の幸ちゃん

『なんちゃって・・・』
 鹿児島出身なのに(?)北海道で就職してしまって、新潟では、“なんちゃって北海道人”“なんちゃって鹿児島人”と云われています。―どっちつかずで、使い物にならない、どっちの本命でもないと云う意味らしいです。殆どバカにされている私です。でも、どこかの業界で、何かの仕事で今以上に私を生かせれればとも考えている。ただ、私の残りの人生が少ない。―今の現場は2012年のGW頃まで、らしいです。その先は判りません。
“年齢不問”の仕事か、ホームレスか、富士の樹海でしょうね。・・・これが「伝説の男」の一部です。

『腰痛、ふたたび』
 ガスボンベをトラックに積み込む際、右膝をグキッとやってしまった。牛乳配達の頃は左側だった。又、次に重い物を持ったので、右腰がやたら痛い。翌日は仕事を休んだ。中座から立ち上がれない状態になった。本当にトシを感じる。いよいよリタイヤか?
 私の人生の死期も迫っている気がする。
◎現場事務所の隣に喫煙所のプレハブが有る。若い連中が10人位、タバコを吸いながら、話す事も無く、Kタイでメールかゲームをしている。皆が、ロボットに見えた。“個の世界”に入ってしまっている。ベラベラしゃべっている人も居るけど、それ又、ウルサイけど、kタイにばかり集中している一団は、空恐ろしくさえ感じる。「人との触れ合い」(コミュニケーション)は、どこへ行ったのでしょうか?

『ポイントカード、好きですか?』

 スーパー、薬局、コンビニ等でポイントカードが有ります。利用してますか?私も色々、使ってますが、薬局で土日は4倍とかで、次々と貯まって行き、1900円の次は、いきなり3000円分の商品購入券が貰える薬局に通っております。しかし、一度で3000円分の買物、するでしょうか?300円、500円位、貯まった所で、ポイント買物しております。

『旨かった食品』

@子どもの頃、近所に市場で働くおじさんがおり、生チョコを時々、持って来て呉れた。板チョコでなく、原点の生で、ただドロドロと、ベトベトしていた。器か何かに持って来て呉れて、ハシかスプーンで食べたと思うが、ハッキリ覚えていない。ロクロク、おやつも無い時代に、今で云うスイーツだ。すっごく御馳走に思えた。市場で生チョコ?その関連も未だ、判らぬままだ。
A鹿児島の家で畑を作り、自家菜園していた。味噌汁に仕上げに畑から採りたての野菜を半生で、トッピングして入れた。あの味噌汁が一番、旨かった。食堂とか寮の味噌汁は腹痛を防ぐためか、煮つぶして野菜のミドリも死んで、変色してしまっている。生野菜の素材その物も旨味って有るワケで、こんな味噌汁、旨いと思わない。―読者の皆さんは、こんな味噌汁、食べてますか?

『ちょっと用があって同僚の若者の部屋』をノックした。―ドアが開いて本人が出て来た。話をしながら、私の視線は部屋中を見回してしまった。フトンの回りにパソコンだの食べかけのポテトチップス、本、ファミコン等が散乱している。棚も無く、収納する気配も無い。目がテンになってしまった。折りたたみ自転車まで置いて有る。ゴミ(?)袋らしい物が数個、散乱。壁には作業着、私服等がテキトーに(?)吊って有る。
 TV番組で見た「片付けられない女の部屋」「ゴミ屋敷」に近いモノが有った。―こんな空間で生活している彼。それ以来、私はあんまり、口をきかなくなった。―「浮来亭」読者の若者もそんな生活をしている人が、居るのでは?本人が好きな様に生活しているのだから、それで良いと思い、住み易く、判り易い所に物を置いて有るだろうから、私は何も言えないが、本当に絶句してしまった。

『木を布で包む作業が』発生し、私に命ぜられた。長物の木を、包む前に布を大体の大きさで切っておく。包む前に布を木の下に敷き込み、木のセンターをテープで止める。両端に残った布を折り込む。横位置で約3分の1位の所をテープで又、2ヵ所、止める。端は角を旨く包み込んで又、テープで止める。―この作業を五本位、素早く片付けた。近くで班長、監督、他五〜六人が見ていたらしい。私は夢中になっていて気付かなかった。私の作業をずっと見ていたらしい。木を布に包み込む時は、ギュと中に押し入れてテープで押さえた。
 皆が、「じい!(私の呼び名)その仕事、じいにピッタリじゃないか?」と褒められた。私は少し照れながらも「そうですか〜ア?」と応えた。昔、印刷会社に居て、包装もやった事の有る私。少しは昔の仕事が、今に役立ったみたい。

予告編〜「平成」に年代が変わる頃、自殺未遂をした私。あれから23年。今の職場で当時の話をすると笑われています。その内容「伝説の男」として、新シリーズで書き始めます。乞う御期待。「浮来亭」も、もっとロングランで長生きして下さい。連ちゃん!お願いします。
『生きてて良かったナ!!』と思える位、おいしい食べ物に出会った事は有りませんか?
 生まれて、この方、思い出しつつ、当時の事等を懐かしく思い出して、書いてみます。
(尚、以前、書いた物と重複した時はゴメン)

→『食の想い出』
 一番は子供時代に家の畑で食べた、露地物のキューリやトマト、サトウキビだろう。
 当時、オヤツも無い時で、お腹が空いてれば何でも旨かった時期、トモト、キューリも水道水で冷やし、塩を振るだけだったナ。田舎の水道水は夏になると冷たくて・・・。
●最近、炉端焼店で食べたトリの唐揚。普通、揚げるとキツネ色になるが、周囲が白くなっていた。小麦粉でも、まぶして有ったのか?いつもの唐揚げより旨かったのを憶えている。(食の話は、以下次号で)
●TV番組で老後はこんな処に住みたい所、発見した。長野県白馬近くの青木湖周辺。TVの枠で見ただけなので、一度、下見に行き、温泉、人柄、生産品、土地柄等を調べてみたい。新潟・糸魚川市から山奥の方へ登る処です。いづれ、結果は又、報告します。



    祈り

 若くして目利きの才能に恵まれ古物商として名を馳せたカールロット氏は、とある美術館に飾ってある絵を眺めてしばらく立ち止まっていた。彼の体は小刻みに揺れており、その頬にはうっすらと光るものがあった。
 カールロット氏はおよそ200年前に描かれた絵画に不思議な興味を抱いた。『祈り』と題したその絵は、中世の抽象画家として有名なピーター画伯が死ぬ間際まで描いたとされる油絵で、聖母マリアが祈りを捧げている様子が描かれている。しかし、肝心の祈りを捧げているはずの両手部分が空白のままで未完となっていた。逆にその未完成な部分が脚光を浴び、数億もの価値がついていた。
 ピーター画伯の伝記では、それまで近未来や創造、SFといった抽象的なモチーフしか選ばなかった同画伯がなぜ聖母マリアのような人物像を描くに至った理由が記されてあった。ピーターには一人息子がおり、その息子が病に伏したそうだ。若くして妻を亡くしていたので、ピーターは幼いわが子を必死に看病した。『祈り』には、愛するわが子をどうか助けてほしいと神様に懇願するピーターの想いが込められていると書かれていた。
 『祈り』の説明はそこで終わっており、なぜこの絵が未完なのか、カールロット氏にはわかる由もないが、どうしても知りたくなった。ピーター画伯がなぜ未完成の絵を遺したのか?
 カールロット氏が調べたところによると、『祈り』は息子の命を助けてほしいと願う親心から描かれたのは間違いないらしい。ところがその絵を描き終える前に、息子が亡くなり、何もかもに絶望したピーター画伯はそのまま忽然と姿を消した。『祈り』の両手を描かなかった理由はというと、敬虔なカトリックだったピーター画伯がどれほど神様に対して祈りを捧げても残酷な結果になったことから、もうこれ以上神様を信じないという無言のメッセージではないかとあった。しかし、この解釈がどうにも納得できないカールロット氏は全財産を『祈り』の購入費用にあてることにした。天涯孤独の身なので財産があっても仕方がない。それよりもピーター画伯が『祈り』に込めたメッセージをどうしても知りたくなった。
 カールロット氏は『祈り』を購入した。自宅だけを残し貯蓄はほぼなくなったものの、衝動買いではない。むしろ手に入れて当たり前というか、自分の所有物として当然だとさえ思っていた。 
カールロット氏は、『祈り』を額縁から外し、まじまじと眺めた。すると不思議なことに、ピーター画伯の声が聞こえてくるような気がした。ピーター画伯の霊が話しかけてきたという怪談の類ではない。何となくピーターの気持ちがわかるといった表現が正しいだろう。『祈り』が未完成な理由が手に取るようにわかった。それは神様を信じることができなくなったという通説ではなかった。
 ピーター画伯はあらゆることから逃げだしたのだ。息子の看病からも、『祈り』の完成からも。
 カールロット氏の思惑には根拠がない。しかし不思議に思うだろうが、カールロット氏にはなぜかそのことが理解できた。
ピーター画伯の息子が病で亡くなる前に、看病をはじめ世の中の何もかもに疲れたピーター画伯はそのまますべてを投げ捨て蒸発した。だから『祈り』が未完成だったのだ。ピーター画伯はそれ以来、表舞台から消えた。しかし神様への反骨心とされ、評判になった『祈り』は皮肉なことに名画となり、現代でもピーター画伯の代表作とされてきた。
 ピーター画伯にとってこの世から消えてほしいであろう恥ずべき駄作が最高の評価を得ている矛盾は、ピーター画伯の無念をはらんだ想念となり、二つの世紀を超えてカールロット氏の心に何らかの揺さぶりを与えていたのではないだろうか。実際にカールロット氏は『祈り』を欲する理由がどこからこみあげてくるのかわからなかった。
 カールロット氏は『祈り』を床に置き、自ら筆をとった。『祈り』の未完成部分である両手をどうしても描きたくなったのだ。古物商を営み、絵画の価値にも造詣が深い同氏からすると、説明のつかない完全な暴挙ともいえた。数億もの価値がある未完成の名画に素人が手を加えることは、価値あるものが無価値となることを意味する。古物商を営んでいるからこそ、なおさらその行動がどれほどのことかは理解している。しかし、その理性を通り越してまでも『祈り』を完成させたくなったのだ。
 絵心はないはずだったが、『祈り』の完成形はピーター画伯の筆致そのものだった。
 聖母マリアが涙を流しながら、祈りを捧げている神々しい姿がそこにはあった。
 その祈りは全ての祈りに通じていているように思えた。すべてを投げ出したピーターの懺悔、亡くなった息子へのお詫び、そして決して世に出ることが許されない恥ずべき『祈り』が本物の『祈り』になったこと。その瞬間、カールロット氏の脳裏に不思議な光景が思い浮かんだ。
 息子を必死に看病している光景や神様に祈りながら必死に『祈り』を描いているピーター画伯の表情、自暴自棄になり息子のもとから蒸発した後ろ姿…。それら無念のシルエットが鮮明によぎった。
 カールロット氏はすべてを理解した。
『祈り』を胸に抱きしめ、もう一度、心の中で祈った。亡くなった息子と神様に。


 東京花便り その三十二

             斉田 万吉

 
 今年、国内では東日本大震災と原発事故という未曾有の大災害が起きました。タイの大水害でも多くの日本企業がかなりの期間、休業や減産を余儀なくされ、さらには欧米各国の経済不安の影響を受けて、円高・株安のダブルパンチが国内経済にも影を落としました。
 そんなわけで春からずっと、なんとなく暗いイメージだった2011年ですが、12月ともなれば街ではクリスマスムード一色で、お花屋さんでは赤やピンクのシクラメンと真っ赤なポインセチアが店先を占領して、少し明るくなった気がします。
でも、ポインセチアやシクラメンはいかにも洋物という感じで、クリスマスが過ぎて年越しのカウントダウンが始まると、いささか不似合いだと思うのは私だけでしょうか。
 風もなく心地よい小春日和の午後、日比谷公園を歩きました。
 花壇にはクリスマスツリーを真ん中にあしらって、スミレとハボタンとストックが植えられていました。紫、白、黄色が主でしたが、けばけばしくないことに好感を覚えました。
 霞ヶ関方面に抜けようと歩いていると、鮮やかな朱色が目に飛び込んできました。
 12月も半ばだというのに紅葉が盛りで、周りでは多くの人がカメラを構えて見上げています。陽が西に傾き始めていて、逆光で見るとまるで錦の屏風の中にいるようでした。じっと佇んで見ていると、東京のど真ん中にいることを忘れてしまうくらいです。
 近くにある「首かけイチョウ」も、真黄色の葉が光を浴びてとてもきれいでした。
 このイチョウは、公園の設計に携った本多静六先生という日本初の林学博士が「この首を賭けても移植を成功させてやる」と言ったということで有名です。樹高は20mを超える巨木で、推定樹齢は350年といわれています。
 今年も11月の気温は平年よりも高かったそうで、東京の平均気温はこの百年で3℃上昇したという話も聞きます。やがて紅葉狩りがお正月の行事になるかもしれませんね。
花を目当てに訪れた公園で、きれいな紅葉を楽しめたので、少し得をした気分になりました。

  
冬の月冴えて聴こえる児の寝息 竹帚                                      


 



    


 今年は早めにと年賀状を考えた。数年前の姪の「たくさん貰いたかったら、たくさん出さないとね」を思い出した。今年は二度も静岡に行ったので年賀状だけの交流も少し減った。色々考えることがあり、年賀状はいいものだと感じた。
 寝る時に、さらに考えた。
 又、会えると思っていてもなかなか会えるものではないかもしれないから、好きな旅行と絡ませて、会いに行くことをこれからの楽しみにしようかな。と。








200号の発行になりました。
 ほぼ、毎月発行して16年。原稿を寄せて頂いた方に感謝申し上げます。又、読んで頂いた方にも、感謝申し上げます。
 原稿が続く限り、発行したいと思っていますのでよろしくお願いします。







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