の幸ちゃん

『ギターを再練習して・・・』
 コードの押え方はウスウス思い出したが、ナカナカ指が旨く弦を押さえられない。30年振りに再練習だ。中古ショップに新品で一万円の物を売っていたので、即・購入。―今まで発売されていないテーマの曲を次々と頭にアイデアが湧いて来て、夢の中で作詞するは、歩いていて何かを見た時点で、別のテーマを発想したりと、何かと頭の中だけ、気ぜわしい日々です。
『色々な禁止令』
 元請けさんの下請けで新潟に出張に来ているので、逆らえないのは必至。―そんな中で温泉禁止令も出た。仕事で出張に来ているのだから、遊び禁止。仕事の勉強をしろと云う事らしい。確かに私の年令では、職が無くなれば、ホームレスか自殺か?(遠出禁止令)も。出た自分の車で仕事が終わった後、市内で買物に出ているが、遠出した時、貰い事故にしろ、何か有った時は、元請会社の班長が対応する事になるが、何か失敗をしたら、会社全員が共同責任で対処させられる仕事現場なので、ピリピリしている。ヘタすると会社が倒産してしまうらしい。結局、(深酒禁止令)も出てしまった。老いぼれの私は、使い物にならなくなったら棄てられる。今の時代、仕事は少なく、人間の方が多い。健康の為には確かに酒量も減らさねばならないだろう。
『長寿』
 父は56歳で胃ガンの為、死去した。―私は父の年令を超えた。一体、何の病気で、何の事故で私は死を迎えるのだろうか?それは判らない。神様が決めている事でしょう。父の兄弟で横浜に就職した叔父は70歳位まで生きた。その遺伝子を受け継いでいるとしたら、私も60〜70代まで、生きるかも知れない。(誰だ。「憎まれっ子、世に憚る」って言っているのは!!)―今後、体調に気を付けて、暴飲暴食をやめ、体を動かし、食事療法で長生きしようかと考えている。晩生に良い事が有るかも知れぬ。若い時代、良い事も無かったけど、かすかな期待を持って。
『パブロンの効き目』
 風邪薬にパブロンが有る。“(風邪)ひき始めにパブロン”と云うキャッチフレーズだ。この薬が、体の痛みに効くと判った。鎮痛剤が入っている。風邪の引き始めに体の節々とか体中に痛みが有る。それをパブロンが取り除いてくれる。重い物を持って、体のアチコチが痛い時、風邪でなきとも、パブロンを飲む。翌日は全てスッキリだ。一度、お試し下さい。もしか、読者の体に合うのでしたら。
『アンコウ鍋大会
 以前、別の寮で御世話になったTさんから時折、TELが入って来る。よっぽど、あの当時、楽しかったのか。向こう(横浜)へ行った出張先がつまんないのか、(?)TELがかかっていた。今年始めにアンコウが丸一匹位の量で送って来た。四人がかりで、おいしく、楽しくヤッツけた。出張先でも、こんな色々な人々と出会えるのが楽しい。顔はいかつくても、ハートはオネスティ。本当に人間は年齢でもなく、顔でもなく、ハートだって凄っごく判る気がする。嫌われて(?)誰にも相手にされない人も居る。誰とも付き合いたくないのか、いつも一人で居る人もいるけど、まアまアソコソコ、私は相手してもらっている。好感度抜群なじいさんなのでしかね?周囲には私より年下が多いし、班長も年下だけど、親身になって語りかけて来ます。逆に私が子供で、班長が年長の親みたいに思える時も有ります。(話のテーマがそれ始めたので、ここで一旦、切ります)
『カセットコンロ使用禁止令』
 作業現場で静電気等の人為的以外のボヤ、火災が発生したので、寮でも室内の火元を断とうと云う話が出て、カセットコンロを使用不可になってしまった。炊飯器とホットプレートを購入した。日の調整を覚える迄、大変だった。煮物かグリルでの焼き物しか出来ない。何かとソレで昼弁当のおかずを作っている。幸いにも、2階に“共同台所”が有るので、ガスを利用して別調理も出来るので、何とかなっている。モチや焼魚はガスコンロで調理。ホットプレートでは煮物等作っている。今、少し、慣れてメニューを拡げて行きたい。


        

            

 
 新しい家に住んで三ヶ月がたった。
 部屋の整理もかなり進み落ち着いてきたら、庭が気になり始めた。
 もちろん主役は女房であるからあまりい口出しは出来ないが、それでも徐々に口を出し庭つくりを始めた。水曜日しか休みが無いし、水曜日でも毎週というわけには行かず、庭が庭らしくとはなかなかならなかった。
 旧まつやの所で植木市があったので女房と出かけた。行く前は長男が一平だからイペーの木が良いのではと決めていたのだがイペーの木はないし、なかなか決まらない。前述の如く口出ししないように煙草を吸いながら待った。でもなかなか決まらない。女性というのは慎重なのかもしれない。紫もくれんになった。
 家まで運んでもらって庭の真ん中に植えた。もちろん私が穴を掘った。しまりが無いので周りを囲うことに決まりナフコに走った。ナフコの若い男性に「この扇形の石は何枚で円になるの?」と聞いたが、解からないと言う。中学までは数学が得意だったので「分度器を持って来なさい」と言い、見事に解決した。人生で始めて数学を使ったような気がした。
 次に周りを芝生でやっつけることになった。庭の縦横を測り、芝の枚数が確定。又数学だった。嬉しくなった。でも作業は大変で適当に手を抜いて芝生をひいた。後である人から「デコボコですね」と言われたが気にしなかった。
 寝る時に思った。
 物を作るのは大変だけど、大変なほど愛着も湧くし、喜びも大きいと。
 もっと子供を沢山作って置けばよかったとも思った。











 東京花便り その二十四
                   斉田 万吉

 哀しいかな、電気や水道、ガス、食糧・・・あることが当たり前だと思っていたものがなくなることを経験しないと、凡人には「有り難い」という意味が理解できません。
東日本大震災が起きて以降、私たちの生活を取り巻くあらゆる価値観が一変して、政治や経済や文化などに影響を及ぼしているように思えます。
とくに節電への取り組みによって、それまでどこよりも賑やかで明るかった東京が、文字通り火が消えたような薄暗い静かな街に一転しました。そして「派手で賑やかなことは慎むべし」というムードが街中に漂っている気がします。
俗に世の中の移り変わりが激しいことを「三日見ぬ間の桜」といいますが、これは江戸時代の俳人・大島蓼太(1718〜1787)の「世の中は三日見ぬ間に桜かな」という句が語源で、長き泰平を誇った江戸時代でも人は世の移ろいに敏感だったようです。
4月はいつも桜の便りを届けていますが、今年は少し沈んだ色の花便りで恐縮です。
厳しい寒さが続いて見頃になるのが遅かった上に、都内各所で行なわれる予定だった「さくら祭り」が震災の影響で相次いで中止になりました。東京都が管理する公園では、宴会の自粛も呼びかけられました。
乱痴気騒ぎはいただけませんが、花を愛でる楽しみまで奪ってしまうのは、どうかと思います。被災者への配慮とはいうものの、支援する人たちが元気でなければ、被災地の人たちに勇気や希望を与えることができなくなります。お酒を飲んだり花見弁当を食べたりして、少し浮かれた気分にならなければ、経済は益々停滞して復興への歩みが遅くなると思うのですが・・・。
開花してから代々木公園、井の頭公園、千鳥ヶ淵公園、上野公園など都内の名所をいくつも訪ねましたが、人出が少なくてあまり浮き立つ気分になれなかったのも事実です。
浅草の隅田公園の桜並木の対岸では、完成間近の東京スカイツリーがまさに「三日見ぬ間のスカイツリー」とばかりに、日々変貌を遂げています。予定では年末に竣工、来春に開業予定です。来春は晴れやかな気分で満開の桜と完成なったスカイツリーを眺められるように、被災地での復興が大きく前進していることを願ってやみません。 

 
やはらかき少女の髪や花筏 竹帚

                  




 
「人の親切が身にしみた旅」  皓以兆

 母の米寿祝いで京都・奈良 吉野の桜を見てきました。まさに満開で母もとても喜んでいました。「さくら」の語源はさ・くらで、 さ は農耕の神様、くら はいる場所という意味らしい。豊穣を願って人々がさくらの木の下で神様にお供えをしたとされます。最初は桜の木の下で花見をするのではなく、お供えの意味があったとされます。さて、京都の桜 一箇所目は「醍醐寺のさくら」豊臣秀吉が桜の下で盛大な花見を催したお寺です。秀吉の奥方や子供のために盛大な花見を行ったわけですが、秀吉の朝鮮出兵の巨額な戦費調達のため、庶民に重税を課し、そのため 花見をするときも警備を厳重にして行ったといわれます。でも、庶民の一揆などを恐れて、花見が楽しいのか、疑問があるところです。
次は「平安神宮の枝垂桜」を見にいきました。ここの桜もすばらしく、手入れも行き届いていました。全国から見学者が訪れるため、見学道はラッシュアワーの駅みたいです。それから「哲学の道」の桜。ここは川を挟んで両側に桜が植えてある、しっとりとしたいい雰囲気の散策道です。それから、平野神社、鴨川の桜 満開です。とてもきれいでした。
次の日 バスツアーで奈良 吉野桜を見に行きました。日本三代桜のひとつ。三万本の桜が咲き乱れます。シロ山桜という山桜を中心に下千本、中千本、上千本、奥千本と咲いていますが、上千本までは満開でしたが、奥千本はまだ四分咲きみたいで、そこまでは行きませんでした。途中 世界遺産「吉水神社」に参拝しました。母が足が不自由なため、車椅子に乗せての参拝です。急な坂を上ると神社に着きました。この神社は後醍醐天皇が吉野に御潜幸になり、神社を南朝の行宮と定められた由緒ある神社です。源義経と静御前が最後の別れとなった場所でもあります。
ここで、予想できないことがありました。観覧料一人四百円を払って入ろうとしたら、神社の神主が現れて、母の分の四百円は要らないといって、返してくれました。車椅子で登ってきたせいか、えらく感激してくれて、神社内も見ていってと何度もいわれました。感激でした。母に返してもらった観覧料はお賽銭に入れてきました。桜は満開、天気は晴れで最高のたびでした。でも、桜の満開よりも私が感激したのはJRの皆さんの優しさです。指宿を発つ電車の入り口に車椅子用の板を渡してくれ、鹿児島に着くと、指宿から連絡が行っていたらしく、駅員の方が待っていてくれて、板を渡してくれてスムーズに電車を降りることができました。新幹線に乗るときも、車椅子を代わって押してくれて、無事新幹線に乗り込めました。大阪に着くと同様に待っていてくれて、無事降りられました。京都に行くときも同様です。また、ツアーバスの添乗員の方も乗車口まで車椅子を準備してくれました。本当に人の親切さが身にしみた旅でした。ありがとうございました。


 縄文の森をつくろう会より









 五人番のアコウがすくすくと育っています。トンビが巣を作って子育て中だそうです。見に行ってください。ついでに草を
30本抜いて下さい






























 新年度入りして新たな気持ちで生活できてるのではありませんか。その気持ちを原稿でお聞かせ下さい。待ってます。









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