の幸ちゃん

―現在、新潟県柏崎市に住んでいる。隣は刈羽村。柏崎と刈羽のスピーカーから「広報柏崎」の情報が流れてくる。(行方不明の老人の情報)とか、(見つかった!!)とか、地震情報や大雨情報等、色々な放送が流れる。
 ローカルだナと思うけど、2〜3日前、(熊が出没。山に入る人は気を付けて下さい)との放送。ちょっと、ビビった。
『一ヵ月振りの車、運転』
 H町に引っ越して給料を貰った後、上越市の安い魚市場にも行きたかったし、一カ月分の必要物品をまとめ買いしたくて、一ヵ月振りに自分の車を動かす事にした。―以前から外して有ったバッテリーを回復。走らせてみると、引越前の車の調子が戻って来た。
 車でドライブして、音楽を聴いていると、ストレスも消える。それを一ヵ月位、ガマンしていた。やっぱり、私は車とドライブと、知らない初めての街を走るのが、好きなんだナと判った。
『引越してからギターを弾く場所がない』
 散歩してみて寮周囲にギターを弾ける公園も無い。寮の道路裏側にお寺を見つけた。駐車場に木陰も有り、ここなら良さそうだが、お坊様に断らないといけないでしょうね。
『袋メンをチンする』
 袋麺をカップ麺感覚で調理するのが流行っています。@丼に麺、かやくを入れ、麺の高さ位迄、お湯を入れる。A電子レンジで2分、チンする。→丼を取り出す時には、かなり熱いので気を付けてネ。又、半生状態の具を入れるのも良いでしょう、お好みで。生卵は黄味をつぶしてから。レンジの中で爆発します。
 温泉玉子風が良ければ、後のせで。
 アッ!忘れてました。レンジに入れる前に丼にラップをかけ、小さな穴を10個位、開けておいて下さい。
『二度目の散歩』
 休みの日でもジッとしていると体がなまるので極力、散歩をする事にしているが、寮周囲を散歩していたら、こちらはまだ梅雨中なので、吹く風が生温かい。30分位で済ませ、少々、買い物をして、寮でシャワーを浴びた。汗かかなきゃ、意味無いじゃんと思いつつも。
★新シリーズ<社員旅行の思い出>
『神奈川県厚木市』で(いのしし鍋)を初体験。東銀座の印刷会社に勤務している頃、厚木市へ社員旅行。厚化粧の太ったオバちゃん達(当時、私は20代前半)が、酒の酌をして呉れたが、美人(?)は一人も居なかった。
 後で判ったが、大量人数客の予約が入ると、近所の畑で仕事しているオバちゃん達を臨時募集して、女性を集めるらしい。のどかな時代だったナと、今、思う。二次会は旅館の外へ出て、浴衣、下駄バキでスナックへ行った。
 本当にまだ、世の中が幸福だった70年代、後半。今となっては、ただただ懐かしい。


東京花便り その二十七
           斉田 万吉


 大震災の影響で全国的に節電が訴えられていますが、今年も梅雨が明けて連日の猛暑が続いています。スーパー・クールビズやサマータイム制度導入の役所や企業もあり、エアコンの使用抑制が叫ばれていますが、熱中症対策だけは怠らないようにしなければなりません。
考えてみると、クーラーが一般家庭に普及し始めてまだ半世紀ほど。かつて下町では、夕食後の暑さ凌ぎに、屋外に出てご近所と話をしたり縁台将棋をやったり、和やかな夕涼みの光景があちこちで見られたものです。行水、打ち水、かき氷、団扇、浴衣に蚊帳、すだれと、懐かしい夏の日の中に、省エネや節電の大きなヒントがあるように思います。
どの家も朝顔やヘチマを植えて日除けをし、吊りしのぶに水をしたたらせたり、時々風鈴が鳴ったり・・・子供の頃、路地を抜ける風がとても心地よかったような気がします。
夏の情緒を楽しむ心をもつことで、涼感が得られるのかもしれません。暑い盛りに各地で行なわれる「ほおずきき市」などはその典型といえます。
享保年間から「四万六千日」と呼ばれている浅草の「ほおずき市」がどこより有名ですが、私がお薦めのスポットは新宿区の神楽坂です。
毎年7月下旬に行なわれる「神楽坂祭り」に合わせて、毘沙門天の善国寺門前で行なわれます。
規模は大きくありませんが、神楽坂という花街の風情に朱色のほおずきがぴったりです。しかも立派なほおずきを他所より安く、可愛い浴衣姿のお姉ちゃんが売っているのですから。
ほおずきはナス科の多年草で、黄白色の花が咲いた後、蕚の部分が大きくなって赤く熟します。
漢字では「酸漿」と書き、お盆に枝付きの実を精霊棚に飾って死者の霊を導く提灯に見立てるので「鬼灯」 とも書きます。
咳止めなどの薬草でもありますが、根には子宮の収縮作用があって、妊娠中に服用すると流産の恐れがあります。江戸時代には「おろしぐすり」と称して、堕胎の目的でも用いられたそうです。

 
憂きことを忘れる辛さ夏大根  竹帚




  7月7日



「人間って素敵だと思わない?」
アースは夜空の星を見上げながら、唐突にマーズに語りかけた。「お月様にウサギがいるといったのも人間だし、空を飛びたいと思って実現したのも人間。それにこの地球には人の数だけドラマがあるわ」
 アースの話はいつもロマンチックだが、少々現実味に欠けている。そう思ったマーズはアースの視線から目をそらし、腑に落ちない様子で反論した。
「なぁ、アース。いい加減に目を覚ましたらどうだ。きみが創った人間は醜い生き物じゃないか。心の中は欲望だらけだ。人の物は勝手に奪うし、殺しあいもする。わたしは、なぜ、きみが肉体を持つ生命体に興味を持ったのかわからないんだ」
 アースはマーズの主旨をよく理解していた。星を創るにあたって、現在の主流といえば、肉体を持たない魂だけの生命体の暮らす星だ。それら魂だけの生命体の星は基本的には平和で、すべてにおいて満たされている。生と死がなく永遠に自由なので、生活する立場になれば永遠の楽園ともいえる。しかし、それが本当に神様の意図することなのだろうか。永遠に続く平和のようなものが、宇宙の発展につながるのだろうか。
 悩んだ末にアースは決意した。地球に生きる生物に、物質的な体を持たせ、生と死が隣り合わせの修行のような世界を創ろうと。
 永遠に続く楽園はずっと変わらない風景だけど、生と死のはざまを揺れ動く生命体が創造していく地球はどう変わっていくのか。アースの興味はこの一点に絞られた。そこで地球の生命体を創るにあたり、いくつかのルールを設けた。@生命体には必ず死があること。Aアースは一切、地球の生命体に関与しないということ。B因果応報。
 地球のルールは3つだけのシンプルなものだった。その結果、いろいろな生命体が地球には誕生した。とりわけアースの一番のお気に入りは、人間だった。
人間の種類は豊富だ。争いを好む者、臆病な者、残酷な者、裏切る者…。ときには自分の生命すらもかえりみずに人の為に生きる者もいる。そして、その行為を偽善だという者もいる。恐ろしいほどの欲望を満たそうともするし、自然や宇宙などとつながる人間もいる。誰一人として同じような人間などいないのだ。およそ魂だけの生命体にはあり得ないことばかりだった。マーズの創造した火星の住人たちは、同じような顔をしている。少なくともアースにはそう映る。
 アースはマーズの問いかけに対して、率直に自分の意見を述べた。
「人はたしかに醜い生き物かもしれない。生きるためには、殺しあうこともある。しかし、だからこそ地球は発展したのではないの。何もない状態から、生を受けた生命体がいろいろな過程を経て人間に進化し、生きるための知恵を見つけて発展する。ついには宇宙にまでとびだしてきた。宇宙の仕組みや果てに興味を持つ者もいれば、宇宙を心にみたてて詩を詠う者もいる。そういった多種多様な魂の彩こそが理想の世界を創りあげると、わたしは信じている」
「魂の理想か。きみは理想主義者なのか、現実主義者なのか。さっぱりわからない方だ」マーズは激しくかぶりを振った。「きみのいう発展って何? 進化って何? 現実的に物質が溢れて、欲望が満たされていくのが進化だとしたら、きみの考えには到底、納得できない」
 マーズの反論にアースは黙っているしかなかった。理想と現実は違うことも理解している。そもそもアース自体、自分がなぜ存在しているのかわからないのだ。それはマーズとて一緒であろう。地球や火星の生命体とて、誰一人として自分の存在理由がわからないのではないか。
 アースとマーズが会うことのできる時間はわずかしかなかった。地球時間でいえば、一年に一回。それが7月7日。もうすぐ8日が迫っていた。
「ねぇ、マーズ。今日は地球でいう7月7日なの。この物語を読んでみない」
 アースは、この日のために持ってきた書物をマーズに渡した。織姫と彦星の話だ。
「これは、何?」
 マーズは書物を手に持ち、ぱらぱらとページをめくった。
「私とあなたは、年に一回しか会うことができないじゃない。その時は、星のほうきにまたがって月まできて、話をすることになっている。地球の話だったり、あなたの星の火星だったり、宇宙の果てについて意見をかわしたりするじゃない」
「ああ」
「たぶん何かのはずみで、私とあなたの姿を見た人間がいると思うの。そして一生懸命に意見を交わす私たちの姿を見て、おもしろおかしく男女の物語を創ってしまったのよ。7月7日にしか会うことのできないというロマンに満ちたお話を…。地球にはこんなお話がたくさんある。それこそが地球の財産だと思う」
「そんなロマンなんかないのにね」マーズは拍子抜けの顔をしながら、星のほうきを手にした。「きみの考えは到底理解できないが、この物語は読んでおくよ。それでは、来年にまた会おう」
 マーズは星のほうきにまたがりその場を立ち去った。光沢を放つその後ろ姿は流れ星のようだった。この流れ星を見て、物語を思い浮かべる人間が、地球にはたくさんいる。アースの気持ちはそれだけで満たされていた。
 後日、火星で生命体の痕跡があるとNASAの調査団が発表した。ひょっとしたら、織姫と彦星のお話を読んだマーズが、人間も悪くはないと思い、生と死を持つ生命体を創ったのかもしれない。来年の7月7日に彼の本意を聞き出すまではわからないことだが…。
  


     
       

夜行バスで静岡に帰る時、勝手がわからないので早目に出発場所に行き、運転手さんに色々と尋ねた。親切に教えてくれて大変助かったし、勉強になった。本当に良い人だと思った。
 出発して12時を過ぎ車内の照明が暗くなった。お腹が空いたのでバッグからパンを取り出していたら、一番前の席だったこともあったのか、「静かにして下さい」と運
転手さんに注意された。それも冷たい感じでの注意だったのでショックだった。同じ人かと疑ったが間違いない。確かに寝る時間になっていたから私が悪いのは間違いない。でも、気分は沈んだ。
 前に、人は4種類あると教えられたことを思い出した。
 良い人に見えて良い人
 良い人に見えて悪い人
 悪い人に見えて良い人
 悪い人に見えて悪い人、と。
 この運転手さんは良い人に見えて悪い人なんだと結論を付け、バスを降りた。でも、なんとなく一日中モヤモヤしていた。
 次の日の寝る時に自分の事を考えた。
 世間の多くの人は私のことを良い人だと言ってくれるが・・・。悪い所を沢山持っていることは自分が良く知っている。欲望の塊であることは間違いない。
 そう言えば、世間で悪く言われている人で良い人だった事は多々あった。
 つまるところ、良い人も悪い人も居ないようだ。明日からは良い子ぶるのは止めたほうが良いと思った。
 そう思ったら、気分が楽になりぐっすり寝られた。



暑い日が続きますが、元気ですか?












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