の幸ちゃん

―短い夏も終わってしまった。暑い日は10日位しか無かったのでは?(新潟で)
『宿物語』
 食堂の調理人は朝四時位から起きて、我々の朝食を作って呉れる。その気持ちに感謝して、(何かお好みの物って有るんですか?)と尋ねたら、日本酒がお好きの事。―「道の駅」で珍しい酒を買ってプレゼントしたら、お返しが来た。私も又、そのお返しをする。お互いに珍味だのと、交換している。その人も九州出身らしい。―私の仕事も残り2年位、新潟に落ち着きそうだ。
 北海道より長くなってしまった。ここの住み心地が良い事に気付き始めている。
(そのA)事務所は一緒でも、現場では一緒でも無いけど、宿で顔を合わせている内に、話す様になり、親しくなって来た人も居る。私の人生もバラエティに富んで、今、最近、楽しくなりつつ有る。もっと長生きしたい。いつか、別れが来るだろう。この仕事だけど。昨年の宿は色々な別の会社の人々が一緒だったけど、今の宿は同じ事務所の人が90%位、一緒なので楽しい。時に、仕事のゴチで飲んでくれて騒いでいる人も居るけど、ケッコー静かな宿だ。関係ないけど、宿の隣は墓地だ。呪われない様に(?)気を付けましょうか?…
『満足に食べられる人』は感じないかも知れぬが、子供の頃、私は満足に飯も喰わしてもらえなかった。小・中学の頃、土曜日は給食も無くて、帰ったら家に昼ゴハンも準備してなかった。共稼ぎ(両親が仕事に行く事)の母は夕方、帰って来る。ハラをすかして、待っていた物だ。DVDの『ホームレス中学生』を観た。父が借金して、家を差し押さえされて、中学生が公園に住む。友人宅でゴハンを食べるシーンは涙がポロポロ出て来た。―子供の頃、私は畑の芋を草でドロを落し、生のまま、かじった事も有る。―今の子供達は幸福すぎる。ファミコンをいじりながら、オヤツを喰っているのでしょう。人に感謝する気持ちも無い。働いて稼ぐ喜びも知らない。親が何もかもして上げて、子供は自立心が無い。つくづく、周囲の青年を見て思う。又、この子らが子供を作って、日本はドンドン、変な世の中になって行くのでしょうか?
 そう思う、今日、この頃です。
TV番組、「イチくる〜?!」でテレビのテロップの(競歩)が(強歩)になっていた。パソコンで打ち込むので、文字間違いだと思う。私の現場事務所でも、漢字を知らない20代の青年が多い。Kタイで一生懸命、字を探す。それども間違う。五年位前から、こう云う状況に気付いた。どんな学校の教育、親のしつけを受けたのか、疑問で有る。
『TV放送網』
 新潟に住んでいると周辺県(福島・山形・富山・群馬)の放送しか出て来ません。
―鹿児島では大阪の「なんば花月」物も有りますね。間違っても関西の番組は有りません。高速道路を使って五時間位で、新幹線を利用したら三時間位で、東京へも行けます。関東地区の隣と云う意識が強いのでは?日本のド真ん中なので、全国の車ナンバーが走っています。―TVの放送網エリアも関東、甲信越の分しか放送されません。たまに旅番組で「北海道」物も有りますが、大阪より以南の番組は写らないです。(九月執筆)
『夏に観たDVD感動物特集』
・「スクール・オブ・ロック」(洋画)
 映画って作り事って判っているけど、楽しく感涙物にDVDに出会った時は嬉しい。
 学校の先生が小学生達にロックバンドをさせて、大会に出て…。人生・人間・音楽がスクランブルして面白い映画でした。
・「ホームレス中学生」(邦画)
 借金し過ぎて家を差し押さえになり、家族が離散。中学生が公園でホームレスし…。
 食べられる事の幸福をしみじみ感じさせて呉れ、涙ボロボロで観た私でした。
・「007/慰めの報酬」(洋画)
 このプログラムからか、ファーストシーンに出て来る、丸いライトがテーマソングに乗って横滑りし、J・ボンドがシルエットになった出て来て、メイン・ソングがかかり、プロローグ(出演者名)が出て来る、あのシーンが最後に出て来るのです。―昔、007物が一番のアクション物で、時代ごとに007より良い、面白い映画が出て来て、007もイメージ・チェンジしなくては行けなくなったのかも。
・「ゴーストライダー」(洋画)
 内容は詳しく書かないが、夕方から、まるでオオカミ男みたいに変身してしまう主人公。ガイコツ頭から炎を燃やしながら、単車で乗り回し、悪人をやっつける物語だが、それは見てのお楽しみ。いろいろ、ドキドキのアクション物です。―以上、鹿児島のDVDレンタル屋さんに有ったら、是非鑑賞して見て下さい。
『子供時代に習得した事が役立った?』
 8月号「浮来亭」で、事務所での討論会が有った事を書いた。皆で書類に話し合った事を書くので、漢字を知らない人が居た。皆はKタイで一生懸命、調べている。その間に、素早く、私は漢字に書き換えて、メモしている。(もう、吉屋さんが変換しているヨ)と周囲の人が言う。難しそうな漢字は全て、私が先走りして書いていたから。
―子供時代、部屋で退屈な時は、国語辞典、英和辞典等を読んでいた。英訳も皆の前でした。周囲の人間が私に『いちもく』置いて来出した。ある意味、コミュニケーションは取れたと思う。子供時代から大人しくて冷静だった私は、暴力を振う人間に対しても、コトバで押さえつける様にしている。相手の気持ちを押える様に。手を出したら負けだからだ。手を出したら、凄いケンカになってしまう。言葉で言い含める様に教えると、大概の人間は大人しくなると判っているから。



 「月下美人」       皓以兆


 叔母の家の庭に今年も月下美人が大輪の花を咲かせました。多い日は10輪の花を咲かせます。 この花は30年ほど前、叔母が近所の方に植えてもらったそうです。
それからすくすく育って、背丈は2m程。この花はご存知だと思いますが、夜遅く花を咲かせます。白い大型の花を咲かせ、朝になるとしぼんでしまいます。
叔母から電話をもらい、夜10時ごろ見に行ってきました。大型の他を寄せ付けない姿。名前にふさわしいと思いました。「月下美人」は孔雀サボテンの一種で昼に咲くのが「孔雀サボテン」夜に咲くのが「月下美人」と区別するそうです。この名前が定着したのは昭和天皇が皇太子のとき台湾を訪れたとき、花の名前を聞いたら、台湾総督が「月下の美人です」とこたえたことから この名前が定着したそうです。「はかない美、繊細、快楽、艶やかな美人」7月19日の誕生花だそうです。
珍しい花ですが、さがしてみると意外と育てている人もいそうです。お願いして 夜咲いている花を見に行ったら、感激すること請け合いです。
でも、この原稿が届く頃は、咲いていませんから、来年探して見てみて下さい。なお、叔母の家を知りたい方は、発表はできませんが連絡いただければ、お教えいたします。




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   「縄文の森をつくろう会」を
          通して見えてきたもの
                        歯笛


 初めて浮来亭を読まれる方に。
山川港の波打ち際の一角に、アコウ(推定樹齢300年、幹回り6.4メートル)の巨樹が立っていました。1997年9月の台風襲来で、アコウは根の半分に深い傷を負いました。地球温暖化の影響ではないかと危惧していたところ、2004年8月の台風襲来で根こそぎ倒れてしまいました。多くの人々の献身的な協力で、アコウは指宿港の太平次公園に移植され、現在元気に枝葉を茂らせています。これをきっかけにふるさとの山、川、海を見直して、その保全と再生のために微力を尽くそうと縄文の森をつくろう会が結成されました。
 「できる者が、できる時に、できる事をする」というのが会のモットーです。地元の巨樹・巨木を調査し記録に残す。小学校や公園にドングリの木を植えていく。子供たちとドングリこま回し大会を開催する。海岸の清掃。アサリの放流を子供たちとやる。川や湖の調査。ケナフを植える。山にドングリの木を植える。約2000坪ほどの土地にビオトープを造成。池田湖畔のゲンジボタル復活に挑戦。ビオトープ「てんちの杜」では今年5回目の森のコンサートを開催。さらに地元の山や川の沿線に広葉樹を増やしていこうとしています。また11月28-29日には、山川の倒れたアコウを縁に、「琉球・山川港交流400周年」を山川港で開催します。
 当会は先日第42回MBC賞を戴きました。南日本放送が、様々な分野で功績のあった鹿児島県内の個人や団体に贈る賞です。少しでもふるさとをよくしていきたいという仲間たちの地道な努力が認められ、こんなに嬉しいことはありません。会の活動にさらに弾みがつきます。
 さて現在、私たちの住環境はさらに悪くなっていくと予測されています。2050年頃までには地球の平均気温は2度以上上昇する。その頃の日本の65歳以上のお年寄りは対労働人口比で74%ほどになる。(国連人口予測)さらに食料問題、社会情勢の変化など想像もできなかった多種多様な変化がすでに起こっています。山、川、海などの変化は目に見えないところで取り返しがつかないほど進行していることが多く、身の回りの変化をよく知り早めに行動することが求められています。
 どんな時も、私たちはお互いの価値観、生き方、信条、性別などの違いを認め合い、何か大切なものを探し続けている旅人のようなものであることを自覚していきたいと思っています。



            


 今日は大好きな祭りの日。
 実は、仕事があって参加できないと思っていたら、同僚が、用事が出来たのか、私に気を使ってくれたのか、休みの変更を申し出てくれたので参加できることになった。
 神輿の集合は1時だったが午前10時頃からそわそわし始めた。今年は執行部の提案でお揃いの法被でということで一応用意して置いて良かった。いつもは気楽に法被だけの感じだったが今年は着方にも苦労した。少し格好をつけて1時20分頃集合場所に行った。揃いの法被が目立って気合が入った。
 2時に出発ということだったが酒がない。祭りに酒がないとは何事だと思ったが執行部の提案だから仕方ない。
神輿の往路が終わり、次ははんや踊りである。法被を着替えて駅前に。やっと飲めた。調子が出てきた。踊った。騒いだ。
 再び神輿の復路。もう飲んでしまったから仕方ない。騒いでしまった。
 神輿が終わり、一休みしていた。舞台の観客が雨のせいか少ない。騒げる場所が見つかって嬉しかった。声が枯れた。
 年に一度の祭りはやっぱりいいなと思ってぐっすり寝た。 


 東京花便り その七
       斉田 万吉


ぱっと咲いてあっという間に散っていく桜に対して、長期間咲くのが菊の花。
「花は桜木、人は武士」と潔いことを「桜根性」というのに対して、未練がましい人を揶揄して「菊根性」といいます。なかなか散らずに枯れても茎から離れないことから、最近では曲解されて「しぶとくて根性がある」という意味で使われることもあるようです。
菊は奈良時代末期に薬草として唐から渡来し、その後観賞用になったといわれます。
栽培が盛んになったのは江戸時代ですが、巣鴨の植木職人が細工をして、お寺で参拝客に見せていたのが菊人形の始まりで、千駄木の団子坂に移り、明治の末まで多くの見物客を集めていたそうです。一時期途絶えていましたが、昭和59年に谷中菊まつりとして復活しています。過日、下町散策を兼ねて見学してきましたが、規模も小さくて期待はずれ。
靖国神社、浅草寺、巣鴨のとげ抜き地蔵、明治神宮など東京のあちこちで菊花展が催されます。花期が長いので、休日を利用して方々見て回れます。
菊の花びらは「キクカ」という生薬で、釣藤散という漢方薬などに含まれています。滋養強壮の目的で、菊酒や菊花茶として飲むこともあります。
ユニークなのは菊枕で、乾燥した菊の花で満たした枕は高血圧枕とも呼ばれて、頭の熱を除き、イライラを取り去る効果があるといわれます。
松本清張の初期の作品で「菊枕」という優れた短編がありますが、かつてはもっと一般的だったのかもしれません。
 近年、菊の花は食用としても注目されています。食用菊の生産量日本一を誇るのは山形県で、最も有名なブランドは「もってのほか」という変わった名前です。
 風味があって、しゃきしゃきとした食感と淡い紫色の花びら・・・・・・見て楽しみ、食べておいしく、健康にもよいというのですから、言うことなしです。サラダ、酢の物、天ぷらなど、調理法はいろいろ楽しめます。
 ネーミングの由来は諸説ありますが「天皇の御紋である菊の花を食べるとは、もってのほか」というのが有力なようです。正式名称は「延命楽」といい、こちらの方が体によさそうな名前です。
 海を見る瞳の中やいわし雲  竹帚    




・温泉祭りの時に会場内に立派な足湯が出来ていました。菜の花マラソンの時にも、設置した関係者に協力してもらい、菜の花咲かせ隊が応援して作れたらいいなと話が出ました。予算と時間が余りないかもしれませんが…。






 縄文の森をつくろう会より
・9月26日午前9時〜「てんちの杜」の、稲刈りを「宮ヶ浜みどりの少年団」やその父兄、「縄文の森をつくろう会」の会員約20人ぐらいで稲刈りをしました。MBCの撮影もありました。その後、シイタケの原木を、立てかける作業も子供達としました。
・MBC賞を受賞しました。10月7日(水)表彰式が、午前11時〜会員19名が参加して、鹿児島の城山観光ホテルでありました。
・10月12日午後6時から揖宿神社境内のてんちの杜で「第5回てんちの杜コンサート」が開かれました。100名以上の観客が集まり、すばらしい演奏を聴くことが出来ました。
・10月16日午後2時〜指宿小学校の6年生(約50名)の教室で、「縄文の森をつくろう会」の伊地知さんの講和の後、外に出て会員6名と臼山建設の大工さん2名の指導で、間伐材を利用したベンチを3台作りました。
★琉球・山川港交流400周年記念の協賛金をお願いできればと思っています。
    連絡先 永田耳鼻科 22-2327
 



 今はもう秋です。秋と言えば「……の秋」となる訳です。皆さんは…の部分に何が入りますか?それを聞かせてください。原稿を待ってます。





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