の幸ちゃん

『お盆特集』
@「名古屋行き、失敗」
 姉の長男坊が名古屋に居住しているので、お盆休みに会いたいと考えた。五〜六年、会っていない。
 姉は乳ガンで五〜六年前に死去した。長男坊の家に行けば、仏前に姉の写真も有るハズ。手を合わせに行こうと考えた。自由奔放な姉、余り好きではなかったけど。生きている内に余り、気持ちの触れ合いも無かったけど。病院の誤断(?)で投薬され、数ヶ月で急死してしまった。姉も訴えたいと言っていた。―処が松本を過ぎてから岐阜・高山へ向かってしまった。車線を間違えたのだ。次に又、正月か三連休に名古屋行きを挑戦してみたい。
A「3D映画も見られなくて・・・」
 柏崎市に棲んでいるが、映画館は車で30分位の所、長岡市に有る。
 3D映画を見たいと行ってみたが、夏休み中で子供向けの映画しか、やっていない。諦めて温泉へ。「かまぶろ温泉」でタップリ汗を流して・・・。
B「翌日はパチンコへ」
 寮の同室の青年とパチンコへ。500円が1800円になった事も有り、再燃にしては順調。調子に乗り、2日続けて同じ店に行ったのが失敗?7000円位、負けてしまった。暗い夜道を帰る時、酔っていたので、側溝に足を踏み外し、ドスンと体が落下。足やヒザ、あちこちをぶつけて、痛い。
C「海へトコブシ獲りに」
 寮から歩いて5分位の処に海が有る。まるで「海の家」みたいに近い。テトラポットの場所を下見に行ったら、でっかいトコブシが一杯居る。鹿児島でも加世田迄、行って獲っていた。軽装備で行ったが波に打たれて、アチコチすり傷作ってしまい・・・。でも久々の貝を茹でて食べたら、ホタテの小さい風になり、コシが有って旨い。
 又、もう一度、この夏に装備を整えて、挑戦しようか・・・。
@〜Cこれらの事がたたったのか?(ドライブ疲れ)と(側溝での強打)、(パチンコ疲れ)、(波に打たれた体)か、全てが相乗効果して体のアチコチが痛く、軽く風邪気味。風邪薬飲んで、焼酎で体を癒すべく、盆休みの最終日には朝8時30分から飲んだので、有った・・・。
(以下、次号に続く)


ある回想 (二)  その5
            アイ・アイ


 60年代後半から70年代前半にかけては、池田内閣が4年間佐藤内閣で7年と、昨今の短命内閣とは異なり一定の期間を一つの内閣が特定の政策のもとに経済を動かす事が出来ました。64年には東海道新幹線の開通と東京オリンピックの開催、67年にGDPが世界3位になったと政府発表、71年には沖縄返還がありました。他方、経済界でも三菱重工業や川崎重工業の系列各社の統合合併、新日本製鉄の発足、自動車メーカー、銀行各社の合併等も進み好調な経済は”いざなみ景気”と呼ばれ長期間続きました。
話を本業に戻しますと、我が国からの肥料輸出は、尿素を中心に硫安、塩安でした(一部、化成肥料もありましたがたいした量ではありませんでした)。その輸出先は中国、インド、パキスタン、インドネシア、フィリピン、ベトナム、バングラ、スリランカ、フィジー、硫安に限っては中米(グアテマラ、エルサルバドル)やブラジルまでコンスタントに出していました。
ところで、化学肥料は国内農業にとっても不可欠な資材ですので、輸出とのバランスをとるために、カルテルの結成が認められていました。アンモニア工業会をベースとする”硫安輸出会社”(尿素、硫安の輸出をコンとロール)と曹達工業会をベースとする”塩安協会”の2社で国内と輸出の比率を策定政府の承認を得て輸出が承認される仕組みです。一方で輸入国でも肥料は基幹資材ですので、その政府機関の直轄業務でした。従って、交渉は相手国の農業省(中国は化工総公司)と日本側はメーカー代表の団長と2〜3名のメンバーに幹事商社が事務局として付くという編成で行いました。
商社の役割は、その時の世界の肥料事情や当該輸入国の現状を交渉団に説明する事及び通訳が主な役割で、大半の相手国の幹事役は三井物産と三菱商事で勤めていました。
大量輸入国は中国とインドが双璧で、ともに三品目を合わせると百万トン以上の量を年間に購入、その他諸国を合わせると四百万トン以上になりますが、これを冬場を除く約八ヶ月で船積み出港させるのですから、この時期の各メーカーの船積港は戦場のような騒ぎでした。冬場は季節的にも船積みに適さないこともありますが、むしろこの時期は商談交渉の時期です。インドと中国その他の国とは買い付け方法が異なり、専門的になりますが、インドはFOB(積出港本船乗渡し)、中国その他はC&F(相手港届け渡し)でした、この方法ですと船舶の手配はインド向けはインド自体が行い、その他諸国向けは日本が行うことになります。インドの狙いは自ら配船することで運賃を安く上げようということですが、海事(傭船事務等)に慣れているとの自負もあったのでしょう。背景には、戦後20年経ったとはいうものの大戦中に西側陣営(特にアメリカやカナダ)で戦時物資の大量輸送の為に戦時標準船(画一化による短期間造船、リバティー型と呼ばれた)が何百艘と造られたが、戦後に同盟国であったインドにはこのリバティーが多数払い下げられいたこともあります。既にオンボロ船ですのでこの配船には泣かされました。ある時、宇部港で船の到着日を過ぎても姿をみせず、代理店への無線連絡もなく(本船の針路上を台風が通過することになっていらしたので)私も宇部港で待機していましたら、マスト(無線アンテナ)を吹く飛ばされ、ギャレー(船の調理場)の煙突も無い姿で入って来ました。当然、無線連絡も取れないどころかギャレーが使えず3日間飯もろくに食ってないというので、荷役どごろではなくまずは地元の仕出し弁当の手配が第一でした。叉、八戸ではバース待ち(荷役岸壁の空き待ち)で沖でアンカーを打って待機中の船が夜間の強風で流され、防波堤に吹き寄せられたことがありました。大事にはいたりませんでしたが、インド側は指定の待機海面での事故は、八戸港がセーフティーポート(安全商港)と云えない、従って本船のダメージの補償を日本側に求めると要求がありました。私も検証のために八戸港へ急行しましたが、偶々岸壁にアンカーチェーンが引き揚げられているのが目に入り、聞く当該本船のものだとのことですので調べますとそのシャックル(チェーンの環)がひどく磨耗していることが解り、この写真が証拠(シャックルの磨耗がアンカーチェーンが切れた)となりインド側の訴えを取り下げさせることが出来ました。
トラブルはこのような船舶の老朽化といった物理的なもの以外に政治面、国際紛争、資源紛争などから生ずるもの等多岐に亘ります。
66年から10年に及ぶ中国の文化大革命時の厄介ごとは、日本国内の友好商社(その3で説明)がこれに呼応して赤い表紙の”毛語録”を片手にかざし大会を開き、そこに所謂”財閥系商社”を呼び出し、社会の困窮は資本主義に根ざし財閥はその手先であると糾弾するのですー全く時間の無駄ーそのものでした。この文革は毛澤東の死去により終息するのですが、その直後に訪中し見聞したものは、すざましい破壊でした。大学や研究所の先生方からは、どんな文献でもいいので送ってほしいというものでした。この騒動によって中国の進展は30年遅れたといわれたものでした。



「秋の七草」   皓以兆


「秋の野に 咲きたる花を 指折り(おゆびおり)
かき数ふれば 七種(ななくさ)の花
萩の花 尾花葛花 撫子の花
女郎花 また藤袴 朝貌(あさがお)の花」
(万葉集 山上憶良(やまのうえのおくら)
秋の七草は万葉集のこの歌で山上憶良が選定し今に至っている。

今、私の庭には秋の七草を植えてあります。萩はピンクと白が咲いています。葛の花はまだ葉っぱだけですが、だんだん気温が下がってきたら、赤い花が咲くと思います。ナデシコの花はもう咲き終わりました。女郎花は今黄色い花を今を盛りに咲いていて、ひときわ目立っています。藤袴はうす紫色の花を咲かせ、あさがお(あさがおは朝顔ではなく桔梗)も綺麗な花を咲かせています。しかし、今年は猛暑でとても秋の雰囲気はありません。
ススキも咲き始めました。私の小さかった頃、母が縁側にススキと団子を飾って、月を愛でていたころが思い出されます。今、風鈴が風に揺れてここちよい音が夏の暑さを少しでも癒してくれます。秋が深まれば「虫の音」が聞こえてきます。日本人は遠い昔から自然を目で、季節の花で季節を楽しみ、虫の音や鳥の声、水の音、木々の音や緑の美しさを教授してきたと思います。日々の忙しさや、だんだん余裕がなくなってきている自分ですが、あえてこういうことがらに関心を持っていこうと思っています。温暖化どうかわかりませんが、昔より季節の変わり目がわからなくなってきている気がします。暑さは年々増してきているようですが、せっかく四季のある日本に住んでいるのですから、季節季節の自然の美しさや風流を楽しみたいと思っています。
余談ですが、
・春の七草は「七草がゆ」にして食べるなど、 ”食”を楽しむものですが、秋の七草は花を”見る”ことを楽しむもののようです。


 東京花便り その十七
                     斉田 万吉


 今年は9月半ばになっても陽射しが強く、なかなか秋の気配を感じることができませんでしたが、草花は律儀なもので、きちんと季節の移ろいを教えてくれます。
毎年この時季、地中から湧いて出るように真っ赤な花を咲かせる彼岸花・・・東京でもあちこちの公園で見かけることができます。
コンクリート・ジャングルといわれる無機質な空間ばかりが目立つ東京ですが、オアシスと呼べる場所が各所にあり、その片隅で燃えるように一際赤く咲いている姿を見ると、秋の訪れを感じてほっとするものです。
桜で名高い千鳥ヶ淵に戦没者墓苑がありますが、そこでは赤ばかりではなく白やピンクの彼岸花も一斉に咲いていて、とてもきれいです。
国土交通省の「都市公園データベース」というのを覗くと、都道府県別1人あたりの公園面積ランキング(平成20年度)というのがあります。
ダントツの1位は北海道(34平米)で、2位の宮崎(20平米)を大きく引き離しています。鹿児島(13平米)は15位で、東京(7平米)は44位、以下45位が千葉、46位が大阪、47位が神奈川の順でした。しかしこのデータは「1人あたり」というところがポイントで、下位に位置する都府県は人口では上位に来るところばかりです。
同様に公園の総面積や箇所数の都道府県別にランキングのデータを見てみますと、総面積では1位から北海道、埼玉、兵庫、愛知、大阪、千葉、東京の順で、鹿児島は24位。箇所数では千葉、北海道、兵庫、大阪、埼玉、東京、神奈川の順で、鹿児島はこれも24位でした。
宮内庁管轄の皇居東御苑は1963年に特別史跡に指定され、1968年から月曜日と金曜日を除いて無料で一般公開されています。
江戸城の本丸、二の丸、三の丸の跡地で、江戸城の遺構の他に、広大な敷地に四季折々の草花が楽しめる庭園や雑木林があるので、いつ出かけていっても飽きることはありません。隣接する北の丸公園や千鳥ヶ淵緑道、日比谷公園あたりを加えれば、一日がかりの散策コースになります。

 山門を 出てまた戻る 赤とんぼ 
            
                           
竹帚


    
   
連太郎 
 孫が入院しているので、鹿児島の病院へ見舞いに行った。
 煙草が吸いたくなったので病室を出て看護婦さんに尋ねたら、病院の敷地内はすべて禁煙との事。どこかで吸えるだろうとしつこく聞いたがダメだった。
 お昼に病院の食堂で食事をした後に煙草を吸いたかったが我慢した。結局2時間くらい吸わなかった。
 夜、寝る時良いことに気が付いた。部屋を禁煙場所にすればいいかもと。吸いたくなったらベランダで吸えばいいのだと。
 次の日の夜、又考えた。やりたい事をする人生であるべきだから、吸ったほうが良いのではと部屋でも吸うことにした。
 結局、こんな感じで禁煙との戦いを楽しんでいるみたいだ。

 彼岸になったから、暑さももう少しの我慢です。原稿を待ってます。


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