分かった。
 寝る時に、女房はよく長電話していた事を思い出した。そんなにたくさんの用事があったんだと、ちょっと不思議な気持になった。
 ちなみに電話の会話は冒頭の「千里…」は「遠く離れていても一つの家にいるようなものだ」と彼が恥かしそうに言ったことだけだった。


99号

 知らないうちに、浮来亭の庭の桜が咲き始めていました。通りの少ない所だから、見てくれる人は少ないようでちょっと可哀想です。永田さんのところの桜はもう満開のようです。綿菓子のようで凄く美味しそうです。
 場所もそんなに離れていないのに、咲き方が違うのは何故なんだろうかと考えてみました。色々考えて結論が出ました。永田さんのところの桜は多くの人に見られるから『きれいになろう。きれいと思ってもらいたい』という気持ちが強いのに違いありません。きれいになれば見る人はもっと増え、桜はもっときれいになるに違いありません。
 人も同じかもしれないなと寝るときに思いました。きれいになりたかったら、『きれいになりたい』という気持ちを持って多くの人と接すれば良いんだ、と。『良い人になりたい』という気持ちを持って多くの人と接すれば良いんだ、と。
 今年の春はいつもよりいい春を迎えられるかもしれないと思いながら寝た。


100号

 二日酔いで目が覚めた。顔を洗い、風呂に入ったらしゃんとした。自転車で仕事に向かう時、知らない人だったが挨拶をした。気分がよくなった。日々平安っていいなと思った。


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