41号

 我が家のトイレのカレンダーには標語が書いてある。
 5月は「こだわれば 正しいことも 争いの種」とある。最初は最もだ、こだわらないように生きるべきだと納得していたし、事実そう生きていると自信があった。
 毎日見ているうちに悩みが始まった。争わないためには正しいことにも目をつぶらなくてはいけないのかな?とか。争っても正しいことは言った方がいいのでは?とか。正しいことにこだわっても争わないようにすればいいのでは?とかである。
 なかなか結論が出ないので、女房に意見を伺ったら「これを見たとき貴方にぴったりの言葉と思ったわ」だった。
 ひょっとしたら、一ヶ月間この標語にこだわるかも知れないと頭が痛くなった。しかし女房って怖いですね。


42号

 前回お話したように、我が家のトイレには浄土真宗の暦が掛けてある。
 今月のは「この日この時この場所が私の人生」と書いてある。なるほどなるほどと納得するわけであるが、あんまりすんなり受け入れたくないのが私の悪い癖である。今を大事に生きなさいと解釈するのが普通だと思うが、思い出した事がある。
「お寿司を食べる時、美味しいものから食べますか?美味しいのは最後に食べますか?」という質問である。その時の返事は「美味しいのは最後にとって置きます」だった。何故かというと、いつだったか忘れたが、ある人から「目標を持って生きなさい」とか「若い内は買ってでも苦労しなさい」と言われたからである。目標を持ってしっかりと歩んできた自信はないが、そういう生き方の方が自分にあっているような気がしていた。
 でも、お寿司の問いかけをした人は「私は美味しいものから食べます。そうすればいつも一番美味しいものを食べられますから」だった。
 人生とお寿司を比較するなんて、人生にもお寿司にも悪いような気がするが、今同じ質問をされたら、どっちを答えるのか自信がなくなってきた。


43号

 常識が解らなくなった。
 お葬式の時、隣の人が話しかけてきた。無視するわけにもいかないので相槌は打った。こんな時に話しかけるなんて常識のない人だと心では軽蔑してしまった。
 家に帰って着替えをしようとしてた時である。普段と違う服装の父を見た息子との会話は以下の通りであった。
「お父さんどこ行って来たの?」
「お葬式」
「家に入るとき塩をふったの?」
「いや…」
「常識ないね」
 自分では常識を持って生きてきたつもりであったが、どうもそうではない時がかなり沢山あったのかも知れない。
「変わっているね」って言われた時には、もう一度自分の行いを見つめ直すことが必要なのかも知れないと思った。
でも常識って一体誰が決めたんだろうか?


44号

 自転車の二人乗りしていた子供達に注意したら、恥かしそうに辞めた。
 注意した自分の方が恥かしかった。


45号

 朝、女房に優しい言葉を掛けられ今日は良い日になる予感がした。
 花に水を掛けながら、行き交う知らない人にもおはようございますと自然に声が出た。午後になり、集金に行くときもいつもなら車だが、今日は250CCで出かけた。赤信号で止まったときに、横から車が割り込もうとしてきた。どうやら車線を間違えたらしい。やっぱりいつもなら、知らない振りをして前を向いているのだが今日は違う。わざわざバイクを後ろに下げて割り込ませてあげた。車の人が窓を開けて嬉しそうに「すみません」と言ってくれた。照れながら「イヤー」と手を挙げた。
 でも心では「お礼を言うなら内の女房に言ってあげてよ」と言っていた。


46号

 宴会でのことである。A氏とB氏がごちそうを譲り合っていた。見ていてとても微笑ましい。暫くしてもごちそうは余り減ってない。他の料理はあらかたなくなっていたのに…。
 その夜、そのことが気になった。有る推論が浮かんだ。A氏はaという料理が好きなのでB氏にすすめた。B氏はbという料理が好きなのでA氏にすすめた。ところが二人とも余り好きではなかった。自分が好きだから相手も好きだろうと錯覚したのかも知れないし、そうと判っていたら譲らず自分で食べたかも知れない。もしそうだったら無駄な思いやりをしてしまったことになる。
 ひょっとしたら、常日頃こういうことは結構多いのかも知れない。自分の気持は明確にした方がいいのかもしれないと思った。


47号

「連ちゃん遊ぼう」と店先で可愛い声がした。
 時々遊びに来る小学1年生の女の子である。いつもは三人で来るのだが、慣れてきたのか今日は独りで遊びに来た。夏休みのラジオ体操で友達になった子供たちの一人である。
 しばらくパソコンで遊んでいたが、飽きてきて机の周りの探検を始めた。貯金箱を見つけ「私も貯金するんだ」と言った。「そう。おじさんは貯めるのより、使う方が好きだけど」と意地悪く質問した。困った顔をしながらも、あれこれ会話が続いた。とうとう怒ったように「お金のことばっかり言ってたらダメよ」帰っていった。
 しばらくは、あわせる顔がないなと思った。

48号

 12月9日、日記を書こうとして思いだしたことがある。2年前の12月9日にパソコンと知り合ったことを。 知り合ってからは完全に心を奪われてしまった。こんなに私の気持ちを動かしたのだから、12月9日を「パソコン記念日」とすることにして、早速日記に記した。
 日記が好きで、いろいろな日記を書いてきた。例えば普通の日記・表日記(書くのが苦手の人に勧めたい)・エッセイ日記・川柳日記・パソコン日記・営業日記である。来年はもう一つ増やせそうだ。心を動かすことがあったら○○記念日とする「記念日日記」である。来年一年間で何日の記念日ができるか楽しみである。


49号

 今年の年賀状に「したいこと」にこだわると書いた。
 正月の1、2日は年に一度の休みである。早速「したいこと」をしようと思った。すぐには思い浮かばなかったので、とりあえず年賀状を見てテレビを見た。少しウトウトしてから又テレビを見てパソコンで遊んだ。すぐに寝る時間になってしまったので寝た。
 二日目、今日こそはと思いつつテレビを見てウトウトしてパソコンをした。やっぱりすぐに寝る時間になってしまい寝た。
「したいこと」って何だろう?
ごろごろすること。テレビを見ること。パソコンで遊ぶこと。だったのかな?


50号

 猫が死んでいた。寒さに耐えられなかったようだ。
 大きい声では言えないが、実は猫の人知れずいなくなる死に方に憧れていた。
 猫の姿を見て、別の死に方を考えなくてはと少し憂鬱になった。


51号

 好きなことがあって、それをやれることはすばらしいと思っていた。
 この2年間とちょっとはそんな気持ちだった。それくらいパソコンが面白く、没頭していた。その為と言っては変だが、他の楽しいことをする時間は当然少なくなっていた。先日久しぶりにゆったりとした気分で本を読んだ。以前ほどの楽しさは感じなかったが、少し落ち着いた。
 没頭するのは良いのか悪いのか考えなくてはと思った。


52号

 膝が悪くなって5ヶ月になる。菜の花マラソンも走れなかったし、大野岳マラソンも走れない。つまらないと思いつつ整骨院に通っている。
整骨院の入り口に犬小屋があり、もちろん犬が居る。愛想の悪い犬でこっちが行き帰りに声を掛けても横目で睨んでいるだけである。何とか声を掛けて貰いたくて暫く話しかけるのだがダメである。ひどいときには大きな声でしかられる。どうやら人間が嫌いなようである。
殆どの時間は小屋の中にいて寝ているようだから、かわいそうだと思い仲良くなろうと声を掛けたのは考え違いのようであった。
犬のように飄々と生きられれば、つまらないと思うのも少なくなるのではと思った。


53号

 母娘で仲良く買い物に来られた。話しを聞いたら、実の親子ではなく嫁と姑らしい。以前は折り合いが悪かったとのことだ。無理して一緒に外に出かけるようになってから仲良くなったとのこと。
 そういえば、兄弟喧嘩をよくする兄弟でも、外では仲がいい。
 もし、地球に宇宙人が攻めてきたら、戦争が無くなるのではとバカげたことを考えてしまった。


54号

 「疲れた!」と、息子が帰って来た。つられて「お父さんも疲れた」と、言った。
 息子の話しを聞いて見たら、朝6時くらいから殆ど休まず午後7時過ぎまで働いたそうである。私はと言うと、ほとんど座りっぱなしであった。なのに共に疲れたと言い合ったわけである。息子は『疲れた!』と言いながらも、満足の顔をしている。私は死にそうな顔である。別に遊んでいたわけではないのだが、息子にあわせる顔がなかった。
 疲れには肉体的と精神的があることが分かった。できるものなら、疲れるのは肉体的な方が良いなと思った。


55号 

 お昼の愛妻弁当を食べゆっくりしていた時に「今日は!」と,明るい声がした。昼休みの貴重な時間を取られそうで警戒したが、押し切られてしまった。
 実は今月の初めから市民会館で働くことになったので,弁当と昼休みが楽しみのひとつになったわけである。
 明るい声の主たちは劇団の若者たちであった。夕方の公演のために今から準備をするらしい。15名くらいの若者たちが無言で手際良く3時間くらい舞台作り・音響・照明と開演に向けて頑張った。休む間もなくリハーサル・本番と続き、片づけが終わったのが夜の10時だった。話を聞けば、明日は福岡に移動だそうだ。「好きでないと出来ないね」と問うた時に「ええ」と輝いた目で答えたのが印象に残った


56号

 職場が変わったので、当然環境も変わった。
丹波校区の一番賑やかなところから一番静かなところに変った。仕事に少しなれた頃に、静かな環境を喜んだ。50を越したことだし、これからは少し落ち着いた思慮深い生きかたも良いのではと一人ほくそえんだ。
 が、一週間もしたらもうだめだった。海の青も魚見岳の緑も感じなくなった。さらには、祭りという追い討ちをかけられ、完全にもとの自分に戻っていた。
 環境が変っても人間は変らないのかもしれない。
 いずれは「屋久島に住みたい」なんて格好のいいことを言っていたが、撤回しておかないと恥をかくことになるのではと悟った。


57号

 草取りをしていて凄く疲れたので「肉体的に限界だ」と言ったら、「精神力で頑張れ」と言われた。しばらくして「精神的にも限界だ」と言ったら、「終った後の喜びで頑張れ」と言われた。菜の花マラソンを思い出して頑張った。本当に疲れた。
 でも、夜のビールは美味しかった。


58号

 怒られた。いや注意された。いや教えてもらった。
 新しい仕事なので、失敗が数多い。当然、失敗の無いように注意が多い。しょげたりして落ち込む時もある。あまり落ち込むと注意した人に悪いので笑ってごまかしたりする時もある。息子も時々落ち込んで帰ってくるときもある。物心がついてから親に怒られた記憶が二回しかないので、怒られ方がわからない。息子もそうなのかもしれない。
 親子揃っての「激励飲み方」をする。
 飲んでいるうちに発見したことがある。それは、怒られる(注意される・教えられる)経験が少ない事はいい事ではないという事である。
 今からでも遅くはない。おおいに怒られよう。
 今流行の「ぷっつん」はこの辺にあるのでは、とも思った。


59号

 我が仕事を惚れ直した。
 なぜかと言うと、仕事をしながら色々なものを聴けるし見れる。まず聴けるものはというと、色々な生の音楽と講演。生の音楽は歌と楽器(ピアノソロから管弦楽)。講演は堅いものから柔らかい落語家の講演まで色々有った。見れたものは映画・芝居・踊り・ダンス・太鼓・歌謡ショー・バレー(聴くのも混ざっているが)などさまざまだった。
 発表されるものも素敵だが、それ以上に一生懸命に生きている姿を見せてもらえるから、すばらしい。
 今日は市内の小中高生の音楽発表会があった。発表会の前に指商の学生さんが明るい声で挨拶をしてくれたし、発表会の最中も手伝いを一生懸命してくれた。
 小学生の男の子が元気一杯に頭を大きく振りながら歌っているのを見ていたら涙が出て来たし、始まるまではダラダラしていた中学生が始まったら立派に歌ったのも涙が出た。最後の高校生の演奏はアンコールしたくなるくらいに良かった(実は全て良かったのですが)。
 寝る前に子供達の顔を思い出しながら「これからの指宿が楽しみだ」と思った


60号

 三才くらいの男の子が、駅のホームで大きな声を出しながら遠くを指差していた。
 何だと思って、指差している方を見ると電車だった。
 男の子は電車がホームに入ってくると、横のおばあちゃん(たぶん)にその興奮を全身で伝えた。電車に乗ってからは窓に顔をつけながら外を一所懸命に見ている。時々『オー』とか『ワァー』とか言っておばあちゃんに伝える。私は本を読んでいたのだが、何が見えるのか気になって仕方ない。指差す方を見るのだが、全然わからない。何の変哲もない山と海である。ある時は指も差さずに大きな声を出した。さらにわからなくなった。このままではもやもやの一日になってしまうと思い、思いきっておばあちゃんに尋ねた。『私もよくわからないのですが、電車が好きですから、多分電車のスピードとか音に興奮していると思いますよ』との返事。
 西鹿児島駅に入るやいなや立ち上がって『つばめ!つばめ!』
 降りる時『ぼく、そのまま大きくなれよ』と声を掛けたら、きょとんとしてからニッコリ笑った。
 寝るときに、ぼくを直方の伊藤さんに紹介してあげれば、二人でずっと電車の話をするだろうなと思ったが、ぼくの名も所も聞いていなかった。


-トップページへ-