の幸ちゃん
『こんな居酒屋は嫌だ!!』
●やたら客が多すぎて、注文したメニューがなかなか来ない。たまには忘れられている。(こっちはハラ減ってるのに〜〜!!)
●客が誰も居ない。私一人だけ。次に誰も入ってこない。次々と注文して欲しそうな店主の顔。仕方なく少し注文するが、こっちもお腹一杯で入らない。
●チェーン店風の店で若者がギャーギャー騒いで会話している。うるさくて落ち着かない。
●焼肉系の店に行ったら、店主が焼いて呉れるのは良いが、一気にドバーッと焼いてしまって、焦げ始め、次々と慌てて食べる始末。サービスも度が過ぎると、大迷惑。ゆっくり出来ませんね。次々と「何か作りましょうか」と言う店も有る。未だ、気に入ってる店が見つかっていません。

『こんな若者は嫌だ』
●何を教えても、伝えても、反応が無く、挨拶もしない青年。
●(キレ、キャラ)で、何かと怒り出し、しまいには現場で手を出して、なぐる青年。その割には、全体の職場の流れを感じていなくて、どうしようも無く、班長以上に、シキりたがる青年。(今の若者は逆ギレするので、何を言っても聞き入れない。自分の言いたい事しか、言わないし、相手の事は考えていない)
●パチンコ、ゲームにしか興味が無く、その趣味の人としか話さない。自分の世界を展開しようとしない人間。周囲から誰も、その趣味以外の人からは相手にされない青年。
●給料をパチンコ、遊びに使って、周囲の人間から、やたら借金しまくって、生きてる奴。金が無くなりゃ、給料で払おうとするけど、その翌月の給料も借金で消えて行く。又、その繰り返し。(実は私も七月から、この状態に陥りつつ有る)
―今、現在で、こんな人々と付き合っている私です。今後、どうなるのか判りませんが、正直、生活空間=環境を変えたい気持ちも有るけど、58歳になってしまった私に、次の職場は見つかるのでしょうか…?

『社員旅行/千葉「房総ロッヂ」編』
 18歳の時、東京・台東区の会社に就職した時、初めての社員旅行だったと思う。東京から千葉まで電車で行き、バスで乗り継いで、「房総ロッヂ」へ。18歳の私は白いパンタロンスーツをはいて、中振りの木に登り、写真を撮った物が残っている。そこでは、バーベキューを社員皆で楽しんだ。
 今、新潟で千葉出身の人が来ているので、「房総ロッヂ」の話をしてみた。まだ、有るけど、さびれて、客が殆ど少ないとの話だ。
 40年前の話だもんね。仕方ないね。

『死活問題の現場作業』
 今の仕事はルールが多すぎるのだ。作業の前にチェックシートにも印を付け、途中、トラブルや事故を出したら、おしまい。大元請け会社が、協力会社を途中で切ってしまう。
 トラブルを起こし、ルールを守れない会社は信用を失って、現場から帰らされるのだ。
 腰痛で帰らされた人も多い。連日、休まれたら会社も儲けにならないのだ。次々と去って行った人々。もっと仲良くしとけば良かったナと思うし、いつか生きてる内に再会できるのだろうか?九月頃で、仕事も少し途切れるらしい。私も、この年令で、今の会社辞めたらホームレスか、のたれ死かも知れぬ。―私はホームレスになっても、何とか原稿を送ります。「浮来亭」に記事が載らなくなったら、私が死んだと思って下さいネ。

『社員旅行―鳥羽編』
 鳥羽(とば)は三重県。貝の中のパール生産が有名で有る。会社の宴会も終わって、番頭さんに頼んだ。五〜六人で「女買い」に走ってしまった。ワゴン車で山道を舗装もしてない所を20〜30分走って、プレハブみたいな建物が数件、並んでいた。見張り役みたいな人も立っていた。当時、私は20代前半、六千円位支払って、夜を過ごした。
 今でも、社員旅行って存在するのですか?
 温泉に行きだの、旅行だの、ビヤガーデンだのと、何か有れば飲むきっかけが有った時代。今は、私も経験しておりません。ちょっとした旅館・ホテルでゴチソーを食べたいですね。あの頃は、バブル前でホノボノした時代でしたね。

『職場で、こんな人間は嫌だ』
●班長でもないのに、班長気取りで人に命令し、自分は人に言うだけの事をやってない人。
●何か間違いや、ちょっと体が当たっただけで、痛いと言い出し、金に換算して、請求しようとする器の小さい人間。
●AさんBさんが話している最中、話に割り込んで来て、聞かれてもいないのに、Aさんが悪いの、Bさんが悪いと、突っ込んで来るCさん。
●もらい物のビールを500円で売ろうとする青年。
『道路向かいのスーパーでは』朝10時に行けば、赤カゴを貰って7%引きの買物が出来る。
 夕方5時には先着100名様に「勝手に値引きシール」をくれる。自分の買いたい商品にシール(20円×5=100円分)を貼る。
 夜8時30分以降は、30%〜50%引きの商品がズラリ。これらを旨く購入して、冷凍してしまえば、ケッコー節約になるのだ。月、三千円〜五千円は安く上がるのでは?

『雪国の雨とい』
 寮の窓から隣の工場の倉庫の雨といが見える。4ヵ月位して気付いた。雨といの受けの金具が8cm間隔位で、びっしり付けて有る。たぶん、私の想像では雪の重みに耐えられる様、沢山付けて有るのでは?ちょっと、びっくりした気分。TV「珍百景」に出せるのでは??…

『残り人生』
 仕事、金、恋人、出世…。残り人生に何か満たされる事が起きないかナ?自分で何か、今ひとつ、人生を切り開きたいと考えている。
 が、年齢が年齢なので、妨げは多いと思うが。―本当に何か、思いっ切り人生ラストの職業や、毎日イキキ、ハツラツの最期を遂げたいと考えている。今日この頃です。
―本当、何か、今迄と違う生き方に、変えたいナ…。

『盆休みも無しで』今年は働いた。仕事が忙しくて、土曜休みも無かった。夏の疲れか、体がだるいが、この秋の予定は・・・。
・名古屋に居る姉の長男坊と七〜八年、会っていないので再会したい。姉の七周忌も昨年、帰れなかったし、長男坊宅の仏壇で手を合わせたい。
・栃木県の中禅寺湖に行って、18歳時の社員旅行を思い出したい。
・群馬県の川沿いに有る、気に入った温泉をTVで見つけた。行って見たい。(以下次号)



「甫与志岳登山とえっがね祭り」
  皓以兆


昨年、今村さんと計画していた稲尾岳登山と内之浦のえっがね祭り。昨年は断念しましたが、今年は決行。大西君を加えて3人で一泊二日の予定で大隈半島に渡りました。しかし天候はどんよりとした雲が空を覆いつくしています。時間がたてば晴れ間も出てこないかなと淡い希望を持ちながら、内之浦を目指しました。しかし天候は悪くなるばかり。今日は登山を断念して、内之浦ロケット基地の見学に行きました。巨大なパラボナアンテナや大型のロケットが展示されていましたが、霧がかかっていたせいか、残念ながら基地全体をはっきりと見ることができませんでした。JAXAの展示室を覗いてみました。ロケット開発の歴史から最近の「はやぶさ」までくわしく説明してあります。日本の最先端技術の結晶です。しかし「はやぶさ」の地球への帰還に対して、神社に祈りに行ったというのも、最後は人知の及ばないものに対して、まだまだ人間は畏敬の念を持って祈るしかないというのも、最先端のものに囲まれていても最後は祈ることしかない。遠い昔から変わらない。そのことに対してうれしくもあります。そのせいか知れませんが、もちろん技術者の努力でしょうが、無事地球に帰ってこられました。さて、ロケット基地を後にして、ますます天候は悪化してきて、やむなく早めに宿に行くことにしました。「えっがね」の時間までは、まだたっぷりありますので、昼寝をしたり、お風呂に入ったりして時間をつぶしました。さて、ついに夕食の時間が来ました。テーブルに着くやいなや、食事が運ばれてきます。伊勢えびの刺身、てんぷら、雑炊食べきれないくらいの食事に腹はパンパン。おいしかった!!!テレビを見て明日の天気を確認。晴れ模様。これで登山はOKだ。ということで就寝。海は太平洋に面しているせいか、波音がすごい。普段波静かな錦江湾で暮らしているせいか、大洋の大きさに触れた感じです。次の日天気予報の「晴れ」を予想していたら、空はどんよりとした雲が覆っている。昨日と同じだ。最近の天気予報はあたると思っていたけど、ピンポイントではまだまだ難しそうだ。
登山をあきらめていたけど、せっかく内之浦まで来たんだからと、「甫与志岳登山」だけは決行することにした。あいにくの天気でしたが、雨は降っていない。姫門林道を進むと登山道入り口の看板発見。甫与志岳は九州は百名山のひとつ。ぜひ登ってみたいと思っていた山です。高さは966mあります。かっては高山町の三岳参り(甫与志岳・黒尊岳・国見岳)で登られていたそうです。私たちは甫与志岳だけに登ることにしました。照葉樹林に覆われた林道は獣道のような狭さで、葉や枝が伸びて、歩きにくく、かつ雨が続いていたせいか、登山道は滑りやすく、登りにくかった。エッコラ、エッコラ1時間ほど登ると頂上。晴れていれば360度パノラマの絶景が見えるはずでしたが、あいにくの天気でまわりは霧の中。視界がよいと種子島・屋久島も見えるらしい。本当に残念。帰りは滑らないように注意しながら下山。3人とも無事下山したけれど、ズボンは泥まみれ。でもこういう登山もまたいいなと思う。山のふもとは「ホトトギス」「アザミ」「藤袴」などが咲いていた。大隈の山々は深いせいか、広葉樹が多いせいか清流が流れており、気持ちがいい。せせらぎの音は気持ちを落ち着かせる効果があります。今回予定していた稲尾岳は天気の回復が望めそうもなく、断念。山がなくなるわけではないので、またいつの機会にか登ろうと思っている。帰りのフェリーから大隈半島の山並みをずーと眺めていました。山はいつ行ってもいいなー。


 東京花便り その三十

斉田 万吉

子供の頃、線路が遠くまで見渡せる丘の上の公園でよく遊んでいました。
「秋の日はつるべ落とし」といいますが、燃えるような夕焼け雲を見ているうちに、いつの間にか辺りが薄暗くなって家々に灯りが点り始めます。
「早く帰らないと叱られる」とばかりに、仲間と一緒に駆けて帰ったものです。道の途中、鼻をくすぐる金木犀の甘い香りを、子供心にもなぜか艶かしく感じたことを覚えています。
♪モクセイの花咲く頃に ふるさとへ帰りたいな・・・
昭和40年代の随分古い話ですが、こんな歌がテレビCMで流れていたのを覚えていますか。
自転車に乗ったおばちゃんが、稲穂の実る田んぼ道や秋祭りで賑わう街中で、道行く人たちに笑顔をふりまいている生命保険のCMです。丁度わが家の夕飯時分、当時「ニュースコープ」という番組があって、このCMが流れていました。この歌を聴くと、家族揃って囲んだ懐かしい食卓の風景がまざまざと蘇ります。
国鉄職員の父、洋裁が得意な母、そして男兄弟4人の食卓です。食事はつつましいものでしたが、団欒というにふさわしく笑顔と温もりのあるひと時でした。
父が他界してこの10月で40年、母ももう亡くなって19年になります。既に父が亡くなった歳を超えているのですが、この歌を口ずさむとその頃にタイムスリップできるから不思議です。
過日、爽やかな秋晴れの午後、渋谷からオフィスに戻るときに遠回りを決め込んで、代々木公園を歩きました。NHK側から園内に入るとすぐに、甘い香りが漂ってきました。辺りを見てみると幾つかの金木犀があって、オレンジ色の花が咲き零(こぼ)れていました。
♪みんなどうしているだろう チヨちゃんお嫁に行ったかな・・・近づくとむせぶような甘い香りの中で、あの歌を自然に口ずさんでいました。
空を見上げると抜けるように真っ青な空が広がっています。喧騒の街ではあるけれど、東京の秋もなかなかいいもんだと思いながら、原宿駅に向かって歩いていきました。

 
秋風や恋に恋した頃ありき 竹帚


  連太郎  

「風と共に去りぬ」を見た。
 主役のスカーレットが女房に似ていると思い、朝食の時『スカーレット』と呼んでみた。ニヤッと笑った気がした。
 数日して「赤毛のアン」を見た。
 主役のアンも似ていると思ったので、今度は『アン』と呼んでみた。やっぱり、ニヤッと笑った気がした。
 数日『アン・スカーレット』と呼んでいた。
「赤毛のアン」は結構長くて、まだ続きがあった。結婚してからのアンは少し違った人間に見えた。
 寝る時に考えた。
 私の感じた二人と女房の感じた二人は違っていたのではと・・・。
 明日から『アン・スカーレット』と呼ぶべきか迷ってしまい、遅くまで寝れなかった。







 野球も終焉に近づいた。浮来亭も?
 何人もの人から頑張って続けてと励まされました。原稿待ってます。








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