の幸ちゃん

『振り込めサギ?』
 私の携帯にSメールが入って来出した。開けて読んで見ると「アナタは○○メールを使用しましたネ。話したい事が有るので、至急連絡して下さい」と書いてある。“俺の携帯は通話専用でメールは出来ないのだ”契約していないのだ。放っとくしか無い。こんなメールに。金の無い私にまで、振り込めサギ風のメールが来る様になった。日本も恐くなりましたネ。身に覚えの無い連絡には電話しない様に。
『ムカデ事件』
 宿の部屋にムカデが出て来た。宿の裏は松山だし、出て来る事も有ろう。他社の24歳の青年は判らず、「この虫は何?」と言ってた。「噛まれると痛いよ」と云う事で殺す事になって宿中、大騒ぎだった。ムカデを知らない人間も居る事の方に、ちょっとびっくりした私だった。
『乱入事件』
 酔っている私の元に、宿の別室の人間が時々、乱入してくる事が有る。掃除機でチ○ポを吸われたり、上半身を脱がされ、胸毛を剃られた事も有る。太っちょの上司がパンツ一枚で上に乗られた事も有る。悲痛な出張だ。因みに、胸毛は、それ以来、剃る様になった。スベスベして気持ち良いので。その後、スキンコンディショナーで仕上げて。他にも色々有りましたが恥かしくて、書けません。どうしたら良いのでしょうか?この出張生活。
『ベイビー出張サプライズ』
 出張先で同じ会社の若い青年。仕事先では余り、私的に交際は無かったのだが、北海道へ還ると云うので、ガソリン代四千円を交渉し、送って行った。宿から二時間はかかるのだ。新潟フェリーへ走る途中、彼が出張中に奥さんが出産し、彼はハピハピモード。車中ではすっごく大人になってしまった彼が判った。19歳の青年が子供が産まれた事によって、出張中に大人になっており、車の中での会話がすっごく違った。成長したのだナと感じた。――今、まだ私は新潟に居るが、彼は出張が嫌だと会社を逃げ出したらしい。赤ちゃんと奥さんと一緒に居たかったのかも知れぬ。心が通じ合える様になって、これから友達(?)になりたい人間が次々と去って行く。私はいつも、只々、一人で生きている気がする。
→昨年末、A旅館からB下宿へ引越したので、「浮来亭」の内容が、昨年の物と、今年の物と混ってしまいました。この後の原稿から、タイトルに、年・月を記入します。よろしく。


ある回想 (1) アイ・アイ

 先日、2夜にわたりある番組がテレビで放映されました。
 かってのアメリカの象徴でもあり、アメリカンドリームの体現者でもある映画女優のマリリン・モンローの、人生最後の2年半をカウンセリングにあたったある精神科医の手記に基づいた、フランスで作られた作品でした。
 彼女の死は、1962年8月5日でその発見者もこの医師でした。死因は大量の睡眠薬服用による自殺とされましたが、いまだにマフィアによる他殺説がくすぶったりしています。
 当時は有名な野球選手のジョー・デマジオと別れ、高名な劇作家アーサー・ミラーと結婚していますが、はたしてハッピーであったのかどうか、彼女は自ら購入したハリウッド郊外の邸宅に一人住み、発見されたのもこの自宅ででした。邸内には少女時代のあこがれであった白いピアノが一台あったといわれています。
 他方、同年同月の6日夕刻にサンフランシスコを離れ横浜に向かう、1海運のT丸という定期貨物船がありました。四ヵ月にわたる五大湖航路の帰路の太平洋横断にかかるところでした。貨物船ですが、一万7―8千トンの荷物と約20名の船客も乗船しておりました。当時は日本/アメリカ間はハワイを中継して航空路もありましたが、なにしろ高価でしたので、留学生、駐在するためのビジネスマン等、日米両国からの利用者が多かったのです。
 何分にも出港当日の夕刻ですので、船長テーブル、機関長テーブル、事務長テーブルと分かれて食卓についていた乗客も、食後そうそうに荷物整理のため各々の船室に引き上げていました。ところで私の職務と言いますと“事務員(アシスタントパーサー)”です。船客の食事中はボーイさんのサービスに遺漏はないかと、食堂(サロンといいますが)の片隅に目立たぬようーボケーと立っているのが役目です。
 その役目も終わり、事務室に戻り積荷関係の書類作成に掛かった8時前後であったと記憶しますが、シスコを離れて間もなく、まだアメリカ本土のラジオ放送がキャッチ出来ますので、本船は船内放送で流しておりましたが臨時ニュースがあったのです。私には何のことやら解りませんでしたが、突然アメリカ人の船客達が部屋から飛び出してきて大騒ぎが始まったのです。それがモンロウの死を伝えたものだったのです。それからが大変でした。船客は全てサロンに戻ってきて、泣き出すものはいるは、酒をがぶ飲みしひたすらモンロウーモンロウと嘆くもの、やっと収まったのは夜も白々明けでした。
 この一件で、いかにアメリカ人がモンロウを愛して(?)いたかを実感したことを、思い起こさせた番組でした。



東京花便り その一
       斉田 万吉


 福岡で六年、名古屋で三年、九年間の単身赴任にピリオドを打ち、四月から新生活のスタートを切り、東京は水道橋(東京ドームの近く)に通勤しています。
 鹿児島勤務時代は自宅から徒歩で一〇分、福岡や名古屋では電車で二〇分から三〇分だった通勤時間が、東京では一時間。これでもまだ恵まれている方です。しかも大阪名物の箱寿司みたいに、満員電車にギューギュー詰めに押し込められて、会社に着いたときは、もうくたくたです。
 上野と秋葉原で二回乗換えをしますが、電車から吐き出される人は蟻の子のように見えます。ということは、自分も同じように見られているわけで、そう思うと少し寂しくなります。
「東京なんかいやだ。人の住むところじゃない」なんて思っても、哀しきかな宮仕え、自分のため家族のために、日本のサラリーマンは戦場に向かうのです。
 そんな東京でも、あちこち歩いてみれば、結構お気に入りのスポットもできるものです。
 今年はいつになく開花が早かった桜ですが、その後急に寒波が来て、東京ではいつもよりうんと長い期間、満開の桜を楽しむことができました。
 花の名所といえば上野公園が有名ですが、昨日(四月七日)の昼食後、会社の近く、九段下から千鳥ヶ淵、靖国神社界隈を散策しました。
 桜が満開でしたが、花見客ばかりではなく付近の大学の入学式と重なって、どこも人で溢れていました。
 「梅つぼみ 桜散り初(そ)め 桃盛り 花の身頃は 花によりけり」
 桜は八分咲きで満開というそうですが、既に花びらが散り始めています。艶やかな中にえもいわれぬ無常を感じ、人はこよなくこの花を愛するのだと思います。
 散り始めた花びらがお堀の水面に落ちて、花筏となっていました。
 この街でまた新しい生活が始まりました。嬉しいことも辛いこともあるだろうと思いますが、自分らしい花を咲かせることができるように頑張ります。
 花の雲 若き女に 道を聞く   竹帚



   
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平成21年度
縄文の森をつくろう会総会を終えて

              
 4月26日10時、快晴。20人ばかりが揖宿神社に集合。和気あいあいと総会が始まった。ほとんどいつも会うメンバーだが、初めて来たという方もあった。20年度活動報告では、4月から3月まで皆さんよく動いている。4月や9月は5回以上何か活動している。皆それぞれに仕事があるのに、なんでこんなに動けるんだろうと不思議にも思える。何をしたかとざっと挙げてみる。アサリ放流、マツ植樹、田んぼ耕し、湊川清掃、海岸清掃、海遊び、ソーラー発電設置、クラフト教室、ビオトープウッドデッキ組み上げ、てんちの杜コンサート、稲刈り、柳田小のベンチ作り、緑の募金カレンダー売り、トキワマンサク植樹、クロガネモチ移植、御領ヶ池での野鳥観察、どんぐりこままわし大会、その他もろもろ。年間を通しては、毎月第一金曜日に定例会、2ヶ月1回広報「浮来亭」の発行、てんちの杜手入れ、五人番のアコウ手入れ水やり、かごしま森林の学校へ4名参加、どんぐり苗づくり植樹、魚見岳なかむらの森手入れなど。で、毎週金曜日一軒家「浮来亭」に集って好きなだけしゃべって、すきなだけ焼酎を飲む。やりたいことのほとんどはこの場で決まる。
 21年度は、去年度と同じようなことを続けていくが、後半に大きな事業をすることになった。10月3―4日に五人番のアコウの子孫を琉球に里帰りさせる。また11月28―29日には「琉球・山川港交流400周年」を山川でやる。現在沖縄・鹿児島両県の知事も参加して頂き、新しい未来を語ろうという準備が着々と進んでいる。もうご存知のように、2009年は薩摩の琉球出兵400周年。先人の苦労を偲び、歴史の波頭をきっぱり乗り切っていく覚悟を示したい。
 もう一つ申し上げておきたい。指宿の湊海岸に長い白い砂浜を作ろうとしていると新聞に載った。白い砂をどこから持ってくるのか。のち大型の台風も襲来するだろうが、砂浜の管理は誰がどのようにするのか。海の景観と保全はどうなるのか。白い砂浜は内外から多くの観光客を呼ぶための目玉だろう。しかし、何か不都合が生じても、一度入れた大量の砂は、二度と除去できない。地質的にも天然砂蒸し地区の温泉水脈への影響も考えられる。よかれと思っていても、自らの手でふるさとの天然の宝を短期間に破壊することになろう。
 湊川流域への広葉樹の植樹、各地区での三面側溝の撤去、魚見岳、知林ヶ島、指宿裏山山林の管理と育成など急いでやるべきことが他にある。短時間にできることではない。3世代、4世代かかる。ふるさとを再生させるためには、たくさんの無名の人々の力を必要とする。私もその一人になろう。



          

 朝、時々「今日の運勢」を見る。
 今朝も見たら、牡羊座は良くなかった。運勢の良いという日は気分良く始まるが、悪いから少し気になった。
 8時半前に50ccに乗って頴娃の大野岳マラソンに出かけた。天気も良く絶好のマラソン日和である。10時にスタートして、大野岳の登りの時はきつくて、殆ど歩かざるを得なかった。でも後半は、体調も良く、暑かったけど湿気が無く、去年より12分短縮してゴールできた。大変満足した。お風呂に入り、美味しい煙草を吸って、14時から山川文化ホールで奄美の島唄を聴いた。
 20時からも揖宿神社のてんちの杜のステージで島唄を聴いて楽しく踊った。
 寝る前に「今日の運勢」のことを思い出した。運勢は悪いと出ていたが、今日はすごく充実していた。当たらなかったと結論を出そうとしたら、今日は巨人の三連続完封負けだった。やっぱり当たっていたのかもしれない。
 結局、良いといわれれば良いことを考え、悪いといわれれば悪いことを考えることがわかった。今度からは「今日の運勢」は良い日だけを信じることにして寝た。




 キャンプ場の管理を始めて一年半が過ぎた。思いもよらずいい成績が出た。この街の行政サービスの民間委託に光を差すことができた。地元の注目も期待も強く、今後より多くの公共施設の民間委託は増えていくことになるだろう。
 お客さんのご住所をお聞きすると、そのほとんどが集合住宅の部屋番号で終えることが多い。庭もなく、火も炊くことの出来ない家から、この施設を利用し、一時の解放感に浸ることがここのサービスのようだ。
 お客さんの中には周りのお客さんに声を掛け一期一会の出会いを楽しむ人もいらっしゃるが、そのほとんどは自分たちのサイトでたき火をし、あるいはバーベキューを楽しむ人たちだ。
 22時消灯。まだまだ宵の口。これから大いに呑んで語るところを私は見回りをし、それらをいちいち注意して歩く。声のトーンを落として下さい。ランタンの火を少し落として下さい。若者たちには賑やかに呑みたいのはわかるが少しだけ俺の顔を立ててくれないかと交渉事までする。今の時代、それをしておかないとお客さんのブログからいらぬ噂が知らず知らずに駆け抜け、一年も経たずに評判は落ちてしまう。出入り禁止にしたお客さんもいる。
 ある日、見回りを終えて出入口ゲートへ向かうと、空が一定のリズムで煌々と赤く染まっていた。隣町にある大きな工場の煙突から茫々と音を立てて炎が上がっていた。
 一体人間は何をやっているんだろう。一生懸命働いて高価なキャンプ道具を揃え、小さな家から広々としたキャンプ場で解放感に浸る一方、法定基準を満たしているとはいえ、昼間は絶対見ないような炎をあげて工場は稼働している。
この同じ時間の出来事のどこに解放感などあるんだろう。
 声を掛けたお客さんのほとんどは素直に言うことを聞いてくれる。そのおかげで今のこのキャンプ場の評判が保っている。このお客さん達は自分たちの行為をきちんと振り返ることが出来る人たちなんだと思う。この人たちを大事にしていくことが、きっと商売のコツなんだと思う。
今度安間さんに聞いてみよう。
でも自分たちの行いを見ることのない工場の人たちはどうだろう。あの工場の炎を上げる仕事をしている人たちの中には、きっと僕のお客さんもいるだろうに・・・
そういえば以前の浮来亭で僕は深夜まで大きな声で笑っていた。おかげでご近所にご迷惑を掛けてしまった。こんな所で反省するとは思わなかった。




■奄美の島唄をひろめようと頑張っているグループと仲良くなりました。何かのイベントの時にはよろしくお願いします
■ビールの美味しい季節になってきました。金曜日の午後8時にお酒を飲まれる方は1000円持って飲みに来ませんか?飲み物を持参して頂ければ1000円も要りません。




縄文の森をつくろう会 より
●21年度の総会が無事終わりました。
 20年度は助成金と寄付で600万円頂きましたので、事業がたくさん出来ました。今年度も頑張ろうということでした。
●縄文の森の管理する場所が増えてきて、これからの季節は草刈りがたくさんあると思いますので、皆さんのご協力をよろしくお願いします




今月は嬉しいことに新しい方二人の原稿を頂きました。本当にありがとうございます。自分の思っていることとか、体験したこととかをお聞かせください。
メールアドレスは
rentarou@po.synapse.ne.jp


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