の幸ちゃん

『仙台市慰問』
 今の職場で一番、御世話になっている上司の出身地が宮城県仙台市。TV報道で御周知の通り、宮城県地震と茨城県沖がほぼ、同時に起こった。
 我々は仕事休みの日曜日に、カセットボンベ、食糧、紙オムツを購入し、仙台市を目指して走った。当地は停電で、スーパー、コンビにも開いてないとの事。――人間、生きて行くには食べる事が一番だ。
 高速道路等を使い、一番、近いルートを走った。――被災地へ着いた。道路の途中は、舗装が割れている所も有る。何とか五〜六時間かけて、現地へ着いた。集会所には上司の奥さん、子供も居た。何も出来ないまま、公園や道路をうろつく人々。ビルの壁はタイルがはがれ落ちている。絶句。TV で見ている情報のままの風景。いたたまれない気持ち、何をして上げられか判らない。ストーブや灯油、物資を渡したら、皆が喜んで呉れて、本当に来た甲斐が有ったのかも知れぬ。
「何も出来ませんけど、頑張って下さいネ」としか言えなかった。逆に避難所の人々の方が元気で、日頃の甘えた(?)気持ちにカツを入れて貰い、かえって嬉しくなった気がした。

『日本全国、地震列島』
 あの2件の地震の後に長野、新潟でも地震が有ったのです。この間、福島原発が、爆発だの、火災だのと起きましたネ。そして、関東、茨城でも。(地震なんて、他県の事。対岸の火事)位に思っていたけど、2〜3日でアラアラと影響は出てきた。ガソリンスタンドで、油10L制限が始まった。スーパーでのカセットボンベが棚から無くなっている。――地震により道路状況も悪い。材料が入って来ないから、各社工場も操業中止!!〜“日本中”が、今、大変な事になってしまっている。――その後、タバコ問題等、地震により、原発事故により東北を発端に日本中が様々な影響を強いられていきつつある。どうなるのかナ、日本!!鹿児島は?

『健康と貯蓄』

 老後の為と田舎を飛び出して四〜五年。金も貯めたいと出稼ぎに出て来たが、生活はままならぬ。毎月の給料でギリギリ。鹿児島より三千円位、北海道の給料は安いのです。この年齢で次の仕事も見つからないと思って、やってますが、他の人々が幸せそうに見えるのは、私だけでしょうか?――健康の為と一ヵ月位前から、スクワットも始めた。色々なメニューを取り入れて、●●を30回とか、▲▲を50回とか。体重も2キロ減って、何を食べても太らなくなった!!晩年に鍛える体!!――長生きできるかナ?!

『馬で・・・』
 今年、初めて競馬で100円が、1600円位になった。2口購入したので、ちょっとした小遣いになった。金運が廻って来たのかナ?良い風に考えたい、今日この頃です。

『車の油をハイオクに換えた』
 仙台に行った時にレギュラーガソリンが売り切れで、仕方なく残っていたハイオクを入れた。帰り着く迄に、足りない油。処がアクセルを踏む足のタッチが違う。車のサスペッションも違う。瞬間ダッシュに強い!!それ以来、L単価10円高い、ハイオクを5〜6入れたので、もう前のレギュラーガソリンは入れ替わったかも。今後が楽しみな私の軽自動車です。


 東京花便り その二十五
                    斉田 万吉


 沖縄では1年で最も過ごしやすい春から梅雨入りまでを「うりずん」といいますが、沖縄に限らず全国どこでも、若葉にそよぐ風が爽やかで気持ちのよい時季です。
さしずめゴールデンウィークはスポーツや行楽にと、家族揃って出かける機会が多くなりますが、遠出となると道路や都市交通は大渋滞、大混雑で大変です。楽しむというよりくたびれに行くようなものなので、この数年は専ら都内を中心にカメラをぶら下げて花の名所をあちこち歩いて回ることにしています。
以前にもお伝えしましたが、なぜかしら下町の方に足が向き、昨年は向島百花園、亀戸天神、日比谷公園、旧岩崎邸などを、一昨年は小石川後楽園、小石川植物園、六義園、旧古河庭園を訪ねて目の保養をしました。
私が好んで出かけるのは、俗に谷根千(やねせん)と呼ばれる谷中、根津、千駄木あたりです。谷中霊園は桜の花の名所でもありますし、上野や湯島からも近いので、不忍池や上野の森が近くにあって、都心ながらも季節感のある静かなところです。
JRの鶯谷から日暮里、地下鉄千代田線の西日暮里から根津にかけてのんびり散策するにはもってこいのエリアで、由緒ある寺社や文化財もたくさんあり、家々が軒を連ねて路地の多いところです。狭苦しい感じがしますが、肩肘張らないで生きている人たちの生活の様が見てとれる人情豊かな江戸の香りがする街です。
商店街を歩くと、ふっと昭和30年代にタイムスリップしたような気がします。手焼きのせんべいや手作りのメンチカツなど、ついつい買いたくなってしまいます。
「権現様」と呼ばれる根津神社は1900年ほどの歴史があると伝えられ、ツツジの名所として知られていて、4月下旬から5月上旬まで「つつじ祭り」が行なわれます。
境内の小高い丘のつつじ苑は、2千坪の敷地に約50種3千株のツツジがあって、丘の頂から乙女稲荷のずらり並んだ朱の鳥居と艶やかさを競うツツジの眺めは最高です。
開花時期が種によって異なるため、早咲きから遅咲きへと花が移り変わり、長い期間様々なツツジを楽しむことができます。
神社入口にある「根津の鯛焼き」も有名です。お昼を過ぎると売り切れてシャッターが下りていることが多いので、甘党の人は早めに行くことをお薦めします。

  被災地の海や戻れと初鰹 竹帚



血筋

 したたる汗をぬぐいながら、一息吐いた。ようやく、念願の決勝だ。鼓動がけたたましくうなりをあげる。俺は心を落ち着かせようと目をつぶった。ここまでくることができたのも、亡くなった祖父の遺してくれた言葉のおかげだ。
―わが火村家は、伝説の剣豪・火村十郎の末裔である―
 剣の道を志した者ならば誰もが憧れる伝説の剣豪・火村十郎。この名前を聞いて身震いしないわけがない。事実、その日を境に連戦連勝だった。対戦相手の動きがスロウに見え、竹刀を打ち込む際の呼吸までもが肌で感じられた。火村十郎の血がそうさせているのか。 火村十郎はどのような剣士だったのだろうか。やはり俺と一緒でツバメ返しがうまかったのだろうか。いや、俺と一緒ではご先祖様に失礼であろう。何しろ伝説なのだから。
火村十郎のことを調べてみると、武蔵や小次郎で有名な巌流島の決闘のような派手さはない。しかし民衆を率いて一揆を起こし、堕落した幕府をあと一歩まで追い詰めたと記してあった。剣の腕だけでなく、義憤の心も持ち合わせていたのだろう。そのような偉大な方の血が、俺には脈々と流れているのだ…。
決勝戦の開始時刻を告げるアナウンスに耳を傾けながら、そっと目を開けた。いつの頃からだろうか。試合前になると、自分と火村十郎のことを対比して考える癖がついていた。一種の儀式のようなものである。この儀式のおかげで試合には勝てる気がした。実際に負けたことはなかった。
「よし」という言葉を口に中で噛みしめ、試合会場へ向かうべく腰を上げた。
すると後方から、俺の名前を呼ぶ声がした。振り返ると、嬉しそうに手を振る親父がいた。マグロ漁船の船乗りである親父は大半を海上で過ごすため、家にいることがほとんどなかった。俺の試合さえ一度も見たことはなかった。
「帰ってきたの」と俺は訊いた。
「ああ」と親父は頷きながら駆け寄ってきた。「息子の晴れ舞台を見逃すわけにはいかん。次は決勝だってな。相手は強いらしいぞ。負けるなよ」
 いつになく親父の声が弾んでいた。
「ああ」俺は力強く応えた。「絶対に負けないよ。俺には火村十郎がついているから…」
「火村十郎…。おおっ、そうか」
 俺の言葉とは裏腹に、親父の口調からは一縷の冷たさが感じられた。仮にも火村家の者が火村十郎の名前を聞いて冷静でいられるわけがない。
「火村十郎の血を受け継ぐ子孫として、この戦いには負ける気がしない。これで負けたら、火村家のご先祖様に申し訳がない。火村十郎の遺伝子が負けを許さない」
 俺はきっぱりと言いきった。そんな俺を見て、親父は言った。「おまえは今さら何を言っている。ワシは養子だ。母さんはおまえにそのことを伝えていなかったのか。おまえのじいさんには正式な子供がおらんかった。だからワシが養子にきたんだ」
「親父。くだらん嘘をいうな。そんなことは初めて聞いたぞ。俺が強いのは、火村十郎の子孫だからじゃないのか」
「いや。じいさんまでは火村十郎と血がつながっていたかもしれんが、ワシはつながっておらん。血だの遺伝子だのそんなくだらんことよりも試合に集中せぇ。もうすぐ試合がはじまるぞ」
 親父はそう言うなり観客席へと戻っていった。
 その後ろ姿を見て、何とも言えぬ脱力感を覚えた。火村十郎の末裔だから強いと思い込んでいた俺の存在は何だったのだろうか。今までの勝利は思い込みによるまぐれか…。そう思った途端、全身の力が抜けていくのを感じた。
 ドクドクとした熱い鼓動の代わりにヒューヒューと嫌な音が耳の奥底からこだまする。こんな時に発作か。持病のぜんそくだ。これは親父の持病でもある。
親父の言葉を思い出した。
―ぜんそくがでたら、魚が獲れん―
 それと同時に『過去を振り返るな』と大きく記した書物の帯が瞼の奥に鮮明に浮かび上がる。せめて、あの本を買っておけばよかったか。
 そう思いながら、冷たくなった竹刀を握った。




      

「よっしゃぁ!」と元気良く午前8時に起きる。
 以前は6時頃に目が覚めることが再三あったが最近はあまり無くなった。どうも若くなったようである。それも心身ともにである。ラーメン屋を手伝うようになってか
ら腰もあまり痛くないし、悩み事もあまり無い。日に日に若くなっていくようで恐い感じがする。63歳なんて気はさらさらない。女房が困って(半分は冗談で半分は本当
)いる。
 10時頃、天気が良いと自転車で周りの庭を見ながらの通勤。これが又なかなか良いもんだ。興味があると目に入ってくるのが判った。
 店に入り掃除をして買物に出る。行き交う人と挨拶を交わす。『頑張っていますね!』と言われると嬉しくて又頑張れる。
 11時30分に開店して午後の3時までホール主任をする。
 少し休憩してから夜の部の掃除と準備。
 6時に夜の部のスタート。やはりホール主任。夜は忙しい時と暇な時の差がある。暇な時は巨人戦をゆっくり見れて、これはこれで又楽しい。でも逆転で負けたりする
と二重のショックで疲れが…。
 片付けを済ませ10時〜10時半頃帰る。帳面の整理をして風呂に入り、少し飲んでビデオを見て2時頃、明日の買物と準備のことを考えて寝る。
 これが殆ど毎日の生活。平凡だが若くなれる一日である。大事な事を言い忘れていた。日によって年齢を変える。まだ10代はしたことは無いが大体30代を多くしている。そんな日は若い女性が気になる。
 東北の方には申し訳ないが本当に幸せな毎日を送っている。





 浮来亭(毎週金曜日の夜8時に潟山で)が遠くなったのが原因なのか最近集まって来る人の数が減ってきたのが寂しい気がする。でも人数が少ない時は話が盛り上がるから面白い。そんな中で31歳の青年が何度か顔を出してくれて嬉しい。彼は無口なのであまりしゃべらないが来てくれるだけでかなり新鮮な感じがする。
 気になる方が居ましたらぜひ顔を出してください。








 
 縄文の森をつくろう会より


■7月か8月に星空を見る会をしたいと思っています。期待していてください。







 後7号で200号。200号までは続けたいと思っています。









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