の幸ちゃん

久々のギャグを思い付いたので書きますが、早口言葉にもなると思うので、口に出して三回言えたら賞金を―…差し上げません。
◎ふらんしたフランケンシュタインの死体はフランスで発見。見つけたのはアインシュタイン。 ―(どうでしたか?)<三月>
―さて、本編に戻ります。
『出張で出会った人々』
(一昨年、埼玉現場で)彼は札幌出身。金が無いと言う。結婚していて子供も居るので、一ヶ月の小遣いが三万円とか。タバコ代も無いと云う。「タバコ一本ちょうだい」とか言って来る。その彼が、我々と離れたトタン、自販機の前でタバコを購入していた。
 私が晩酌を始めた。12人位の大部屋だが、2段ベッドの上からスルスルと降りて来て、私のそばに来る。つまみやビール、焼酎を貰う気でいる様だ。一回、上げたら、もうクセ(?)になり、私のネタ(るまみ)が無くなると、スゴスゴと自分のベッドに戻り、高いびき。
 携帯電話番号も交換したが、それ以来、出張が終わり、連絡なし。こんな人と友達になってはいけないのでしょうか?
★「今度、温泉に行こうよ」「居酒屋へ行こうよ」「温泉に連れてってよ」と、口にする人間は居るけど、携帯番号を教えないのは何故?(新潟出張先にて)
 今、流行で体にタトゥーや入れ墨入れている人も多くて、ナカナカ温泉に連れて行けない状況です。温泉に誘う前に、こっそり体入れているのか、聞いてしまう私です。
 どこの風呂でも泥酔者と入れ墨している人は入浴出来ません。
 経営者や入浴者に気付かれて、同伴者までも追い出された話も、ある位ですから、
★(昨年秋)
 横浜から来た30歳前の青年。事務所内でも平気で「勝負パンツ」だと私にハデな下着を見せる。TV「必殺」のマネばかりして。妙に明るい青年だった。男性自身にパチンコ玉を埋め込んで有るとの事。話に聞いた事は有ったが、見た事は無い。
「見せて」と云う私。「いいよ」と青年。だが、仕事中、事務所ではムリ無理。トイレに入って見せる話になったが、彼は一〜二週間で引き上げて行った。股間も見ぬまま。
★作業現場が一緒にならないと、ナカナカ話も出来ない。名前も覚えない。私はアチコチの現場へ行くので、色々な部所の人と知り合えて、仲良くなっています。皆が私になじんで来て呉れます。
――でも、本当の友達は無理なのでしょうか?私生活(プライベイト)迄、交際出来るのは数人しか、いません。仕事中、冗談ばかり言ってても、話は、それ以上進まないのです。―次から次と友達を部屋に連れて来る人も居るけど。――私は仕事が終わった平日は一人でゆっくりしていたい方なので。
 若くないですね。昔もそうだったけど、平日は出歩きません。翌日、休みなら飲みに行くのだけど。――今は余り、そんな元気も無いし、夜はまだ寒いしネ。(今年、三月)
★私の部屋に飲みに来た高年齢の男性。キャッキャッ楽しく飲んでいる内に私のフトンのシーツの上で失禁。すぐタタミの所へ移動したけど、タタミの上に今だにシミは残り…。
 私だったら恥かしくて、二度と来ない。何もかも、パッと忘れて、言いたい放題。したい放題の人なのかも。――そんな人に私もなりたい。昔の事が色々と頭の中をよぎってしまって、悪い人は許せないし、良かった思い出は何度も、心の中で反復して、何とか、生きております。
★(昨年七月)ずっと新潟で出張して居た、札幌出身のSさんが、引き上げる前夜、フトンの中で泣いていた。色々な思い出が有って、別れが悲しくなったのだろう。私は「泣くナ!!こっちまで悲しくなるだろう」って、言ってしまった。今頃、何をしているのだろう。又、近日、TELしてみようか?(以前、書きましたっけ?)
『母に振り込めサギ、失敗!!』
 少し遊びたい金が欲しかったので、車のエンジンの調子が悪いから、まとまった金が有ったら、振り込んでと連絡したが、送金は無かった。冗談でこんな話をすると、周囲の人が『アンタは鬼だ』と云う。逆に息子が親に仕送りすべきだと云われた。
――でも、私も私なりに母孝行は出来る範囲した積りだし、少しでもお礼が欲しいかナと思っていたし。又、いつか、書きますが、子不幸なのは親の方だと思ってるし。


「玉利の里山通信」    皓以兆

ゴールデンウィークも過ぎましたが、我が家の里山は日々木々が緑が濃くなってきています。エゴノキには小さな白い花が下に向かって、垂れさががって咲いています。
先月咲いていた桜も花が散り、濃い緑の葉がいっぱい繁っています。挿し木で育てたアジサイも蕾を持っており、咲き出すタイミングを計っているみたいです。
山アジサイはぼちぼち咲き始め、全部が咲き乱れるのももうすぐです。山のウツギも可憐な花を咲かせています。我が家の里山は基本的に指宿に合う木々を植えるコンセプトで植栽しています。この間、裏山から狸の声がしたので、行って見ると生まれてすぐの狸の子供が泣いていました。顔にはしっかりと白い毛が生えていて、それで狸と確認できました。
とても可愛かったですが、近くに親がいるかもしれないと思い、芋を投げて退散しました。後から行ってむると、狸は姿を消しており、芋もありませんでした。たぶん親が迎えに来たんだろうと、かってに判断して「元気に大きくなれよ」と念じました。
庭の端はしに植えた「つわ」が大きくなり、つんで食べています。たけのこもとって食べました。山が近くにあると、旬なものを食べられる幸せを感じています。
先月は「たらの芽」をつんで、てんぷらにして食べました。市販のものと違い、少し苦味がありますが、これが本物の味だと思って食べました。おいしかった。
我が家のささやかな畑にも夏野菜をたくさん植えて、夏の収穫が楽しみです。畑で取れた「きゅうり」や「おくら」「なす」など収穫して食する。これ以上の楽しみはないと勝手に思っています。
いま「スイゼンジナ」に蜜を吸いに来ている綺麗な蝶が6〜8匹ほど乱舞しています。ネットで調べたら「アサギマダラ」という蝶で、1500kmぐらい飛行するらしいです。台湾や沖縄から北上して、次の世代がまた南下する蝶です。フワフワ飛んでいるので、この蝶がそんなに長距離を飛行するとは驚きです。
こうして、わが里山は初夏に向かって、 鶯も4ヶ所ぐらいテリトリーがあるらしく、声を競っています。
もうすぐメキシコ綿を使った「ハンモック」が届きます。それに寝て、山の木々や花を見て、鳥の声を聞きながら昼寝をする。かたろぐには「雲に乗っているような感じ」と書いてありましたが、どういう寝心地なのか楽しみです。また、妻が南米の楽器「ケーナ」を取り寄せ、吹く練習を始める予定です。「コンドルは飛んでいく」でもふけるようになったら、ハンモックに寝て、心はインカに飛んでいるかもしれない。


ある回想  (2) アイアイ

当時の欧州、太平洋航路に就航の定期貨物船の典型は総トン数8千〜1万トン(積載トン1万8千〜2万トン)で三島型と呼ばれるタイプでした。横から見ると船首楼(アンカーチェンの収納、船用品の収納庫)、船央楼(居住区)、船尾楼(倉庫、隔離病室)が三つ並んでいてこれがあたかも島が三つあるように見えることから、スリーアイランダー、即ち三島型です。昔の絵本などに船のシルエットとしてよく描かれるタイプです。 在来型の最終段階にあり、船体強度の面からも極めて安定度の高いものでした。その後コンテナー船やばら(撒)積船(穀物や鉱石)、タンカーの様に機関室も居住区も後ろに纏めた船尾楼型となり、7万8万は果ては30万トン級のタンカーまで出現しました。
しかしながらその大型化の過程では、船体設計の未知の分野から、例えば”ぼりばー丸”のごとく冬の伊豆諸島沖の荒天下で船体が二つに折れ沈没という悲惨な海難事故が発生しました。過渡期とはいえいたましい事故でした。
 ところで当時の積荷は、といいますと日本からはまず門司でゴム製品(ゴム長、ゴムホース等)、神戸で玩具や雑貨、名古屋で繊維製品、清水でみかんの缶詰、横浜で雑貨や工作機械といったもの、帰りの航路は5大湖のミルウォーキーで脱脂粉乳、セントローレンス河の中間地のスリーリバースでチタニウムスラグ、大西洋のノーフォークから原料炭、フロリダから燐鉱石、太平洋岸ロスアンゼルスでハイド(塩漬生皮)やタロー(獣脂)等でした。
日本からは、戦後15年が経ったというのに、工業製品・電化製品というようなものはなく、いわば雑貨中心でしたし、輸入も戦後復興のための原材料といったものばかりでした。
往航はこまごました品物ですので、シスコ、ロス、ニューヨーク、モントリオール、とこちょこちょ各港に卸ながら廻るのですが、復航はばらでバルキーなものばかりですので、どこかの港で一つの貨物を満載して帰る訳です。
脱脂粉乳は学童給食のミルクに、チタニュ−ムスラグはアメリカの使い滓を再抽出して合金には欠かせないチタンを、原料炭は製鉄用に、燐鉱石は化学肥料原料、ハイドは革製品、タローは石鹸や薬品原料へと原材料中心のカーゴーでした。


東京花便り  その二             斉田 万吉

 東京の桜がほぼ散ってしまった頃、甲州では桃の花が盛りだという情報を得ましたので、四月十一日の土曜日に「日本一の桃の里」といわれる山梨県笛吹市一宮町にドライブをしました。
 土曜日曜は「どこまで行っても千円」という高速道路を利用しようと思って、さいたまの自宅を六時に出発しました。
首都高速道路は混んでいませんでしたが、中央自動車道は大渋滞で、八王子まで二時間半かかりました。
それから先も大渋滞という情報でしたし、「どこまで行っても千円」という魅力と、牛歩よりも遅いと思われるノロノロ運転の苛立ちとの葛藤がありました。
結局、八王子の次の相模湖インターチェンジで降りて一般道(二〇号線)を走ることにしました。
その道もスイスイ走れるというわけではありませんでしたが、東京では終わってしまった桜の花が沿道に咲き誇っていてきれいでしたし、大月では眼前に真っ白に雪を戴いた裏富士を見ることができました。
現地到着は十一時でした。なんと五時間のドライブ、通常だったら名古屋までも走れます。いやはや、休日の高速道路は利用しない方がいいと思いました。
桃の花のほう本当にきれいで、文字通り町全体が桃源郷でした。
盆地ですから四方は青い山々に囲まれています。その遥か遠くに見える南アルプスの白い峰々。それらと濃いピンクの花々とのコントラストがなんとも言えません。
夏になると芳醇な桃の実の香りが、町中に漂うのでしょう。
その頃、平日に休みを取ってやって来ようかなと思いながら帰りました。ちなみに帰路は二時間半のドライブでした。

 急ぐこと戒めたるや山笑ふ  竹帚                              



    
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何カオカシイゾ
       
 最近アレルギー性鼻炎の患者さんが多い。鼻水、鼻づまり、くしゃみといった三大症状だけではない。頭痛、咽頭痛、頑固な咳、長引く風邪、発熱、耳痛、蕁麻疹など症状は多岐にわたる。5月に入ってから特に多くなってきた。スギやヒノキの花粉飛散の時期はすでに終わっている頃なので、どうしたんだろうと思案していた。
 最近大隅半島がもやっていることが多い。桜島の噴火も以前より多く、指宿でも降灰が車に積もっていることがある。先日は九州全域に光化学スモッグが発生したらしい。《光化学スモッグ:工場や自動車の排気ガスなどに含まれる窒素酸化物や炭化水素(揮発性有機化合物)が日光に含まれる紫外線の影響で光化学反応をおこし、それにより生成する有害な光化学オキシダント(オゾンやアルデヒドなど)やエアロゾルが空中に停留しスモッグ状になることをいう》―Wikipedia 黄砂も飛来しているのでこの影響も否定できない。県の環境保全課大気係に電話して、患者が季節外れに増えている実情を話し、オキシダントや黄砂が影響していないか確認した。しかし、「365日24時間体制で検査しているが異常はない」と応対がぞんざいで、こちらの話に全く反応しなかった。何ダ、コノヤル気ノナサハ。相手の名前だけ聞いて電話を切った。
 黄砂とは《中国を中心とした東アジア内陸部の砂漠または乾燥地域の砂塵が、強風を伴う砂嵐(砂塵嵐[1])などによって上空に巻き上げられ、春を中心に東アジアなどの広範囲に飛来し、地上に降り注ぐ気象現象》?Wikipedia。黄砂自体はアレルギー物質ではないものの、汚染物質が付着したときに何らかの相乗効果を及ぼし、汚染物質が人体に及ぼす悪影響を増幅させている可能性が指摘されている。(http://happyfu-fu.com/zensoku/iryou/kousa/doctor_ichinose_sensei.html参照)
 黄砂に何か悪さをする酸化物などが付着し飛来しているのが患者増加の原因ではないか。といっても、日本では全国規模の疫学調査はなされておらず、確かなことは言えない。人間の感覚の中でも鼻粘膜は、体に備わった最も鋭敏なレーダーとも言えるものだ。機器が反応しない変化にも鋭敏に反応していると考えられる。数人というレベルではなく、数十人というレベルで何かに反応し受診している現状を、誰がどう捉えどう対応するのか。新型インフルエンザで過剰に反応しているとしか思えない国の対応を見ていると、先ほどの役所人のヤル気ノナサの裏返しを見ているようだ。一般医院はどのように対処しなさいと、何枚も通達書類が送られてくる。現実に対処しなければならないが、この騒ぎ方は一体何だろう。マスクがどこにもない、わけてくださいと来る人さえいる。   
 どんな時も一緒に、心と心を繋ぎ、言うべきことを言い、聞くべきことを聞き、伝えるべきものを伝えていくというわれわれの姿勢に変わりはない。


  
   


 ある人に「読めば」と佐高信の本を渡された。前から好きな人だったので一気に読んだ。
文中に、吉野弘氏の言葉で『正しいことを言うときは、少しひかえめにするほうがいい。正しいことを言うときは、相手を傷つけやすいものだと、気付いているほうがいい。』
とあった。凄く納得した。
寝る時に考えた。
 いつも正しいと思ったことを言っているつもりだから、いつもひかえめにしなくてはいけないんだと。
 私には無理かもしれないと、落ち込んだ。




世間ではインフルエンザで大騒ぎですが、私は原稿が増えて大変嬉しいです。
 でも、頂いた原稿を次号に回さないといけなくなり、申し訳なく思っています。
時期がずれる文があってもお許しください。






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