の幸ちゃん

★中学二年の時、臨席の女の子を好きになった。愛情表現が判らず、恋心を伝えられぬ、もどかしさから、いつもつついて楽しんで(?)いた。彼女は嫌いだったのか、いじめと思ったのか、担任に相談した様だ。数日たって私の集落は自転車通学ではない。歩いて通学せよと言われた。同じ近所の子供は皆、自転車通学しているのに、おかしいナ…と、しばらくしてから気付いた。 
★生命保険の変更手続きで窓口を訪ねた時の保険員と私の会話。「いつ病気するとか、死ぬとか判っていれば良いのにネ。」と保険の掛年数を論じた。人間って、いつ(その日)が来るか訳知らずで毎日、生きているのでしょう。昨年、人生残り三年か五年か、十年か?と考えていたが、又一年通過してしまった。毎年そう思って元気で頑張れば20年位は生きているかも。人生3分の2を過ぎて棺桶が近い事だけは確かだ。
★未婚のワケ=毛深いから。25歳位からハゲて来たから。親姉兄の性格が好きになれず、結婚して子供が出来たら、同じ様な性格になるとの恐いから。金がないから。好きな女性も居たし、同棲もしたけど、自分が自然体で居られる相手と出会わなかったから。好きになっても気が小さくて、告白出来なかったから。熟し易く、冷め易い性格だから。同じ女性と一生、棲んで行けるか生活できるか、自信ないから。子供時代、両親が夫婦ゲンカばかりして、結婚に夢を持てないし、無理してまでも一緒になる必要はないと思っていたから。―まだまだ理由は有るけど、今回はこの辺で止めときます。
★井上陽水の歌『青空ひとりきり』で(楽しい事なら何でもやりたい。楽しい人と会いたい)ち云う意味の歌詞が有る。鹿児島に居て、職も無い。誰も助けて呉れない。自分で生きて行くしかない。職の有る場所へ行きましょ。と、出て来た。山口百恵が『いい日、旅立ち』で、(私を待ってる人が居る)と歌っているし、それを信じて、又、次の街へ行きましょうか。 
★春の山梨県ではブドウ・桃・リンゴ・桜の花がポツリポツリと、赤・白・ピンクが乱舞します。富士山を背景に置いて、手前に花を散りばめたアングルで写真を撮りたいので、私は(春待ちおじさん)なのです。又、生きていれば、結果報告しましょうか。 
★『帰らなくとも良い旅』にすっごく憧れていた。好きな人々と一緒に楽しく飲んで、ドライブして小旅行したい。楽しいまんまだから、自宅へ帰って淋しい思いをしたくない。楽しい事はそのまま続けていたい。旅行に出ると、帰らずに前向きに次の所へ、と移動し、新しいビジネスホテルを見つけ、近隣の居酒屋で地元の旨い物を食べ尽くす。そんな人生を送りたいです。仕事をしなくとも良い位の宝くじ金でも当たれば…なんて、又、明日も宝くじ売場へ通います。
『私の食生活(帰鹿編)』東京から帰って来て、母宅に棲み、又、まずいヘタな食事を時々、食べつつも「鹿児島デザイン研究所」と云う社名で、一人で飛び込みや紹介で仕事を貰い、何とか生き抜いてた。食事はスーパーに入り、適当にすぐ食べられる物を購入していた。軽ワゴン車だったので、アチコチ小旅行したり、九州の温泉を走破していた。東京で貯金していた金も次々と無くなり、就職した。小松原で会社の帰り「モスバーガー」や中華料理(ギョーザの旨い店)が有り、会社の寮に入っていた。日本一周に出た頃にスナックの女性と知り合えば、彼氏ともウマが合い、三人でスナック通いしていた。その延長で、谷山方面にアパート同居したり、思い出が交錯する。彼氏は焼鳥屋の店主で焼鳥、居酒屋、スナックのおつまみ料理でハラを満たし、別に病気の事等、考えた事も無かった。深夜残業が続くので、谷山の会社を辞めて、上本町の印刷会社へ転勤した。姉の居酒屋、兄の水道屋も近くに有り、吉野も近く、この頃の食事は殆んど、居酒屋のつまみだった。この後、家を建てて、出費は多かったが、畑で野菜を作っていたので、手造り料理が多かった。牛乳配達で腰を痛めて、火事を出し、家を焼く。アパートを借り温泉生活して、ヘルニアも治した。この前後、指宿の人々と知り合ったのですね。ここ3〜4年、無職だったが、手造り料理で何とか、生き伸びた。――そして今、北陸の旅館で30周年記念でフグ料理のイベントをしているので、殆んど毎日、フグのつまみがまかないで出て来る。足早でパタパタと50年分の食生活を書いてみましたが、味とかは伝わらないのは残念。又、思い出して、部分部分の料理、レシピ等をゆっくり書きます。
『鯛のウロコ取り』魚屋さんでも無いのに突然、鯛のウロコ取りを命じられた。一回、手本を見せられた。必死で私もやる。水やウロコが飛んで来ようが、やるしか無い。甘ったれた事は言えない。遅いの、取れてないのと怒られながらも、少しずつ旨くなって行く。2ヵ月位したら、親方が何も言わず、まかせて呉れる様になった。
『カワハギのさばき方』一般家庭のさばき方と違って、業務用的には内職を取る時にハラをさきません。鉄串状の物で肛門付近を大きく穴を開け、内臓を手で全部、出して行き、姿形がキレイな状態で調理します。鯛の生き締めの方法とかも教えて貰った。次回、魚屋、フグ店にも勤務できるかも。調理が好きなので、民宿、学生・社員寮の住み込み調理士も勤務できるかも。浮来亭へ原稿を送るのも楽しみになって来た。日本全国アイコチへ旅して、又、原稿を送り続けます。寅さんみたいに……。


 
        

 午後1時、仕事がやっと終わった。3時に秀水園に行けばみこしに間に合うから時間は充分あると一安心。だが50CCに乗ってから市役所に行く事にした。確か1時にみこしが市役所から出発するからだ。市役所の手前で交通整理の方に止められた。市役所から出てきたみこしに声をかけて家に帰り着替えた。まだ3時には1時間半もある。胃の辺りの血が騒ぎ出し、頭まで駆け上った。3時まで待てなかった。50CCで追いかけた。ハイビスカスレンタカーで捕まえた。皆が「遅かったね」と声をかけてくれた。申し訳ないと思い、缶ビールを一気に飲んだ。皆に追いつかなくてはとさらに飲んだ。3時の秀水園を出るときには追いついたようだ。
 30年前からの祭りのY先輩がいた。彼もかなり酔っていた。久しぶりに担ぎに来たと元青振連会長のTさんもいた。もちろん長年一緒に担いでいるIさんも。
 セントラルパークに着いてからもかなり飲んだ。駅前にみこしを移動した。私も一緒だったと思うのだが記憶にない。みこしは終わった。
 家に帰り着替えてはんや踊りに気持を切り替えた。踊った。全然疲れた気がしなかった。でも疲れていたのか、はんやが終わってからお祭り広場に行き、本部テントの裏で10時半頃まで寝てしまった。Tさんに起され家まで送って貰った。祭りが終わった。
 次の日からいろいろな方に祭りの時のことを聞かされた。「酔ってたね〜」と皆から言われた。はんや踊りは踊るというより騒いでいたようだ。帰る時もTさんからYさんにチェンジした事も知らなかった。
 迷惑をかけたようだが、本当に楽しい祭りだった。早く一年経って欲しいなと思った。 


               

   
祭りの後

 莫大な費用をかけた北京オリンピックが終わった。丸谷才一と山崎正和は、1996年、「二十世紀を読む」の中で、1900-2000年のより大きな事件は、地球の全人類がひとつの運命の中に結ばれることになったことだと言った。それは知識や観念の世界ではなく、現実の同時性と同質性によるという。今度のオリンピックを見ていて、その一つの運命、どちらかというと、抑制のきかない滅びの運命を強く感じた。
 1854年4月25日深夜、吉田松陰(24歳)は停泊中のペリー艦隊ポーハタンに闖入、アメリカへの密入国を企て失敗。1859年10月27日、江戸小伝馬上町の牢で処刑された。彼は処刑2日前から1日がかりで「留魂録」を書いた。「今日死を決するの安心は四時(四季)の順環(循環)に於いて得る所あり」と己の死生観を述べている。十歳で死ぬ者もおのずから十歳の四季を持ち、花あり、種子を残すのだと。「飛耳長目(ひじちょうもく)」−よく観察し、的確に未来を予見すべしと。松陰直筆の「留魂録」は数奇な運命をたどり門人たちに届いた。恐るべし松陰。
 1181年4-5月、仁和寺(京都)の隆暁法印は平安京の東半分の路上で42300余の死体を数えた。養和年間(1181-82)の飢饉の様子。(方丈記)
 松陰のことも飢饉の様子も、ごく一部の人々が知っていたにすぎない。ましてや中国、アフリカなどの一部で起こったことなど知るよしもない。ところが現代は、北京でのオリンピックの様子が同時に、細部までわかる。さらにインターネットは、全人類に同時性、同質性を無意識のうちに急速に敷衍している。
 地球は太陽系の中にあり、太陽系は一億年かけて一回りする銀河の中にある。その銀河は宇宙の何十億という銀河の一つにすぎない。全人類がひとつの運命の中に結ばれるといっても、我々の社会がどう変わってきたかといっても、地球が太陽系の一部で、やがて消滅するまで宇宙の中を漂っていることに変わりはない。たとえ地球温暖化という天変地異で人類が滅亡の危機に瀕しようが、地球にとっては大したことではない。地球開闢以来繰り返してきた変化だ。何か大きな力によって宇宙全体が動いている。地球は絶えず回転し、銀河とともに宇宙を漂っている。
 さてかよわき私はこのような数奇な世上で、いかように暮らそう。いかように生きよう。

 お盆に小金井第2団ボーイスカウト隊(隊長中村 淳)が鰻池の伊地知さん宅で合宿。伊地知さんはここの元隊長さん。我々も1日、宮ヶ浜で一緒に海遊びをした。久しぶりに
海に入って行きかえった気分。
また来てねと記念撮影。





悠紀と名付け、一年がもうすぐ来る。
近頃やたらと叫ぶ。先日は鉄板焼き屋で叫びまくり、追い出された。
母は言う。「この子は自己主張が強い」
父は言う。「単にわがままなんだろう」
隆晃さんちの響ちゃんに似てきた気がする。
兄弟か?兄弟なのか?
宇宙語を話すようになった。その中に
「あんまーあんまー」と連呼することがある。
きっと通信中なんだろう。
私たちの行動はすっかり悠紀が握っている。
母も父も、それぞれ好き勝手に生きてきたが、これからは息子の顔色を見ながら行動することになる。
へそくりも息子が一番持っていると母は告げた。
(注・この原稿は7月末に届いていました)

 縄文の森をつくろう会より

●9月4日は「五人番アコウ」の移植記念日です。
 皆さんで集まってお祝いをしたいと思いますので、是非ご出席ください。
 日時 9月4日 午後6時
 場所 太平次公園「五人番アコウ」前
 懇親会 午後7時 安上り
     会費はお酒を飲む方は 2000円
        飲まない方は  1000円
(毎月の第一金曜日の定例会はこの日にしますので、5日の浮来亭は行いません)
●「てんちの杜」にウッドデッキが9月末までには設置される予定です。
 又、鹿児島の三菱商事さんのお陰で太陽光発電も設置されます。
 どんどん形が出来、楽しくなってきていますので、暇を見つけて見に行ってください。●10月19日(日)の夜、「てんちの杜」で第4回かがり火コンサートを行います。
 出演してくださる方々も素晴らしい方が多いですから、楽しみにしていてください。
 詳細は又後日お知らせします。
●柳田小学校ベンチ作り(11月完成予定)に協力する予定です。



 浮来亭が潟山に移って1年以上が経ちました。最初の頃は馴染めなかったのですけど、今ではかなり落着いてきました。毎週金曜日の夜8時から11時過ぎまで、ワイワイガヤガヤやっています。車で来る方は飲まずに頑張ってしゃべります。もちろん飲む方は頑張らなくても熱を持ってしゃべります。年齢とかの差はあっても全然こだわらずにしゃべっているのが大変良いですね。特に自分の得意な話は熱が入ってしゃべっていますね。大牟礼の時から数えれば10年以上になると思いますから、お酒が強くなった方もいます。
 そんなですから、飲む方も飲まない方も遠慮せずに遊びに来てください。飲む方は1000円必要です。飲まない方はお金は要りませんが自分の好きな飲み物を持参してもかまいません。
場所は左図です。



 高校野球も北京オリンピックも終わり、やや静かになった気がします。余り静かなのは好みませんから、何か楽しいことがあれば良いなと思っています。何かあったらお聞かせください。



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