の幸ちゃん

「M君の話」
 事務所で一番のイケメン男のM君。27歳。本人が「バツイチ」だと言ってた。ま、それはプライベートで置いといて。肩こり症の彼。私に肩もんで、首もんでと言う。半年も同じ現場に居ると気心が知れてきて…。現場では、ふざけて私の股間までもんで来る始末。温泉に行こうよと話はするが、いまだ実現せず。今の若者は何を考えてるのか判らない。逆に何も考えていないのかも。
▼紙上討論―一人で居る時、何を考えているのか。「浮来亭」まで投稿ください。
「Jさんの事」
 現在、金沢に住んでいるJさん。思い起こせば、18歳・東京で出会って、おごってもらったり、色々御世話になった。何年間ブランクも有ったが、新潟出張の今でも車で走り、本人に会いに行く。お互いに年取って、Jさんも白髪頭になったが、気持ちは通じているみたいだ。お盆休みには「海の家」近くで、コーヒーを飲んだり、そば茶屋へ行った。畑、田んぼの中に有るそば屋は、近くの主婦でやってる店。ドアの入口に大きな氷が置いて有り、溶けた水が冷風を運び、涼しげ。そばは良くかまないと、ノドに引っかかる位、コシが強い。旨いが、腹一杯になった。この辺に住みたい気分になった。一番、御世話になっているJさんのそばで、死んで行きたい私かも知れないと気付いた私だった。
「S君の話」
 北海道のアパートでびっくり目鼻立ちパチクリの美青年を見かけたのは、入室して直ぐ。大島出身風のまゆ毛の濃い彼。(エッ?こんなアパートに、こんな美青年が居るの?)と思った私。「もしや、大島出身じゃないですか?俺、鹿児島出身なんですけど」と話しかけた。パタパタと話がまとまって、その夕方、飲む事になった。札幌へ所用で行った彼が、私の部屋に夜、来た。彼は焼酎だの、ツマミだの買い込んで居た。「友達になりませんか?」と遠慮がちに言ったら、「もう、友達になっているじゃないですか」と嬉しい返事。アパートの大家さん、居酒屋のママさんしか知らない北海道で、こんな嬉しい事はなかった。が、彼は、出張続きで電話連絡しているものの、ナカナカ会えないのです。因みに彼は沖縄出身でした。
「居酒屋Aにて」
 新潟の宿近くの駅から一つ先の駅まで180円。10分位だ。K駅から降りてすぐに処に、その和洋居酒屋は有る。高校卒業仕立の男女がバイト(?)で働いている。酒もつまみも、その雰囲気も旨いから、行ってしまう。ワインも酒も地元の物。大して洗練されていないが、その他の不思議な味がたまらない。牛乳だって旅先の物を飲んでみて下さい。食べてる草のせいか、その地の牛乳はあおれぞれ味が違います。
「ビジネスホテルOの話」
 金沢に旅すると必ず宿泊するホテルが有る。素泊り4千円だが、近くに焼肉店、居酒屋、コンビにも有るので便利だ。先述したJさんの実家の近所なのだ。気さくなオーナーが対応してくれ、2〜3回に一ぺんは3千7百円位にまけてくれる。昭和位の創りだが、何故か落ち着く。自分の部屋に帰って来たみたいな…?Jさんと、このホテルは一緒の思い出になりつつ有る。鹿児島に帰ってからはJさんとは年賀状、手紙、電話位だったが、ここ数年、チョコチョコ会って居るので、ブランクが消えて、東京で会った最初からずっと会って居る錯覚に陥る事も有る。
「敦賀・越の湯の話」
 福井県でバイトしている頃、休みの日に初めて行った温泉。周囲は雪が積っていて、バイトで疲れた私は車の中でも眠りこけていた。マッサージ機でも眠っていた後だったのに、車中は暖かい。外は雪が降り出した。やっと目覚めて、旅館へ仕事に戻った。一昨年の冬の話。――今では、その後、二回程、敦賀を訪れたが、その度に、この温泉に行く。街中に有るので便利。スチームサウナや電気風呂、露天も有るし、スライダーで湯舟へドボンと云うイベント温泉も有る。敦賀へ行ったら訪ねてみて下さい。一番人気の「ララ・ポート」も有るけど、街から、少し離れているので、スケールは大きいし値段も高いララ・ポートより、私は「越の湯」が好きだ。

〜ああ、新潟出張も一年過ぎてしまった。
「新潟温泉物語」A
・国道添いから15分位、山奥に入った温泉を発見。初雪がドカ降りした時に行ってみた。「春まで、冬期休業」とチェーンが入口にかけられていた。雪の日こそ、温泉で暖まりたかったのに。―春も近い日に、又、改めて行ってから、書きますね。
・温泉雑誌で見つけた「喜芳」は入浴料、千円。(本日、館内は混み合っております)との事。雑誌で気に入ったので、どうしても入浴したい気分。ランチタイムのせいか、温泉内は四〜五人程度。露天も有り、外観や内装の造りも高級感、漂う。千円の価値は有る。サウナでびっくりしたのは、窓が有って、新潟平野が一望できる事。閉鎖的なサウナと違って健康的で明るい。
 休みの日に、人前でも全裸で解放的になれるのが温泉の魅力と思っている私です。
・入浴料金の高い温泉
1680円の入浴料。高いと思うが、湯舟に2〜3人しか入っていない。サウナは高温・炭焼き風・岩盤浴と大広間風で三種類。ゆっくり寝ていられる有り様。食事処は回転寿司・焼肉・和風・居酒屋風と色々なテナントが入っており、行く度に変化モード。千円割引チケットを貰って御満悦の私。ついつい通ってしまう上越の温泉です。
・地元の人が教えて呉れた。冬の山間部での温泉には行くナとの事。行きは良い良い、帰りは恐いで、温泉に入っている間に大雪が降り、車が判らなくなる迄、積ってしまう事も有るとか。
・新潟方面とケイリンと別れる路線の傍に、「温泉ゆらいや」は有る。朝九時から営業しているが、日曜日は“イモの子を洗う”位の賑わいだ。滝やジャグジー、薬湯、サウナの設備も良いのだが、ともかく人が多い。長岡の中心部だから、仕方ないのか。少しずつ気が引けて行く。又、別の温泉を探そう。とも角、今年は、昨年、行ってない新しい処へ行きたい気分。
・旅の教訓。ドライブ好きな方、休みの前の日はお金をコンビニから降ろしてでも車の油は満タンにしておいて下さい。何度も困った事有った私です。半分以下になったら、入れておきましょうネ。―早朝、困る事ってケッコウ、有るのです。車に油が入ってない時に限って。朝早く、出発する事も可能です。
「新潟温泉物語」(おまけ
 長岡に「かまくら温泉」を見つけた。今で云うサウナだ。洞窟状の穴の中にワラのむしろが敷いて有る。寝ていると、たっぷりと汗が出て来る。表や裏を体を引っくり返して蒸す。指宿の「砂むし温泉」を思い出す位の温泉。熱いけど、気持ち良い。又、行きましょうか。―昨年、何十軒も温泉に行ったけど、3軒位、気に入った温泉、見つけました。今年は全て、新しい処に行ってみようかとも考えている。今後の原稿に、乞う御期待。
「スキー場が見える温泉」
 日曜日に「雪だるま温泉」を尋ねた。温泉の目前はスキー場のゲレンデだった。20代に越後湯沢で滑った事が有ったので懐かしかった。温泉内で「豚白もつ鍋」が旨かった。野菜もたっぷり、久々に旨い食事に出会った。少しラーメンスープっぽい味だったが……。浴室に入ったトタン、イオウの匂い。間違い無く温泉だった。又、行きたい。雪の有る内に。



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この道しかない

        

 今年は例年より桜の開花が早い。久しぶりに好天が続いたので、霧島方面に山桜を見に出かけた。新緑の山肌の所どころに、ちょうど満開の純白の花が光を浴びて輝いて見えた。その光景は「うわー」「すごい」という言葉では言い表せない美しさだった。
 もっと近くで見たいという気持ちになって、細くなった山道をおぼつかない運転で分け入って行った。とある舗装されていない坂道に入ったとき、道路わきの小さな立て看が目に入り車のスピードを緩めた。「この道しかない 春の雪ふる」とある。このあたりは今頃雪が降ることもあるのか、なるほどとすぐ通り過ぎたものの、何となく気になった。道を登りきったところに古い温泉旅館があり、その駐車場の一角に7分咲きの姿のいいソメイヨシノが2本あった。ぽかぽかとして風もなく時折ウグイスの声が聞こえている。旅館の方に許しを得て、桜の下で昼食の弁当を開いた。
「この道しかない」ということは、今まで喜びも悲しみも色々あって、ついこの間も死ぬことさえ考えたが、私を生かしていく道は結局これしかないという絶対確定の気持ちになったのだろう。それはたまたま目の前に「春の雪」が降ってきたという意外性による。この先どんなことが起ころうと、私はこの瞬間もこれだと思う道を歩いて行く。何が何でも生きていくんだという宣言でもある。何という力強い覚悟だろう。この境地に達するまでにどのくらいの年月が経ったのか。
 帰り道、今度はその立て看の前に止まった。下の方に小さく山頭火とあった。<種田山頭火 明治15年(1882)― 昭和15年(1940)自由律俳句で著名な俳人>「霧島は霧にかくれて赤とんぼ」という句もあるので、この季節、彼もこの同じ坂道を登って山に分け入ったのかもしれない。振り返ると、微風にくすぐられるように、桜の花びらがはらはらと散っているのが見えた。
 1609年薩摩が琉球に侵攻した時、「命どぅ宝」と言い放ち時の王尚寧は無抵抗で薩摩に服従した。尚寧王も、琉球とその民を救うためには「この道しかない」と腹をくくった。琉球は江戸時代を経て明治12年(1879)沖縄県となるまでの270年間、苦渋の服従外交を強いられた。琉球からもたらされた莫大な富は薩摩を肥やし、その後の近代日本の基礎体力を造る上で大きな力となった。指宿山川港には毎年年頭挨拶やお伺いの使いが来航し臨検を受けた。この間500人程の使臣が遭難あるいは客死している。
 今年は山川港を中心に、薩摩琉球侵攻400年を振り返ることはできないか。そう思っていた矢先、同じ思いを持った山川のあるグループから声がかかった。400年経った今だからこそ分かることがある。願っていた沖縄の方々との今までとは違った交流が始まろうとしている。歴史の波頭を一緒に乗り越えて、新しい未来に舵を切ろう。


 
               
「こんばんは」
浮来亭の玄関で聞き慣れない声がした。
「今日は試合前なので調整中で飲めませんが伺いました。」と息子と一つ違いの青年が明るく、飄々と部屋に入ってきた。
 先週の浮来亭に、Rさんの誘いで見えた、宮城県仙台出身で長野の大学を経て鹿児島の教員になった49年生まれの青年であった。試合というのはマウンテンバイクだそうだ。今夜も手造りのマウンテンバイクでやってきた。
 先週も皆が集中攻撃のように質問していたが、堂々とさらっと答えていたし、今夜もである。
 もう直ぐ61才になるのに、彼のように生きたいものだと25才位の若者に戻ったような感じでワクワクして寝た。


  縄文の森をつくろう会より
 
3月20日(金)午後から、揖宿神社で21年度例祭が行われました。市会議員さんや公民館長さん、それに市長さん、県会議員の方々等沢山の参加がありました。
皆さんに「てんちの杜」の野外ステージ、太陽光発電設備、クロガネモチ移植等の説明をしました。皆さんが「縄文の森をつくろう会」の活動を、大変評価して下さいました。



3月21日(土)午後から、「てんちの杜」に市のみどりの基金から補助金をもらって、「縄文の森をつくろう会」の会員7名で、トキワマンサクの苗木を植樹しました。今花が咲いているので見に行ってください。

・2月22日午前10時から、なのはな館北側の御領ヶ池で野鳥観察会をしました。県立博物館の中間先生のご指導の下、40名参加で楽しい時間を過ごせました。又、二反田川にも足を伸ばして先生に持って来て頂いた双眼鏡で勉強させて頂きました。

・2月15日 指宿商業横の海岸清掃を行いました。
・3月8日 フラワーパークでどんぐりこま回し大会を行いました

●今後の予定
・4月11日 宮ヶ浜海岸であさりの放流予定です。
・4月29日 てんちの杜でホタルを見る会をする予定です。

 21年度 総会のご案内

日時 4月26日午前10時(雨天決行)
場所 てんちの杜(揖宿神社社務所)

* 当日はてんちの杜のご案内をしますので、ぜひご出席ください
*総会資料は当日配布します。


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