の幸ちゃん

『びっくりトイレ話』
 若者2〜3人で、騒いでいた。一人の青年が小用中、「やめろよ」と低い声。その後、携帯カメラで股間を撮ってるシャッター音。今の若者は一体、何を考えているのか、私には判りません。

『懐かしくなって』映画「イージーライダー」のDVDを借りて来た。あれ程、テーマソングも大ヒットした割りには内容が薄く感じられた。時代の変貌なのでしょうか?当時としては、ニューアメリカンシネマと云われ、ヒーローが最後は死んで行く映画が多かったですね。(「俺たちに明日はない」等)高校時代「文化劇場」で観たのとは、イメージが違いすぎたのでした。
『北海道に半年』新潟に三年住んでいる。ここの方が棲みごこちが良いみたい。四方八方に温泉有り。米・酒は旨いし、現場で次々と良い人間と出会えて、私の人生も色々な方向へ多角的に拡がりつつ有る。
―新しく入った寮の調理場の寮母さんが気になり始めた。少し日本人離れした顔(インド人+プエルトリコ人みたいな)人懐っこく話し掛けて呉れる。「道の駅」の土産を渡したら、喜んで、食べて貰えた。―酒も飲めると聞いたので、今度、近くの居酒屋さんへ誘ってみます。結果は又、後日、報告します。

『事務所に地元出身の』人間が居て隣町に鳥料理の旨い店が有り、鹿児島の焼酎が置いて有り、店内の造りは小さな中庭が有り、カウンターや座敷の小窓から見える様に、飲みながらも、楽しく落ち着いたムードらしい。今度、泊りがけで行って来ます。

『美しい夏キリシマ』と云う日本映画のDVDを観た。アダルトシーンも有るが、鹿児島弁と博多弁がごっちゃになって行き、いらついて来ますがまアまア楽しめます。そちらのレンタルショップに有ったら観てみて下さい。

『群馬県の』道の駅「匠(たくみ)の里」を訪ねて行ったら道を間違えて長野県の千曲(ちくま)の方へ行ってしまった。匠の里にはワラぶき屋根の売店が数軒有り、福島県の「大沢宿」のミニ版的存在だ。
 四月29日から5月9日迄、八連休のゴールデンウィークなので、群馬から栃木・日光〜埼玉の出張先(セメント工場の近くに旨い焼肉屋が有り、もう一度行きたい)→山梨(河口湖で富士山を観るに)→静岡の以前の出張先(好きな飲み屋さん有り)→名古屋(親戚、姉の子供も住んでいる)→岐阜(高山に行きたい)→松本→新潟(前述の居酒屋)→秋田(男鹿半島)と予定している。途中温泉に入り、天気が良ければ、「道の駅」で車中泊。雨や寒い日はビジネスホテル泊で。安上がりな方法で旅してみます。結果は又、次号(?)で。
『北海道の』新千歳空港に行った事、有りますか?おみやげ品店が、まるでひとつの街の様にズラリと並んでいます。丸一日かけても、見足りないとか。私も途中で断念して、弁当だけ買って、帰って来た。


木のきもち
       
秋元智雄

 先日「持続可能な地球をつくる」マクロエンジニアリングという本を読んだ。トリレンマとは、その中に出てくる言葉である。現代人に課せられた大きな課題である。ジレンマは、2つの選択肢の中で、どちらを選んでも何らかの不利益があり、どちらにするか決めかねている状態を指す。
 さらにトリレンマは、3つの選択肢から選択する状態を指す。(著者の造語)ここで問題になる3つの選択肢とは、環境保全、経済発展、エネルギー問題の3つの選択肢である。
 たとえば、現在経済の浮上策に内需拡大という言葉がよく出てくる。景気策を推進すれば、工場の稼働率が上がり、それに伴いエネルギーを多く使う。またCO2の排出も増えるという具合である。
 著者である新田義孝先生は、ウルトラCの解決策をいろいろ提案している。
 解決策の中で、樹木医である私が興味を持ったのは、石炭火力発電所の副産物である石膏を用いて砂漠のアルカリ性劣化土壌を中性化し、(オーストラリアなどの広大な砂漠)耕作に適した土壌に変えるプロジェクトである。これが成功すれば火力発電所の二酸化硫黄の発生を抑え、環境によく、耕作地を増やすことで、穀物の生産が向上し経済的にも良い。
 2050年には、世界人口が90億人になる。その時、地球の食糧生産力は、はたして大丈夫なのだろうか?きっと餓死者が大量に出ることは、現状を見れば明らかである。
 この「木のきもち」では、今後このような環境の話や、樹木医(植物)に関することを書きたいと思っている。



 
ある回想(二) その1
             
アイ・アイ

やく1年前、私のサラリーマンスタートの3年間(1961〜)にわたる船員生活をかいつまんでお話しました。ところで第二次世界大戦で焼け野が原となった戦後の経済復興に際しては、いわゆる傾斜生産方式が採られました(陰には通産官僚の涙ぐましい努力があったのですが)、即ち基幹産業に集中して投資し基礎物資の生産を確保した後に順次各部門の生産の建て直し拡大を諮るというものです。
前回述べましたように、海運界も壊滅的状態にありましたが島国の我が国にとって、何をするにも船腹の復旧が急務でした。そこで政府は敗戦後まもない1947年から年度毎に財政支援をともなう数次に及ぶ計画造船を始めました。
前回の文章で記しましたI(アイ)海運と言いますのは、お気付きかと思いますが、飯野海運のことです。飯野はもともと舞鶴の出ですが当初は専ら北九州(筑豊)の石炭を海軍(軍艦)に給炭する石炭運搬船を運航して来ましたが、軍艦の燃料が石炭から重油に変わるにつれてオイルタンカーに移行していきました。大戦が始まりますと、南方で海軍に拿捕された敵性国のタンカーの払い下げを受け、急速に船腹拡大を遂げ一時は保有船腹日本一となりました。戦後はこの地位を利用してタンカー部門と同時に貨物船部門にも進出、太平洋航路を中心に欧州、南米航路にと展開して行きます。
この飯野海運中興の祖と言われたのが本県出身の俣野健輔氏でした。海運会社経営者団体である、船主協会の中心として上記の計画造船の遂行に尽力されました。但し、年毎の計画に於ける船主の割り振りや政府融資にからみ、ご多分に洩れず政官財の巨額贈収賄事件(造船疑獄)を引き起こしました。同氏も起訴されましたが究極は無罪となり、海運界の再建に寄与したとされ1976年”勲一等瑞宝章”を授与されました。戦後復興期を代表する財界人の一人と云えます。尚、城南通り?(鹿大水産学部近く)に、鹿児島県へ寄付された体育館がありますが、ここのロビーに同氏の胸像が安置されております。もし機会がありましたらこの説明文をお読み下さると有難いです。
さて、1945年に大戦は終結したとはいうものの直ぐに西側とソ連の対立が始まり、50年には朝鮮半島で戦争が勃発しました、お隣の朝鮮民族にとっては大変不幸な出来事で、二つの国の悲劇は今なお尾を引いています。しかしながらこの動乱による特需は、我が国の経済復興には大きなプラス要因となりました。52年から製紙パルプ、繊維、精糖をはじめ活況を呈し三白景気と称しました、まさに他力本願というべきこの時期の生産基盤の立ち直りが、国民生活の向上と消費の下支えとなりました。この活発な消費を反映し、砂糖、セメント(インフラ整備)、硫安(肥料、農業生産の後押し)の生産を刺激して第二次三白景気となりました(1955年)。


気になること
           今村俊一

「自動販売機」

 私は、タバコをすわないのでタバコの自動販売機は使った事は無いが、近頃暑くなってきたので、自動販売機で飲物を買うことが多くなった。
自動販売機とは、不思議な機械だと思う。お金を入れると、冷たく冷やされた飲物が24時間いつでも出てくる。おつりも計算して出て来る。まるで中に人が入っているのではないだろうかと思う。
 もし人が入っていたとしたら、会話をするのが礼儀ではないだろうか?
「こんにちわ」「暑いですね。」「飲物を下さい。」「何にしますか?」と聞かれたら、「ポカリスエットをお願いします。」そして、「いくらですか?」と聞き、「150円です。」と言われたら「じゃ200円でお願いします。」と、「はいどうぞ。」冷えたポカリスエットと、50円のおつりが出てきたら、「どうも有り難う御座います。」
こんな事を自動販売機の前で、私は言った事は無いが、今度買う時は、チョッと恥ずかしいので、人にあまり見られない様な、自動販売機で買って言ってみようと思う。感謝の気持ちをこめて、もし口に出せなかったら、心の中で。 
 実際は、自動販売機を作った人、トラックで運んできた人、飲物を作った人、飲物を運んできた人、電気工事をした人、飲物とおつりを入れた人、もっともっと沢山の人がかかわっていると思う。その人達に「ありがとう御座います。」ぐらいは。



「カタクリの花」
  皓以兆

 四月二七日、二八日の一泊二日の計画で、今村さんと二人で熊本県美里町の雁俣山のカタクリを見に行ってきました。カタクリの花を知っていますか?カタクリはユリ科カタクリ属の多年草。北海道から九州の落葉広葉樹林帯に分布します。早春に下を向いたかわいらしい花を咲かせます。葉は帯紫色の模様があります。落葉樹の葉がすっかり落ちた地面から咲いてきて、欧米では「春の妖精」と呼ばれています。雁俣山近辺も昔はカタクリの群落が見られたそうですが、残念ながらかなり個体数が減っています。盗堀も考えられますが、それよりも環境の変化が大きいではないでしょうか?落葉広葉樹林から常緑広葉樹林の雑木林への変化。葉が落ちて、日光が差し込むわずかな期間で花を咲かせるカタクリ。常緑広葉樹林帯ではなかなか日が差し込まないため、カタクリが減っていったと考えられるそうです。昔はカタクリの球根から片栗粉を作っていたそうです。現在は片栗粉はジャガイモから作られるそうです。四月早春のわずかな期間しか咲かない花です。こういった貴重な花が咲き続ける環境であってほしいものです。興味があったら、ぜひ見に行ってみてください。雁俣山から帰りは五家荘を通って、人吉に抜ける国道四四五号線を走っていると、途中「梅ノ木轟公園つり橋」が現れました。九州山地の山深い渓谷になぜこんな橋をかけたのだろうと思ったら、幻の滝と呼ばれる「」梅ノ木轟を見るために架けられたそうです。轟とはこの地方で滝のことだそうです。全長一一六m、高さ五五mのロープを使わないプレキャストコンクリート工法で作られた日本一のつり橋です。こわごわと渡りましたが、床はコンクリートで固められ、頑丈で全然揺れませんでした。歩道を降りていくと、水量豊かな滝が現れました。秋は紅葉がきれいだろうなと思いました。それから国道四四五号線はとても国道と呼ばれるような道路とはいえない道路で、対向車が来たら引き返さないといけないぐらい狭い道路が続きます。落石も多く、あちこちで工事が行われていました。途中、「平家落人の里」を通りましたが、昔は道路もないこういった急峻な山地に平家は逃げ込んできたんだなと考えると、よっぽど「源氏の追っ手」が怖かったのでしょう。熊本県中央部は九州山地の背骨になる山々が連なっており、そこに架けられた石橋群や自然いっぱい、見所いっぱいの場所です。カタクリの別名は堅香子(カタカゴ)万葉集に残る、「もののふの 八十乙女らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花」(巻18)に詠まれている「堅香子(カタカゴ)」は、カタクリではないかと考えられている。


   東京花便り その十三
                                 斉田 万吉

「里山」という言葉をよく耳にしますが、はたしてその定義を調べてみますと「集落、人里に接した山、あるいはこうした地形において人間の影響を受けた生態系が存在している状態を指す言葉である」とWikipediaに記されていました。 
早い話、身近にあって薪や山菜、ときには動物性蛋白など、私たちの暮らしに必要なものを調達していた雑木林のことだと考えればいいのでしょう。
樹木の芽吹きや落葉を見ることで季節を感じるだけではなく、吹き渡る風の音や匂い、鳥や虫の鳴声など、四季の移ろいを語りかけてくれ、ほっとできる空間だともいえます。
色鮮やかな鯉のぼりは雑木林の新緑に映えます。民家の煙突から煙がたなびき、筍やフキなどを煮る匂いがする光景・・・「里山」という言葉の響きに自然との共生を感じ、豊かな恵みに感謝できる場所は、東京といわず地方でも本当に少なくなりました。
高層ビルが次々と空間を埋めていく東京のど真ん中では、「里山」も「雑木林」も見ることはできません。それなのに街を歩けば、時節の花々を楽しんだり、多くの野鳥を観察できたりするのはなぜでしょう。
意外と地方の都市よりも大きな公園の数が多く、幹線といわず小さな通りにも街路樹が植えられていて、しかもそれらがよく整備されているからではないかと思います。
財政にゆとりがない地方都市と、都会との違いがここにあるようです。
4月初旬、日本橋から浅草橋にかけての大通りを歩いていましたら、道沿いの両側に延々と真っ白な辛夷(コブシ)の花が咲いているのを見て、つくづくそう思いました。
桜の後に楽しめる花の一つにハナミズキがあります。花弁のように見えるのは花ではなくて萼片というもので、本当の花はその中心に目立たずにあるものです。
ワシントンDC・ポトマック河畔の桜並木が有名ですが、1912年に当時の東京市長だった尾崎行雄が贈った苗木が育ったもので、その返礼として1915年に米国から寄贈されたのがハナミズキで、今では庭木や街路樹として広く植えられ、全国いたるところで見られます。花だけではなく、秋には赤くなった葉や果実もきれいです。
ちなみに日比谷公園に行くと、米国から贈られた原木の子孫を見ることができます。

 泣きやみし子の瞳澄み鯉のぼり  竹帚 




縄文の森をつくろう会 より

「巨樹・古木ツアー」昨年から半年かけて、南薩振興局から南薩地区(指宿市。南九州市・枕崎市・南さつま市)の四市の巨樹・古木の調査とマップ作り・木の治療を行ってきました。地元にあっても、木の存在そのものに気がつかなかったり、歴史的背景を調べていくと、木にまつわるいろいろまことがわかってきました。これらの貴重な財産といっていい木々を沢山のかたがたに知ってもらいたいという考えで、巨樹・古木ツアーを計画しました。日にちは5月9日(日)ということで、すんなり決まりましたが、最初の予定の定員三十名のところが、新聞に載ったせいか、新聞記事が載った翌日から、事務所には引っ切り無しに電話がなりっぱなし。おかげで理事長はその日一日電話の応対に終われました。次の日も、又次の日も電話が掛かってきました。急遽定員を七十名に変更して、対応しました。スタッフではがきを作ったり、当日のスケジュール表を作ったり、救急箱の準備とか当番医を調べたり、鉛筆、アンケート用紙の準備、昼食の手配とか、当日の準備のためスタッフが前もってツアーの下見に行ったり、と準備が大変した。当日八時三十分に指宿市役所で受付。その後、揖宿神社でJRで参加された方と合流しました。まず揖宿神社のクスノキ・イチョウを見学、近くのムクノキを見て、五人番のアコウに向かいました。それから枕崎市の今嶽神社のクスノキ・スダジイを見て、明治蔵で昼食。その後南さつま市の「宇留島邸のイヌマキ」「川村邸のイヌマキ」「飯倉神社の大楠」などを見学して、最後は指宿市の報国神社の日本一のアコウを見学して指宿市役所に帰ってきました。みなさんお疲れのようでしたが、無事きっと満足されて帰宅されたことと思います。アンケートにもこういうツアーをまた計画してほしいと、いう意見が多かったです。
 樹木医の秋元さんを初めスタッフのみなさん、ご苦労様でした。



浮来亭は毎週金曜日八時から、いろいろな話で盛り上がります。縄文の森の会員が友人を連れてきたり、その方の話で話が弾んだり、新たな展開に発展することもあります。でも、かたぐるしいことは一切なし。たまには熱くなって話がエキサイトしてきたり、年齢や肩書きなど一切無視。楽しい会です。飲み代千円払えば焼酎は飲み放題。つまみもあるよ。飲めない方は、ただ。ぜひ遊びに来てください。場所は白水館近くです。縄文の森をつくろう会の事務所でも教えてくれます。(パナンまるいさん TEL22-4255)





 浮来亭を作ってくれていた安間さんが息子さんの二郎さんがラーメン屋をオープンしたため、ピンチヒッターで私(馬場)が急遽浮来亭を作ることになりました。安間さんが作った紙面と比べて、見づらいところもあると思いますが、初心者ですのでお許し下さい。安間さんが時間が取れるようになったら、交代しますので、それまでの間よろしくお願いします。二郎さんのラーメン屋の名前は「麺屋二郎」です。本格的なとんこつラーメンが食べられます。味は間違いなし。チャーシュー麺も絶品。餃子やチャーハンもうまい。ぜひ食べに行ってみてください。場所はパチンコ「エムザス」横です。








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