の幸ちゃん

『時々、ビジネスホテルに』泊まるのが好きだ。狭っ苦しいと嫌いな人も居るだろうが、好きな温度の風呂にゆっくり入り、パンツ一枚で居られる自分だけの空間。
 素泊まり3800円位からだから。金に余裕の有る時はホテル近くの居酒屋へ行き、他の肴や酒を楽しむ。
 金が無い時はコンビニかスーパーへ買出しに行き、部屋でのんびりと過ごす。今までの人生や、これから先の事をふっと考えたりもする。TVの画面は旅番組が良い。又、行きたい所を見つけたらメモしたりもする。仕事で周囲にいろいろな人がおり、毎日、同じ人と仕事し、同じ部屋に棲んでいる。三年近くも、この生活に疲れて来たのか、私も時々一人になりたい事も有る。――同居人も趣味の合う人の宿へ、週末になると外泊する様になった。

『新潟周遊』
 こちらも暑いけど、朝方、曇り空。先週よりは少し涼しい気がする日曜日(8/8)。弥彦方面へ国道116号線を車で向かう。弥彦は競輪コースの有る町。近くに「あじろ温泉」と云う名のでかい浴室が有る。8時30分頃、着いてしまい、10時オープンの温泉には、まだ程遠い。近くの燕三条駅近くの「物産センター」に旨い酒を売っているのを思い出し、車を走らせた。そこは9時30分オープンだとか。早く宿を出発し過ぎたのか、全て肩透かし。え〜う!と上越の牧地区に行く事に決めた。「ふるさと村」へ行けば、ワラぶき屋根の家は有るし、そば定食も食べられる。2時間、かけて走ったが、判り辛い所で上越市へ着いてしまった。(時々、私は、こんな事になるが、次回、再挑戦している)

『近くの海にサザエが』居ると聞いた。今の寮から歩いて5分位の処に日本海が拡がっている。テトラポットの周囲を下見に行ったら、貝がらうじゃうじゃ居る。稚貝も育ちつつ有る様だ。この辺の住人は食べられる貝と知らないのか?他に高級魚介が獲れるので、安い貝を取ってるヒマも無いのかも知れぬが、男一人、部屋で洗濯、後片付けが終わると、する事も無い。次の休みには漁だ!!海へ行って貝を獲るつもりだ。「釣具屋」さんへ行って、必要な物をそろえて、貝をGETだ。実行できたら、又、報告します。

『パチンコ再燃』
 ワーキング・プアとでも云うのか、今年に入って貯蓄がナカナカ残り辛い。そこで少し利殖を始めた。取り合えずパチンコだ。同室の青年がパチンコが趣味なので同伴してコーチして貰った。現金がICコインになっていたり、最近の台を知らない私なので、五〜六年振りの遊戯は多少の感動も有った。
 初日は手慣らしと云う事で五千円予算で遊んで見た。景品や現金に換える積りも無く楽しんだ。
『海物語』の台が余りパッとしないので別の機種を選択。面白い程良く玉が入り、あっと云う間に2箱、貯まったがパッタリ出なくなり、2箱共、又、台の中へ投入。これを2〜3回、繰り返している内に私の方が台に遊ばれている事に気付いた。終了のアナウンスが始まり、閉店15分前に店を出た私達であった。(遊戯時間・四時間)
 次回は出る店や台を探して利殖に励もう。生活困窮にならない?程度で、街へ出たら合いた時間に又、楽しみたいと考えた。

『3D映画、ふたたび』
 今年になって「アバター」も大ヒットした3D映画。お盆休み前にも新作が放映されており、近々、映画館に足を運ぼうかと思い始めた。テレビ業界も次は3Dだと、やっ気になっているのは報道等で御周知の通り。地デジの準備は終わりましたか?今後、テレビ・映画業界に変化が見られそうですね。

『健康と酒』
事務所で健康診断が有ると云う事で一晩、酒を控えた。熱い麦茶で済ませた。現在、血圧薬も飲んでいるので、班長に云われた。(じいも年を考えて、少しは酒も減らさないと、体をこわして働けなくなったら、そうしようも無いよ)と。――そこで三日、酒を断った。遂に禁断症状が表れた。夜、眠れないのだ。帰って来てから腹一杯、ゴハンとおかずを食べ、8時台には眠っても見たが、やはり少し酒が入らないと頭が冴えて眠れない。
 体力強化の意味でもスポーツジムに通う事も考え始めた。少しずつ酒量も減らし、元気で活発な残り人生を過ごそうと考え始めている私で有る。


ある回想  (二)その四
            アイ・アイ 


ところでその当時、なぜ我々新人社員が船員籍で事務員として乗船する必要があったかといいますと、戦後15年経った昭和35年当時でも米国に於ける対日感情はかならずしも良好とはいえず、日本船の代理店を引き受けてくれる会社が少なく、そのネットワークが完成していなかったのです。従って若手社員が事務長を補佐し、日本(横浜)を出て航海中に米国入港書類、積荷に関する通関書類等を、最初の港(この場合はシスコ港)迄の12日間に作成し提出しなければならないのです。米国の規則では、外国からの貨物はファーストポートで総ての貨物の通関を切らねばならないことになっており、その後は全積荷は内貨(国内貨物)扱いとなるのです。
大体において、北太平洋は荒れますので、荒天下でタイプを打つのは至難の業ですし、今のようなコピー機はなく色鉛筆(ヘクトペンシル)で描いた図面をこんにゃく版(ゼラチンのシート)に転写したものを一枚ずつ(版画のように)刷り上げる作業など、不眠不休の連続となりますので、シスコに着くころは目のふちに隈ができます。
ただその後は、内貨扱いですから楽なものです、港、港で上陸し市内見物は可能でした。但し、当時は外貨割り当ての時代で使えるドルはほんの数ドル、上陸範囲も規制されていましたので街をぶらぶらしホットドッグを食べる程度でした。もっとも私は趣味でジャズのレコードを集めていましたので、これにほとんど使いました。(話が脱線しました)。その後、代理店の整備は急速に進み、3年後には若手の事務員の殆どは内勤(陸勤)となりました。同時並行的に、事務機器の革新整備、通信機器や航海機器の進歩発展は目を見張るものがあり、当初は士官・一般船員合わせて60名程乗り組んでいましたが、急速に定員削減が進みました。現在は大型船でも10名程度で運航可能だそうですが、あまりに人が減って、例えば食事時に顔を会わせる数が2―3人となってしまうと、精神的におかしくなるそうです。
航海中は4時間ごとに当直に立つ人々がいますから、必ず相当の人数は寝ていることになります。従って、機械化、ロボット化が進んだからと言って、一定の人数以上にやみくもには人減らしは出来ないそうです。
話題を替えますと、船乗りの生活風俗には帆船時代の名残りが色濃く残っています。マドロスさんといえば、演歌の台詞ではありませんが、港の酒場は定番ですが、これは帆船時代には出帆する港で必要な数の船乗りを雇い入れ、航海が終わるとそこの港で降ろされる、降ろされた船乗りは安酒場にたむろして、次の声が掛かるのを待つという生活だったのです。現代の船乗りも仮に横浜で乗船し一年間の乗船勤務を終え神戸で下船し休暇を取るとしますと、横浜で乗った日を”雇い入れ”とし神戸で下船した日が”雇い止め”となりこれを各々の海運局に届け出るのですが、これも事務員の仕事でした。
この日付けでもって、乗船手当て、航海日当を計算し固定給に加算支給されることになります。従って船乗りは乗らないと稼ぎにならない仕組みです。
海上保険の発祥の地はロンドンのコーヒー店として、港の安酒場も当時は重要な職業安定所であったのです。もっとも今もって酒場はその重要性を失ってはいませんが。・・・・


 東京花便り その十六
      斉田 万吉


13年前、鹿児島から東京に異動になって居を移したのが当時の大宮市で、現在は浦和市などと合併して、さいたま市になっています。
家族と一緒に転居の際、羽田空港から上野まで出て、大宮方面へ乗り換えました。
宇都宮線や高崎線に乗れば早いのですが、東京や埼玉のことは右も左もわからなかったので、途中たくさんの駅に停車する京浜東北線に乗ってしまい「ずいぶん遠いな」と思ったことを覚えています。
長野新幹線が開通する直前で、上野駅は宇都宮線、高崎線、常磐線に加えて、当時は信越線の起点にもなっており、まさに東北や北陸の玄関口という匂いが漂っていました。
中央改札口を入った正面にある13番以降のホームが、かつて長距離列車の発着に利用されていました。しかしこの20年で東北、上越、長野の新幹線ができ、多くの長距離列車が姿を消してしまいましたので、今はもうその雰囲気はありません。重い鞄をぶら下げて、一目で田舎から出てきたとわかる若者なんて見当たりません。山手線や京浜東北線との乗り換えで利用するサラリーマンやOLが目につくばかりです。
♪どこかに故郷の香りを乗せて、入る列車の懐かしさ・・・という井沢八郎の「ああ上野駅」という歌を聴くと、なぜか今でも胸が熱くなるオジサン世代には少し寂しい気がします。ただ「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにいく」という啄木の歌を刻んだ丸いプレートだけが、昔日を忍ばせてくれます。
上野といえば動物園や美術館、西郷さんの銅像に音楽堂と昔から庶民の憩いの場として有名です。春の桜、秋の紅葉をはじめ、アメ横や寄席、映画館、神社仏閣等、周辺一帯を含めればお薦めの散策コースがたくさんあるところです。
夏は不忍池一面に咲く蓮の花が見応えがあります。広さやその数、葉や花の大きさ、東京のど真ん中でこれだけの蓮池は他にありません。
蓮は早朝に咲いて午後には萎んでいくので、午前中の早い時間が見頃です。濃い緑で大きく丸い葉の間に、薄桃色の高貴な花が開いた姿は神々しさを覚えます。花が終わった後の蜂の巣のような実も絵になりますし、冬枯れた蓮池も風情があるものです。

かなかなや起きて眠りてまた起きて  竹帚 



 
     

 店を手伝いながら野球が見れるので最高の職場である。
 8月は高校野球があるので昼間もずっと見れた。どこの試合か忘れたが、9回表にこれでゲームセットだというセンターフライを落球し逆転されてしまった。でもその裏ランナー二人をおいて左中間へのライナーが飛んだ。誰もが再逆転のサヨナラと思った打球をレフトの選手が横っ飛びに補給しゲームセット。
 寝るときに思った。本当に高校野球は悲劇のドラマだなと。4000以上の学校で泣かないチームはたった1校だけであるから。日本人って悲劇が好きな国民であることが良く分かった。
 私はハーフなのかもしれない。





■この8月にセントラルパークで2つの夏祭りが行われました。祭りは夏にやりたいという有志が頑張ってくれたようです。市も商工会議所も観光協会も協力してくれたそうです。大変喜ばしいことだと思います。これが本当の共生・共働だと思いました。来年も行われる事を願っています。






 
縄文の森をつくろう会より

●指宿「市民の森」概要
指宿市の提案公募型補助事業を活用して、魚見岳に指宿市民が憩える手作りの森を作ります。平成23年9月第3日曜日の「森林ボランティアの日」をわれわれが市の土地を借用して行います。総面積52,973uに遊歩道を作り、植樹まで含めて2年間かけて整備します。市民が集える憩いの森、子供たちの森林環境教育の場としても活用できるようにします。
平成22年9月19日「第8回森林ボランティアの日活動」があります。
場所 姶良市 建昌城跡
作業内容:下刈り、歩道整備、竹林整備・除間伐等
来年度は、当会が担当する(魚見岳)ことになっております。
 今年度は、参加活動する事も大事ですが視察・活動内容の把握が必要です。
 是非多くの参加をお願いします。
9月10日(金)迄に、参加名簿を提出しますので、参加をお願いいたします。

●指宿市内のNPOいぶすき連絡協議会(仮称)設立総会のおしらせ
「NPO法人」9団体が、ネットワークを作って今後の活動に生かしたいとのことで、鹿児島県と指宿市の指導により、設立総会を行う事になりました。

●「てんちの杜」の稲の生育状況
6月19日「てんちの杜」に、「宮ヶ浜みどりの少年団」の子供達と、田植えをした稲が8月12日現在60cm以上に成長しています。これから、台風なども心配されますが、秋の収穫が楽しみです。

●樹木医 秋元さん ビオトープ福井大会に出席・「てんちの杜」の発表
去る6月12日(土)13日(日)福井県越前市で開催された日本ビオトープ士会福井大会に、縄文の森をつくろう会会員で樹木医の秋元さんが参加し、3年がかりで作った揖宿神社の「てんちの杜」のビオトープを発表しました。





大変暑い日が続いております。お体には充分注意してください。原稿待ってます。






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