「雁風呂」       皓以兆

 御領ヶ池の野鳥観察会も楽しく終了しました。今日2月4日は立春です。今年の冬は指宿にも久しぶりに雪が降りましたが、私の家の梅もちらほら咲き出し、暖かくなったせいか春の気配を感じます。
春の季語で「雁風呂」という言葉を知りました。「秋に雁が渡るときに、小さな木切れをくわえて飛び、疲れると海上に木切れを落としそこで羽を休め、陸に着くと浜辺に落としておく。そして春になると北に帰るため浜辺に落としておいた木切れをくわえて飛び立ちますが、捕らえられたり死んだりして帰れなかった雁の数だけ小枝が浜に残された。人々はそれを哀れみ、浜辺に残った小枝を集め風呂をたき、ふるさとに帰れなかった雁の供養をしたという伝説が残っているそうです。この供養の行事のことを「雁供養」というそうです。津軽地方に残されている伝説が「春の季語」になっている。日本人のまた日本という国のすばらしさを感じる言葉だと思います。御領ヶ池にやってくる鳥たちもみんなふるさとに帰れないかもしれません。そういう鳥達に思いを馳せて見たくなりました。冬鳥達が北帰行を始めたら、指宿地方にも春がやってきます。節分は冬と春の季節が分かれること。これからぼちぼち春を告げる花が咲いてきます。九州新幹線の名前も「さくら」。春が待ち遠しい今日この頃です。


 ある回想 (二) その10    
               アイ・アイ

 
 シンガポールもインドネシア同様、日本の敗戦を機に独立宣言をした国のひとつです。但し、この地域も宗主国のイギリスが舞い戻ってきたために、独立抗争のすえ57年にマラヤ連邦として念願を果たすのですが、今度はその内部でマレー人と中国系住民の間に亀裂を生じ、リー・クァンユー夫妻を中心とする独立志向の中国人が多く住むシンガポール地区を、連邦から追放と言う形で分離独立がなされたのです。中継貿易港としての地の利はありましたが、それ以外にこれと言った産業基盤の無い地区で、国としての体をなすには徹底した中央集権全体国家体制が必要でした。今日でも一院制の議会は人民行動党のほぼ独占(98議席中、野党議員は1〜2名)です。
指導者リー・クァンユー氏は、通商交易以外に生きる道はないとし外国企業の誘致、その保護育成の為、大規模な保税地域の設定、ハブ空港(チャンギ国際空港)の開港、公営住宅の開発(それまでは中国系、マレー系、インド系とそれぞれ分かれて居住区を作っていたが、公営住宅には人種の別無く入居を割り当てた)、これらの有無をいわせぬ施策は功を奏し、東南アジアの中では突出したGNPを誇る国になりました。因みに、国土は都内23区程度、人口5百万人、その75%が中国系、14%がマレー系、9%はインド系、その他となっています。本島とセントーサ島を含む65の島々からなります、本島は居住区と商業区、セントーサ島はレジャー中心、その他は石油精製の島、化学工業の島と言うように上手く振り分けています。
ここでの私の業務は、一つはジュロン地区に設立した肥料ターミナル会社の社長と、他に駐在員としての役割と二束の草鞋でした。
ジュロン地区は一般貨物やコンテナー受け入れのシンガポール港とは分離した、バルキー(散物)な貨物、例えば石炭、木材、肥料等の単品大量貨物の受け入れ港として開発、後背地は工業団地として造成され日本からも機械や家電などの多くのメーカーが進出していました。
肥料ターミナル会社の役割は、4〜5万トンの肥料(尿素や塩化カリ)を撒積船で受け入れ、倉庫内で袋詰め作業を行い、それを近隣(インドネシアやマレーシア、ブルネイ等)の大型港湾の未整備な地域に小型船で届けるのが主たる機能で、他方駐在員としてはこれらの地域の巡回でした。
ところで、建国の指導者リー氏は数年前に首相の座を息子のリー・シェンロン氏に譲りましたが(間に、ゴー・チョクトン氏を挟み)、今だ内閣顧問として重きをなしています。同氏はお忍びで訪日することも多く、その時の印象を国民に語りかけるのです。例えば今回私は四国の片田舎で昼食にうどん屋に入ったが、ここの亭主は情熱とプライドを持って麺造りに励んでいる、と物造り職人の素晴らしさを称える。(ちょっと、面映いですが)。叉、シンガポールでは大学に進学するのは中国系が多いのですが、男子学生には学業途中に2〜3年の兵役が課せられます、そうすると同級生であった女子学生が企業や政府機関に先に就職することになり、男子が兵役を済ませて就職してみると同級生の女子が上役として存在することになります。その反動で中国系の青年がマレー系の女性(学歴の低いとされる)と結婚の相手に選ぶケースが増えてきたのです。そこでリー氏は、中国系同士の結婚を促す為に、換言すると男子のハンデキャップ(兵役期間)を補う目的で、女子学生に対し”日本では、女性は結婚後育児の為に職場を一定期間退き、その後子供に手が掛からなくなった時期に職場に復帰するよう配慮している。この点をシンガポール女性は見習うべきだ”と談話を発表しました。(日本の女性からクレームが出そうですが)。参考までにシンガポールでは国民皆兵、40歳までは予備役として拘束されます。
同氏は叉、明治維新に興味を持ち特に武士の心構えが日本の近代国家形成のポイントだと考えておりました。この考えは当時の閣僚にも浸透していたのでしょう、ある時ひとりの閣僚が土地開発を巡り、よからぬ噂が立ちました。この閣僚は自殺するのですが、娘さんに宛てた遺書に”自分は武士道の精神を手本にしている、噂を立てられたのは恥である。死をもって身の潔白の証とする”との新聞報道がありました。(耳の痛い話です)。
強権政治ですがその反面、政治的判断、政策の決定は素早く、このところ頭脳産業に特化する方針(例えば医療産業の育成)と見受けられます、政府主導で高い成長を維持している点は参考とすべきです。
申し送れましたが、この二つの国へは家族を帯同致しました。異文化に触れること等のメリットもありますが、家族に負担の掛かる事も事実です。特に教育(学校)制度がことなることから派生する問題があります。海外日本人学校は中学までですので、中3になると日本に帰すことになります、そんなこんなで、長男は東京、長女はシンガポール、私は任務上鹿児島、ワイフはその間を行ったり来たりと言う時期もありました。蛇足ながら申し添えます。
今回で(その10)となりました。回想(二)も一旦閉じさせていただきます。思えば、南極大陸を除く5大陸に足跡を残す事が出来た事、日本の高度成長期と肥料工業の推移と共に種々の体験を為しえたことに感謝しております。


 東京花便り その二十二
                     斉田 万吉


 例年になくこの冬の寒さは厳しくて、南国鹿児島でも1月に雪が降ったというので驚いていましたら、新燃岳の大噴火で大量の降灰とのこと。大きな被害が起きないことを祈っています。
東京にいて思うことは、冬場の降水量が極めて少ないことです。
日本海側にどっさりと雪や雨を降らせた後の乾いた空気がやってくるので、寒くはありますが晴天が続きます。
立春を過ぎた頃から少しずつ冬型の気圧配置が崩れ、関東平野を潤す雨の降る日が多くなり、少しずつ花の便りが届き始めます。
梅に椿に水仙と春を告げる花はいくつもありますが、いかにも春を待ちわびている様を思わせるのがマンサク(満作)です。
2月になって皇居東御苑や日比谷公園などで目にしました。
春になると「先ず咲く」というのが「まんず咲く」と訛って「マンサク」になったともいわれています。
黄色いながらも細長いので意外と地味な花びらですが、たくさん花をつけるところが豊年満作を思わせるので、縁起を担いでそう呼ぶようになったのかもしれません。
今年の歌会始のお題は「葉」で、皇后陛下の御作は「おほかたの枯葉は枝に残りつつ今日まんさくの花ひとつ咲く」という歌でした。
マンサクはマンサク科の落葉小高木。中国原産のシナマンサクという品種もあり、花を見ただけではほとんど区別がつきませんが、枯れた葉がたくさんついたまま花が咲くのがシナマンサクの特徴です。皇后陛下が詠われたのもシナマンサクのことではないかと思われます。
皇居東御苑で見た木にも「シナマンサク」と書かれた札がありました。
最近は赤花マンサクという園芸品種があって、生垣や街路樹に植えられているのをよく見かけます。細長い小さな花の形は同じですが、花びらが濃いピンクというところから趣が異なり、少しけばけばしくて個人的にはあまり好きではありません。





齢のせいなのでしょうか、だんだん派手なものを好まなくなりました。









 小走りの集団登校春隣り  竹帚 


        


「どうしたの?その顔」
「なにがあったの?」
と、何人ものお客さんから声を掛けられた。
 海老蔵さんの様になっていた。
 実は数日前に飲み過ぎたようで、午前1時過ぎの自転車での帰宅の際に転んだようだ。
 転んだようだと言ったのは、本人は覚えていないからだ。帰った時に女房に「なにその顔!おでこにこぶ!」と言われ、触って驚いた。すごいこぶが出来ていて血も出ていた。シップして寝て、朝起きたらこぶはかなり凹んでいたがあざが出てきていた。お酒臭さも加わっていたので店を休ませてもらった。次の日、又次の日とだんだんとあざが広がり目の周りはパンダのようになってしまった。体は元気なので休むわけにも行かず店に出たからお客さんに言われたわけである。
 寝る時に、数年前にも自転車で転んで鎖骨を骨折したことを思い出した。
 これは『バカさ』なのか『若さ』なのかとしばらく考えた。
 できれば『若さ』であってほしいのだが・・・、と願いつつ寝た。






春になったら酒を飲む
話の種が芽を吹いて
花が咲き実を結ぶ

夏になったら酒を飲む
女の話で盛り上がり
苦労して押し黙る

秋になっても酒を飲む
夜の静寂(しじま)に耳澄ませ
枯れ葉の舞い散る音を聞く

冬になったら酒を飲む
鍋をつついて味談義
一年(ひととせ)生きた喜び

男たちの頸城(くびき)を外せ
夜半(やわ)の夢を破り
昨日を悔やみ
明日に惑う
涙する男たちの

嬉しい時に酒を飲む
木々の梢(こずえ)に渡る風
胸に吸い込み笑う

悲しい時には酒を飲む
一人黙って酒を酌み
涙堪(こら)えずに泣く

怒りの時に酒を飲む
夜空を見上げて立ち尽くす
星の輝きで気を洗う

楽しい時に酒を飲む
誰かに話して分かち合い
笑い声で夜が更ける

男たちの頸城(くびき)を外せ
夜半(やわ)の夢を破り
昨日を悔やみ
明日に惑う
涙する男たちの

春になったら酒を飲む
話の種が芽を吹いて
花が咲き実を結ぶ 花が咲き実を結ぶ
花が咲き実を結ぶ

これは十五年位前に下川路さんが作ってくれた「浮来亭の唄」です。
You Tubeの動画サイトで浮来亭を検索すれば聴くことが出来ますから、ぜひ聴いてください。ただ、気に入らないのが、夏の、女で苦労する歌詞の時に、私のなぜかさびしそうに酒を飲む後姿です。







少し暖かくなってきました。
 毎回投稿のぶうめらんの幸ちゃんから連絡が無いのが少し心配です。新潟か北海道には居ると思いますが?






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