の幸ちゃん

『長崎県の思い出』・まず初めて行ったのは修学旅行だ。中学三年の時、まだアド気なさが残っていた私も観光より、皆と学校以外の処へ行けたのが嬉しかったのかナ?最近で云う「お泊り保育」みたいナ? ・懐かしくなって20代に九州半周でドライブ。中学の修学旅行で泊った旅館も判らず、只々ドライブ。 ・友人と三回目に行った長崎。サウナに泊った。時折、ドライブがてら、居酒屋へも行った。鹿児島出身の女性と臨席し、(私の部屋においでよ)と誘われた。何をされるか判らないので、(先に出ます。会計して5分位したら、出て来て、店の外で待ってるから)と言いつつも、大あわてで逃げて帰った。その時の女性にごめん。――そして又、教会巡りの旅や、五年位前の呼子行き等、長崎には10回近く、行った。さて―読者は?
『厨房(ちゅうぼう)での食事』 20代に東京・新宿/池袋でお水業界のバイトをした事が有る。合鍵を渡され、従業員が来る迄、厨房の大型冷蔵庫やボイラー等の機械音の中でポツンと一人で居ると、すっごく淋しくなる。まるで、この世に私一人が取り残されているみたいで。こんな時に世界のどこかで楽しく生きている人も居るのか…?今、北陸の旅館に居て、予約客の無い夜は厨房で準備された夜食を一人でポツンと食べている。あの若い頃を思い出して、空しい。一ヵ月位してから、お盆に乗せて、部屋で食べる事にした。まだTVの中の人物を相手に食事していた方が楽しい。――話が長くなるので、ここでは書かないが、私はどこへ行っても、いつも一人ぽっちの気がする。職場、家庭人に愛されている風でもない。誕生祝いをして貰った事もない。一体、私の人生は何なのかと考える事も多い。――一体、誰に好かれ、愛された事が有ろうか。青木ヶ原(富士)樹海の片隅で静かに寝ていたい気もする。
『こんな国道も有る』 島根県の出雲で車の修理をする事になった。午前中が車会社に足止めを喰らい、出発は午後に。一日、高速を走らずに下道を走って、二県か三県を走破できる。若い頃は夜も走っていたが、この年になって夕方になると、酒や風呂が恋しくなり、4時頃にはホテルや旅館探しが始まる。その日は岡山県津山のビジネスへ泊決定。北陸へ向かう為に、朝五時には出発。処が霧が濃くて、視界悪し。今までの人生の中でも一番、最悪の霧状況。前にも後ろにも車無し。知らぬ道で、事故でもしないかと不安。早朝は牛乳・新聞配達。犬の散歩、ジョギングの老人も多い。国道429号線の途中は杉山で、ジグザグのいろは坂が杉木立の中に見えているが、対向車も無いが、急坂で、車中には色々と自炊道具を積み込み、車重が重い為、急坂を登坂出来ない。オートマ車で1(ロー)を使用したのは初めて。何とか福知山まで着いた。山中を抜け、車量の多い県道に出た時はホッとした。下道を走るのには、紅葉等の写真を撮りたいからだ。こんな国道はまだ、良い方だ。熊本から大分へ抜ける国道は舗装もしてない道も有った。大雨が降れば、絶対に川になるって云う感じの道で有る。――本当に今迄、色々な道を車で走った。私はこうして、死ぬ迄、又、別の新しい道を見たくて、走り続けるだろう。これは又私の人生の道でも有る。
――いつか、本当に愛し合える人に出会う日迄、…。


09’Wラン       中園

 菜の花マラソンに関った全ての皆々様、大変お疲れ様でした。驚異的伸びを見せたエントリー数は、日頃の努力の成果とお喜び申し上げます。
 しかしながら、急激な変化は大きな副作用をともないます。交通渋滞からスタートに間に合わない。駐車場。トイレ。エイドステーションの問題。トップランナーより倍、3倍、4倍と人より長〜くマラソンを楽しむランナー程。後半になる程。口にする物がありません。もう少しなんとかならなかったのか?!と思う反面、なんせいっぺんに一つの大会の参加者程が殖えてしまったのだから、しかたない!……とは云え、それでも来年はより一層の努力を期待したい。
 マラソンの参加も回数が増えて来ると完走の感動も薄れ、練習のモチベーションも下る一方です。そんな折、2006年の「菜の花咲かせ隊」の最後のランナー迄応援する姿に共鳴し、それ以来バンザイ隊に入隊(?!)したのではありますが、今度はされる側に廻りたいと、……。友人も最近は気持の盛り上りに欠けるとの事。それでは「2周廻ろう、Wフルをやろう!」と、少し早い、少し長めのウォーミングアップをする事になりました。
 友人はストイックな性格で体重も50kg台、身長160cm前後と変らないのに私は60kg台、12月に入ってもズボラで面倒臭がりの私は14日になっても走らない。これではと思い15日より二人で10kmずつ始めた。1月7日迄24日間246kmで本番に望んだ。大会に迷惑を掛けぬ様、スタートに間に合う様、菜の花館をAM2:00出発!真暗で静かな街並みを2人懐中電灯で対向車に存在を知らせつつ心細い月灯りの下歩を進め、仲間の見送りや電話、応援、出迎えでAM9:15無事一周。トイレ・着替えをすませAM9:25再スタート。さぞかし一周目よりも苦しかろうと思ったが、どっこい楽しくてしかたがない。なんせ廻りに人がいっぱい居る。私達の後からも大勢のランナーがスターとして来る。沿道の応援もある。7時間前とはエライちがい!!さっき走ったばっかりだから距離も短く感じる。すぐに池田湖。二人だけでもしゃべっていたが2周目は回りのランナーにも声を掛ける!しゃべりまくる!沿道のバアチャンにもギャグをとばしまくる!なんせこちらは42km+今の距離だからテンション上りっぱなし。ドーパミン・エンドルフィン・脳内麻薬出っぱなしなのだから。少々シカとされても一向に気にしない。走るストーカー状態だ!!だが最後尾からのスタート。エイドステーションも最初だけ、あとは水しか残ってない!先に行く程無い!いつもは手も出さないイモも無い。バナナは暫く目にもしていない。しかたなく枚聞神社の先のコンビニでカップラーメンを買い一息…。やっと中間点のガス屋の豚汁に出合えた。オカワリもOKと云う。35km地点でもソラマメスープを出していた。毎年の事だが頭が下がる。山川港を廻るともう歩きっぱなし。燃料タンクはすでに空っぽ。予備タンクも当に使い切った。当々口数も減って来た。(声も枯れてきた)やっと山川駅に着くと「ここは最後迄やってるよー。」とオフシャルエイドの声。バナナを手にした時は歩き続ける回りのランナーと共に声を上げた!!
 それからは、菜の花が初フル参加という、福岡から指宿の噂を聞き30人程でやって来た一人と手をつないでPM5:12、Wフル15時間12分、ゴール。当所覚悟していたヒザの崩れや、爪の剥がれも、筋肉破壊も大した事なく、ウサギ飛びさえ出来る程、Qちゃんじゃないが『とっても楽しい、84.39kmでした!!!』


                

 休みの日に楽しい事は映画を見る事。
10時過ぎから録画してあった映画を見た。いつもの事だが始めは内容が良く解ってないからつまらない。でも20分位経ってもつまらない。結局最後まで解らなかった。
 二本目を見た。これも解らなかった。凄く時間を損した感じだった。迷った末三本目も見た。期待してなかったが、良く解り涙して見終わった。6時頃だった。
 寝る時に思った。抽象より具象がいいと。さらに表現は相手に解る様にすべきだと。


  
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    金魚見て赤イワシ
                 

 福岡県有明海沿岸に「知ったかふりの金魚見て赤イワシ」という言葉がある。いつも何でも知っているようでいて、実は決定的な間違いをしている人の言動によく使われる。今日の話、ひょっとしたらそのたぐいかもしれない。
 今年は薩摩の琉球侵攻400周年、ガリレオ・ガリレイ(1564-1642)が望遠鏡で月や木星を初めてみて400年、島津斉彬(1809.4.28-1858.8.24)生誕200年の年。
 数学、幾何学、天文学を大学で教えていたガリレオは、1608年オランダで発明特許を得た望遠鏡を真似て、最初10倍の、引き続き20倍の望遠鏡を自作した。月の表面がでこぼこしていること。海のような模様がたくさんあること。木星に4個の衛星があること。金星に月と同じように満ち欠けがあること。天の川が無数の恒星の集まりであることなどを次々に発見した。木星の衛星は全部で16個。その内の3個(イオ、ガ二メデ、カリスト)は月より大きい。ガリレオは最も内側にある4個の衛星を発見した。1979年、惑星探査機ボイジャーがガリレオが発見した衛星の近くに3個の衛星を発見するまで、木星の衛星は全部で13個と思われていた。地球から太陽までの平均距離は1億4960万km(1天文単位という)。光で8分19秒、時速1000kmのジャンボジェット機で約17年、時速200kmの新幹線で約85年かかる距離。木星までは地球から4天文単位ちょっと。ガリレオは西洋で初めて太陽の黒点を見た人でもあった。木星の衛星、金星の満ち欠け、太陽の黒点からガリレオは地動説が正しいと確信した。1616年、1633年と地動説は異端であると裁判にかけられ有罪となった。1630年、ガリレオは地動説の解説書「天文対話」を出していた。彼は1637年、太陽を見すぎたために失明したという。1992年、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世は、ガリレオ裁判が誤りであったことを認め、ガリレオに謝罪した。ガリレオ死去から350年後のことだった。
 関ヶ原の合戦から9年、薩摩島津は琉球に侵攻し、その後270年間、琉球に主権はなかった。1945年アメリカによる沖縄統治開始。日本復帰は奄美に遅れること19年、1972年5月15日だった。
 ヒトはどこを見て、どこに行こうとしたのか。大陸を突き進み、海を越え、空のかなたまで目をやり、何を探し、何を成し遂げようとしたのか。歴史の節々にじっくり眺めてみるのもいい。たとえ「知ったかふりの金魚見て赤イワシ」と言われようと。



◆1月11日の菜の花マラソンの最終ランナーを応援する菜の花咲かせ隊は10人位でひっそりと応援しました?
 今年は8時20分頃でしたが、その前にゴールした女性が動けなくなるほどの苦痛を訴えたので心配しました。でも元気に鹿児島へ帰って行きましたので良かったです。
◆1月25日の菜の花マーチは宮ヶ浜での接待をしました。寒いせいか例年よりも参加者が少なく感じました。それとも我々が慣れて来たのでしょうか?
◆2月8日は鹿児島の沖縄舞踊の竹内さん達の新年会が有ります。呼ばれていますので楽しんできます。


 インフルエンザがはやっていますので、身体には充分気をつけてください。
 前回にもお知らせしましたが、原稿が集まり難くなっています。出来るだけ毎月の発行をと頑張りますので、宜しくお願いします。




    縄文の森をつくろう会より

●指宿市と鹿児島大学とでの地域貢献事業(地域と大学のローカルシンフォニー)がスタートしました。これは指宿地域の課題を見つけ、その解決策を探っていくというものです。
●縄文の森をつくろう会でも、意義あるものとして積極的に取り組んでいくべきではとの意見が出ました。縄文の森をつくろう会としての守備範囲内での参加協力ということですので、会員の皆様のご理解とご協力をよろしくお願いします。
●関連して、会員である伊地知さんからの提案が有りました。
 ジオパーク(科学的、地質学的に見て重要な、貴重な或いは美しい地質遺産を複数含む自然公園。地質遺産を観光の対象とするジオツーリズムを通じて地域社会の活性化を目指す。)の推進です。
●早速、1月20日の地域貢献事業の「薩摩半島の自然遺産」-火山の恵み、星の輝き-に会員6名で参加しました。講演された西尾教授からも地質学的に見て、大変価値のある地域であることを教えて頂きました。

●12月24日の指宿駅前のイブナイトと1月3日の揖宿神社でのカレンダー募金の活動は終わりました。募金合計金額は、48,165円(上野さんの分5,000円も含む)になりました。お手伝いしてくださいましたみなさん、ありがとうございました。1月8日に、かごしまみどりの基金へ、みなさんの気持ちを届けて参りました。

●平成20年度森林環境税で森林の体験活動支援事業として柳田小学校の6年生とでベンチ造りを実施しました。縄文の森をつくろう会から7名参加しました。

今後の予定
・柳田のクロガネモチ移植
(てんちの杜へ)
・2月7日(土)宮ヶ浜緑の少年団
「てんちの杜」でシイタケ菌打ち  
・2月22日「御領ヶ池」で野鳥観察会  
・一倉ハイキング  


●会費納入のお願い
今年度の会費を未納の方は会費納入をよろしくお願いします。
●縄文の森をつくろう会のホームページ
http://www.synapse.ne.jp/jomon-mori/index3.html


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