の幸ちゃん
『年末の引越』
 事務所所長から3日前に、K町からR町の宿へ引越して呉れとの急な話。北海道にはアパートの大家さんと居酒屋のママさんしか知人が居なくて、帰る積りも無かったが、あわただしい引越。北海道へ還る2人、還らない2人、四人が会社の車で急遽、引越。
 半友人であったS君に自車の運搬を依頼。
 R町の宿で正月帰りして誰も居ない中、2人は正月を過ごし、何とか場慣れしたのであった。
『―そのS君の話』
 そこそこイケメンの彼。趣味はパチンコ。私はパチンコはしないので、温泉に誘ってみた。一緒に来て呉れた。ケッコー事務所では、いい意味でのちょっかいをして来る。若くて血気盛んな、やんちゃ坊だ。年寄りの私は少し、持て余すが、甘えて来るので、ちょっぴり嬉し恥かし、迷惑?「小遣いを呉れ」だの「ジュースをおごって」とたかって(?)来る。着かず離れず、適当に距離を置いているのが、良いのか知れぬ。茶化してばっかりの彼だが、「じい!じい!」と呼んでは寄り添って来る。何とかして上げたいけど、こっちも生活ギリギリ。今後の交際の様子、見ましょうか?
『新潟温泉物語』
 お気に入りの温泉に久々に巡り着いた。
 ロッカーの鍵をもらい、気持ち良く入浴した。浴室の屋根を支えているハリを見上げたら、腐って黒づんでいた。ちょっとゲンナリ。温泉から上って脱衣所で気付いた。ロッカーの真上に監視カメラ(黒くて丸いヤツ)が有った。
 客は2〜3人しか居ない。(アッ、私の股間を見られている)と想像した。女性従業員達が(ワア、小さいわネ)とか裏で、はしゃいでいる姿を思ったら二度と行く気がしなくなった。昨年、散々行った温泉の中で、ベスト3に思っていたのに。
―今年はまだ、行ってない温泉に行きます。今後の原稿(記事)に御期待下さい。
『事務所の出入口近くに席を構える私は』皆からケッコー、アイサツや相手をしてくれ、次々と交遊範囲が拡がりつつ有ります。以前の原稿では頭を叩かれたりと書いたが、最近ではなでる人が多く、「パチンコで勝てる」とか、「仏様みたいだ」とか、私の頭を撫でて、皆、とても気持ち良さそうなのです。次々と人々と意志疎通が出来て、交遊の和が広がり、私もドンドン忙しくなって来た。皆、それぞれ気の合う、本命友達は居る様だけど、私も親友が見つかる様、努力しなければ。
 ただし、こっちは50代、向こうは若者、余りハメを外し過ぎると、引いて嫌われてしまうので、ちょっとその辺のやり取りがむつかしいッて、感じ?―私みたいなオヤジが生きて行くのも大変です。若者の間では?
『新潟観光事情』
●以前、雪の日に温泉に行った話、書きましたネ。桜の花も咲いているし、「冬季休業」で四月からオープンと書いて有ったので行ってみた。土曜日なのに、平成20年10月から週末、土・日のみ休業と札が下がっている。土曜なのに「本日休業」の札。ヤル気有るのか?経営者は。それとも人気ない温泉で、人が来ないのか?もう一回、チャレンジするべきでしょうか?
●福島県にワラぶき屋根の集合村落が有り、民宿だの物産館が有ると記事を見つけ訪ねた。新潟から山越えで裏手回りで、主要都市を回遊しない近道ルートで目的地へ行こうと考えた。処が、「冬期通行止め」にぶつかった。こんな事、初めて。“除雪作業中の為”と書いて有ったが、地元出身の事務所員に訪ねると、雪が融けるまで放って有るとか。(コラ!!花見シーズンの前に除雪して置けッ!!)と言いたくなる。
(以下次号にて)
『飲んでますが、全裸にはなっていません』
―TV「田舎に泊まろう」で家族の人々が仲良く、昔の話をしています。宿泊客と混ざって、その家族達と別れを惜しんでいます。
―ここで、私は涙腺が緩みます。家族って、こんなに暖かいモノなんだと思います。
 子供の頃、そんな家族、姉兄弟(きょうだい)のコミュニケーションも殆ど無かっただけに、TV実写物には感動します。―誰かと仲良くなって、涙が出る位まで、交き合いたいけど、ナカナカそんな人とは、巡り合えません。皆、それぞれ人の暮らしが有り、その人の生活割り込めないからでしょうネ。今の私は、どうすれば良いのでしょうか?―真の友達の居ない(?)職場で気が狂いそうな位、一人ぽっちです。
★日頃の節約→自販機のお茶も150円位しますね?私は事務所で飲むお茶は、スーパーで2〜300円のパック茶葉を購入して、ペットボトルに入れ、水で作り、飲んでます。150円×25=4千円近くになってしまいます。数百円の茶葉で、水を足して、事務所の冷蔵庫で冷やせば、飲めます。甘い物も今、避けています。高血圧では油っこい物も食べれず、食生活に凄く、気を使っています。(四月)
『事務所で』私の会社の人間が、私の事を(じいじい)と呼び始めて、周囲に蔓延し、私と親しい人は「じい」とか「吉じい」とか呼んでいます。「じっちゃん」と呼ぶ人も居ます。ケッコー親しくしていた青年が、足場の上で焦って急いでいたのか、呼び間違えて(じじいッ!)と呼ばれた時はムカッと来て、下に居た私は長パイプでつついてやろうかと思ったが、すぐ言い直したので、許してやった。彼も肩こり症で、良く「肩もんで」とやって来る。周囲の人々が、「お前、逆じゃないか?吉屋さんをもんでやらないと!」と言います。彼は25歳だ。


 ある回想 (3) アイ・アイ

しばらく船の話を続けましょう。 皆さんは船名の前にS/S”oo丸”やM/S”xx丸”という記号が付いているのにお気付きでしょうか?
S/Sとはスチームシップの略でM/Sはモーターシップのことです。スチームとはスチームタービン機関で、モーターとはジーゼルエンジンで航走する船舶を意味します。
ジーゼルは、ご存知のように、ドドッドドッと上下に震動がありますが、スチームは静かで振動もありません。従って船に詳しい方は選んでS/Sに乗船されるものでした。
戦前の日本船はタービンが主流で(舶用ジーゼルの開発の遅れ、石油資源の乏しいことも加わり)石炭焚きのタービン船が多かったのです。戦後は経済面からもジーゼルが有利ですので、欧米からの技術導入により国産の大型舶用ジーゼルが普及しました。
余談ですが、第2次世界大戦で日本の船舶は壊滅的打撃を受け(船員の損耗率は陸海軍のそれを上回るものでした)戦後の経済復興にも大きな影響を与えたのですが、この船舶喪失の要因として船舶護衛の小型艦船絶対的不足がありましたが、石炭焚きの黒煙が米潜水艦に容易に発見されたことも要因の一つと言われています。
前述のT丸もS/S(重油燃焼タービン)でしたので、乗船希望者は多かったのです。ところでジーゼルでは1万馬力といえば1万馬力ですが、タービンの場合は1万馬力といえども、燃料を余分に吹き込むとそれ以上の馬力を出すそうです。一方、太平洋航路では横浜ーシスコ間を最も短時間で渡りきると”ブルーリボン”という賞をシスコ市から贈られる慣わしがありました。 我がI海運もこのブルーリボンを狙う事になりました。ご存知のように球形の地球で横浜ーシスコを結ぶには、出来るだけ北上しアリューシャン列島ぎりぎりをかすめる大圏コースを取るのが有利です。
この航海は、機関長は機関部に”焚け焚け、もっと焚け”と発破をかけるし、船長はぎりぎりまで北上するものですから横浜を出て二日後からシスコに入る二日前迄の途中約1週間は、夏場というのにどっぷりと冷たい霧の中を航行することになりました。
濃霧中の航行は、一定の時間間隔で船首で”カンカン”と鐘を鳴らし汽笛を”ボー”と吹き鳴らしますので、シスコに着いた時には皆睡眠不足気味でしたが、結果は見事にブルーリボンを手にしました。


 
     
100

 
いい加減にしないといけない 

 指宿市立丹波小学校は今年創立100周年。その記念事業の準備が進んでいる。当方にも記念事業拠出金依頼という文章が届いた。募金の目標額は1000万円。事業内容:記念誌・記念DVD発行、吹奏楽部創設・楽器購入、百周年記念モニュメント制作、新校舎建設後の築山・花壇等設置、本・書架の寄贈、「丹波魂―よく考え、すすんで実行し、最後までやりぬく」の看板設置、百周年グッズ(キャラクター制作)、(その他学校やPTA関連事業)
 平成19年度までの卒業生25471人、現在の児童数560人、PTA戸数418戸。楽器はすでに前年度からの繰越金で購入済み。一口3000円以上で、何口でもいいという。事業内容を見て、1000万とは何だとまず思った。区の公民館長がその募金に来たので中身のことを聞いてみた。中身のことはあまり知らなかった。上から言われたのでそうしていると。この内容ならば1000万もかからない。直ちに主催者に真意を聞き、こちらの意見を言った。
モニュメントや看板などはいずれ無くなっていく。100周年の重みを持った中身のある事業にできないものか。「丹波の森造り」元年にしてはどうか。ドングリを子供たちに拾ってもらい2年ほど自分で育てる。それを卒業時に山に植樹していく。これを繰り返していけば故郷に広大な森ができる。よそに行った子供たちも大人になってきっと見に帰ってくるだろう。お金もそんなにかからない。何よりの記念になるのではないかと。さて主催者はどう反応するか、どう舵を切るか。
 もう一つ。今「南薩地域将来ビジョン策定有識者懇談会」の委員になっている。2019年までの10年間に本地域が目指す方向性を示そうというもの。「安心・安全」「活力・快適」「共生・有徳」を基本理念とし、「南薩地域の特性を踏まえ、オリジナリティに溢れ、将来に向けて夢が持てるようなものにする」という。挑戦すべき課題と取り組みの方向性として挑戦すべき項目が8つあげてある。
1、 広域行政の推進 
2、 商工振興・雇用、就労機会の拡充 
3、 南薩らしい観光地づくり 
4、 健やかな暮らし・循環型社会づくり 
5、 農林水産業の振興 
6、 交通・都市・情報基盤づくり 
7、 安心・安全、共生・協働の地域社会づくり 
8、 未来を拓く人づくり
 その一つ一つに「将来の姿」「現状と課題」「取組の方向性」の三つが挙げられている。中身は大まかに言うと、ほとんどの項目で、的確な現実把握に欠け、具体性に欠け、2019年までに達成可能なのかどうか不明。きれい事を並べているだけで、夢だけに終わるように見える。地球上の環境の変化は、どんな小さな国や社会にも影響しているように、グローバル・ジャングルと化した世界の経済事情も、どんな地域で暮らしている人々にも生死をわける影響を与えている。
 病気になった人を考えるとよい。基礎体力がなく、免疫力もなくなった人に、いくら栄養剤や薬を大量にやっても、病気は直ぐには治らない。大きな病気にならないように日頃から基礎体力づくりをしておくのが一番。南薩地域(指宿市、南九州市、枕崎市、南さつま市)で65歳以上の高齢親族のいる世帯は50.5%(2005年)。産業別生産額でいうと、第1次、第2次、第3次産業の順に、10.2%、20.6%、69.2%(2006年)となっている。人の体力でいうと、基礎体力の欠如も甚だしい。日々の風の吹き具合やお天とさんの具合などに左右されなくなった産業が多くなったということは、我々にとっていいはずがない。現状は変えたくても変えられず、短い間しか効かないビタミン剤をむやみやたらに投与するようなビジョンの持ち方はもう止めるべきだ。将来ビジョン策定懇談会ではそのことを強調したい。


東京花便り その三
                 斉田 万吉


 今年は、天候も悪くなかったので、充実したGWを過ごされたことと思います。
ただし、「千円高速」に惹かれて、各地の高速道路は大渋滞。ひどい目にあった人もいると思います。
 私も、みどりの日(五月四日=私の誕生日)は、とっても充実した一日でした。
朝は女房と一時間、いつもの早朝ウォーキングをし、十時半にさいたまの家を出て、東京・水道橋に移動。それから約五時間、都内散策スタートです。
ルートは「小石川後楽園」→「小石川植物園(東大附属植物園)」→「六義園」→「旧古川庭園」と四つの庭園を歩いて回って、写真を撮りまくり、京浜東北線の上中里から電車に乗って、午後五時に帰宅しました。
 なんと、千代田区〜文京区〜豊島区〜北区と四つの区を股にかけたウォーキングラリー、その日の万歩計の値は三万五千歩を超えていました。
残念ながら、既に若葉の時候、つつじや石楠花は盛りを過ぎて、藤や菖蒲には少し早く、「旧古河庭園」のバラ園以外は、タイミングとしてはよくなかったかもしれません。
でも東京の下町は、家々の玄関先に鉢植えが並んでいたり、路地の突き当たりにちょっとした植え込みがあったりして、道行く人を和ませてくれます。クレマチスや君子蘭がきれいでした。
 なんで、そんなに歩き回ったのかって・・・。
 「みどりの日」には、都内の公園や庭園が無料開放されるのです。三百円の入場料ですから、千二百円の得をしました。電車賃は定期を使ったので無料。結局、そば屋でビールとそば代、千三百五十円だけの支出でした。
 女房は孫と一緒に上野公園に行きましたが、こりゃまた、すごい人出だったそうです。
 まあ、そんな風で、元気にやっています。

 里山の青き風食ふ鯉のぼり  竹帚 


                             
「還暦祝い」       今村俊一

 私は、今年の6月29日で、還暦を迎えます。記念に1月の「なのはなマラソン」では、朝2時にスタートして2周(84キロ)走りました。
 5月20日ごろ鹿児島にいる長男から、電話が来た。「1カ月早いけど、5月30日(土)にお父さんの還暦祝いをするから。俊夫(次男)も(宮城県の)仙台から帰って来るから。おじさん家族にも参加してもらうように連絡しておいて。僕が小牧庵に予約しておくから。お金は僕が払うから。」
たまたま娘は、東京から帰ってきていた。兄弟3人で相談をして計画したらしい。
 29日(金)夜11時に、次男が帰ってきた。長男は、30日朝帰ってきた。午前中は、次男に、テレビの配達とアンテナ工事を手伝ってもらった。夕方になって、皆があわただしく、入れ替わりに風呂に入った。7時が待ちどうしい。長男が、「僕の車で、連れて行くから。」と言って、家族5人出かけた。弟家族も3人で来た。総勢8人が集まって、夕食が始まリいろんな話で盛り上がり、とっても楽しい時間だった。焼酎がおいしかった。弟家族と子供達から、ジョギング用の腕時計、シャツ、パンツのプレゼントもあった。あっと言う間に2時間が過ぎて、お開きの時間になって、「次に又会えるのは、誰かの結婚式の時かなー。」と話しながら、解散した。帰り際に、長男が支払をしている。とてもかっこよくて、頼もしかった。長男は、私達家族を家に送って、「明日は、日曜だけど今日休んだから、仕事なので」と言って、鹿児島に帰っていた。派遣関係の会社らしいけど、「仕事が又帰ってきて、増えてきた。」と話していたので、私もひと安心。今日は、本当に有難うと思いながら長男を見送った。今思えば、私は両親に還暦のお祝いは、何もしてあげなかったなー。情けない。
 31日(日)の朝、「月曜日から仕事だから」と言って、次男もあわただしく仙台へ帰った。(次男は宮城県で、高校の先生をしている) 娘も6月6日(土)東京へ帰っていった。
又夫婦2人の生活が、戻ってきた。
 10月には南指宿中学校の、又11月には粟ヶ窪小学校(頴娃)の還暦同窓会の案内がきている。8月からは、年金ももらえる様になる。今年は楽しみの多い思い出に残る年になりそうだ。


指宿出身の堀口勇太君の『魔法屋ポプル』(ポプラ社)の第3巻が6月に発売されましたので、是非読んで下さい。


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